PASTORAL −110
 サフォント帝が帝星・ヴィーナシアに到着した時、周囲はゼンガルセンの率いてきた艦隊で埋め尽くされていた。
「待たせたようだな、ゼンガルセンよ」
『はい、待ちました。陛下の弟君が我が姉に毒を盛られたそうで。命に別状はなかったようですが、まことに申し訳なく思っております。申し訳なく思っておりますので、エリザベラを処刑してくださいませんか』
「ゼンガルセン。もしも余がエリザベラを妃としていたら、主はどのような手を打った? 主の性格上、余を攻め滅ぼす事とエリザベラを殺す事を同時に行うとは思えぬ。どのような策を持っていたか教えてはくれぬか」
『教える気はありません。貴方にそんな事を語る気にはなれませんよ』
「そうか」
『それと、我が目の前に居る方は注意なさった方が良いですよ』
「その忠告、ありがたく受け取っておこうではないか」
 サフォント帝は宮殿に降りると、皇太子ザーデリアにゼンガルセンの旗艦に向かい人質になるよう命じた。
 皇太子はその言葉に一礼すると、そのまま単身でゼンガルセンの元へと向かい、宮殿に降りるよう告げた。人質を得たゼンガルセンはシャタイアスなど主だった配下を連れ、旗艦から降りてきたが、
「皇太子の警護はナディラナーアリアに任せましたので、ご安心を」
 変な動きを見せよう物ならば、即座に皇太子を殺せる配置は整えてきた。
 ゼンガルセンはまだ信用していない。姉であるエリザベラが確実に死ぬまで、皇太子の命を握るつもりでいた。ただ、無用に殺す気はなかった。
 それは優しさではなく、皇太子の身の安全をちらつかせた所でサフォント帝が言いなりになったり、考えを変えたりする相手ではない事を理解しているからだ。
「それは、奪回も難しいという事であろうが」
 ゼンガルセンが『殺す』と言えば、サフォントは『殺すが良い』と淡々と答える事くらいは誰にでも想像が付く。
 皇太子を人質として差し出した事実が必要なのであって、それ以上もそれ以下もない。ただ “次期皇帝を次期公爵に預けた” その彼等の持つ記号の重みだけのこと。そこに血が一切通っていない事は、誰が観ても明らかだ。
 そしてなにより、ゼンガルセンがその『記号』を殺すのは、自らがその『記号』を奪える時である事を誰もが知っている。皇太子を殺害してもゼンガルセンは皇太子になることは出来ない。だから彼は殺さない、だから彼女は殺されない。よって皇太子は人質となりえるのだ。
「そうも言いますね。無駄な事はなさらない事、お勧めいたしますよ陛下」
 ゼンガルセンと別れた後、サフォント帝はカルミラーゼン大公よりクロトハウセの容態を先ず聞いた。
 致死量の二歩手前ではあるが、体が動かなくなる程の量を盛られた “筈” なのだが、
「ほお、エリザベラの首を締め上げたとな」
 彼は動いた。
「あの毒は動けば回りが酷くなるので、出来れば動かないでいて欲しかったのですが……知っていても本人の身体が動いてしまったのですから、仕方ないでしょう」
 エリザベラは極限になって、カウタマロリオオレトに表現できない感情が噴出したのだ。それは嫉妬などというものではない、もっと別のもの。
 自分が盛った毒ではないが、目の前で倒れた “夫” に縋る男。血を大量に吐き出しながら、夫は縋ってきた男の背に手を回し心配するなと言う風に微笑んだ。それを観た時、エリザベラの内側に自分でどうにも出来ない感情が渦巻き、カウタマロリオオレトを殺そうという感情が瞬時に臨界点に到達し、その激情に引き摺られるように行動した。
 近場にあった花瓶を持ち上げ、夫に縋る男の頭を目掛けて振り下ろす。
 男に夫を取られた妻。その女であり妻である彼女の感情は、サフォント帝にもカルミラーゼンにも理解できるものではない。
「カウタマロリオオレトを抱き込むようにして庇い、その後立ち上がって首を絞めました。毒が回っていた “おかげ” でエリザベラの首はねじ切られる事はありませんでしたが、治療にあたった医師達は驚きを隠せませんでしたね。体内の毒の量から考えても動けるとは思えない、さすがクロトハウセ大公だと」
「ねじ切られておれば処刑の恐怖を味合わなくて済んだであろうが。して、その凄惨な現場に居合わせてしまったケシュマリスタ王はどうしておる」
 訳の解らないまま重要な場所に配置されたケシュマリスタ王。
 彼が受けた衝撃はかなりのものであったが、記憶は残っており証言をした。それは「エリザベラがワインの栓を空けて注ぐまでを一人でした」という発言。
 カウタマロリオオレトはその性質から、決して嘘を付くことができない。まして、口裏を合わせる事など出来るはずも無い、その事はどの王も承知している。
 結果としてこの証言で、エリザベラは夫である親王大公の毒殺未遂により処刑が決定した。
「処刑の準備は整っております」
「これでクリミトリアルト、デルドライダハネ、ロヴィニア王やテルロバールノル王の溜飲も下がるであろう」
「御意」
「それにしても、同性愛者ながら女の嫉妬心を沸きあがらせるとは、クロトハウセを褒めてやってよいものか。それともエリザベラが男に惚れやすいのか、やはりカウタマロリオオレトが危険であるのか、余としても判断が付きかねるな」
「クロトハウセを褒めてやってくださいませ。努力して女を抱いたのですから」
「それ程苦労しておったか」
「いいえ。金髪を眺め、握り締めながら別のことを考えて苦もなく抱いておりました」

 サフォント帝はその性格からいって、正妃になる予定だった女が男を通わせていた所で婚約を潰すような男ではない。
 自身が公式の愛人、それも国王の妻を愛人として持っていながら、妃候補には情を交わすなと言うほど横柄でもない。
 その皇帝が何故婚約を潰したのか?
 サフォント帝はエリザベラを妃にしたいとは考えていなかった。
 彼女を妻に迎えれば、エヴェドリット王位継承問題の関係上、ゼンガルセンと正面から衝突する事は避けられない。それを回避するには、彼女を妻にしないことが最良であった。だが帝国は長子相続の傾向が強い。
 そのせいか、年齢が上の者から順に『片付ける』慣習がある。
 その為、姉であるエリザベラではなく妹のロザリウラを正妃に迎えようものなら、エリザベラはこの上ない『屈辱』を与えられた事になる。
 王女に与えられた屈辱、ひいてはそれは王への侮蔑となる。明敏ではないが、人一倍プライドだけは高いタナサイドが皇帝に不満を持つのは想像するまでもない事。
 一度タナサイド王に火が付けば、それを好機と第二王子・ゼンガルセンが王を焚きつけ、自ら先頭をきって内乱を始める可能性が高い。
 出来る限り帝国軍を内乱に使いたくないサフォント帝は、それらのことを考え彼女を正妃にする事を拒否はしなかった。
 だが彼女を正妃として迎えれば、それがまた内乱の火種になる事も理解していた。
 彼女が生きていれば “王” になれない男がいる。弟のゼンガルセン。
 彼女は皇帝の正妃となれば国王にはなれないのだが、彼女と皇帝との間に子ができればその子は叔父であるゼンガルセンよりも、エヴェドリット王継承権が上である。
 帝国には既に皇帝の第一子にして冊立された皇太子・ザーデリアが存在する。
 姉であるエリザベラと皇帝の子が、次の皇帝になる事は先ずない。
 ゼンガルセンにとって、姉と皇帝の子が皇太子に冊立されるならば、彼が王位を継承する事もできるが、それを実現させるには、姉と皇帝の間に生まれた子よりも前に生まれた皇帝の実子を全て殺害しなくてはならない。
 それは現実的に無理だった。
 そしてサフォント帝はエリザベラを妃にしてしまえば、その身を守ってやる必要がある。軍閥に武力で圧力をかけられ妃を簡単に引き渡すような皇帝では、他の王達までもが従わなくなってしまう。
 だが出来れば軍事国家エヴェドリット相手の “内乱” は避けたい。自らの軍事力は全て対異星人戦に投入したいサフォント帝にとって、内乱で軍事力が疲弊するのだけは避けたかった。
 そして姉が皇帝の正妃になってしまえば、殺害するのが困難になる事は解っているゼンガルセン。

 その中でのエリザベラの不義、それもただの相手ではない、実の兄。

 もしもエリザベラの弟がゼンガルセンでなければ、サフォント帝は事実を無視して彼女を正妃にした。実兄と肉体関係があろうがサフォント帝にとっては問題ではなかった。
 だが敢えてサフォント帝はゼンガルセンの策に乗り、エリザベラとの婚約を潰す。
 実子であり十歳に満たない皇太子を、最も危険な男の元に人質として遣わせる皇帝にとって、内乱の火種である王女など切り捨てるのは容易い。
 エリザベラが生き延びる道はクロトハウセが言った通り、ゼンガルセンと信頼関係を築き、国王の座について即日退位し弟に位を譲る事だった。その為の皇帝との一時的な離婚ならば、過去に幾らでも例はある。
 王族に生まれていれば一度は教えられる事例なのだが、彼女は思いつかなかった、兄であるアウセミアセンも。
 尤も、アウセミアセンはその性質からリスカートーフォンを名乗る資格なしとして、新王となった弟に処刑されたであろうが。
 もう一つ彼女が生き延びる道はあった。皇帝の手によって継承権を剥奪されること。だがこれ重大な問題がある。
 皇位継承権・王位継承権は譲渡はなく、即位以外での破棄もない。
 そして剥奪は皇帝がその権限を持って行えるが、その場合全ての継承権を剥奪する事となる。
 全ての継承権を剥奪されれば、その者の子はいかなる継承権を持たない。
 仮に父親がサフォント帝であり、母親が王位継承権を剥奪されたエリザベラだとしたら、その子はどうなるか? その子は皇位継承権を持たない子となる。片親が “皇帝によって継承権を剥奪された” 即ち、玉座に相応しくないとされた人間の子となり、皇族であっても皇位継承権のない子となる。
 元々何も持っていない者の子は正式な手順を踏めば継承権を得られるが、元来継承権を持っていながら剥奪された者の子はどうやっても継承権を得る事はできない。
 この方法で彼女の身を守ってやればサフォント帝にとって庶子が増えるだけであり、エリザベラの実家側からしても意味のない結婚となる。
 皇族・王族にとって身の安全と存在意義は同一線上にはない。
 これはクロトハウセと結婚しても同じ事。クロトハウセは現時点で皇位継承権第三位、彼の元に継承権が剥奪された妃が来て、間違って子が出来てしまえば厄介な事となる。
 王に相応しくないと誰もが思っているカウタマロリオオレトですら、その権利を剥奪はされることはなかった。
 それほど継承権の剥奪に絡む問題は複雑で、即位による破棄、退位による破棄の工程を経るのが一般的だった。
 余談だが、即位の為一時的に皇帝と離婚し、即位して退位し破棄を経て皇帝と再婚して子を成した場合は、その皇位継承権は継承される。もちろん、離婚前に出来た子の権利は失われる事はない。離婚中に別の人間との間に子を作らなければ、ではあるが。

 彼女は自分自身でその身を守ることを考えるべきであった。彼女は望めばそれ相応の戦力を容易に手に入れる事ができる立場にあり、策を授けてくれるだろう皇帝に意見を求める事も可能な立場にあった。誰かが自分を守ってくれると勝手に思い込んだことが身の破滅。
 彼女にとって背後に存在していた破滅は、通り過ぎた幸運の女神の両脚を後から斬り、倒れた彼女の腹を剣で大地に縫い付けて、彼女の前髪を鷲掴み従わせるような男。
 それ程に解りやすい破滅が背後にいながら、気付かなかった彼女には王としての資格はない。
 冷白の間において、床に仰向けに置かれた彼女の両手両足は既にない。
 笑いながら一番に彼女の腕を切った弟に、続いて何の感情も見せずに脚を切ったテルロバールノル王、その後に反対側を切ったロヴィニア王。最後に腕を切り落とすケシュマリスタ王は、手が震え全く斬り進まなかった。あてて引くだけで切れる処刑具なのだが、震えている彼の手は進まなかった。
「カルミラーゼン」
 サフォント帝の声に「次期」ケシュマリスタ王と噂されているカルミラーゼン大公が進み出て、「現」ケシュマリスタ王が柄を握っている手を上から握り軽く引いた。
 狂気と絶望の境で彼女は最後の相手を見上げ、口元を動かす。
 その口の動きは自らの助命を請うもの。それを “読み” ながら皇帝は、妻になるはずであった王女に告げる。
「エリザベラ=ラベラよ。主の罪はクロトハウセに毒を盛った事でも、余を裏切った事でもない。主の罪はただ一つ、主がリスカートーフォンではなかった事。反逆の王家に生まれた者が皇帝 “如き” を恐れた、それだけで主に存在価値はない。解ったか」
「ぎぃややややあぁぁぁ!」

 転がった彼女の首、それを挟んで視線を交わす無表情のサフォント帝と、笑っているゼンガルセン。

 彼女の処刑の三日後に、ゼンガルセンの叙爵式が行われた。式の最後にゼンガルセンが玉座に座るサフォント帝の靴の甲に口付ける。
 絶対恭順の証だが、それが全く証になっていない事は誰の目にも明らか。
 事実クロトハウセは、あの男は恭順などせぬのだから帯剣したまま近付けるその儀礼を排除した方がよいとサフォント帝に申し出たほど。だがサフォント帝は首を振り、儀礼はそのまま執り行われた。
 サフォント帝の靴に口付けるゼンガルセンに、
「ゼンガルセンよ」
 声をかけた。
「何でございましょう、陛下」
「主は皇位を狙うか」
「狙います」
「主が魅せられたのは皇位の力か、それとも頂点に立つことへの欲求か」
「宇宙はこのゼンガルセンが統治する価値がある。故に支配したいのです」
「ほぉ。余は統治する為に生まれてきた故に、主の気持ちは解らぬが、それ程までにこの宇宙には価値があるか。ゼンガルセン=ゼガルセアにそう言わせる程に」
「陛下。貴方は全てを持っておられるが、一つだけ持っておられないものがあります。このゼンガルセンが持っていながら貴方が持っていないもの、それは貴方です。貴方の統治するこの宇宙、このゼンガルセンにとってどれ程魅力的に見えるか、貴方には一生理解できぬ事でしょう。貴方の支配する宇宙を奪う、それを考えただけでこのゼンガルセン、生まれてきた事に喜びを、そして意味を感じられるのですよ」
 不敵な男は突如立ち上がり、皇帝を指差した。指差された皇帝は、傍まで来た警護を手で制し、
「ならば主も解るまい。余の支配する宇宙にゼンガルセン=ゼガルセアという反逆王が存在する宇宙。くるが良い、ゼンガルセン。このサフォントを討てるのならば討つがよい」
 座ったまま彼を見上げ答えたあと、大声で笑った。

 その不敵な男・ゼンガルセン=ゼガルセアは二十三歳で王となり、五十四歳でゼンガルセン=シェバイアスとなり戦死する。


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