ビルトニアの女
美しき花に毒の棘【6】
「あそこに見えるのが、例の魔法使いのいる所です」

 すり足で透明な橋を必死に越えた村人たちは、”ついて来いと言った覚えはねえのに、待ってくれとか言うんじゃねえよ”の言葉を前に、息つく暇もなく歩かされ、透明な橋の恐怖から解放されそうになった頃、ビズの声を聞き顔を上げた
 ビズが指さしていた先には、普通の者ならば用法や立地条件などに頭を悩ませたくなるような建物が存在していた。
 一体何の意味があって、こんな渓谷の奥深くにひっそりと存在しているのか? と、問いたくなるような佇まい。
「あれか。マリア、エルスト、ヒルダ。敵は任せた。俺は娘たちを見てくる」
「解ったわ」
「気を付ける程じゃねえが、まずいと思ったらエルスト盾にして逃げるんだぜマリア。さて、行くぞ村人ども!」
 建物の近くで、これ以上ないと言う程、大声で話をしていたので、建物からビズに魔法をかけたヘイドいが姿を表した。ヘイドは”これぞ魔法使い”といった風体の男。
 実力はともかくとして、朽ちた枯葉色のローブに黒い皮ベルトを腰に巻き、種類は不明だが木を削って作った、特殊な効果などないと一目で解るスタッフ。
 とてもしみったれて、ある意味”らしい”魔法使いヘイドの登場。
「貴様等一体何物だ! それも何時の間に?」
 勢い込んで叫んでくるのだが、受けるドロテアは冷静。
「魔道師なら結界くらい張っておけよ。その程度の魔力も知識もねえのか?」
 相手を小馬鹿にする態度を取らせたら、右に出る者はないと自他共に認めるドロテアの口調と眼差しに、魔法使いの顔は見る見るうちに赤く染まり、それは禿げ上がった頭まで同色に染めてしまった。
 その姿は見るからに茹で蛸。
「図星だったんだ!」
 朗らかに大声で嬉しそうに言うヒルダの隣で、エルストとマリアは苦笑いするしかなかった。
「じゃあ、任せたぞ」
 ドロテアは怒らせるだけ怒らせて、村人をつれて魔法使いが出て来た建物の隣にある”離れ”のような建物へと向かった。

「なんだ? こりゃ?」
 ”離れ”の扉の前でドロテアは立ち止まった。
 薄いクリーム色の壁と、その建物唯一の小さな出入り口。
「この扉、どうやっても開かないんです!」
「そらまあ、魔法で侵入を防いでるから魔法生成物程度の力じゃあどうにもできねえだろうが。こりゃ魔法の鍵じゃなくて、魔力の紐で壁とノブを結んでるだけだ。普通は魔法での施錠とは言わねえな」
 周囲に誰もいないのだから、時間をかけてゆっくりと紡げばよいのだが、ヘイドはこのような地味な魔法が苦手であった。
「才能ないのに、派手なのばっかり好んだ結果だな」
 ドロテアは嘲りを浮かべながら、手を軽く切るように動かし、魔法の紐を切り払う。
 魔法生成物など見た目が派手な魔法を使うことに気をとられ、基礎を適当にしか学ばない者も大勢いる。才能がある者ならばそれも許されるだろうが、ヘイドという男はそれ程の才能を持ってはいなかった。
 ドロテアの手の動きによって切り、村人には何もない所に手をかけているようにしか見えない仕草で紐を掴み魔力で握り潰す。
 そして扉に手をかけて押し開くと、暗くて狭い通路が現れた。背後に立っている村人たちは駆け出したい、逸る気持ちを必死に抑える。
 ここでドロテアを押しのけて走り出したら、どうなることか? 村人たちはここまでの道程で理解したのだ。短い間で理解できた村人が賢いのか? この僅かな時間で教え込むほどにドロテアが怖ろしかったのか? そこは深く追求する必要はないことだ。
 ドロテアが先頭で左手を前にかざし、仕掛けを警戒しながら狭くて長い階段を下りてゆく。
「血の痕だが、大怪我とかじゃねえな」
 壁に残っている血痕は、連れて来られた娘たちが暴れた痕だが、血の形や廊下には滴っていないところから、生命に関わるような大怪我を負った娘はいないとドロテアは判断して足を進めて、終わりまでやってきた。
 ドロテアが手を伸ばし、指先があたった先を人差し指と親指を弾くと、灯りが灯る。
 透明な硝子の壁の向こう側に、娘たちの姿が見えた。全員逃げだそうとした形跡があり、手や足に青痣と切り傷を負っているが、それ以外の怪我はなく無事といって良い状態だった。
 ドロテアは硝子壁の一点を指でなぞり、古代遺跡特有の解錠を行う。
 古代遺跡の施錠は特殊で、知らないと解錠することは不可能。この建物が所有している施錠は、古代遺跡の中でも単純でドロテア一人でも容易に解くことができるが、物によっては数人がかりで一つ一つ仕掛けを解いて行かなくてはならない物もある。
 ドロテアの静かな解錠が終わり、硝子壁が微かに光小さな四角い形となって、滝の流れのように消えてゆく。
 硝子壁があった所を踏み越えて、ドロテアは娘たちをじっくりと見て、治療の必要はないことを確認した。
「全員無事だな。それでお前ら村人どもとここで、しばらく待ってろ。全部片付けたら戻って来る。じゃあな」
 捕らえられていた娘たちは、突如現れた美女にみとれて言われたことどころか、壁が消えたことすら気付いていなかった。
 だが後ろにいた村人たちは理解し、喜び勇んで娘たちへと近寄った。
 見慣れた顔に、娘たちはやっと自分たちが助かったことを理解し、歓声と喜びの嗚咽が入り交じる。それらに背に再び階段を昇り扉を開けて、犯人ヘイドの元へと向かったドロテアは、
「なんだ?」
 繰り広げられているあまりにも情けない戦闘シーンに、不機嫌となった。
「何をしてぇんだよ、ヘイドのやつは」
 戦闘にすらなっていない。
 エルストとマリアがヘイドの両脇に立っている。そして少し離れた位置にヒルダがおり、ヘイドの持っている杖とは違い、特殊な効果を持つ杖を所在なさげに振り回しているだけで、補助魔法もなにもかけている様子も痕跡もない。
 ヒルダの隣へゆくドロテアが尋ねると、笑いながら、
「いやね、姉さん。あのヘイドって人、魔法を唱えたいみたいなんですよ」
―― そりゃ当たり前だろ。魔法以外、身を守る術はねぇんだからよ
 ドロテアの視界の端に、必死に指を動かして呪文を唱えようとしているヘイドが映る。
「そりゃ、解る。」
 だがその魔法の手順やスペルが間違っていることも、ドロテアの鳶色の瞳には映った。
「でもね、マリアさんがちょっと槍で小突いたり、エルスト義理兄さんが蹴ったりすると、呪文を一々中断して、最初からやり直すのです。そんな状況で、姉さんが娘さんたちを助けに行って、村人さんたちを置いて帰ってくるまで、一度も攻撃魔法は生成されていません」
 攻撃魔法の初級中の初級魔法を必死に途中まで生成し、指先に淡い光が紡ぎ出されたところで、エルストとマリアが妨害をくわえる。
 妨害をくらうと、硬い指で生成された魔法が歪み「あれよあれよ」と消えてゆく。
「あの程度の魔法なら、エルストでも瞬時に唱えられるぜ。つーかよ、あれあんなに手間暇かけて生成する魔法か? 初めての時は形を作るが、少し慣れたらあれを幾つか土台にして組む、無形生成もんだろ」
「はい。正直あの魔法で攻撃されても、痛くも痒くもないと言いますか、あれが届く前に普通に避けられますよね」
 ヘイドは才能に恵まれない上に、全く鍛錬をしていなかったので、少しの妨害にも魔法が壊れてしまうのだ。
「おい、そこの禿げ!」
 必死に魔法を生成しているヘイドに、ドロテアが心ない一言を突き刺す。
 ”禿げ”と言われて、この場に自分以外の禿げが存在しないことを理解しているヘイドは、また魔法を途中で投げ出して、再度頭部と今度は首まで赤くして叫ぶ。
「禿げと言うな! 禿げはその言葉を聞く度に、心に深い傷を負っているのだぞ!」
「禿げは禿げだし。反応したからやっぱ、禿げだし」
「うぉぉ! この女ぁ! 心の傷を!」
「心の傷は知らねえが、娘たちを生贄にして髪の毛生やそうってのは、馬鹿な禿げのすることだ。そんなことするやつには、禿げって言ったって構いはしねえ。はーげ、はげはげ」
 ヘイドの目的は古代遺跡の力を借りて、自らは”薄くなった”と表現するが、他者から見たらなくなっている頭頂部の髪の毛を完全復活させること。
 娘たちはその際の生贄。
 生贄といっても殺されるのではなく、失われた髪の毛に代わる新たな髪の毛を提供してもらうためのもの。
 ヘイドは以前も同じことを首都で行い、髪の毛が増える前に見つかって首都を追放されたのだ。
 失われた部分を、他者の部位を用いて復元することを「人体強化」と呼ぶ。
 眼球を入れ替えたり、歯を入れ替えたりと人体強化は様々あり、どれもが重犯罪で見つかったら罰せられる。
 だがヘイドの行った”増毛”だけは、温情が追加されることが非常に多い。
 手を出す人が多いので……と言うのが、理由らしい。厳罰に処したほうが、抑制力になりそうだが、なにかその輝かしい頭の天辺を見れば見る程、切なくなり人体強化としては甘い判断が下されるのが常だった。
 遺跡を使った増毛理論を理解し、薬学者の資格を持って店を開いているドロテアのもとにも、結構”増毛希望の客”は来ていた。
 ドロテアは顧客を選び、これで大金を稼いでいた。理論と生成技術は確かなドロテア、確実に生えるその薬を手にし、使用して戻って来た喜び。それと共に一度失って絶望の淵を見た者たちは、二度と失ってなるものかと薬が途切れることを恐れて、購入し続けていた。
 そんなドロテアが、期間も定かではない旅に出ると聞いた顧客たちは、大量に薬を買い占めに来た。
 それを思い出しながら、ドロテアは輝くヘイドの頭を見つめる。
「増毛目的か……」
 思わず自分の灰色で、途中半端な長さの髪に指を通すエルスト。柔らかくも、硬くもなく、だが”こし”はある。
 彼の父も祖父も伯父さんも、曾祖父も禿げていないので、内心で大丈夫だよな……と思う半面「禿げの始まりって突然変異なのかな」と思うと、自分が突然変異になったらどうしようと、無駄なことまで考えていた。禿は総じて男が多いので、不安になるのも仕方のないことだろう。
「理由を聞かされる方としては虚しいけれど、当人には切実な願いなんでしょうね」
 自分の豊かな黒髪を一房掴み、髪の毛だけではなく眉まで薄くなっている魔法使いに、哀れみの眼差しを向けるマリア。哀れみの五割以上は、誘拐という事実に対する蔑み混じりだが。
 しばしヘイドを眺めたあと、斜め向かいにいるヒルダを見ると、派手ながらも聖職者の正装である、頭部から首までを多う布の中に手を入れて、豊かな亜麻色の髪を掴んでいた。
「貴様等のような”ふさふさ”に! 特にそこの男! 貴様と大差ない年齢だろう! 私の苦しみが貴様に解るか! 解らんだろう!」
 女はいいが、同性には深い恨みを抱くもの。
 エルストを指さしたヘイドに、ドロテアはしゃくるような顎の動きの後に一言。
「ヘイド、手前は四十五だろ。その男は三十を少し過ぎたばかりだ」
 ヘイドの年齢は追放者リストに掲載されていた。
 だが頭を真っ赤にし、血管が浮き出て切れてしまうかのような状態の男には、何を言っても無駄。最早目的をすっかりと忘れてしまい、再びエルストを指さし空に向かって絶叫する。
「大差ないではないか!」
 その叫びは渓谷中に木霊した。だがそれをかき消すように、。エルストとマリア、そしてヒルダが叫ぶ。
「大有りだ!」
 三人の叫びを聞きながら、ドロテアは一人腕を組んだまま、四十五歳禿げ上がった魔法使い永遠の見習い男に、冷たい一言を投げつける。
「ぼけ」
 それでもヘイドはめげない。
 これ程の凹まない性質を、なぜ魔法の習得に使わなかったのか? 襟首を掴んで揺すって問い質したくなるくらいにめげないヘイド。
「髪さえあれば、貴様のように美女と旅にでることも可能だ! 髪さえあれば私だって、私だって見目麗しい美女と!」
 髪があっても美女と旅ができるわけでもなし、なによりも……
「そんな筈ない!」
 ヘイドではどれほど贔屓しても無理。
 独身にも関わらず、どこからどう見ても”くたびれた親父”顔色は悪く、肉付きも薄く頭蓋骨の形が解りすぎるほど解る。耳の上あたりに残る残り少ない髪。茶色と白髪の交ざった髪は、勿体ないと切りそろえることをせず不揃いで、余計に頭部の悲哀を物語る。
 顎が前に出気味で、背は小柄な上に、腰がやや曲がっている状態。
 この外見だからといって美女が嫌う訳ではない。エルストも有り触れた顔の、金も才能もない男だが妻は美人で金持ちだ。
 ドロテアやマリア、そしてヒルダには解るのだ。
 このヘイドという男は、美女には好まれないということを。なにせ自分たちが美女だから、自分たちが好みでなければ、それは「好まれない」のだから。
―― あほらしい
 ドロテアの心の声を三人は聞いた。一人髪の毛の大切さを語り続けているヘイドだけは、気付くことができなかったが。
 ドロテアはヘイドとは比べものにならない速さで魔法を生成し”かけた”
「手前を連れて行くとするか。はい”捕縛”」
 残っていた渓谷に架けた橋の魔法痕跡と、先程の紐を使った施錠らしいもの。それと小突かれて魔法生成をやり直す仕草から、ヘイドの魔力と持っているだろう呪文を予想して、それでは太刀打ちできない魔法を生成しかける。
 ドロテアがヘイドにかけた魔法も高度なものではない。
 魔力の鎖で全身をぐるぐる巻にするというもの。
「うおぉぉ? 卑怯な! 話しかけて魔法を唱えるのを阻止するとは!」
 突如見えない力で、踝同士を押しつけられて体の自由を失ったヘイドは、前のめりに倒れた。そして倒れたところで、自分は魔法をかけられたことに気付き叫んだ。
「作戦だ」
 ヘイドの肩に足を乗せ、ドロテアは冷たく言い放つ。
―― どんな作戦?
 三人は思ったが、黙っていた。
 黙っているのが最適にして最良の対処方法だと知っているからだ。
「とっとと帰るぞ」
 念のためにと捕縛魔法を強化してから、ドロテアは転がっているヘイドを蹴る。”ぐぅぅぅ”という唸り声と共に転がる。
「そうね、帰りましょう」

 前屈みに倒れ軽く流血した、頭頂部が寂しくも光り輝く男。その名はヘイド。
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