王と公爵妃・3 − 少年残像≪中編≫

 メーバリベユ侯爵は王と対面していた。
「メーバリベユよ」
「はい」
「お前は宮殿での仕事に就く気はないか?」
 義兄でありロヴィニア属の頂点に立つ王の言葉を、カップに口付けながら気負うことなく聞く。
「宮殿でございますか? それ相応の仕事がありますなら喜んで」
 余裕と優雅さを失わないでいるメーバリベユ侯爵に満足しながら話続ける。
「お前達の結婚が潰れた理由は解っているな」
「はい。やはり各王家の王女を妃にした方が良いということで」
「王女が生まれるか、生まれないかははっきり言い切れぬが、王女がこの二年の猶予期間内に生まれたとして、十歳前後で宮殿に入る。そうなると、それを守るべき女主が必要となってくる」
 私の王女か、お前とエーダリロクの姫かは解らないがと言いながら。
 実母は女官長に就くことは出来ない。そしてこの状態では自分とエーダリロクの間に子が生まれる気配はない。そうなると当然、
「女官長ということですか?」
 王の娘に仕えろと言っていることになる。
「そうだ。その職をお前に与えたいと考えている。今から仕事の全てを覚えておけ」
「畏まりました」
 それはメーバリベユ侯爵にとしても役職として不服なく、その役割を与えられることは栄誉でもあった。
「それと、お前はエダ公爵の動向を探れるか?」
 エダ公爵バーハリウリリステン。
 皇帝の正妃候補で当主であったのは二人。一人はメーバリベユ侯爵、そしてもう一人はエダ公爵。
 あとの二人は公爵家の姫で、家を継ぐ者ではなかった。
 やはりと言うか、偶々なのか、貴族の跡取りと、そうではない育ち方をした姫では、何もかもが違った。跡取りであり、爵位を継いでいる二人に他の二人は全く敵わなかった。
 顔はメーバリベユ侯爵よりも全員上であったが、他のことで二人の姫はメーバリベユ侯爵を越せる物は何一つ無かった。だがエダ公爵は、メーバリベユ侯爵をしのぐ箇所があった。
「バーハリウリリステンの動向ですか? あの人は近衛兵団に属していますので、そちらの方面から探ったほうがよろしいのでは?」
 彼女は非常に強かった。
 元々は王国の近衛兵として、今は帝国の近衛兵として兵団に属している。
 メーバリベユ侯爵にとっても、正妃としなっても他の二人は問題ないと言いきれた。だが『帝后候補』であったエダ公爵は、はっきりと敵になると判断した。それはエダ公爵にとっても同じことであったが。
「近衛兵としてのエダ公爵ではなく、バーハリウリリステンという女としての動向だ」
「ケシュマリスタ王の愛妾でしたね」
 そんな彼女の私生活は『王の愛人』であった。
 王が『愛人』を皇帝の正妃に送るのは珍しい。皇帝の正妃を一般的な上級貴族から選ぶことが珍しいのだから当然なのだが。
 『王国一の貴族女性は知らないが、私が知っている中では王妃についで彼女が最も素晴らしい』と言われ送られた。
 ケシュマリスタ王の言葉通り、容姿才能とも群を抜いている彼女の前に誰もが沈黙する。その自信満々であった独身貴族当主にとって、最大のライバルがメーバリベユ侯爵。
 エダ公爵も他の二人は相手にしていなかった。
 易々と皇帝の正妃、皇后にもなれるだろうと思い来た彼女の前に立ちはだかった形になったメーバリベユ侯爵。
 二人とも正妃の座からは離れたが、正妃候補時代に互いにライバルと認識し、その認識は消えることはない。恐らく二人は生きている間は、決して交わらない敵同士であり続けると、誰よりも本人達が理解していた。
「ああ……あの女、実は別の男とも寝ているのだ。女を絶対拒否する姿勢を取っている権力者」
「帝国宰相閣下が?」
 メーバリベユ侯爵は王の意外な言葉に驚いた。
 あの不機嫌そうであり、女に蛇蝎を睨み殺すかの如くの視線をぶつけてくる帝国宰相とエダ公爵に関係があるとはメーバリベユでも思いはしなかった。
「そうだ。何時頃からはわからんが、あの二人は寝ている。正妃候補が流れる前後が有力だ」
 メーバリベユ侯爵が思い返してみると、確かにあの時エダ公爵はやけに簡単に身を引いた。自分自身、皇帝の正妃候補から外れて『喜んでいた』ために、他者の言動は全く気にしなかったのだが、王に改めて言われてみるとおかしかった。
「ただ密談をしているだけ、などでは無くて?」
「その場は確りと確認している。あの男は隠している訳でもないが、何と言うかおかしいのだ」
「はあ、それは」
 皇帝の正妃の座から外れても、実質帝国を支配している男と寝ている。
 帝国宰相もエダ公爵も独身で、身分も何も問題はない。だが大っぴらではなく、かと言って隠れているわけでもない。
「帝国宰相の動向はさすがにお前であっても調べられんだろうから、バーハリウリリステンの動向を探れる範囲で探って欲しい」
「それは極秘裏にですか?」
「特に秘密にしなくとも良い。帝国宰相もエダ公爵と寝ているのを知られていることくらいは知っている」
 あの女に冷ややかな眼差しを向ける帝国宰相を思い出し、
「でしたら、直接聞いてまいります。身体能力では勝てませんが、口では勝つ自信もありますので」
 メーバリベユ侯爵はその役を引き受けた。
「それらは任せた」

 その後、メーバリベユ侯爵はエダ公爵と会い目的を聞いた。
 それを王に報告すると、王も納得しその仕事は終わった。だが、以降もエダ公爵はメーバリベユ侯爵に話しかけてくる。

 その内容をメーバリベユ侯爵はロヴィニア王に告げることはなかった。

*********

 皇后は奴隷が選ばれた。
 私と大差ない年齢の奴隷がたった一人。そのたった一人の正妃の女官長に姉は就き、メーバリベユ侯爵家はロヴィニア大貴族の一員となる。
 メーバリベユ侯爵として、公爵妃として子を産み幸せをも得た姉に会いに行った。
 その時、姉は何番目の子を身篭っていた時だったろうか?
 お優しい皇后は、腹の大きい姉を気遣ってくださっていて……正直、どちらが皇后なのか解らないような状態だった。
 私と姉に気遣い、二人きりにしてくれた。
 私が姉に会うのは葬儀以来だ。あの葬儀の時、まだ姉に抱かれているだけだった子は、もう皇子殿下と仲良く走り回って遊んでいるという。
「良いお方だね」
 姉のことを、家臣である姉のことを気遣ってくださる優しいお方だ。
「ええ、とっても。皇帝陛下に相応しいお方よ」
 姉も色々と悲しいことがあったけれども、皇后の側に居られたから乗り越えたれたのかもしれない。
「あら? 貴方。どうなさいましたの?」
 姉の声に振り返ると、そこには姉の夫である公爵殿下が立っていた。
「義弟が来ていると聞いたからな」
 姉の夫である公爵殿下に挨拶する。そんなに堅苦しくなくてもいいとまた言われた。葬儀の場でも言われたのだが、相手は生まれながらの王族。私の緊張が解けることはない。
 その王族はどこか狂気を孕んだような眼差しだったが、姉を見ると “すっ” とその狂気が引く。姉のことを愛してくれているのだと、私は理解する。
 その眼差しは自分が姉に向けていたものであり、この先も向け続けるものだからこそ。
 貴方の初恋が叶ってよかったねと思う度に、私の初恋は消えてゆく。
「気にしないで、兄上とでも呼べ」
「いや、そんなこと……」
「お母様! 叔父様がおいでになったって皇后様から聞いたのぉ! 叔父様、遊ぼう!」
「遊ぶのぉ!」
 私の答えは甥や姪の楽しそうな叫び声に打ち消され、姉には届かなかった。
「しっかりと挨拶をしなさい。王家の血を引いているものが、そんな礼儀知らずでどうしますか」
 目の前の公爵殿下には届いたようではあったが。
「姉のことよろしくお願いいたします。公爵殿下」

 私は少年の日に抱いた姉への思慕を持ったまま、ロヴィニア領にある墓を参りに向かった。

王と公爵妃 ― 少年残像≪中編≫−終


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