ビルトニアの女
序 章【1】
 風の守護を受け
 炎の剣を持ち
 大地の精霊と共に
 人々に海の如き癒しを与える勇者よ
 勇者よ何処に

 (ある吟遊詩人の詩)

「手前で捜せよ」
 ”そこ” に立つ四人の中の一人が、その作者不詳の詩を思い出し悪態をついた。
 触れたくなるような光沢を持つ亜麻色の髪と、黒ずくめの旅装束。
 だがそれらよりもまず人目を引くのは、その容姿。女性と少女、両方の色気を持ち、両方の醜さを持たない中性的な雰囲気と、朝霧を思わせるようなたおやかさを持ち合わせている。
 だがそんな見た目とは正反対の口の悪さの持ち主。
「詠ってたって発見できるわけねえだろうがよ!」
「静かに、静かに」
 そんな中性的な美しい彼女の大声を上げての独り言を ”抑えてくれ” と自らの唇に人差し指をあてて、声を小さくする合図を送る人物。
 口の悪い女性と非常に似ており、一目みただけでは瓜二つといっても過言ではない。だがよくよく見ると、女性に比べて少女の雰囲気が多く残っている辺りから、女性よりも若いことが解る。
 身に付けているものは大陸最大の勢力を誇る宗教国家エド法国の国教であり、国そのものであるエド正教の司祭補を表す物を着用している。
 見た目の年齢から判断しても、優秀な聖職者と見て間違いはない。
 聖職者は悪態をつく瓜二つの相手を必死になだめるが、相手にされず終いで舌打ちが周囲に響き渡る。
「どうせ扉の向こう側にいらっしゃる魔王様は、俺達がここに立ってることくらい解っていらしゃりやがるだろうよ」
 声を小さくするつもりなど全くない女性は、目の前の扉を見上げる。
 彼女の目の前にはどう考えても無意味な程に大きい扉があった。どうみても ”趣味” の領域を脱している悪趣味な装飾で飾られている扉を前に、良く似た容貌の二人よりも頭半分ほど背の高く美しさも少し上をゆく美女が、
「ドロテア。この向こう側に本当に魔王はいるの?」
 黒ずくめで口の悪い女に話しかけた。
 ”ドロテア” と呼ばれた女性は、自分とは違い長い黒髪も美しい ”マリア” に返事をする。
「マリア。間違いなく魔王はこの扉の向こう側にいる」
「どうしたものかしらね?」
 亜麻色の短髪の女ドロテアと、濡れた夜空のように美しい長髪のマリアは互いに視線を合わせた後に、足元で小さくなっている ”つもりらしい” 男に視線を落とした。
「俺が悪いんだろうね」
 男本人は小さくなっているつもりなのだが、長身で中肉のため全く小さくはなれていない。
 そんな彼に聖職者は ”人々に安らぎを与える立場にある者” として優しく声をかける。
「悪くないですよ! エルスト義理兄さん。凄いことじゃないですか! 誰もが存在を知りながらその居場所を知らなかった魔王の居城に、迷ったとは言え辿り着き、魔王のいる部屋までショートカットを発見するなんて凄いの一言に尽きますよ!」
「そうかい? ヒルダ」
 エルスト義理兄と呼ばれた男は聖職者のヒルダの言葉に顔を上げるも、ヒルダと瓜二つで口の悪い女ドロテアを直視することはできないでいた。
「凄いですよね! 姉さん」
 必死に義理兄を弁護するヒルダだが、ドロテアの態度と口調が変わることはない。
「確かに凄いだろうよ。街道を走っていた筈なのに、気付いたら迷って見た事もない城の前に出て、挙げ句の果てに ”魔王の間” の目の前に落下する直通通路に、俺達全員まで巻き込んで落下。信じられねえほどの距離を落下したのに、俺達四人誰無傷。誰一人軽い擦り傷すら負ってない。これほど運があるなら、こんな所で使わないでカジノで使えよ、このヒモが!」
 妻であるドロテアの針のような視線を背中に受けながら、エルストは黙っていた。毒を隠しきれない美女ドロテアと、普通の容姿に無職のエルストは結婚して二年目の六歳年の差の夫婦。年下なのはドロテアの方だが、全てにおいて立場はドロテアの方が高い。
「ドロテア、何か策はある?」
 マリアは落下する際にも手放さなかった長槍を肩にかけ、親友に問う。マリアは元々普通に街に住んでいた市民。美しさは希有だが、その生活はごく有り触れたものだった。
 旅にでるなど、ドロテアと出会わなければ、そしてドロテアに誘われなければ一生しなかったであろう。
 長槍での戦い方もドロテアと出会ってから、その筋においては無類の強さを誇る男性に師事し、普通の人相手には優位に立てるくらいの技は身に付けたが、扉の向こう側に存在していると思しき ”魔王” なる存在と戦えるなどとは思っていない。
 マリアに長槍での戦い方を教えてくれた相手も桁外れの強さを持っていた。だから桁外れの強さというのが確かに存在することを知っており、それに対し自分が無力であることも承知している。
「策ってか、力任せってか」
 マリアが他の二人に声をかけなかったのは、エルストは妻に ”このヒモが!” と叫ばれた通り、無職でカジノに入り浸る、盗賊でたまに妻の仕事を手伝う秘書という、全く役に立たない肩書きだけで構成されている存在。
 もう一人の通称ヒルダ、本名ヒルデガルドは幼少期から神学校に籍をおき二年ほど前に卒業した。その後も姉であり学者であるドロテアの伝で勉強を続けている、完全に箱庭の中で祈りを捧げる聖職者の道を邁進していた。
 この二人に期待するのは難しいが、十年来の付き合いのあるドロテアにマリアは絶対の信頼をおいている。
 自分が助かる為なら人殺しを厭わないばかりか、世界を破滅させても生き延び、その後も普通に生活してゆける。ドロテアがそういう人間であることを、マリアは良く知っていた。
「こっちから攻めるか。ヒルダ、エルスト、この悪趣味な扉を押し開いて扉と壁の隙間で耐火魔法を唱えろ。マリアも一緒に隠れてろ。これほど魔力を帯びた扉なら、なんとかなるだろうよ」
 ドロテアは黒い着衣に紛れることのない、黒い手甲をはめた左腕を上に伸ばしながら扉に触れて指示を出す。
「どうにかなるのか? ドロテア」
「運が悪かったら、三人は黒こげだ。その時は許せよ」

 ”にやり”と笑った顔を見て、三人は見なかったことにして扉を前に横に並んだ。

「それじゃ、いくぞ!」
 ドロテアが指を鳴らし、
「おおっ!」
 三人がこたえながら、必死に扉を押した。
 大きさからすると、普通の人間が三人ではとても押し開けないような物だが 『人の訪問を考慮している』 魔王の城の魔王の間、その扉は容易くはないが開くことは可能であった。
 三人は正面にいるはずの魔王などには目もくれず、自分達の背後に立つ大陸で魔王と比べられることも珍しくはないドロテアの指示に従い、扉を押して壁との間できた僅かな隙間に入り込んで、魔法が使えるヒルダとエルストが急いで耐火魔法を唱える。
 その呪文に混じるドロテアの足音は何時もと変わらない。
 タイルのような感触のフロアを進み、突き当たりに座している魔王の前に立つ。魔王の存在が世に知られてから三十五年。二十六歳になるドロテアが、初めてその存在を確認した。

 見上げるほど大きく、禍々しいその姿
 それは間違いなく三十五年前に突如現れ
 世界を恐怖に陥れた ”魔王”
 この存在を倒せば、人類に平和が戻って来る

 ……とされている。
 ”なんで人間史で初めて登場した魔王が、倒されたら平和が戻って来るって言い切れるのか。不思議つーか、適当で希望的観測だよなあ”
 ドロテアは内心で悪態をつきながら、口からは別の言葉を放つ。

「お初にお目にかかるな、魔王何とかさんよ!」
 この女性、心臓が強いのか神経が太いのかそれとも両方なのか?
「貴様か! 魔王クレストラントを倒そうとする愚か者よ!」
 魔王の口からは威圧的な声が響き渡る。広い室内は闇に閉ざされ圧倒的な戦力の差を思い知らされる……筈だった。
 魔王が語っている所でドロテアは魔法を唱え始める。
 何かを呟いた瞬間にドロテアの身体はオレンジ色の炎に包まれた。それを見て魔王が突如声を上げる、その声は確かに ”怯えていた”
「貴様! まさか伝説のシャフィニイを使えるのか!」
 魔王に伝説呼ばわれされる魔法シャフィニイ。
「知ってるなら早い! 手前の命もここまでだ!!」
 そう言っている傍からあたりに炎が落ち、凄まじい勢いであたりを焼き尽くす。
 炎の激しさを見て、ドロテアは魔王と同じ高さまで魔法で上昇した。
「待て! は……話を……そ、そうだどうだ、私もお前の属神になろう? 悪い話でもないだろう?」
 魔王は逃げ腰になりドロテアに懇願する。その言葉を聞いて一言、
「これに耐えられたらな! 行け! シャフィニイ!」
 

 風操りしエルシナよ
 炎操りしシャフィニイよ
 水操りしドルタよ
 地操りしフェイトナよ


 魔王の城を一瞬で廃墟とした魔法。
 声を上げることすらできずに消え去った魔王が最後に見たものは、ドロテアの皮肉な笑いだった。
 その女が消えゆく魔王に向かって放った一言は、
「ばかが」
 ドロテアという女その物。
 自らが放った魔法の熱さで歪んだ床に舞い降り、主が消え去り溶けて元の形などなくなった玉座部分に向かって再会を一方的に誓う。
「死後の世界で後悔するがいいさ。手前を迎え入れるてくれる死後の世界があるなら、俺も同じところに行けるだろう。大量の人殺し同士、また会おうぜ」
 火力も熱も太陽に勝るとも劣らない呪文だが、魔法の炎ゆえ熱などは瞬時に消え去る。
 ”地上に在らざる炎”といわれるこれの熱量がずっと燻っていては危険なので他の精霊たちが動き出し、その熱を鎮める。
 振り返り、元の形はないが形はまだ保っている扉に目をやり、無事を確認して声をかけた。
「上出来だったな、エルスト、ヒルダ」
 二人は無言で ”こくこく” 頷くのみ。口を開ける程体力も残っていおらず、床にへたり込み、放心状態。
「凄い魔法だったわね。あんな炎見たこと無い。……炎よね、あれ?」
 マリアは魔法は一切使えないので、二人のように消耗はしてはいない。
「ああ、炎の最上級魔法、聖火神・シャフィニイ。俺も初めて使ったんだが、伝説通りの炎だったなあ。”神の舞” と言われる炎が辺りを覆い尽くすんだと書物には書かれたけどよ。まさか、これ程までとはね」
「ところで精霊神……じゃなくて、こんな凄い力を持つ聖火神といつ契約したの?」
 魔法に知識のないマリアでもこれ程の魔法を手に入れるとなると、相等大変なのは解る。だが返って来た答えは意外としか表現のしようのない、
「二年くらい前に拾った」
 あまりにも気の抜ける一言だった。
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