ビルトニアの女
勇者の祈り僧侶の言葉【3】
千切れた腕も直に治る男は、不思議そうな顔をしていた
『他者の腕が簡単に修復しないと知ったのは、相当成長してからだった』
失われた腕が生えてくる男は、不思議そうな顔をしていた

−奴が知らないのはそれだけではなかっただろうが

 故郷を目の前で失った男と女は、それに触れずに体だけを触れあっていた。
『逃げなさい、レクトリトアード』
 切り裂かれた女の身体も再生する。が、完全に直に再生する訳ではない。傷の治りが段々と遅くなっていっていた。
 それでもその女は俺を庇う
『行きなさい、マシューナルかエドへ』
 最後の最後まで庇って死んでいった。
 傷が治るかと思ってずっと待ったが、その女は二度と立ち上がらなかった
 俺は何も知らないまま、全てを失った
 あの女が誰だったのか?今となっては知る術もなければ、知りたくもない

−それは今でも変わらない

 丘の上に作られた記念公園を、笑いながら螺旋状の階段を昇っていく三人。背後から付いてきている人間を無視して話を続けて。
「首都の規模から言ってかなり大きい公園だな、ドロテア」
「まあそうだな」
 ベンチに座り、持ってきた水筒に口をつける。公園は大きいが、海の直ぐ傍にあるので木はあまり成長しない。
 潮風が強過ぎて、樹木は細い。その木の隙間から
「あの木の陰からチラチラ覗いている男二人が、凄く気になるんだけど」
 三人を窺う男が二人。
「そりゃ気にもなるだろう、マリア。片方はマリアも知ってる男だぜ」
 エルストも注意深くその二人を見ると、頭を抱えたくなるような人物だではあったが、予想できる人物でもある。
「私、知ってるかしら? 男の知り合い殆どいないんだけど」
 そう言いながら、目を凝らす。上等な服に馴染みある顔。多分マシューナル王国の首都に住んでいる人間なら、誰でも見る顔だ。
 闘技場で、優勝者に賜杯を手渡す王族。
「知ってる、知ってる、絶対に知ってる」
「………よく似た人なら知ってそうね、あらコッチに来るわよ」
 その役目を背負っているのは、マシューナル王国の王子。
「勇者の一行ですね」
「何の用だ?ウィリアム王太子」
 ウィリアム王太子を見ずに、ドロテアは海風がひっきりなしに舞わせる髪の下から男を見ていた。

 白銀の長髪をたなびかせ近寄ってくる。話し掛けてきた二人の男の背後から、気配を消して近寄ってくる男がいる。随分と髪が伸びたな……あれから四年か

 護衛で国外に出る事もあるが、今回のようなのは初めてだ。
 港に船が着いた、活気の溢れる声が聞こえる。港町に来るのが初めてではない、かなりの距離を歩いて旅した子供の頃立ち寄った事がある。酷遇だと一人冷めた目で自分を見始めた頃だった。ガヤガヤと波の音を消し去るような人々の声、積荷を下ろし運び出す者達、そして客。この月がこの国出身聖職者の帰還月だと知るのにはそう時間はかからなかった、溢れる聖職者達。人を救うのが仕事だという輩とは、余り話をしたことはない、必要を感じない。
 救われた事は一度もないような気がする。瞼を閉じて、風が髪を撫でるのを感じた。身体を触られるのが好きではなかったが、あの女が手に微風を作り今程長くはない髪を風で撫でてくれるのは好きだ。共同作戦を張っている此方の国の指揮隊長が、懐かしそうな声を上げた
「おや、ヒルダが帰って来たようだな。吸血鬼をも討伐したそうだな」
 噂が流れるのは早い、吸血鬼を討伐した女の名は知っている、忘れる訳がない。
「ヒルダ?」
 有触れた名前だが、それはあの女の妹の名前でもある。
「あの一人だけ司祭の着衣の、美しい娘です。ベルンチィアで学んでいたのですが、そう言えば姉はマシューナルにいたそうですな。マシューナルでも学んだ筈ですな」
 “向こう”の指揮をする初老の男爵が、指差した先にいるのは若すぎると言ってもいい司祭。美しい司祭だ。肌の“きめ”が他者と違うのか、まるで白く輝いているかのような肌と全ての形が整った顔の造詣。瓜二つだ
「ドロテアの妹だったなアレは」
 王学府に特殊編入した司祭補、それがいるのは覚えていた。最も、足を運ぶ事は無い一番縁遠い場所だった。今でも満足に字を読む事ができないような自分にとっては。
「おう、姉に似て滅法美人だ。頭も良い、姉ほど怖くないが、姉が怖くて誰も手出せなかったな。マリアといいヴァルキリアといい、美人は全部ドロテアの周りに集まって、男には目もくれない」
 ドロテアと同期の男が笑いながら司祭を見ている。
「彼女が此処にいると言うことは、他の三人も来ているわけだな、バダッシュ」
 目をしっかりと開き司祭を見つつ口を開く。紺色の僧衣の中にいる、目立つ司祭服。亜麻色の髪、忘れえぬあの顔と瓜二つの女がそこにいた、風に乗り聞こえて来る低い声。姉に良く似ている。だが弾んだような喋り方は随分と違う。それはそうだろう違う人間だ、まるで別の人間だ。
「多分そうだろうな」
 バダッシュという部下が、困ったように言う。他の連れてきた四人の兵士が酷く困惑した面持ちで見るのはわかる。誰もが知っている、私が目の前にいる司祭の姉に別れを貰った事を。
 最初に言われたな、誰も彼も。“オマエの手に負えるような女じゃ無いから、仕方なかったさ。気を落とすなよ”
「どうでしょう男爵、噂を流したら」
 元々、男爵などと話をするような生まれ育ちではない。見世物から気がついたら此処まで昇っていた。王太子の護衛である自分
「噂?」
 似合わない地位に居るのは、何時も思い、この地位を失うのも怖くは無い。それがかえって効果的らしい。
『強さだけの男』として。
「今、この首都に勇者達が来ていると知れば協力を求めるでしょう」
 王太子はドロテアを知っている。強さも頭脳も、そして良くすれば仲介人を紹介してくれるかも知れない事を。

−皇帝。その愛人だった女

 それは本当かどうかは……皇帝自身が否定した。自分が愛人だったのだと
「だが、彼等彼女等が味方につくと厄介ではないか?」
「あの女は賢い女です、決して味方にはつきません」
「そうかね?」
「間違い無く。金や権力では動きません、まして自分に必要の無い事に関しては指一本……動かさないでしょう」
 そのドロテアが、エド法国で法王の為に働いたというのを聞いてバダッシュなどは驚いていた。“金なんて欲しがる女じゃないから、法王猊下の徳のなせる業だろうな。一度会ってみたいもんだ”と言っていた。学者達は、エド法国に行きたがらないらしい理由は知らないが。
 それでも、あのドロテアがそこまでしたのなら、一度は会ってみたいと言っていた。事実、あの皇帝と呼ばれる男は“ドロテアに説得されて”足を運んだそうだ。
「断言するな、レクトリトアード殿」

−しなきゃならんことが多すぎるんだよ
どこか俺とは違い、何かしなくてはならない事があるらしい

「少しはあの女を知っていますから、ドロテアを」
 ドロテアと別れた。
 互いに泣くわけでもなければ、叫ぶ訳でもない。多分俺の手には負えなくて、あの女にとっては俺はつまらなかったのだろう。
 “酷いわね”と言った商売女がいた、抱きもせずに帰った。酷くはない、ドロテアは。
 “捨てられたの”と言った女がいた、捨てられた訳ではない、ドロテアに。
 “慰めてあげる”と言った女と商売女がいた、それは数えられない程。慰めてくれなくていい、お前等に出来る訳もない。出来もしない事を言うな。
 一人、ドロテアの知り合いの商売女がいた。首都最高の高級娼婦、パトロンはオーヴァート=フェールセンだと言う。
 その女は言った“イイ女でしょう、過去に出来ない程に”さすが高級娼婦だと言わしめる程の余裕のある顔に正直に答えた、その通りだと。そう返しその女を抱いた。豊かな金髪と、手入れの行き届いた爪先“他の口やかましい女が嫌になったらいらっしゃい”ヴァルキリアと言う名の高級娼婦はそう言い、その言葉に甘えて何度か足を運ぶ。

絵の見方を教えてくれたヴァルキリア
香水の種類を教えてくれたヴァルキリア
「ドロテアからは何を教えてもらったの?」とヴァルキリアが尋ねて
「人前で服を脱ぐなと言われた」
その言葉に、ヴァルキリアは黙って頷き
「そう。それを貴方は今でも守っているのね」
音楽を教えてくれたヴァルキリア
踊り方を教えてくれたヴァルキリア
それでも俺は、服を脱いで彼女を抱いたことはない
だからヴァルキリアは笑う
「貴方はまだ、ドロテアを愛しているのね」
そして彼女は続けた
「オーヴァートもまだドロテアを愛しているのよ。あの人は認めないけれども、だから貴方も認めないんでしょう」
悲しそうだった。だから首を振った

「認める、愛している。今でもドロテアを愛していると」

「その言葉、私に向かって言って欲しいものね」
まったく悔しくなどなさそうに、彼女は言った
女をエスコートする方法を教えてくれたヴァルキリア
立ち居振る舞いを教えてくれたヴァルキリア

ヴァルキリアが悲しそうだったのは、オーヴァートの心が向いてこない事だったんだろう。

それから四年の年月が過ぎ去り、髪が伸びていた。恨みでもなく何でもない、ただ俺が忘れていないだけ。


何時かは忘れたが、火の様な男だと言ってくれた
何故か忘れられない言葉だ
綺麗な女だった、間違いなく」


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