ビルトニアの女
序 章【3】
 勇者を開祖に持つ宗教を長年学んできたヒルダが祈ることを諦めるとほぼ同時に、呆れを隠さない僅かながらの感嘆が上がる。
「エルストって本当に鍵開けできるのね。私初めて見たわ。盗賊って言ってたの信用してなくて悪かったわね」
 人生の大半を真面目に普通に送ってきたマリアにとって、盗賊の鍵開けは未知の世界。
 扉に耳をあてて拳で軽く叩いた後に、いつの間にかどこかから取り出した細い棒を鍵穴らしい箇所に差し込み巧みに操り ”パチン” という小気味の良い音を次々と上げている。
 マリアはエルストが盗賊稼業をしているとは聞いていたが、その姿を見る機会がなかったので、あまり信用していなかった。
 マリアにとってエルストは《女性のヒモ》というイメージしかない。
「なんでも実家の金庫に入っていた金を盗んだことが両親に発覚して ”性根を入れ直してこい” とマシューナル王国に送られたとか。エルスト義理兄さんが言ってました。脇で聞いていた姉さんも頷いていたので、本当のことなのでしょう。適度に罪深いのですが、宗教的に違うので私としては無視する方向で」
 先ほどから諦めたり、無視したりと好き勝手に生きているらしいヒルダに、聖職者の厳し戒律や、深い宗教心は全く見ることは出来ない。
「そう……宗教って大変ね」
 本心から思ったわけではなく、自分より、頭一つくらい背の低いヒルダの頭の天辺を見下ろしながら、思わず言ってしまった言葉。
「そうでもありませんよ」
 どのように理解したのかは、言ったマリア本人には全く理解できなかった。
「あっ! 鍵が開いて、扉が開けるようです! 行きましょう、マリアさん!」
 スカートの裾をたくし上げ、ブーツを露わにして駆け出す。
「行きましょうか」
 魔王を倒す時は四人の力を合わせる必要は無かったが、扉を開くときは四人の力が必要だった。
「ある意味、扉が魔王と言ってもいいような気がする」
 魔王の立つ瀬が全く無くなるような言い様のエルスト。
「無駄に重いが、半端な重さだ。魔王は本当に馬鹿だったようだな」
 全体重を左腕に乗せて押しながらドロテアが呟く。
「死者に鞭打っちゃ駄目ですよ、姉さん。ただでさえ立つ瀬無く、即座に殺害された魔王なんですから」
 基本は ”幼少期から神学校で学んだ世間知らず” なヒルダなのだが、本性というか根っ子は、顔同様ドロテアと同じなので「丁寧に語る言葉」が偶に「辛辣な物言い」になる。
 言っている本人は勿論自覚などない。
 押すと動くが、重くて中々開かない。そのじれったい扉を押しながら、かけ声代わりにドロテアは言い続ける。
「大体だ。なんでこんな半端な扉の重さなんだよ。人間には押し開けない扉を作りゃいいだろうが! 魔王の間の前扉もそうだ。なんで人間の力で開く程度の扉の重さなんだよ! 手前の力に合わせりゃいいだろうが。なにより、この扉の大きさじゃあ、魔王は中に入れねぇだろうが」
「あなた良く見てるわねえ」
 ドロテアの隣で扉を押しているマリアが感心した。
 マリアは扉を押すのに精一杯で、この扉の大きさでは魔王が出入りできないことなど気付きもしなかった。
 様々な文句を言いつつ、解錠するよりも時間をかけて扉を押し開いた先にあった物は、比喩ではなく本当に目が眩むほどの輝きを発する、まさに 《財宝の山》 だった。
 四人は輝きに目が慣れるまで、しばらく時間の要するほどの輝き。
 吐き気がするほどの貴金属の輝きを避けるために、額に黒い手甲を嵌めた左手を置き、ドロテアはより一層毒づく。
「こんな物、集めさせてため込んでやがるから、三十五年経っても世界を征服できなかったんだろうが! 間抜けめ」
 唯一魔王が滅ぼした国の金貨を踏みつけながら、ドロテアは財宝の山へと分け入った。
「姉さんの意見に概ね同意です」
「確かに、これだけあると盗んでもばれなさそうだが、逆に盗む気が失せるな」
「何したかったのかしらね? 魔王」

 財宝を前にして語るには、あまりにも冷たい各自の意見だが、それでも財宝は輝き続けるしかなかった。
 そこまで文句を言いながらも、
「これは持って行くか」
「これなんかどう?」
 選別していくつかは持って行くことにした。
 山ほどの金貨や、通常ではお目にかかれない程の宝飾類の数々など、まさに財宝の山を財宝の山としている存在に対し、誰一人として興味を持たなかったが、その中に埋もれている稀少な武器や防具などはありがたく頂戴してゆくことに。
「魔王を退治したんだ、当然の権利だろうよ」
 この旅の首謀者としか言い様のないドロテアはかなりの金持ちである。実家も裕福だが、ドロテア自身が独力で大金稼ぎ出しており、今回の旅も路銀に困ることはない。
「あら? これ何かしら?」
 そして尚かつ、目利きでもあった。
 両親が金貸業を営んでおりでおり、借金の形を見極める必要があった。それを脇で見ていたドロテアは、徐々に目利きを覚えていった。
 十三歳まで目利きを間近でみていたドロテアは非常に目が良い上に、判別用の魔法、それもかなり高度な物が使えるので、紛い物を掴まされることはまず持って無い。
「その水晶玉は……」
 特技を生かして ”役に立つもの” と ”冗談半分の小物” を数点運び出し、待ちくたびれている馬車馬四頭に水を与えて、旅支度を調える。
 御者台にはドロテアとエルスト、荷台にはマリアとヒルダが乗り込み、
「さてと、適当に走らせるか」
 ドロテアが馬車を動かす。
 ”気付いたら魔王城の傍” だったので、一行は全容を望めず、そして魔王城の中を歩き回った際に相当広く感じた。
 手綱を握っているドロテアは、車輪の音を聞きながら振り返る。
 そこには魔王の居城は無かった。
「もう見えなくなる程遠離った……って訳じゃねえよな」
 今まで見つからなかった魔王城。離れたら直ぐに見えなくなった魔王城。
 不可思議な存在であったその場を後にして、空を見上げた。
「現在地を確認するのが先決だな」
 周囲にはなにもなく、頼りになるのは広がる青空と太陽。

「それにしても、何で魔王の城なのに、これほど ”聖なる武器” が、たくさん集められていたのかしらね?」
 マリアとヒルダは揺れる荷台で、戦利品の種類分けや整頓を行っていた。
「そうですね。魔王も聖なる武器が恐ろしかったのかもしれませんよ」
 魔力を増大させる宝玉が埋め込まれた片刃の剣や、聖なる風の力が宿ったレイピア。
 葡萄と蔦の金のレリーフに魔力をもたらすクリスタルが埋め込まれた治癒の杖だとか、折りたたみ式の聖なる力を宿した短槍など。
 聖なる力が宿っている武器で持ち出したのはこの四つだけだが、財宝の山にはまだ ”聖なる力” が宿っている武器が大量に、それこそ武器判定用に魔法を掛けたドロテアが怒り出す程に埋もれていた。
「魔王なんだから、聖なる武器は確かに怖かったのかも知れないわね。でもまさか魔王も ”聖なる力を駆使する勇者” じゃなくて ”薬に詳しい、邪道魔法使い” に葬り去られるとは思いもしなかったでしょうね」
 ”邪道魔法使い” はマリアが考えたものではなく、ドロテアの自称の一つ。
「そうですねえ」
 二人は一瞬「魔王よ安らかに眠れ」と思ってしまったが、互いに顔を見合わせて曖昧な笑顔を浮かべて頷いて、すっかりと手が止まっていた作業を再開した。
 片付けが一通り終わると、魔王の城で見つけた ”魔力を帯びた布” を裁断して、幌として使用する準備に取りかかる。
 これほどの魔力を帯びていれば、暑さや寒さ、そして魔法もかなり防げると、見つけたドロテアが太鼓判を押した逸品。
「ところで、どうやって裁断しようかしらね」
 もちろん魔力を帯びている布は、簡単に切ることもできない。
「この片刃の剣でどうでしょうか? マリアさん」
 ”良いこと思いついた!” そんな表情を浮かべ、自分の身長よりも長い剣を鞘から引き抜く。
「ヒルダ! 馬車でそんな刃物を取り出して! しまって!」
 道無き道をひた走る馬車は軽く飛び上がり大きく揺れ、
「穴が空いちゃいましたね」
 剣が幌に突き刺さった。
「作り直すから、大丈夫でしょう」

**********


 背後に突然現れた光の乱反射に振り返り、幌から切っ先が突き出ているのを見て舌打ちしながら向き直る。
「なあ、ドロテア」
「なんだ? エルスト」
 ドロテアの隣に座り、地図を開いていたエルストは、思い出したかのように話はじめる。
「魔王を倒したって言う報告はしなくていいのか?」
 現在地がはっきりと解らないので、地図を眺めていても無駄なことを知りつつ何となく眺めていたエルストの、何となく訊いてみたとはっきり解る一言に、
「いらねえよ。大体誰が手ぶらで、それこそ証拠もなく ”魔王を倒しました” って報告を聞いて信用するんだよ。魔王が死のうが、死なないが人はどうでもいいんだよ。自分の周囲から危険が遠離れば。世界からこれから緩やかに魔王の下僕は減って行ゆき、何時しか滅んだことを実感するか、実感するより先に忘れ去るはずだ」
 ”魔王を倒した” という報告は、何を持って真実だと確認するのだろうか?
 魔王を倒す勇者を認定しているエルセン王国に訊いてみたいものだが、訊いたところで答えは返ってこないだろう。
 超常的な存在である魔王を退治したら、かつて魔王が己の存在を知らしめたように、全世界に断末魔でも響くと考えていたのだろうか?
 そうなのだとしたら魔王がわざわざ自ら倒された際に声が届くように細工を施していなければならず、倒されることが前提で用意をしていることにもなる。
 普通は自分が倒されることは考えず、倒されたことを自分で伝える準備をするような者もそうはいない。
 よってドロテアの言う通り、世界から徐々に魔王の手下と思われている生き物が減り、人々が平和を認識できるようになれば、何れ結論が出るだろう。
「エルスト。なによりも必死に勇者をしている奴等に悪いだろうが。借金の形で勇者を手に入れたお前が、旅の四日目にして魔王を打倒してしまいました。皆さんのお仕事はもうありません、お疲れ様でした! とでも言うのか」
 道らしい道に出たのでドロテアは手綱を片手に持ち、財布を取り出して器用に片手で中にいれておいた ”エルセン王国発行勇者証” を取り出し陽にかざす。
「それもそうだな……」
 この勇者証はドロテアの物でも、エルストの物でもない。
 もちろんマリアやヒルダのものでもない。
 一国が先走って作った ”証” ではあるが、全大陸で一応は公的な ”証” とされている勇者証が持ち主以外の手元にあるのか?
 それはある日エルストが、何時ものようにカジノで遊んでいると、あまりにもいい ”カモ” が歩いてきた。見るからにカジノ初心者。
 その時負けが込んでいたエルストは、身なりのいいカモを、本当にカモにして身ぐるみを剥いだ。
 その身ぐるみを剥がれたカモこそが、本当の勇者だったのだ。
 他の所持品は売れるが、これは売れないので返そうとしたのだが、カモは泣きながらカジノから走り去り、その日のうちに城下町から出ていってしまい返しそびれたエルスト。
 特徴を覚えているので捜そうと思えば捜せたのだが、面倒だということで捜すことをせずに、取り敢えず妻であるドロテアに渡しておくことにした。
 幌の中に引っ込んだ切っ先の輝きよりは鈍いが、日の光を反射して輝くそれを隣から見ながら ”今頃どうしているかなあ? 再発行してもらったかな?” とエルストは思った。
 今の今まで忘れていた男だが、見ると思い出しはする。思い出すだけで、返す為の努力などは一切しない、それがエルスト。
「路銀が尽きるわけでもねえし、急ぐ旅でもねえ。ゆっくり行こうぜ」
 財布と勇者証をエルストに渡して、ドロテアは両手で手綱を握り直した。
「そうだな。それで何処に行く?」
 勇者証を財布のなかに入れて、ドロテアのポケットの押し込む。
「まずはここが何処か解らないことにはな。だが段々景色らしいものが見えてきた、もう少し行けば、案内になるものくらいあるだろ」
 遠くに見え始めた白樺の林をドロテアは指さした。
「了解。標識探しに専念する」
 地図を折り台紙に挟んで足元に置こうと頭を下げると、単純で良く聞く詩が聞こえてきて、歌っている主の方を向く。

 魔王の居城は何処に
 風よ鳥よ教えてくれ
 (ある吟遊詩人の詩)

  視線の合ったドロテアは笑いながら、
「鳥なんか結界に阻まれて、魔王の城なんかには辿り着けはしないだろうけどよ」
「そう言うなって、ドロテア。ロマンなんだからさ」

序 章 完

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