藍凪の少女・下働きとおっさん[1]
 グラディウスは 《もぎもぎ》 していた。
 正確に表現するなら、食事を取っていた。グラディウスが食事を取っている姿は、何故か他人は 《もぎもぎ》 と表現したくなる。
 特徴的な大きな藍色の瞳よりも人々の興味を誘う、リスのほほ袋のような食べ方をするグラディウスの食事風景は 《もぎもぎ》 だった。

 グラディウスの仕事は庭掃除と愛妾候補の部屋掃除に決まった。ランクとしては最下位の部類の仕事である。最下位とは支払われる給料が低いということを指す。
 配置は輸送船の中での生活態度で決められる。
 グラディウスは衛生観念の低さと、社会生活の基礎知識の低さから、持てる能力のみを使うとなると、箒やちりとり、バケツや雑巾で清掃するしかなかった。
 もう少し衛生観念が高ければ、少し給料の高い食事の支度全般の方に回されただろうが、手を洗って食事を取るという事を知らず、ドミニヴァスに初めて教えられた程度で、身についていないグラディウスは衛生面から外された。
 清掃も街で生活している程度の知識があれば違う場所の清掃に回されただろうが、水回り操作卓などを全く使うことのできないグラディウスは、それらを使用して清掃を行う場所からも除外される。


「ここかあ」

− 何も知らなかった −

それがグラディウスの未来を大きく変えた。


 宮殿内でも寂れた中庭。背の高い木々と、その木漏れ日の中に埋もれるようにある四阿に固定されたベンチとテーブル。
 所々欠けた床と、四阿の内側からもの悲しげにぶら下がっている千切れ、色褪せた布。
 グラディウスはテーブルと椅子を丹念に磨き、周囲を掃き清める。
 《誰も近寄らない場所》
 賢くない少女の仕事場として最も相応しいだろうとされたその場所に、
「来た人びっくりするかなあ」
 人が来ていた。
 椅子の一角とテーブルの一部分だけに土埃がなかった。だからグラディウスは、自分が数合わせの無駄な仕事をさせられている事も解らなかった。
 元々、それらに気付かないような者が配置される場所ではあるが。
 グラディウスは掃除を終えて、清掃用具を返して昼食を取りに向かう。午前中は宮殿内清掃で、午後は愛妾候補達の部屋の片付けに向かう。
 下働きとして集められたが、見目麗しい者達は 《下働き》 ではあるが 《下働きではない》 扱いを受ける。
 彼女達の一日は正午から始まる。午前中は怠惰に過ごしても良いことになっていた。
 彼女達は後宮の愛妾候補ではあるが、愛妾ではない。
 愛妾候補は皇帝の手が付いていない者であり、下働きが集められている場所は比較的誰でも自由に出入り出来る。
 そこはある種の貴族のたちの悪い遊び場でもある。
 だが彼女達もそれを拒否することはない。《下働きではない下働き》 もそれ相応の説明がなされて、その場に集められるのだから納得している者ばかりだった。
 皇帝の愛妾になれずとも、貴族の愛人か、もしも良ければ正妻に収まることが出来る。それが彼女達の望みでもあった。
 グラディウスは別部屋の下働きエルメリアと共に、裕福な下級貴族「レミアル」と「フランザード」の部屋掃除が命じられた。
 下働きの五人一部屋で使っている部屋の倍の大きさに二人。
 個人部屋は本当の愛妾から与えられるので 《下働き》 という体面を保つために、このような部屋割りとなるのだ。
 グラディウスとエルメリアは、美しいが性格の悪い二人に虐められながら部屋掃除や、小間使いのような仕事をすることになる。

**********


「お嬢さんがお掃除してくれたのかい?」
 翌日グラディウスが午前中の仕事として中庭の掃除に向かうと、そこには、
「うん。此処掃除するの仕事なんだ、貴族様」
 一人の男性がいた。
 鈍いグラディウスでも一目で解る 《宮殿にいる貴族》 の格好と雰囲気を持った初老に手が届きそうな男性。
「…………」
 ベンチに長い足を組んで座り、テーブルに肘をついて、電子画面を眺めていた男性は声を失う。
「貴族じゃないの?」
 言いながらグラディウスは周囲を掃き始める。
 男性は両肘をテーブルに置き、指を組んで顎を置いて掃除を始めたグラディウスを眺めながら口を開く。
「貴族だよ……昔は」
 ”昔は” の部分は小さく、葉のこすれる音にかき消され、グラディウスの耳には届かなかった。
「そっかあ」
 周囲を掃き終えたグラディウスがテーブルを拭こうと近寄ってくると、
「食事前だけど、軽食でもどう?」
 向かい側のベンチに座るよう指をさした。
「軽食って?」
「食事と言うほどの量ではない食事だ。一緒に食べないか? 此処を掃除してくれる人と一緒に食べようかと思って持ってきたのだよ、お嬢さん」
 言いながら男性は保存ケースを開く。
 グラディウスは大きな目で男性を見つめて、
「好きなだけ食べて良いよ」
 そう言われて、嬉しそうに手を伸ばす。
「その前にほら、これで手を拭かないとね」
 男性に差し出された手ふきで、酷く下手くそに手を拭いた後、グラディウスは今度こそ小さなパイを手づかみで口に運ぶ。
 五個ほどあったパイの二個を元気よく食べた後、
「美味しかった」
 笑顔で口を拭き立ち上がった。
「もう良いのかい?」
「うん後は貴族様の分」
 本当に賢くはないのだが、欲が張っている人間でもない。
 男性はグラディウスの掃除の邪魔をしないようにと、テーブルの上を片付けて立ち上がり、必死に水拭きしている彼女に声をかけた。
「お嬢さん」
 グラディウスは必死に掃除をして振り返らない。
「……」
「お嬢さん」
「……」
 グラディウスは完全無視している。
 男性は怒るよりも困惑した。目の前にいる少女が怒っている用にも見えない、つい先ほどまで仲良く会話していたのだから。
 そして ”もしかして” と声をかけた。
「あの……そこでお掃除している人」
「はい、なんですか? 貴族様」
 男性の予想通り、グラディウスは 《お嬢さん》 が何を指しているのか理解できていなかった。

「あのね、お嬢さんって言うのは君のことを呼んでいるんだよ」
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