藍色幻想
【03】
 グラディウスは冷たい飲み物は苦手。好き嫌いはしなかったが生野菜も苦手で、食べるのに倍の時間を要した。
 そのことを知っているカルニスタミアは、
「ほれ、温野菜のサラダじゃ」
 温野菜のサラダを追加しグラディウスに食べるよう勧める。
「ありがとうございます」
「なあ、グラディ……グレス。お前と兄貴は塔へは行ったのか?」
 カレンティンシス一人であったら、意地を貫き通して見に来る可能性は低い……そう思ってい最初から”あて”にはしていなかったが、想像もしていなかった人物の登場により”もしかしたら”という気持ちが頭をもたげて、尋ねるまいと心に決めていたことを思わず口にした。
 もっと解り易く、砕いて尋ねることはできたのだが、カルニスタミアは敢えてそうはしなかった。もともと「行った、行かない」は聞かないと決めていた。今の言葉でグラディウスが理解できず、聞き返してきたらそれ以上深入りはしないつもりで尋ねた。
 グラディウスは程良く茹でられたじゃがいもにフォークを突き刺したまま静止して、カルニスタミアの言葉を必死に理解しようとする。
 特徴的な大きな瞳を更に大きく開き、いつも解り易く教えてくれるルサ男爵の顔を脳裏に描き、諦めてはいけないとガルベージュス公爵のことをも思い出す。
「…………行ったよ! かりんちんしす様、秘密の塔にあてしのこと連れていってくれた。見たよ! 凄かった。かるにちんたみあ様、お歌上手! ほぇほぇでぃ様みたいだった」
「それは最高の褒め言葉だな」
「えへへへ」
 尋ねられたことに答えられたことが解り、グラディウスは気分を良くした。
「兄貴は……見ておったか?」
「見て泣いてたよ。大喜びで泣いてた。あてし撫でた。でも嬉しすぎて涙止まらなかった」
「そうか」
「良かったね!」
「ああ……そして、ありがとう」
「なにが?」
 カルニスタミアの笑顔を前にして、グラディウスは疑問はあれどつられて笑った。カルニスタミアはテーブルに置かれている野菜と果物が盛られている篭から熟したトマトを手に取りかぶりつく。
 辺りに広がったトマトの香りをグラディウスは思いっきり吸い込んだ。
「トマトの香り、好きなのか?」
「うん! あのね、エリュシちゃんがね……美味しいって」
 カルニスタミアの手にあるトマトを見つめるグラディウスの瞳は、先程までの幸せを湛えた無垢ではなく、還らぬものを虚空に求めるものであった。
「エリュシな」
「うん。あんまりご飯食べられなかったけど、エリュシちゃんトマト気に入ってた。赤い色はランチェン様が好きだったから、エリュシちゃんも大好きなんだって」
 ”ランチェン”が誰なのか? 残念ながらカルニスタミアには解らなかった。
「お前もトマト食べるか? グレス」
「うん……」
 下を向いてトマトにかぶりついたグラディウス。俯いた理由は食べるためだけではない。必死の食べて、顔を上げて鼻を少し啜る。
「うまかった! あてしもトマト作ってるんだ!」
 エリュシについては触れず、カルニスタミアもまたトマトを囓りながらグラディウスの話を聞く。
「ほお。何処に畑を作っておるのじゃ?」
「ザウちゃんが居る塔!」
「……ザウちゃん?」
 カルニスタミアはトマトをテーブルに置いて、グラディウスを凝視する。
「うん。あのね、名前が長くてね……あのね……イデー、イデール」

―― 僕の名前はイデールサウセラだよ ――
―― イデー、イデー……イデザ…… ――
―― イデールサウセラ ――
―― イデーザ、イデザウ…… ――
―― 君のことグレスって呼べばいいんだろ? じゃあ僕の名前も短くして呼んでいいよ、グレス ――
―― イデザウはどう? ――
―― イデールは要らない。サウセラ……それじゃあ、あの人と重なるか。ザウだけでいいよ ――

「ドラ様のお顔でほぇほぇでぃ様の喋り方しててね、そいでね、あてしのトマト育ててるんだ!」

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスはあの家の周囲を驢馬と一緒に耕し、畑を作り野菜や果物を育てていた。特に力を入れたのが、リュバリエリュシュスが最後の晩餐で一口だけ食べたトマト。
 ”もういない”ことを知りながらもグラディウスは育てた。
 黄色い小さな花が咲き、赤い実をつけるたびに、最後の日の楽しさと翌日の悲しさを思い出してしまうのだが、それでもグラディウスはリュバリエリュシュスの為に育てた。
 必死に育てているとイデールサウセラが塔の中から、
「僕、その実食べてみたいから、サウダライトに運ばせて」
 声をかけてきた。
 グラディウスは一番美味しそうなのを選びサウダライトに手渡し、サウダライトはイデールサウセラに両膝を折って献上する体勢で手渡した。
 受け取ったイデールサウセラはグラディウスが観ている前でトマトを一口食べる。
 両性具有のなかでも特に小食を強制されるタイプのイデールサウセラはそれだけで腹が一杯になった。
「美味しいよ。それでさ、僕お腹いっぱい食べたいから、その苗を塔の中に植えてよ」
 サウダライトが巴旦杏の塔へスコップと苗と栄養剤を持って入り植え、イデールサウセラは誰も来ない日はその苗を見て笑った。
「愚痴聞かせると実が美味しくなくなっちゃうんだってね。綺麗な歌は良いって聞いたな。でも一番は笑顔だよね。あの子が育てたトマト、美味しかったもんね」
 上手く株分けして、
「君の母上からもらったトマトの苗だよ」
「見事なトマト畑だな」
「実は全部君が食べるんだよ」
「解った…………本当に全部食べなくてはならないのか?」
「あたりまえじゃない、ベルティルヴィヒュ。サウダライトだって喉詰まらせて全部食べてたよ」
 かつて巴旦杏の塔の中はトマトで埋め尽くされていた。それを知る者は、この時代はもういない。昔から知るものなど外の世界にはほとんどいなかったが、皆無でもなかった。

※ ※ ※ ※ ※


 食事が終わったカルニスタミアはグラディウスを連れてとある場所へと向かった。
「ここは何処ですか? かるにちんたみあ様」
「ここは大広間だ。建て直されたばかりの場所で、昔はここにはパイプオルガンがあった。宇宙最古のな」
 シュスタークとロガの結婚式が終わった直後に廃墟は取り壊され、大宮殿では珍しい飾りもなにもないホールが建てられた。
 帝国宰相が僭主襲撃事件の際に「自分が破損させた」と私費を投じ再建させた。ここ以外はすべて”復元”なのだが、このホールだけはまったく別の物にした。
「ぱいぷろるがんは何処へいったの?」
「ん……儂も解らんのだ。じゃがルグリラドならば在りかを知っておるじゃろうよ」
「そっか! じゃああてし聞いてみる。あっちにいってみてもいい? かるにちんたみあ様」
「構わんぞ」
 ”全然軽やかさが感じられないスキップ”をしているグラディウスの後ろ姿にカルニスタミアも思わず笑いがこみ上げてくる。
「カル」
 名を呼ばれてカルニスタミアは驚き振り返った。
「おお、ビーレウスト。何時の間に」
「なに本気で驚いたみたいな顔してんだよ」
「本当に気付いておらんかったのじゃ」
 ビーレウストは今日ここで行われる”戴冠式”で使われる最も重要な物《テルロバールノル王冠》を持ってやってきた。ビーレウストは後はここで王冠を守りながら、式典が終わったカルニスタミアとシュスターク、そして貴賓であるカレンティンシスが来るのを待つ。
―― ビーレウストにも説明しておかねばな
「グレス……」

 カルニスタミアが振り返った先には誰もいなかった。隠れる場所も外に通じる窓もないホールからグラディウスの姿は忽然と消えていた。

「どうした? カル」
「……いいや。なんでもない」
「そうそう。言い忘れてた」
「なんじゃ? ビーレウスト」
「叙爵オメデトウさん”アルカルターヴァ公爵殿下”」
「簒奪に協力してくれたこと、感謝しておるぞイデスア公爵」
「どういたしまして。俺も簒奪戦に混じれて楽しかったぜ。ザセリアバには叱られたけどよ」
「ザセリアバのことじゃ。大方”我も簒奪戦に参加したかったのに! 貴様だけ楽しみおって!”といった怒りによる叱責じゃろ」
「仰る通り」



―― 迷わずに帰っておれば良いのじゃが



「かりんちんしすさ……」
 振り返ったグラディウスの視線の先にいたのは、
「グレス!」
「……あ、ドラ様。ドラ様!」
 美しく艶やかな黒髪を乱したルグリラド。
「出かける時はあれほど人に言うてから……大体、なんで貴様此処におるのじゃ! まあ、よい無事であったのじゃからな!」
 帝后宮にいたはずのグラディウスが消えて大騒ぎになり、それを聞いていてもたってもいられなくなったルグリラドは、一人で勝手宮を抜け出して探し回っていたのだ。一般的に言えばルグリラドも行方不明状態なのだが……
「あれ。かるにちんたみあ様は?」
「誰じゃ、そのカルニチンタミア様とからやは」
「かるにちんたみあ様はドラ様のお父さんの眉無し王さまと同じ格好して、旗がいっぱいの丸いところで”こっか”を”どくそう”してた」
「……」


 それが何を意味しているのか? ルグリラドには理解したが《なにを言っているのか?》はまったく理解できなかった。


 無事に戻って来たグラディウスを正妃たちとキーレンクレイカイム、ルサなどが囲んで、食事をしながら出来事を上手く聞き出す。
 グラディウスの話はいつも通り「行ったり来たり」を繰り返す。それ自体はルサやリニア辺りは順序立てることができるのだが、内容までは修正できない。
 グラディウスが話した内容から《カルニチンタミアがアルカルターヴァ公爵に即位した》ことは「文」にはなったが《カルニチンタミア》が誰なのか? 誰も皆目見当がつかなかった。
「そんな美形王、聞いたことないな」
 グラディウスが「格好いい、格好いい」と繰り返すのにイレスルキュランが興味を持つ。グラディウスは《美しい》は理解しているのだが《格好いい》というのは今まで然程理解していなかった。
「グレス」
「なに? てるちちゃま」
「その者はイネスの小僧よりも格好よかったか?」
 デルシはグラディウスの中でかなりの数の「一番」であるサウダライトの名を引き合いに出してみた。
「うん!」
「グレスがそこまで言うとしたら、相当なものであろうな。他には何を言っていた?」
「かりんちんしす様がね!」
「お、登場人物がもう一人か」
 キーレンクレイカイムは楽しそうに身を乗り出してグラディウスの話を聞く体勢を取り続ける。
「かるにちんたみあ様はかりんちんしす様の弟で、ガルベージュスさんくらい賢くて自慢の弟なんだって。かりんちんしす様言ってた!」

 弟が公爵位を継ぎ、兄は大宮殿に。

 全てを知っている彼らは理解したが、表情は変えずに笑顔を浮かべたまま頷いて耳を傾け続ける。
「かるにちんたみあ様と二人でお式を観に行ったんだ。誰もいない廊下を通って、秘密の塔に連れて行ってくれて、二人だけで遠くから観たよ。かりんちんしす様泣いて喜んでた。キーレ様が言った通り、あてしは離れなかったよ」

 それが簒奪であることは確実なのだが、そこにあった物は単純な簒奪ではないことは伝わった。憎んではいないのに、兄の座を奪った弟。
「……そうか」

 相手はガルベージュス公爵のことを知っている ―― ここより先の世界の話だろうと彼らは考えた。ただのグラディウスの夢かもしれないが「未来を夢観た」と。
「未来も変わらないようじゃな」
「そうだな。だが少なくとも、憎しみによってではないようだが」
「まあ、殺さずに簒奪するくらいじゃ。未来の帝国は随分と平和なようじゃな」
「だが夢だとしたら、随分と整合性がとれた夢だよね」
「どういうことじゃ? イレスルキュラン」
「グレスはまだテルロバールノル語以外は不自由だから。叙爵式典が執り行われる際は大宮殿では叙爵される公爵家の言葉のみが使われることになるから、全員と言葉が通じてもおかしくはないけど、それをグレスが知っていたとは思えないんだがなあ。グレスは前回のマルティルディ叙爵式典の時はアレだったし……」


―― また会えるかな ――


 そしてグラディウスは双子を産む。第三皇子アルガルテスは十二歳の時にテルロバールノル王太子の婿となり、第二皇女ファラギアは十三歳でロヴィニアのキーレンクレイカイムの妃となり……

※ ※ ※ ※ ※


 目を覚ましたカレンティンシスは、しばし”ぼうっ”と天井を見つめていた。シーツが上下逆さま、裏返しにかけられていることに気付き、
「誰がやったの……グレス? グレス、どこじゃ?」
 自分にこんな親切をしてくれるのはグラディウスだけだろうと、起き上がり部屋を歩き回り名を呼び捜すが返事はない。
 その後カルニスタミアからメッセージが届けられ「話がある。今日の22:00にビーレウストを迎えにやる。それと帰った」文面を読んで理解し、虚脱状態でベッドに座る。
「無事に帰っておれば良いのじゃが……まったく……」

 ”かりんちんしす様!”

 メッセージ通りに22:00にビーレウストがカレンティンシスのことを迎えにきて、行き先も告げずに部屋から連れ出す。
「陛下もお出でなんだから、早く来てくれよ」
「陛下じゃと……」
 行き先と目的を教えろ! と叫んでいたカレンティンシスはその言葉で黙って従った。
 辿り着いたなにもないホールには椅子が二つ用意されていた。一つの椅子にはシュスタークが座り、もう一つの椅子の上にはカレンティンシスには見慣れた王冠が置かれていた。
 ビーレウストはやや乱暴にカレンティンシスを王冠が置かれた椅子の近くへと押し出して、《最後の決まり文句》を叫ぶ。

「さあアルカルターヴァ公爵。その王冠を自らの手で掲げよ!」

 声に従いカルニスタミアは王冠を被り、本来であれば皇帝のほうを向く決まりだが、逆側に立っているカレンティンシスの方を向く。
「似合っておるか?」
「……」
「似合い過ぎて、声も出んのか」
 カレンティンシスは両手でカルニスタミアの頬を包み込む。
「馬鹿者。即位式典をなんと……心得……」

―― アルガルベーは頑固だけど素直だって! あてしが傍にいるよ!――

 ”このままではせっかく帰ることが出来たグラディウス・オベラ・ドミナスがまた戻って来てしまいかねぬな”
 カレンティンシスは息を大きく吸い、わざわざ時間を作って最も見たかった光景を与えてくれた者たちに感謝する。
「いいや……ありがとう、カルニスタミア。感謝しております、陛下。ビーレウストお前も……そしてグラディウス」


 ああ、もう自分は本当に王ではなくなったのだ―― その事を実感しながら。


 いつになく素直なカレンティンシスの背中を抱き締めてカルニスタミアもまた心の中で、届かないとは知りながらグラディウスに感謝の言葉を告げた。

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