PASTORAL −86 「間劇:タースルリ 神の残映」
 俺と三つしか違わない彼女は、金はあっても本当に一人で皇子を育てていた。
「                         」
「                         」
 子供だけの親ってのは、駄目だって言うが……あの親子は別物だろう。

 銀河帝国皇帝の異母弟。弟と遊んでいたあの子供からは、微塵もそんな感じはしなかった。でも、成長したあの子は、皇帝の一族の風格をたたえていた。
 弟と遊んでいた琥珀色の瞳をした少年。上級貴族や皇族は左右の目の色が違うという思い込みがあった。いや、思い込みじゃないだろうな。あの子以外は全員、左右の目の色が違うはずだ。
 だから弟と一緒に遊んでいた顔の綺麗な男の子が、皇帝の私生児だとは考えもしなかった。
 仕事について数年後、渡された警備の書類。
 皇子の名『エバカイン・クーデルハイネ・ロガ』
 何処にでもある名前ではないが、よく聞き慣れた名前。最後の『ロガ』以外は、聞き覚えのある名前。そして、特徴は「両眼同色:琥珀」
 まさかと思って、警備に向った。
 だが、彼女から聞いた言葉が蘇り、もしかしたら……そう考えた。
 彼女は言った「私がいないほうが、幸せなのかもね」
 その意味は……
 先帝が死ぬまで皇帝の子と認められなかった“彼”は現帝が即位後、即座に皇子とされた。
 皇帝の真意はわからないし、俺達如きがあれこれ言う問題じゃないが……嫡子が足りなかったっていう噂もあった。
 女皇帝の代よりも、男皇帝の代の方が普通子供は多い。
 男皇帝の場合、子を産む立場に人間が多く存在するため。だが先帝は皇后の嫉妬が恐ろしく、他の正妃には子を生ませる事ができなかった。
 全体的に数が足りない。
 皇族は基本的に四大公爵の夫なり妻になる。それに送り込む為に、皇太子以外に最低でも四人は必要だ、それも男女が。だが今の皇帝には弟が三人だけ。
 どこかに駒として婿に出すにしても、数が絶対的に足りない。……だから、迎えられたと。
 十五歳までは本当の公立学校で一般の子として過ごし、そこを卒業すると同時に皇子の学習する場所である周辺衛星へと向かう事が決まったのだと。
 それが決まったのは、卒業の三ヶ月前だったとか。
 皇子は卒業式に来ていた宮中伯妃にその場で別れを告げ、友人にも別れを告げ、準備されていた車に乗り込む。
 俺達は、車が発車する前から、見えなくなるまで敬礼して見送った。
 宮中伯妃はその車が見えなくなってしまっても、車が走り去っていった方向を眺めていた。ただ本当に黙ったまま、それを眺めていた。
 車が向かった先、宮殿を。白亜の大宮殿は「宮中伯妃の息子」を「先代皇帝の息子」として受け入れ、彼女はその場に残される。
 彼女はとても美しくなっていた。十七で『皇子』を生んだ彼女は三十二歳。人生をやり直すには、十分な時間と資金がある。
 やり直すというのは語弊があるかもしれないが、望まない……皇帝の子を望まないとはいえないだろうが、多分好んで皇帝に身を差し出したのではない彼女が、新たな人生を歩んだとしても誰もとがめないのではないか?
 署に戻ろうとした俺の姿を確認した彼女は、
『久しぶりね、ラウデ。元気で何より』
「お久しぶり……と申し上げてよろしいのでございましょうか? 宮中伯妃殿」
『もちろんよ。ヤスヴェは元気?』
「はい」
 声をかけてきた。遅れて戻って始末書を書かされても……とその場に残る。残れと言われたわけでもなければ、彼女が俺の方を見ていたわけでもない。
 卒業生が皆その場から去り、父兄も共に去り、教職員が学校に戻った。その間も彼女はずっと宮殿を見つめ続けていた。
 彼女が口を開いた切欠はわからない。ただ、言いたかっただけなのかもしれない。
『あの子がサフォント陛下の所に行くのは解っていたけど……あ〜あ……今日から私、一人かぁ……。なるって知っていても、いざそうなると寂しいものね』
 ため息交じりにそう言われた。
 何時も息子と一緒にいたあの方は、こうなるのを解っていらしたんだろう。
 皇子は皇籍に移され、彼女は一般貴族籍のまま。こうして皇子になった息子と、妾妃のままの宮中伯妃は戸籍すら別々になる。
 結局、宮中伯妃は“独身”となり、子の一人もいない戸籍となられた。書面上は赤の他人。宮中伯妃は息子を『手放した』のだ。
 本来、手放すという言葉は使ってはいけないのだろう。皇帝陛下に『お返しする』が正しいに違いないが……それでも”あの子”は彼女の息子だった。
 抗う事のできない力、それが行き着く先。大宮殿・バゼーハイナン。

『本当にあの子は私を不幸にするのが得意よね。不幸なのに、不幸なのに人はうらやましがるのよね……。もう手も届かないのに……息子なのに、息子じゃなくなったのにね』

 自分の手の届かない所にいってしまうというのが、当時の俺には解らなかった。
『叱られないように連絡しておくからね』
「結構です。……お体にお気をつけて」
『あなたもね。今更言うのも変だけど、困った事があったらいらっしゃい。私はエミリファルネ宮中伯妃。宮中伯妃の家がどこかは、調べれば直ぐに解るでしょう』
 貴族の家としては小さいが、一人で住むには大きすぎる家。彼女はそこで、どう過ごしているのか?
 皇子が居なくなった後、何のゴシップも耳に入らなかった。
 多分彼女はその家で、慎ましやかに生活しているのだろう。下手なことをして息子が叱責されないようにする為に。
 彼女にとって“皇帝の私生児を生んだ人生”は、やり直す対象ではないようだった。
 新たな人生も何もかも、彼女には必要ないようだった。
 「エバカイン・クーデルハイネの母」それはもう、何処にもない。この宇宙に宮中伯妃を母に持つ、エバカイン・クーデルハイネなる少年はいない。
 存在するのは『第四十五代銀河帝国皇帝サフォントの異母弟。ガラテア宮中公爵エバカイン・クーデルハイネ・ロガ・サフィス・ベルレーヌ』
 宇宙最高権力者の異母弟であって、貴女の息子ではなくなった。
 孤独ではないだろうか? 最早貴女の子ではないと、全てがそう記されたのに。

それでも貴女は、ずっと待っているのだろう。
誰かでもなく、何かを。
何かではなく、誰かを。
知りたくも無いそれを、俺が知ったのは五年後の事。
 
 皇子より一歳半年上だった俺の弟は、徴兵され帝国防衛戦に向かい、死んだ。
 届いた弟の戦死の報告。声すらでなかった。誰もいない家だから、声も何も出す必要もないが。
 軍から送られてきた通知。

件名:戦死報告及び遺族年金番号

ヤスヴェ・ソルスア・カンバリアート・セフ大尉 戦死
遺族年金番号:00XXX-……
入金日 毎月15日

 それだけだった。少尉で初任務についた弟は、即座に俺を越えていった。戦死につき二階級特別昇進で。
 何か言葉が欲しいとか、そういう事ではなく……その瞬間、俺も何かを待ち始めた。人なのか物なのかわからない何か。
 俺と弟の二人しか住んでいなかった家は、俺だけの家になった。泣けばいいのか、叫べばいいのか、誰を恨めばいいのか、何をしたらいいのか? 解らない俺は、母親が死んだ時のことを思い出したが、全く参考にならい。
 あの時は弟が幼く生きるのに必死で、悲しいなんてのはなかったから。
 その『自分が確りしなきゃ!』と思った相手がいなくなる。そんな事、想像すらしてなかった。
「家は処分してもいいよな……」
 呆けたその言葉が、壁に響いただけ。
 そして弟の戦死報告を受けようが、俺には俺の仕事がある。
 戦死報告を受けた翌日、俺は仕事に向かった。ガラテアの皇子、最後の任務。その補佐を。
「行くぞ」
 敵を何事もないように撃ち殺し、彼は後を任せ軍警察を去っていった。皇子はその仕事を最後に、帝星からも去る。
 彼女は十七歳で、皇后とその一族を敵に回した。その彼女が抱きしめ育てた息子。

俺は貴女が好きだった。一緒に暮らしませんか? そう言った時、貴女は言った。
『あなたと共に暮らすなら、私はあの子を捨てないといけないわ』
貴女は当然、捨てなかった。

「やさしい皇子に育ちましたね」
 弟の戦死を告げた時、泣くとは思いませんでした。もう皇子になってしまって、下級貴族の死など悲しみの対象ではないと思ったのですが。
 泣いている時の顔は……貴女に良く似ています、アレステレーゼ。
『ヤスヴェ死んじゃったのかぁ……』
 昔「ねえねえ、弟が欲しいなあ。エバみたいな弟が。エバと一緒に住もうよ。エバの家大きいんだ! 中庭あるんだよ!」そう言っていた程、貴方の事が好きだった弟なので、泣かれると困ると思います。

 もう泣かないでください、皇子。

**********

 戦死者番号からいってこっちで間違いないはず。あ、数ちかくなってきた、墓碑銘、墓碑銘……あった。
 ヤスヴェ・ソルスア・カンバリアート・セフ……本当に二十一歳で死んでるな……。
 久しぶり、ヤスヴェ。俺、エバカインだよ、覚えてるかな? まさか死んでるとは思わなかった。もっと早くに墓参りに来たかったんだけどさ、色々あって来られなかったんだ。
 ごめんごめん、知ってから二年も放置してて。
 俺もう二十四歳。生きてれば、ヤスヴェはそろそろ二十六歳か。
 色々ってその……俺、兄上のお妃じゃないんだけど配偶者になっちゃった。ははは……それは、その説明すると、ま……いいじゃないか! 想像してた”兄弟関係”とはちょっと……いやかなり違うんだけど、幸せだよ。うん! 幸せ、幸せ!
 ヤスヴェ……色々あってもう俺くらいしか墓参りに来ないと思うんだが、許してくれるかな? ヤスヴェが死んだ前線に行った時、偶に話しかけるよ。
 とはいっても、俺、機動装甲に乗れるから霊体っての? それは見えもしないし、話できないらしいけど。それでも良いかな? ……尋ねても、聞こえないんだったな。
 そうそう、俺の母さん覚えてる? 母さんさあ、俺と同い年の王と結婚したんだ。だから帝星から出て、向こうの本星に住むことになった。
 王妃だよ、王妃! 信じられない……自分の皇君も信じられないんだけどさ……。行っちゃったんだ、母さん。
「少しだけ、寂しいって言ったら笑われるかな。ヤスヴェは小さい頃、お母さん死んじゃったんだもんな。笑われるよな」
 帰る家、なくなっちゃったよ。
 ヤスヴェとも一緒に遊んだ家、それも返還されちゃった。家は欲しいって言えばもらえるんだけど……家だけもらってもな。ずっと母さん、あそこに住んでるものだとばかり思ってたからさ。

また来るね……


novels' index next back home
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.