悪意の肖像
 その夜集まった紳士淑女は、雨音にも満足していた。
 今いる家は幽霊屋敷と呼ばれている家。そのような話が好きなお金のある者達が、屋敷を借りて交霊術を試みようとしていた。恐怖をあおる効果音を聞きながら「自分は驚かないぞ」と銘々が胸のうちで決意を語る。
 持ち込んだ分厚いカーテンで外界を遮断し、最低限の明かりを得ることすら怪しい僅かな数本の蝋燭で明かりを得て、天鵞絨のテーブルクロスで覆われたテーブルを囲む。
「夜分遅く済みません。一晩宿を借りしたいのですが」
 彼等、彼女等突然の来訪者をたたき出せと召使に命じ、交霊の儀式を行なった。

05 雨に溺れる


 この家の異変を最初に感じたのは、越してきたばかりの妊婦だった。
 家を下見した時には感じなかった《違和感》を住み始めた直後から感じた。夫に告げたが、妊娠中で神経が過敏なのだと言われ、彼女もそれで納得した。だが《違和感》は徐々に大きくなり、そして彼女を階段から突き落とす。
 道を挟んだ向かい側に住んでいるラブレー家の子供二人が、大きな物音に驚き無断でドアを開き妊婦の家に飛び込み、階段の上に見たこともない女性を《見た》
 妊婦は腹を強かに打ち、胎児もろとも死亡した。
 即死ではなかった彼女は死に至るまでの間、子供達も見た階段の上にいた女性のことを語り続ける。
 男は一人きりになった家に戻る気がせず、絶望に打ちひしがれながら酒場で酒をあおりながらあることを思い出す。引越してきた日に家を値踏みするようにみていた人物を。男は子供達が語ったような《すっと消えた》などという不確かなものではなく、《確かな》犯人を欲し街中で聞いて回った。
 必死に聞きまわる彼に住んでいる街の顔役が彼を呼び、その人は犯人ではないと言い切った。男がその人物について尋ねると「呪解師テオドラ」と教えられた。

 『家の中を覗っていたのは、子供達の語るところの幽霊が見えたからじゃないかね? 聞けば君は非好意的に話しかけたとか。普通に話しかけたら呪解師は教えてくれただろう。というかね、君。フラドニクスの呪解師に対して礼儀がなっていないことは、街としては困るのだよ』

 男は家を売って街を出て行った。買い取った顔役は、また呪解師を呼ぶ際にこの家を見てもらおうと保管していた。
 そんな経緯を知った紳士淑女が顔役に話を持ちかけ金を支払い、ここで交霊を行なっていた。
 交霊の儀式は失敗したが、彼等彼女等に失望の色はない。
 この怪しさを感じさせる香と、濃密な暗さに酔いしれながらグラスを傾け多種多様な会話を交わすことも、この集まりの目的でもある。
 集まりをまとめている初老の男性が、召使を呼ぶ鈴を鳴らす。召使はこの鈴の合図によって酒や料理を運ぶ、それは何時のもことで彼等彼女等は何も気にせずに歓談を続ける。外の雨音が一層強くなった時、全員の会話が途切れた。
「遅いな」
 何時もならすぐに現れる召使が、今日は中々現れない。
 初老の男は再び鈴を鳴らす。先ほどよりも強く、不機嫌さを隠さない音が響く。
 彼等彼女等は再び話に没頭するが、やはり召使は現れない。三度鳴らした鈴の音は、不吉な音律を呼び寄せた。
 食事を用意しているはずの台所から三度目の鈴を待っていたかのように、食器の割れる音が聞こえてきた。何かが割れる音、それが徐々に雨音に隠されながらも彼等彼女等に居る部屋へと近付いてくる。
 強い雨音が紳士淑女を一瞬にして不安に陥れる。ただの雨音だと誰もが自分に言い聞かせながら、相手の顔色を覗う。誰一人《平気》な顔色ではなかった。
 雨音が強くなる程に、彼等彼女等の血が冷えてゆく。
 扉の前で硬く何かの壊れる音が響き、少しの間を空けて扉が開いた。

「デ……デューン!」

 そこに居たのはピエタの街で封印されていた大陸最強の吸血鬼。
「ピエタの吸血鬼が何故ここに!」
 金と暇を持て余している好事家達は吸血鬼を《見物》する為にピエタの街まで出向いたことがある。贅の尽くされた建物と、大陸屈指の錬金術師が意匠を凝らし作り上げた檻。その中にまどろむかのように存在する美しい吸血鬼は、その名を知られた存在でもあった。
 紳士淑女たちは吸血鬼が檻から出された理由は知らないが、この場に現れるはずがないことは知識として知っている。
「吸血鬼は! 初めての家を訪問する際は、住人の許可が必要とするはずだ! この家の持ち主は!」
 吸血鬼は初めての家を訪問する際は、住人の許可が必要。それは良く知られたことであり事実。
 驚く紳士淑女を前に、デューンと呼ばれる吸血鬼は血を吸い終えた召使の体を投げつける。青ざめた体は力なく紳士淑女の中心に落下し、その手や体の触れた者達は冷たさに絶句する。
 外から聞こえてくる轟音。
 どのような叫び声をもかき消してしまうだろう暴力のような雨音、それは死を目の前に、溺れているかのような錯覚をあたえる。水に埋まり水の中で助けを求めても隣家には決して聞こえない。
 濡れ、凍え沈みゆく体と何が違うのか。彼等彼女等はこの雨の前に溺れ絶望する。
 哀れなまでに震え後退りする紳士淑女にデューンは声をかけた。
「お前たちはこの家に《何を》しにきた?」
 紳士淑女にとって、この家の《家主》は金を支払った相手の顔役だが、この家にとっての《家主》は別人。この家に憑いた一体の霊。
「……!」
 理解できた者は悲鳴にならない悲鳴を上げ、理解できないものは交霊術の成功を見る。
 
 この家の本当の持ち主は、デューンが玄関をノックした時に出迎えた。
 主の招きによりデューンは踏み込み、召使の少年が声を上げる隙も与えずに首を切り裂き血を吸って紳士淑女の交霊儀式を眺めていた。


― この家の主である《幽霊》と共に ―




「家主は私を招きいれてくれたのだよ。理解できたかね? 紳士淑女の諸君」


《終》


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