片目の村・4

 バイスレムハイム公爵アウロハニアは、宮殿に人質として残ったバデュレス伯爵の母であるメロビレオ侯爵を見張っていた。
 その彼女が “どうしても近衛兵団団長閣下にお会いしたい” と執拗に申し出て、アウロハニアは折れ兄である団長に連絡を入れた。
「団長閣下」
 団長は望みを聞き入れ彼女が監禁されている部屋へと足を運び、向かい合って座る。
「ご足労をかけて申し訳ございません」
「挨拶はいい。用件は」
「私を殺してくださいませんか」
 彼女の言葉にバイスレムハイム公爵は驚き、兄であり上司である団長をのぞき見る。
「……」
 団長は腕を組んだまま微動だにしない。
 ただその視線は、通常の兄、そして団長としてのものとは全く違った。
 無言のままの団長に彼女は殺して欲しい理由を語る。
「逃れた自分の力の源は夫の裏切りでした」
 そのことをと何度も娘に語るうちに、娘は自分を嫌うようになった。理由は解らなかったが、ある日喧嘩をして娘は叫ぶ!

『お父さんはお母さんを村から出るように仕向けるためにそう言ったとは考えたことはないの?』

「言われてみるとそうかもしれない……と」
 彼女は両手足首を拘束されたまま、うつむき加減に告げる。
 思えば自分の方が夫よりも強いことを、夫が誰よりもよく知っていた。両目を失ったとしても、夫に負けることはないとはっきりと言い切れた。
「今になってみると、当然なのですが……」
 当時は裏切られたとしか考えられなかった。
「私が娘に語り続けたのは私 “だけの” 真実であって、夫を含めた真実ではない。なによりも自分が無意識で語り続けた恩着せがましい言葉が、娘が自由に生きることを出来なくしていることに気付きました」
 自分が語り続けた、目を抉ったことや脱出するために夫を殺害したこと。それら全てをいつのまにか娘に押しつけていた。
「私を殺す理由はいくらでもあるでしょうから」
 娘を自由にしたいからと彼女は殺されることを望んだ。ただ自殺しては娘にもっと負担をかけるだろうから、村が殲滅されている今が好機なので殺して欲しいと。
 その彼女の願いを、団長は切り捨てる。
「断る」
「団長閣下?」
「帝国は侯のごときの感傷、自らの正当化に付き合う事はない。そこにいるだろう、ハセティリアン公爵! 見張っていろ。行くぞバイスレムハイム公爵」
 団長はそう言い、弟を連れて部屋を出た。
 無言のまま風を切るように歩き続け、密談には適した場所へと入る。その場所はデファイノス伯爵が滞在されることを皇帝より許可された帝君宮。
「団長閣下」
 到着してから団長はため息をつき、自らの足下を眺めながら覚悟を決めた声で話し出す。
「……アウロハニア」
「どうしなさいました? タバイ兄」
「私にもしもの事があった場合、お前が帝国近衛兵団の団長の座を目指す事となるのだが」
「私の実力では苦しいかと。上にはあのライハ公爵殿下が」
「公爵殿下はこの際抜きで、お前は今のところ私の後継に就くことを望まれている。……だから教えておこう」
「はい、何でしょうか?」
「ザウディンダルは僭主の末裔だ」

 兄の言葉に『これが頭の中が真っ白になるって事なんだなあ……』とまるで他人事のようにバイスレムハイム公爵は心の中で呟く。

 団長は帝国宰相とザウディンダルの祖母の関係を必要なことを端的に、感情を込めないで乾いた報告のようにして弟に語る。
 バイスレムハイム公爵は最後まで聞いても実感は沸かなかった、だが兄の言いたいとしていることは理解できた。
「兄は僭主殺害を命じ、検分する都度兄の心も死んでゆく。もはや戻らぬ相手だが、兄は僭主を殺すという行為そのもので心が傷つく。だが同時に僭主を殺すことで救われもする」
「……」
 拷問の果てに殺された《彼女》を想うほど、帝国宰相は僭主の滅亡を願わずにはいられない。
「私は甘い訳ではない。私が他者を、僭主に対する態度を柔軟にし、守ることによって兄の心が幾分か晴れるのだ。これでも私も帝国の重鎮だ、僭主を滅ぼすことに異存などはない。率先して殺害を叫んでもいい。だが私がそのような行動を取ると、兄の心が死んでゆく。それをとどめる事が出来るいくつかの方法の一つ、それが僭主に対する態度だ」
「……はい」
「メロビレオ侯爵を殺害することに全く問題はない、兄も褒めてくれよう。だが言い表せぬ痛みを一人で身に刻み込む。心に平穏の少ない人だが、せめてその少しの平穏を守りたい」
 メロビレオ侯爵を殺してしまうことは簡単だが、殺さなくても良い立場にいる僭主を、たとえ相手の望みであっても殺害するのは帝国宰相の私心に反する。
「タバイ兄」
「なにが聞きたい? アウロハニア」
「タウトライバ兄が帝国軍代理総帥の座に執着する理由と、タバイ兄が帝国近衛兵団団長の座に固執する理由、もしかして《同じ》なのでは?」
 弟の言葉を団長は否定する。
「違う。正反対だ……私は、帝国宰相を……」
 兄の言葉を最後まで聞き、弟は目を閉じて絞り出すような声で答える。

「もしも、そんな時が来たら私は……タバイ兄を選びます」

 弟の苦渋の決断にタバイが答える事はなかった。

********


 帝国宰相は皇帝陛下の正妃に関しての調整を進めていた。王達が『どうしても自分たちの王女』をと言う意見に押し切られ猶予を与えた。猶予期間内王女が生まれるかどうかは解らないが、生まれなかったとしても彼等に猶予を与えることで、貸しをつくることができる。
 そして『生まれるかどうか解らない王女』を待つ間にしなくてはならないことがある。
 帝国宰相は《それを殺さず》ロヴィニア王は《この機会に殺す》つもりであった。殺した方が良いことは、帝国宰相も理解はしているのでロヴィニア王が殺すと言えば止めることはない。ただ殺すのはあくまでもロヴィニア側であって、帝国宰相ではない。
「帝国宰相閣下。ロヴィニア王殿下より通信が」
「繋げ」
 空中に映し出される立体映像に視線を合わせることなく、手元のデータが送られてくるモニターを見つめ続ける。
「何用だ? ヴェッティンスィアーン公爵」
『僭主狩り完了の報告だ』
 言い終えると同時に画面に報告書が現れる。
「書類に漏れはないな?」
『ない。それはそうと、帝国宰相。あの女を生かしておくつもりか?』
「あの女とは誰だ?」
『しらばくれるな』
 ロヴィニア王は《あの女》を帝国宰相が殺害すると考えていた。
 皇帝の側に仕える帝国宰相として《あの女》はどうしても排除しなくてはならない。
 《あの女》とはメロビレオ侯爵。彼女は娘のバデュレス伯爵とは違い子を産む能力を兼ね備えている。年齢的にも四十前で、もっとも正妃に近いのだが彼女だけは許可するわけにはいかない。
 彼女がイダンライキャスの血を引いている、その一点にして絶対の部分。
 シュスタークは投降者である母子に対しては優しい。たった一人の皇族ではあるが、ロヴィニア王族でもある皇帝にとって彼女たちのことは気になる。
 シュスタークは気付いていないが《皇帝が気にしている》これが強固に彼女たちを守り、権力者の行動を抑制している。
 シュスタークが気にしている以上、二人を簡単に殺すわけにはいかない。ロヴィニア王はシュスタークの中に潜む《ザロナティオン》が彼女たちを生かしておかないだろう、容易に殺害を許可してくれるだろうと考えて投降を許可したのだが、ロヴィニア王の予想を裏切りシュスタークは二人を優しく迎えた。
 だが優しく迎えようとも皇帝が《ザロナティオン》である以上《イダンライキャス》の血を引いている女を正妃に迎えることは不可能。皇帝の中で眠っている帝王が目覚め牙を剥いてしまう可能性を考えるとどうしても避けなくてはならない。
「デファイノス伯爵をくれてやろう。それをメロビレオ侯爵に使うもよし、別に使いたくばお前が殺せ、ヴェッティンスィアーン公爵」
 メロビレオ侯爵を正妃にしないもう一つの方法。それは彼女から次代を作る能力を完全に奪うこと。
『もらわんよ、買わせてもらう。幾らで売る?』
 彼等は特殊な生命体であるため、遺伝子情報の複製・復元を遮断するにも特殊な方法が必要となる。
「皇君に直接聞くがいい。皇君相手に何処まで値切れるかな?」
 《壊れゆく遺伝子》を注入するしかない。
 この《壊れゆく遺伝子》はそれ自体が壊れてゆくもののため、抽出してから四日しか保管がきかない。それは超低温であろうが、動きを止めることはなく滅んでゆく。
『では買いに行ってくる』
 現在帝国で生存している《壊れゆく遺伝子》を持つのはデファイノス伯爵ただ一人で、その細胞から抽出する権限を持つのは皇君オリヴィアストルだけ。
 帝君に預けられていたデファイノス伯爵が、彼の死後も宮殿にとどめ置かれた理由でもある。他王家を滅亡へと向かわせることも容易な《アマデウス》をエヴェドリットの独占にしては危険だとして三王家が帝国に管理を依頼し、帝君の遺言にもあった皇君が《アマデウス》の全管理を行うことで合意した。


 殺すことに興味を持っていても、滅ぼすことには興味のないデファイノス伯爵と、滅多なことではそれを抽出しない皇君オリヴィアストル。


 かつて皇君オリヴィアストルから《プレゼントするのは一度きりだよ》と手渡されそれを使った帝国宰相は、幼子を抱いたまま額を撃ち殺されている少女と言って差し支えない年頃の僭主の映像を何の感情も浮かばない瞳で見つめ続けた。


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