剣の皇子と偽りの側室【16】

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[自覚症状]

 ある日リザは中庭のテーブルに読みかけの本を置きっぱなしにして部屋へと戻ったことがあった。気付き本を取りに戻ると ―― 今日はブレンダは店に出ているので、侍女はいない ―― そこには椅子に腰をかけ足を組み、熱心に本のページを捲るエドゥアルドの姿があった。
「エドゥアルド皇子」
 ブレンダが厚手の綿で作ってくれたブックカバーに、リザが自ら刺繍をしたもので、エドゥアルドは訪問した際に何度か目にしていたので誰の持ち物かすぐに分かった。
「リザ! 勝手に読んで悪かったな。ブックカバーからリザの持ち物だと分かったのだが、その……済まなかった」
 自分が好きな相手がどんな本を好むのか? ちょっとした好奇心が自制心を僅かに上回り、ついついページを開いてしまった。
「いいえ」
 生成生地にカラフルな小鳥をあしらったブックカバーに包まれていたのは、無難な古典。恋愛一色の物語ではないが、終わりは「ハッピーエンド」と言えるもの。
 おどろおどろしさはなく、うっとうしい人間関係もなく、エドゥアルドのリザ像を壊すようなものではなかった。
 勝手にリザの本を読んだことに照れたエドゥアルドは、リザに本を手渡すと急いで生垣を越えていった。
 焦っていたものの無事に生垣を越えたエドゥアルドを見送り本のページを捲りながら、
「良かったな……」
 呟きを漏らしたのちに、少々首を捻った。
 今の言葉の意味が、呟いたベニート本人ですら分からなかった。
 理由を理解したのは部屋へと戻り、ヨアキムがやってきて、顔を覆う布を外したとき。傷があるにも関わらず他者の追随を許さぬ、傷があっても決して揺るがぬその美貌を見てのこと。
―― リザ・ギジェン像が壊れなかったことに安堵したんだ。でもどうしてだ? 壊れてもいいのに。だってエドゥアルド……

「どうした? リザ」
 側室たちの前では布で覆い隠し傷を露わにしないが、ベニートの前では無用だと外す。他の側室たちの前で隠すのは血の呪いの原石を見せないよう、片目だけ目蓋を閉じ続けているのが面倒なためである。
「あ、いや……いいえ、なんでもありませんヨアキム皇子」
 後宮でヨアキムの傷があろうとも美しい顔を見ているのはあと二人で、妃と彼女付きの侍女カタリナ。これは単に妃が居る部屋とヨアキムの部屋が同じ空間にあるので「一日が終わった」と、私室に戻り着衣を崩すように顔を覆う布を取り払う関係で見るハメになっている。
 妃にとってはまったく興味のないことであるが。
「そうか? なんでもないのならいいが」
 瞳の代わりに血の呪いの原石が埋まっている眼窩を指で押しながら、いつもと少し様子が違うベニートを気遣った。
「ヨアキムは色々なものを背負い込むよね」
「性分だ」
「嫌いじゃないよ」
「うるさい」
「照れなくても」
「お前な」
「実は昼間……」
 ベニートは今日の出来事を教え最後に、
「ヨアキムも本を食卓に置いて出ていったら、お妃さまが目を通してくれて、会話が弾むかもよ」
「妃と会話か」
 妃とあまり上手く会話できないことに悩み、わざわざ下流語まで習っているヨアキムに、提案をする。
「そうそう。あんまりヨアキム像が壊れないような読み物が良いと思うな」
「ヨアキム像……」
「なにその嫌そうな顔。次期皇帝としては、他者に自分がどのように思われているかを理解するのは大切だよ」
「リザ。私が妃にどのように思われていると考える」
「それは……」

 王女が逃げたことに切れ、その場にいた完全被害者を選ぶ横暴。
 それも側室ではなく妃にされた。意見など聞いてもらえなかった。
 離婚前提で連れてきたのに、それは大っぴらにできない。ひたすら迷惑をかけた皇太子ヨアキムが熱愛する女性を演じるハメになる。
 義母に嫌がらせされる。
 故国の姫に嫌がらせされる。
 オルテンシアを含む側室たちに嫉妬される。
 太った。
 女装した従兄と、彼に求愛する異母弟皇子を目の当たりにする。

「……」
 ヨアキムは妃が自分のことをどのように思っているかなど、考えたくもなかった。
「……」
 ベニートは考えたが、このどうしようもなさは言葉にできなかった。
「……」
「側室たちがイメージするヨアキム像にしようね」

―― なぜかヨアキムが哀れな皇子様になってしまった

 ヨアキムは案は悪くないと採用し、下流語で書かれていながら自分が読んでいてもおかしくはなく、妃も興味を持ってくれそうな本をレイラに選ばせて実行してみたものの不発に終わった。
「立場が逆だから無理だった」
 側室の持ち物を皇子が勝手に手に取った、これは許される。
 だが妃が夫である皇子の持ち物を、忘れ物とはいえ勝手に触れるなどない。
「あーそっか」
 ベニートも身分が高いので、そこにある物に勝手に触れることに躊躇いはなく、叱責されることは稀にあるかもしれないが、処罰されるようなことはない。
「妃は下働きが長かったので、主の持ち物には仕事以外では、自分から触れることは決してしないそうだ」
 対する妃は子供の頃から使用人。主の持ち物に不用意に触れることはない。
「お妃さまって、立派な方なんだね。……そりゃそうか。元の雇い主が事情はどうあれ、城に紹介状書くほどだもんね」
「そうだな。仕事を奪ったのは悪いと思っている」
 ヨアキムと妃の会話は今でもかなり途切れ途切れである。

**********

 妃と共通の話題がないと会話が成立しないので ―― 離婚するから共通の話題なんて要らないでしょう ―― 以前、ブレンダに約束した宝石商を招いて宝飾品を贈ることにした。
 宝石商が来ると聞いた際、妃は「?」という顔をした。
 多くの側室たちが言うように【興味などありません】なのかと最初ヨアキムは思ったが、何の事はない。妃は「宝石商」という存在その物を知らなかった。
 興味がないと言えるのは宝石商という存在を知れるくらいに裕福な人間。妃のようなずっと下働きの人間には縁がないことで、彼女の属する世界にもそんな存在はなかった。
 ヨアキムから説明を聞き、妃はしばらく首を傾げていたが、要らないとは言わなかったので宝石商を呼び寄せた。
 妃は欲しいという感覚はなかったようだが、並べられた美しい品々を手に取り、勧められるまま素直に身に付けて楽しんだ。
 選ぶのはさすがに難しかったので、ブレンダや宝石商、そして呼ばれて居たエスメラルダが選んだ宝石類を気負うことなく受け取った。
 エスメラルダ以外に呼ばれた側室はただ一人、リザである。
 一つは選んで持ち帰れと事前に言われていたので、リザはトルマリンの首飾りを選んだ。円状にカットされたトルマリンが幾つもぶら下がる大振りなデザイン。

 ベニートが選んだ理由は、手持ちのドレスに合わせやすいという理由である。

 その首飾りを付けて、またやって来たエドゥアルドと会ってお茶を勧める。
「リザ。その首飾り、とても似合っているぞ」
 中庭で茶を飲みながら、その美しい首 ――エドゥアルド視点では―― を飾っている、見事な逸品を褒める。
「ヨアキム皇子がお妃さまに買い与える席に呼んでいただいたので」
 ヨアキムが宝石商を後宮に呼びつけたことはエドゥアルドも聞いていたが、側室たちにも買い与えたとは思ってもいなかった。
「ヨアキムが選んだのか?」
 恋敵と言えないが恋敵であるヨアキムが選んだのだとしたら、悔しいがヨアキムのセンスを認めよう……と悶々としていたところ、
「いいえ、自分で」
 違うと言われ……だが、気分は先程と変わらず悶々とする。リザには選んでやらなかったのか――と。
「ヨアキムは妃の分を選んだだけか?」
 ヨアキムに言わせれば”なんで私が、ベニートに女物の宝飾品を選んでやらねばならんのだ”なのだが、エドゥアルドが知る由もない。
「あの……お妃さまの分も選んではいませんでした」
「え?」
 リザの答えを聞き、エドゥアルドは思わず”あの男は何をしているのだ? 好きな女性に選んでやらんのか? もしかして、あれは朴念仁なのか?”と言う思いを込め「え?」と批難がましい声を上げた。
「シャルロッタ殿には”遅くなったが結婚祝いに”と選んでいらっしゃいましたが」
「……シャルロッタも災難だな」
 妃を差し置いて幼馴染みに宝飾品を選んでいる ―― 事情を知らない人間が聞いたら、そうも言いたくなる。
 ましてや妃はヨアキムが一目ぼれして連れて帰ってきたとエドゥアルドは聞き、それを信じている。”さぞやシャルロッタは恐縮したであろう”と ―― 事実シャルロッタはかなり気にしていた。彼女もエドゥアルドと同じくヨアキムが妃のことを愛していると勘違いしている一人である。
「お妃さまはお優しい人ですので」
 むしろ選ばなかったことに疑問をいだくこともない。……のだが、それを言えないのがヨアキムでありベニートであり、そして妃であった。
「そうだとしてもなあ。なにを考えているのだ」
 エドゥアルドが注意できるような問題ではないが、妃を蔑ろにしているともとれる行動に ――

「会わせる顔がないから詫びられんが」
 自分の後宮に戻ったエドゥアルドは、クリスチャンに向かって溜息混じりに事情を説明した。
『そうだね』
 会わせる顔がない――は、メアリーに加担したこと。それに関して妃は知り、とくに何も言ってこなかったが、それが余計にエドゥアルドには辛く、まだヨアキムの妃に会う勇気がなかった。
「この機会に謝ってくるべきか……いや、だが」
『落ち着きなよ、エドゥアルド皇子』
「それにしても、ヨアキムがよく分からない。妃の為に呼んだであろうに、なんでシャルロッタのブレスレットだけを選んで……それにリザの分も」

 その頃ヨアキムはというと、話題を作るつもりで宝石商を呼び選ばせた――後でシャルロッタから”お妃さまの分は選ばれないのですか?”と聞かれ、自分の行動を鑑みて、シャルロッタに嫌な思いをさせたことに気付いた。
 誤解を解くには妃とは離婚することを教えなければならないが、結婚を寂しさを感じながらも純粋に喜んでくれたシャルロッタにそんなことは言えず、
「あーその、私がイメージしていた宝飾品がなかった。やはり……妃には既製品ではなく、宝石から吟味したものを贈ろうかと」
「そうでしたか!」
「気をつかわせて悪かったな、シャルロッタ」
「いいえ。ヨアキム皇子のお気に召す逸品が見つかることを祈っております」
「ありがとう、シャルロッタ」

 とりあえずヨアキムは妃に贈るための宝石の原石を捜させることにした。離婚の際に渡す品が一品増えるな――とぼんやり考えながら。


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