PASTORAL −194
「……あ、そういう事か!」
 ただ今、勉強中。
 何を学んでいるかと言うと『宮殿儀礼の基本』
 アダルクレウスが作ってくれた教本で、基礎から丹念に。いや、結構解らないことがあるんだよねえ。やっぱり難しい、宮殿儀礼は。
 皇太子殿下の下に通って、俺がお教えいただいているような状態。皇太子殿下はお優しくて『お話できるだけでとても楽しいですわ』と言ってくださるのだが、都合悪いってか、俺が皇太子殿下の教育係な筈なのに……そうは言っても、俺に教えられる事なんて何もない。 ? 何故俺は皇太子殿下の教育係に任命されたのだろう?
 その皇太子殿下のことだが、お兄様にお伝えするかどうか悩んでいることがある。
 『エヴェドリット王妃と何を話された?』
 ゼンガルセン王子……じゃなくてゼンガルセン[王]に二日に一度は王妃、要するに母さんに連絡を入れて最低三十分話をするように命じられているんだよね。
 義理の父になってしまったゼンガルセン王の命令だし、母さんと話をするのはいやじゃないので、小まめに連絡を取って話をしてるんだが……どうも皇太子殿下、エヴェドリット王領にいる貴公子が気になるらしい。
 デファイノス伯爵ザデュイアル殿下。
 シャタイアス閣下と皇妃様の間のご子息。この方の事を気にしていらっしゃる。
 ザデュイアル殿下は何でも母さんに懐いてくれている上に、まだエヴェドリット王宮に慣れない母さんの為に心を砕いてくれているんだそうだ。凄いよね、だってザデュイアル殿下自身、エヴェドリット王宮に初めて入ったのは母さんと同じ日なのに、そこまでしてくださるとは。
 息子として本当に感謝しておりますザデュイアル殿下。
 その関係で割りと話題に上がるんだ。その事を皇太子殿下に語ったら、そこから……まあ……こう言ったら失礼だが、女の子が好きな男の子のことを躊躇いがちに聞いてくるのって可愛いよなあ。そして母さんに探りを入れてもらったところ、向こうもかなり気にしているらしい。
 子供の相思相愛だけど、出来れば会わせて差し上げたいし、なにより皇太子殿下はケシュマリスタとエヴェドリットから夫を迎えなければならない立場なので、エヴェドリット側はザデュイアル殿下を送り込んでくれないかな……そう思うんだが、ザデュイアル殿下は皇太子殿下の正式な夫になるには若干身分が低いとか。
 それをアダルクレウスに言われた時、俺は愕然とした。 “あのランクで低いのか!” って。でも、出来る事ならとなら叶えてさしあげたいと思うし、それらを後押しできる近くにいる大人は……俺なんだろう。
 皇太子殿下のお気持ちを確かめてザデュイアル殿下に傾いていらっしゃるのならば、夫として迎えたいと思っていらっしゃるのならば、俺が出来る限りのことをしたいと思う。
 頑張ってお兄様とゼンガルセン王を説得……説得できるのか? いや! 弱気になっちゃ駄目だ!
 そんな訳で明日、皇太子殿下のお心を確かめて、その後のするべき事を頭に叩き込んでいる。陛下に皇太子殿下の結婚相手を意見する際の正式な方法とかあるんだよ。
「陛下がお見えです」
「お兄様!」
 お兄様がいらっしゃった。
「良い、そのままで」
「いえいえ! 是非とも休憩させてください!」
「そうか。では、休憩するが良い」
 折角お兄様がいらしてくださったのでと、休憩を取る事に。
 さりげない会話で、皇太子殿下の結婚相手についてどのように考えていらっしゃるかをお尋ねしよう! そう考えていたのだが、バタバタと足音がして、ある方が飛び込んでいらっしゃった。
「初めまして、エバちゃん! 僕はカウタマロリオオレトだよ!」
 先月退位なされたカウタマロリオオレト殿下。
 現在はケネス大君主としてクロトハウセと一緒に住んでいらっしゃられるのだが……
「は、初めまして殿下」
 一ヶ月、毎日 “はじめまして” なんです。でも、俺の名前、略称ながら覚えてくださったのは嬉しいが。
 大君主殿下がこのようになられた理由、退位前日にお兄様から聞かされた……かなり辛かったけど全部聞き終えたよ。
 聞かされて一週間くらいは、何を食べても砂を噛んでいるような日々だったが、大君主殿下が心配してくださるので……俺が落ち込んだ所でどうにもならない。殿下に “また” がないようにクロトハウセが忙しい時は出来る限り俺とアダルクレウスの視界に入る場所にいてもらうことにした。
 こんな俺だが信頼してくださっているようで、警戒心もなく笑いながら一緒にいてくださる。俺に過去はどうする事もできないけれど、続く未来だけは出来る限り守って差し上げたい。本来なら母さんを守るべきなのだろうけれど、母さんはデバラン侯爵の権力の中にはいないから、宮殿でレオロ関係の敵を作ってしまった俺には守れない。
 殿下はデバラン侯爵のお気に入りだから……お気に入りだから、クロトロリアは……殿下を。
 母さんの事は遊び、でも殿下は自分を押さえつけている宮殿の真の権力者に対する、そして自分を軽視する殿下の父君に対する “あてつけ”
 殿下は何一つ悪い事をしていらっしゃらないのにな。
 一緒のテーブルに座り、野菜ジュースを飲みながら微笑む殿下は……
「エバちゃん。あのね……ムームーはずっとエバちゃんのことが好きだったんだよ。ずっとずっと、そうだね子供の頃、僕と二人でエバちゃん観察絵日記ってのを描いててね」
「は、はい?」
 突然 “変” なことを?
 何? 何ですか? その絵日記って。お兄様と殿下で俺の絵日記? それも観察って! なんですか?
「カウタァァァ!」
 ああ、遠くからクロトハウセの声がする。
「ムームーはずっとエバちゃんの事を見てたんだ。いつでも覗いてたよ、だからこれからも覗かせてあげてね!」
 その罪を浄化するような笑顔で微笑まれる殿下。だ、だが! ここで流されちゃ駄目だ!
「え? えええ? あ、あのお兄様?」
 お兄様に問いただすと、
「ふむ、覚えておったかカウタめ」
 否定なさらないし! 焦ったりもなさらない!
「あの? お兄様?」
 その堂々たる態度、そしてお声で、

「それは萌えであり、全ては萌えに帰す。故に萌える事となり、萌える帝国と化す。全てこれ萌えであり、萌えゆえに罪は昇華される」

 何言ってらっしゃるのか、解りません!!

「お兄様! お兄様! “萌え” って何ですか!! “萌え” てさえいれば全て許されるのですか! お兄様ぁぁぁ!」
 萌えてると俺の観察記録を? 絵日記って?
「そなた以外の者は殆ど知っておる」
「え?」
「落ち着け、これからゆっくりと話そうではないか」
 立ち上がったお兄様は俺の腰をがっちりと抱いて、
「あ、あの」
 相変わらずの深い深いキスを!
 迂闊に口を半開きにしていた俺も悪いんだけど、お兄様! 殿下の前です! で、殿下の……っても殿下にお兄様との行為を見られたわけで……き、キスくらいは、
「ムームーはむっつりだから、むっちり話すといいよ」
 全くたじろがれないぃ!
「んーーー!」
 そして口も封じられているからお話も出来ない! 殿下! 殿下! お願いです! ここで突っ込みを入れてぇ!
 お兄様! お兄様! その卓抜した舌使いを! いや、他の人は知らないけれど! 多分卓抜しているに違いない舌使い! それをこんな昼間から! 気持ち良過ぎます!
「カウタ! お前は喋るなあ!」
 クロトハウセが到着して、殿下の口の周りについている野菜ジュースを優しく拭いながら “お邪魔をするのではない! このカウタめ! 阿呆め! この大バカ者め! ほら! 早く拭わぬと、かぶれるぞ! お前の肌は、繊細なんだからな! ” と……言葉自体支離滅裂で、やってることも相変わらずちぐはぐというか……何と言うか。
「確かに余はむっつりであろう。そしてクロトハウセはツンデレであろう」
 俺から口を離し、お兄様はそのように宣言された。
「む、むっつり……むっちり? つんでれ?」
 口を手の甲で拭い、肩で息をしながら俺は “秘密の古代語” らしい単語をつぶやいた。
「総帥! 兄上! お楽しみの所、このバカカウタが邪魔して申し訳御座いませんでした! さあ! 私達のことなど気にせずに続けてください!」
 いや! 気になるから! 絶対気になるから! ニコニコ笑いながら俺を見ているカウタマロリオオレト殿下の穢れない微笑に……流されちゃダメだ!!!
「クロトハウセもああ言っておる。では続けるか」
 お兄様! おーにーいーさーまぁー! 駄目だ! エバカイン! ここで流されたら駄目だ! ちゃんと嫌な事は嫌と言うんだ! で、でも周囲に人がいるし角が立ったり問題になったりしたら困るから! だからあまり知られていない言葉で[止めてください]と言うのだ! さあ! 叫ぶんだエバカイン!


「らめぇ、みるくがれちゃうのぉ!」


 クロトハウセがテーブルに頭突きし、それがバックリと四つに割れた後、周囲に沈黙が流れる。……あれ? [らめぇ、みるくがれちゃうのぉ]って[止めてください]だよね……え……何?
「総帥! (射精しかかっている兄上との濡れ場に居まして誠に) お邪魔いたしました! さあ! 帰るぞ、カウタ! お邪魔だ! お邪魔! それではロガ兄上! 思う存分放ってくださいませ!!」
 カウタマロリオオレト殿下を姫抱きして、クロトハウセはそう言って駆けて行った。
「エバちゃん〜バナナみるくぅぅ」
 遠ざかるカウタマロリオオレト殿下の声。
「あの、お兄様? ”らめぇ、みるくがれちゃうのぉ” とは[止めてください]という意味ではないのですか?」
 放つって……何? バナナみるく? トロピカルジューシーバナナ……
「お兄様! もしかして! 笑ってらっしゃらないで! もっ! ええ!」
 お兄様、よほど面白いのか壊れたマホガニーのテーブルを握り壊しながら笑っていらっしゃる。
 ええ、その……
「では、本当の意味を教えようではないか」
 知るのは危険のような気がするが! これからは何でも知ろうと決意したんだ!
「お願いいたします! お兄様!」


世の中には、知らなくていいことが存在する
そのことを身を持って知った初夏の昼下がりのエバカインであった



− 了 −



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