ビルトニアの女
詩が始まり時廻り過去の貴方に会いに行く【6】
「無謀って」
「まあ、いい意味でイシリア騎士団だったんだろうよ。国にいるヤツラより変質しなかったんだろうな」
「イシリア騎士団は確かに地に落ちましたな」
「エドウィン様!」
「別に卑下しているのではない、カッシーニ。お前も思うだろう?」
「それは……」
 旅人に無体を働く、市民から金を巻き上げるそれが今の騎士達の実情だ。
 カッシーニはどちらかと言えば、珍しい部類の騎士になる。最もそれも、エドウィンが目をかけて報酬を払って生活に苦が無いからなのだ。
 生活費不足から、騎士が盗賊に落ちるのというのはよくある話。
「愚かな程、あきれる程だったよ。トルトリアにいたイシリア教徒は間違い無く教父を讃え、祈りの言葉を叫びながら人を助けてたな。まさかソレと前後してタンセロ平原であんなバカするたあな」
「タンセロ平原の戦争で何をしたの?」
 戦争には殆ど興味の無いマリアには、出てくる戦争名一つ一つが不思議な響きを持って耳に響く。
「ギュレネイス人は殆ど戦争に出向かない。傭兵でまかなっているんだ、そこが相違でイシリアと分かれたんだからな」
「それは聞いたわね」
「傭兵を炙り出す為にタンセロ平原にあった街、かなり大きな街だがそこを取り囲んで火を掛けた。それも夜襲で殲滅を目的として。その時偶々立ち寄ってたオマエの伯父が死んだ訳だな、エルスト」
「そうらしい。運悪く時計台を直しに行って巻き込まれたそうだ」
「時計か……確かにタンセロにあったバシュミナ街は大きな時計があったそうだな」
「そうですね」
「因みに、その伯父が死んだ後、次男の息子であるコイツに祖父が技術を教えたらしい、家業を継いで欲しくて。時計屋の技術って鍵開けに通じるものがあるらしい。立派な鍵開け職人だ。勿論家業なんざ継いじゃあいねえ」
 今エルスト=ビルトニアの秘密が解き明かされた、大した秘密でもないが。時計屋の技術だったのだ、エルストの鍵開けは。オマケで言えばビルトニアは"時計屋"と言う意味がある。
「同じ精密な機械だし」
 悪びれずに言うエルストの脇で"使用目的がまるで違いますエルスト義理兄さん"とヒルダは思ったとか思わなかったとか
「でもドロテア、戦争ではよくある事で片付けられるんじゃないの、そう言う事って」
「中に傭兵がいればそれも通じるがな、一匹も居なかったんだぜ。大体、傭兵はタンセロ平原に居なかったんだよ、そこから遥か南のアーベル丘陵に陣を張ってた、北で上がった火柱に傭兵達は驚いたそうだ、意味が解らなくて。それを仕出かしたのが、ガデイル家と同じく名門"だった"クロティス家の当時の当主だ。戦功を焦って"勘"まあ当人は神の声がしたと言って火を掛けさせたそうだ。アレで結構多くのイシリア教徒がエドに改宗したな、罪を悔いてよ。バカだよな、神の声は絶対にしねえよ、だろう? イシリアもギュレネイスもエドも同じ神体なんだぜ? どれかだけを助けるマネすると思うか?」
「そうよね」
 返す言葉もなくイシリア教徒が二人黙って頭を下げた、恐らく当人達もそうは思っているのだろう。
 だからと言って戻れる道でもない


そう、奉じるのは同じ神体
祝福の言葉は同じ
死者を悼む言葉も同じ
でも違う宗教だと


「あの……宜しいでしょうか?」
 エドウィンの頼みをドロテアは聞いた。
 "異国の話を聞かせていただけませんか?"
 笑いながら、ドロテアは自分よりも年上の男に行った事のある場所を語った。
地図を指差し

 一晩中エドウィンとゼルビアは自分達よりも年若い女の語る異国の物語に酔いしれた

 もう見る事も適わない、嘗て繁栄したトルトリアの物語をも

 長居は無用と四人はその日の朝に出立する事にした。別に居座ってもいいのだが、長いこといると足がつく可能性もある。四人とも悪目立ちしやすい外見だ。
 出立の際にエドウィンが礼をして本を差し出した。
「昨日の非礼の詫びを」
「ほう、こんなにイイ経典くれるのか」
 非礼の詫びと恐らく昨晩の話の礼だろう。エドウィンが差し出した本をドロテアは受け取り、パラパラとページを捲る。それを脇から覗き込んだヒルダも感嘆の声を上げて、
「凄いですね、エルスト義理兄さん。昨日盗賊の寄り合い所で見た古代遺跡の写本みたい」
「何だそりゃ?」
 写本自体は珍しくはないが、盗賊の寄り合いに"古代遺跡"の写本は不似合だ。高値で売れはするが。
「いやな、顔役の老人の孫が模写が得意だったらしい。正確には絵なんだろうがな」
「それ程か?」
 模写が特技であれば、それだけで学者のお抱えになる事もある。それ程専門書の模写は必要なのだ。
「俺が見ただけで判断は下せないが、相当いい線じゃないか? ちょいと言えないような場所に潜り込んで本をちょっと拝借して写してたらしい。白紙に写してる古代文字も曲がる事なく写せてたし、図形も歪んだりしてなかった気がした。オーヴァートの家にあった本にも負けないくらいだったと思う」
 言えないような場所、というのは大教会内部のことだ、さすがにエドウィンやカッシーニの前でそれを言うのは、気が引ける。
「持ってくりゃ良かっただろうが、事と次第によっちゃあ紹介状くらい書いてやるものを」
 エルストはこれでも、世界最高の学者の傍でその手の本を開き言われた部位を書き出したりしていたのだから、本を見る目もそれなりにある。そのエルストがそう言うのだから、見事なものなのだろう
「それなんだが。顔役の孫、画家になるって飛び出したらしい。もう五年近く戻って来てないってさ」
「……大事に取っておいてる訳か。だよな、そんな本机か何処か目につく所に置いてる訳だからな」
 売り物じゃねえのが残念だな、と。

**********

 興味津々で楽しそうに辺りを見回すヒルダと、立ち寄ったから足を運んだと話をするエルスト。目付きの鋭い老人と向かい合って座る。テーブルの上に白い紙を束ねただけの写本用の本が。見てもいいかと声をかけて捲る。
 "凄い上手だな"
 "本当ですねえ"
 読めるのかい? と聞かれて
 "少しだけならな"
 "私も"
 そうか、上手か
 髭を撫でた彼の老人の目は、嬉しそうだった。
「まあな。さすがにそれを"くれ"とは言えなかった」
 金を出して買ってくればドロテアが喜ぶとエルストも思いはしたが。
「ドロテア、いつも気になってたんだけど」
「何だマリア?」
「写本と印刷本って何が違うの?」
「ああ、それね。写本は人が手で違う紙に写して、印刷本は印刷機で写す。印刷本は簡単に多く刷れるが擦れたり歪んだりするんだ、多くを刷ると。古代遺跡の使用方法を写す場合にそれは致命傷になるから、あの手の本は手書き。絵の得意な奴を集めて写させるんだ、そして五冊くらいを付き合わせて間違いを探す。人を変えて十回くらいな、そして間違いが無い本だけが出回るんだ。印刷本のように"乱丁落丁があったら取り替えます"とは性質が違うからな。写本は人が写してはいるが間違いは格段に少ない。そして今エドウィンから貰ったコレもその類いだ、手書きだが訂正線も入ってないようだし字も悪く無い。相当な時間を費やしたものだろう」
「はあ、だからあの手の本は高いのね」
 写本は印刷本の通常三百倍近い値段がする。モノによってはもっと高値が付くし、高名な識者の印などがはいるともっと高価になる。
「そうだな、買うのは辛いくらいにな。所でヒルダもその本見てどうだった?」
「良かったですよ。球体も見事に手で綺麗に円を描けてましたし、軽く見ただけでも魔法陣完璧でした。古代第一言語はあまり読めなかったけど、うん。多分スペル間違いとかは無い筈です、私が見て知ってる単語程度なら間違いは無かったですよ」
 字を"読めないで書き写せる"と言うのはそれだけで才能だ。見たものをそのまま寸分違わず、それも何処かに潜り込んで書き写したのがそれ程であれば尚の事。因みに字を読める学者は模写には最も向かない。勝手に略してしまう事などが多いので。
「へえ、惜しいな。見てみたいもんだなそりゃ」
 オーヴァートお抱えの模写専門家達でもそれ程の奴等はいなかっただろう、とドロテアは頷く。
「そう言えばドロテア」
「何だエルスト?」
「俺、マシューナルに年寄りの知り合いいないよな」
「はあ? アンセロウムとかじゃなくてか?」
「昨日見かけた老人が気になるんだがな」
「……老人だけじゃあな。多分ギュレネイスのテメエの父親の知り合いだろう」
 エルストは両親が随分と遅くに授かった子供なので、周りは何となくお爺さんばかりだった環境で育ったそうだ。そしてまた年寄りの顔は結構似たり寄ったりなので、細かく覚えていられないらしい。
「ま……いいか……こう言う時に上手に絵を描ければいんだけどなあ」
 特徴を上手く言えればドロテアが気付きそうな相手なのだが、如何せんエルストは画才が無い。
「そう言うな、コイツも才能だからな。テメエは字が上手いんだから贅沢言うなよ」
「そうしておくか」

 小さくなってゆく馬車を見送りながら、あんな生き方も良いものだなと

「届けられるでしょうか?」
カッシーニの問いにエドウィンは頷き
「必ず届けてくれるだろう、我々とは違う。大陸を渡り、廃墟から逃げ切り、屈指の学問を身に付けた女性だ。あの人がそう言うのだから間違いはないだろう。それにしても行ってみたいものだな」
 あの後二人は色々な国の話をドロテアから聞いた。マリアが言ったとおりドロテアは全ての国に一度は足を運んだ事があった、ヒルダも。
 そして学芸員として連行されているエルストも色々な場所へ足を運んだ事があった。
 子供が親に物語を聞かせてもらうかのように、話を聞いた。ドロテアは些か困ったかのようにそれでも徹夜で話した。荒れるエルベーツ海峡、見た事も無いような樹が生い茂るハイロニア群島、高山地帯にある首都・エヴィラケルヴィスに降る雪。どれもが美しい世界だった、辿り着けぬ外の世界。
「そうですな、エドウィン様。砂塵が舞い、波が山よりも高く飛沫を上げる。あるのでしょうね」
 そんな場所が、本当にあるのかどうかエドウィンには解らない。青みを帯びた黒髪と赤い目が特徴のゴールフェン人のエドウィン。

 海に面していないイシリア、砂漠に面していないイシリアに生まれ、その真の姿を思い描く事は不可能だ。
 飛び出した盗賊の孫というのが、少しだけ羨ましいような……

 二十年前から孤立が深まり続けていった自分の生まれ故郷。他国の人間を全て排除して、それでも尚戦い続けるのだと、出兵の準備がひたすらに始っていた。
 もう直この国の教父の選出時期と重なる。エド法王やギュレネイス司祭の様に終生その座に就くのとは違い、持ち回りの最高位は暗殺などはあまり呼び起こさないが、自身を誇示するのに戦争を巻き起こすようになって久しい。
 作戦での放火も、教父を狙ったものが焦りの余りに引き起こした事だった。国内だけの権力闘争で気がつくと隣国は攻めてくる事が無くなっていた。最早この国は自壊すると踏んでいるのだろう。もう国力ではギュレネイスには遠く及ばない、道端に家の無い者すら座る事はない。赤いカフスも鎖帷子も意味を失う日が来るだろう。
 エドウィンにはそれがわかる、灰色の街が此処にある。
 いつか遠くに行って見たいと、思う日がある。戦争で遠出する以外、この街で聖職者同士で腹を探り合う日々に嫌気がささない訳でもないが。
 もう少しだけ、自分でなにか出来るのではないかと。
「司教選抜だな」
「エドウィン様でしたら、文句無しに」
 頭を下げたカッシーニと共に、家に戻りまた毎日が繰り返される。


 いつか、何処かへ。
 幻の都・トルトリアに一度で良いから
 海の傍を通って大陸行路を通り抜けて
 水面に煌く光を浴びてみたいと

 そう思いながら、エドウィンはまた教会に戻っていく


第三章 完
【詩が始まり時廻り過去の貴方に会いに行く】



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