我が名は皇帝の勝利


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 街中を歩いてます、第四種警戒態勢は解除されました。そして私は一人ではなく、二人で。レンペレード館から出て、メセアの家へと向かってますの、陛下とご一緒に。
 まさか陛下とご一緒に街中を歩く日が来るとは思ってもみませんでしたわ。私は濃紺のワンピースを着て、陛下はグレーのシングルのスーツ……正直、皇帝の格好よりも似合ってますわ。濃紺のシャツと光沢のあるブラウンのネクタイ、前髪を下ろされてメガネを着用。今の世の中、近視も遠視も乱視も直ぐに治るのですが、治療代が払えない人はこういうモノで補強しているのだそうです。
「陛下は近眼なのですか?」
 テンプルの部分が象牙で、フロント部分は銀、ノーズパッドの無いものでレンズはクリア。
「老眼だ」
「治されればよろしいのでは?」
「それ程悪いわけでもない。後五年もしたら治療する」
 後五年となると、陛下は四十二歳ですわね。私は二十三歳ですか……想像付きませんわ。
 でも本当にこのようなスーツ姿が似合いますわ。ダブルよりシングルが、多分ダンドローバー公はダブルが似合うと思うのですが、陛下はなんと言うか……地味? 地味顔の私に言われるのは屈辱かも知れませんけれども、どう贔屓目に見ても地味ですわよね。私が贔屓できているかは別として。
「あ、あそこですわ陛下」
「知っている。そして陛下と言うな、何度もそう言った筈だ」
「はい」
 陛下を“陛下”以外で呼びかけるのは、慣れませんわ。
「ええと……カハヌですね」
 ラディスラーオという名前は多数……居ませんのよ。
 皇帝に立たれた方と同名の貴族はその名前を変更するのが慣わしなので、この国にはラディスラーオと言う名を持つお方は陛下のみ。ですので偽名が必要で、カハヌと。……聞いた事も無いような名前なのですが、陛下の口からは簡単に出てきました。
 まだお店は開いていないので、裏口から。最近はすっかり裏口から入るのに慣れてますが。
「お邪魔しますわよ、メセア」
「カミラ……」
「久しぶりだな、メセア」
「そうだな、カハヌ」
 事前に連絡は出されていない筈です、メセアが驚いてますから。でも、何故『カハヌ』と解かったのでしょう?
 椅子に座って、前髪を返して欲しいと告げるとメセアは『良かった。何処に置いて良いか解からないからな』と言いながら、部屋に取りに向かいました。
「何故、カハヌと?」
「……本名、とは違うか。最初に名付けられた名前だ。俺はお前と違って、生まれた瞬間から貴族であった訳ではない。生まれたのはストリップ劇場のユニットバスだ。“子供”と呼ぶわけにも行かないので、今のメセアが付けた……と聞く。後に伯爵家には相応しくない名前だとラディスラーオと変えられた」
 キサが『キャサリン』と貴族らしい名前にしたような事を、陛下は家単位で強制された訳ですね。
 咄嗟にカハヌと出たという事は、陛下は物心付く頃までカハヌと呼ばれていたのでしょう……。階段を下りてくる足音、扉を開けたメセアが持っていたのは、お菓子の箱。
「お待たせしました。入れる物がなくて菓子箱で悪いですが」
 中にはタオルに包まれたものが、それを陛下がゆっくりと開きます。タオルの中には今度は紙、随分と丁寧に保管してくれていたようです。
「これは持っていく、いいなメセア」
「そりゃ、もちろん。カハヌ」
 誰かがこの家に帰ってきた音が……キサのようです。
「ただ今、メセア……カミラ! 急に学校辞めちゃってどうしたの!」
「ちょっと急な用事が」
 私は結局学校を辞めました。ファドルに正体を語って、手続きをしてもらいましたが……相当ファドル驚いていましたわ。事前にダンドローバー公が語ったというのにも関わらず。
 それと、暫くの間ダンドローバー公は自宅に立ち入り禁止だそうです。……何があったのかは知りませんが、それで隣の家、レンペレード館から繋がっている公営住宅の鍵を借りにきましたの。もちろん貸してあげましたわ。
「ねえねえ、カミラ。この人が恋人?」
「……そうですわね」
「へぇ……結構歳いってる人だね」
「十九歳年上ですから」
 キサが驚いたような顔をしました。そんな驚くような事ではないかと、貴族でしたら十や二十くらいの年齢差など一般的な範囲内ですもの。
「おい、キサ下がれ」
 メセアに叱られて、キサは私に手を振って『店にはおいでよ』と言って立去ろうとした時です
「キサと言ったな」
 陛下が口を開かれました。キサの顔が驚きで硬直します……喋り方と声は、記憶にあるでしょうから。
「は、はい……」
「アーロンは許可せぬが、アグスティンならば許可してやる。戻るぞ、カミラ」
 それだけ言って陛下はメセアの自宅兼店舗を後になさいました。
「正体が知れても良いのですか?」
「構わぬ」
 スーツを着てお菓子の箱を持って歩く陛下の姿は、とても見慣れない、初対面の人のようです。そういえば私、陛下と初対面の時の事覚えてません。出会った頃は十歳ですから、覚えていても良い様な……何故覚えていないのでしょう。
「どうした、カミラ」
「これで外を歩くのも終わりかと思うと、覚悟してはいましたが寂しいものですね」
 固い石畳の道、ヒビの入った家の壁、人が多数行きかい話し声が聞こえる……ここをもう歩く事もないかと思うと、今の時間黄昏時と相まって……やっぱり寂しいですわ。
「……道で立ち止まるな、目立つ。唯でさえお前の髪の色は目立って仕方ない。こい」
 差し出された手と……陛下のお顔を見比べて、ゆっくりと手を乗せました。力を入れられた陛下の手の感触は、骨っぽくそれでいて……
「ちょっと痛いのですが」
 少し力が入りすぎてました。

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