PASTORAL −71
 こちらも態々包帯を巻かせて、本日の喧嘩を人々にアピールする大公の面々。
 シャタイアスは元々『皇族側』の一員として数えられていた。母親が大公であり、その母親の大公位を受けついでいたからだ。
 サフォント帝が即位後に「オーランドリス伯爵」を叙爵するまで、彼は受け継いだ爵位「ゾフィアーネ大公」を名乗っていた。むろん今でもゾフィアーネ大公位は持っている。
 元々大公であり、今も大公であるので、正式な書類にはこの爵位・ゾフィアーネが記される。その為エバカインは「クラサンジェルハイジの元夫」が誰なのか、見当がつかなかったのだ。
 エバカインが「ガラテア宮中公爵」に叙される前に彼は「オーランドリス伯爵」となり、以降、過去の名を殆ど名乗らなかったので、エバカインが知らないのも無理はない。
「今日の喧嘩は派手でございましたわね、親王大公殿下」
 シャタイアスと同じく、クロトハウセの父方の弟妹の子で形成されている『こちら側』こと皇族側の面々は、高笑いしながら今日の戦果を口々に語る。
「本当に。よい前哨戦になりましたが」
 シャタイアスが居なかったので、全員でゼンガルセンを囲み、あわや『本当の戦争で使い物にならない』一歩手前まで殴りつけた彼女達は、何時もの喧嘩の後よりも機嫌が良い。
「ゼルガの横っ面は何時張り飛ばしても楽しい物ですわ」
 クロトハウセ並みに大柄な女性大公方は(カッシャーニ大公はクロトハウセよりも大柄)ゼンガルセンの顔を張り飛ばすのがお好みのようだ。
 何の事は無い、ゼンガルセンはどちらかと言えば女性の敵なので、女性が好きな大公様方はゼンガルセンがお嫌いなのだ。
 男性が相手にする女性と、女性が相手にする女性とでは、嗜好が違うのでは? と言われそうだが、ゼンガルセンは『嫌がる女を無理やり』も好きなので、嗜好が女性方面の女性に手を出すのも良くやる。
 ただ最も強烈に拒否してくれそうな女性大公の面々は、ゼンガルセンの女性分類には入っていない。
 手を出せば、ゼンガルセンでも唯では済まないからだ。政治的ではなく、肉体的に。後、精神的にも。
「また喧嘩してやるから、お前達部屋に戻れ」
 幕僚達の華やか……とは少々違う笑い声と礼を受けた後、クロトハウセは何時もの如く着替えてサフォント帝の元へと向かう。
 クロトハウセが向かう理由、それは謝罪をしに向かうのだ。
 謝罪するくらいならば喧嘩しなければ良い様なものだが、喧嘩自体が止められないので(部下も止めない)喧嘩した後は謝罪しに向かうのが、クロトハウセの何時もの行動となっていた。
 弟が来るのを知っているサフォント帝は、部隊の配置を書きながら待っていた。
「来たかクロトハウセ」
「お詫びに参りました、総帥」
 総帥とは皇帝が親征している時の『呼び方』の一つ。
「入れ。余も話す事がある」
 サフォント帝は椅子を移して腰を降ろすと、礼をした弟の黒髪にゆっくりと声をかける。
「クロトハウセ。今回、エバカインはゼンガルセンの配下に置く」
「何故でございますか! あんな男の配下ではなく、是非我が隊の」
 詰寄ってくるクロトハウセを苦笑いしつつ、
「クロトハウセ。そなた、エバカインが配下にいて平常心が保てるか?」
「?」

PASTORAL-04:一人は黒い靴……軍靴で……おそらく、見える章から大将だ。
PASTORAL-30:今サフォント帝に遠征の準備を任されているクロトハウセは、サフォント帝の御世になってから登用され上級大将となった一人である。

「お前、エバカインが無事帝星に到着した際、着衣がちぐはぐであったなあ。靴は大将、制服は上級大将でマントは中将と。顔を上げた時のエバカインの驚きようといったら」
 笑いを込めたサフォント帝の言葉に、クロトハウセが首をすくめる。
 ただ、驚いたのはクロトハウセの格好ではなくサフォント帝の登場なのだが……
「そ、それは……その……思わず自分で着てしまいまして……」
 縮こまった弟にサフォント帝は追い討ちをかける。
「そうそう、あれはエバカインと初めての対面の日だったな。お前はゆで卵を」
 サフォント帝の語尾を消すようにクロトハウセが大声を上げる。
「兄上! それは! もう……その、き、緊張していたのです」

緊張するは我にあり
PASTORAL-47 それは軍人とかいう問題ではない

「あれはエバカインも驚いたであろう。お前のあれ程の緊張を見たのは、余も初めてであった」
「思い出すだけで恥ずかしくて」
 クロトハウセは耳まで真赤にして頭を下げる。その姿に先ほどまで流血沙汰の喧嘩をしていた男の姿はどこにも見当たらない。
 当時、兵士を使役する為に『通常の生活』がいかなる物かを習っていたクロトハウセ。その学習の一環が「自分で包装紙をはずして食事をする」というものだった。
 ゆで卵の殻もその一つで、クロトハウセは十四歳の時に初めて『ゆで卵の殻をむいて食べる』という事を知った(スプーンで中身をすくって食べるものだとしか習っていなかったので)その訓練の延長でエバカインを前にした時もゆで卵を注文したのだが、
「あ、ああに、兄上が目の前で、スプーンで食べているお姿を拝見したら、覚えていた事が全て吹き飛んでしまって……まっ、全く!」
 彼は殻を剥くことを忘れて食べ続けたのだ。普通は食べられないような気もするのだが、彼は食べてしまった、12個も。
「幸いなのは、あの時カルミラーゼンは己の失態で他に気が回らなかった事と、ルライデはエバカインに気を取られ、お前の失態など目に入っていなかった事であろうな」
 普通は気付きそうな行動なのだが、あの二人はこの事に全く気付いていないらしい。
「不運ですよ。あの二人に気付かれても良かったのに、よりによって総帥とロガ兄に……やはり覚えておいででしょうか?」
 常人にそれを忘れろというのも無理難題。当然、エバカインは覚えている。
 だが、クロトハウセがゆで卵の殻を剥いて普通に食べたとしても、エバカインの衝撃はなんら和らげられなかったに違いない。クロトハウセ、甘い物が好きなので本来ならばゆで卵に、蜂蜜とシナモンと砂糖をつけて食べるのだ。
 緊張して殻ごと食べエバカインを驚かせたが、殻を剥いた所でエバカインが驚かなくて良かった……という事にはならなかった。
 因みに「シナモンシュガー」ではなく「シナモンと砂糖」である。砂糖を思う存分かけるのが、クロトハウセの身上だ。
「本人に聞いてみねばな。何にせよ、お前はまだエバカインが傍におると緊張が先に出る。もう少し慣れてから共にな。余もあれが傍にいると、気になって仕方ないのでゼンガルセンの配下に送ることを決めた。あの男の配下であれば、皇族であるエバカインは戦わせてはもらえまい。あの一族の生き様を盾に初陣を収めさせてやろうと思っておる」
 エバカイン本人は、余りに情けないのでゼンガルセン配下に送られたと思っているが、実際は皇室と反目しあっている『戦争の一族』の配下において、安全圏に配備したまま初の戦争を終わらせてやる予定であった。
「ロガ兄は二十二歳でしたか。残り三年でしたね」
 皇族や上級貴族は二十五歳までに戦争に出なければ、一生戦争に出る機会を失う。それは二十五歳で戦死した三代皇帝ダーク=ダーマに敬意を表してのこと。
 その決りを守らなければ、軍の階級を得る事はできない。
 戦争嫌いには良さそうに見えるが、四大公爵の当主は国軍の総司令をも兼ねる。その公爵であっても二十五歳までに初陣を果たしていなければ、絶対に指揮権を得る事はできない。皇帝ですらその決りを遵守しなくてはならない程だ。
 その決りに則らず、別の親族に軍の全権を与えて即座に殺された当主・そして皇帝が存在する為、否が応でも二十五歳迄に宇宙戦に出征しなければならない。
 普通はそれ程困難な事ではないが、八代前のシュスタークは二十五歳の誕生日の三日前に無理矢理指揮を執らされたという、かなりの綱渡り状態も存在する。彼の場合、彼以外後継者が一人も居なかったのでそうなったのだが。
 軍警察に配備されたエバカインも当然『初陣』は経験していない。エバカイン本人はそれ程重要視しておらず、尚且つ一生艦隊の指揮などしないで良いだろうと楽観視していたのだが、
「エバカインが二十四になった時に、ケシュマリスタ国軍の総指揮官にして出征させようと調整をしておったのだがな。アイリーネゼンの後釜に添えようと考えておったが、そうもいかなかったな」
 アイリーネゼンはカウタマロリオオレトの妃で、軍事に疎い夫に代わりケシュマリスタ国軍を統括していた。その王妃、三年程前に戦死しており、現在はサフォント帝がケシュマリスタ国軍を預かっている状態。
 皇帝が王国軍を預かる状態は良い状態ではないのだが、カウタマロリオオレトが国軍を指揮するのは問題が多過ぎるため、誰もが見て見ぬふりをしている。
 クロトハウセ以外の弟を次のケシュマリスタ王にする算段を持つサフォント帝は、軍人ではない弟のどちらか”カルミラーゼン”もしくは”ルライデ”が王に即位した後、エバカインに軍事補佐をさせる予定であった。
 その下準備として先にエバカインを皇籍から外し、ケシュマリスタ領に送っていたのだ。エバカインが結婚していた二年間、皇帝の命を受けたサベルス男爵は、ケシュマリスタ王国軍高級将校との調整を行っていた。もちろん”現王が退位した後の話”を公然と話す訳にはいかない為、秘密裏に。
 本来はエバカインの義理の妹が皇帝の正妃の一人となり、正妃の義理兄という立場を手にして、新たな『軍人ではないケシュマリスタ新王』の委任を受け、王国軍の最高位に収まり「二十四歳でケシュマリスタ国軍総帥」として戦場に現れる予定であった。
「ロガ兄の華々しい初陣を観ることが叶わず、残念でございます」
 本来皇子となれば、初陣であっても艦隊を率いて指揮するのだが、今回の会戦はエバカインが帰ってきた時点で配置は決まっていた事と、サフォント帝が連れて行くと決めた為、従卒という立場におかれた。
「それは仕方あるまい。エバカインについては会戦後にもう少し話そうではないか。クロトハウセ、今回のお前の使命は……」
 予定が狂って、本人はかなり幸せだったと……皇君になったので、そう変わらないのかもしれないが。

そして何にせよ、殻付きゆで卵を食べている事に気付かない状態に陥る相手と、共にしておくわけには行きません。名君でなくとも、違う所に配置すると思います。


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