悪意の肖像
 呪解師のテオドラ《天空の柱》といわれる北の山脈の方に少しだけ視線を移した。
 近くを飛びかう蝙蝠。
 テオドラは焚き火をもみ消し山小屋へと戻り、蝙蝠たちの宴を眺めていた。そのうち一羽の大きな蝙蝠が現れ小さな蝙蝠たちを蹴散らす。

20 終着駅


 北の山脈の麓にある最北端に存在する【駅】の周囲には村はおろか人が住んでいるところはない。最北端の【駅】から人が住んでいるもっとも場所へ向かう為には、山の中腹を反対側へ回り込まなくてはならない。
 呪解師は荷物を積んだそりを引きながら山小屋までの道をひとりで歩く。
 そりには非常用の食糧が積まれている。呪解師はフラドニクスの者が【駅】を使用した際に使われる山越え用小屋の食糧を補充しに向かうところだった。
 雪山の斜面に見える小屋が視界に入ると同時に、その前に一人の男性が座っているのが見えた。
 そりを引く音に男性は驚き、立ち上がり呪解師のほうをみる。驚かせた形となった呪解師は全く気にせずに、そりを引いて小屋へと近寄ってゆく。
「ここは貴方の別宅でしたか?」
 呪解師が荷物を運んできたことを知った男性は山小屋の食糧を食べたことを詫びた。
「詫びられるものではありません。ここは私の持ち物ではなく、特に誰のために存在しているわけでもありませんので」
 男性は夏でも夜になると寒さの厳しいこの山で何日か過ごしていたようで、山小屋の中に生活していた痕跡が多数残っていた。掃除を始めた呪解師に、申し訳ないといいながら手伝い始める男性。
 手伝ってくれているのだからと、呪解師はその好意をありがたく受け取り山小屋を片付ける。
 夕方近くなり男性は自分で集めていた薪で火をおこし、自ら狩って捌き燻製にしていた肉を軽くあぶる。
「どうぞ」
「ご馳走になります」
 呪解師は男性の向かい側に座り、皿に大量に盛られた鹿肉を口に運ぶ。
 炎の音と無言で暮れてゆく空に心を安らかにしつつ、呪解師は無心で食事を口に運ぶ。山を登り掃除をしたことで相当な空腹だったため、男性の振舞ってくれた肉はあっという間に呪解師の腹に収まった。
 皿にフォークを置き直接コップで水瓶から水を掬い飲む。
 羽ばたき始めた蝙蝠の羽音を聞きながら、呪解師はもう一つのコップにも水を入れて男性に差し出す。
 焚き火に空気を送るためにかき混ぜていた男性は、礼をいいながらそのコップを受け取る。
「貴方は何者ですか?」
 受け取ったコップに視線を落としながら男性は尋ねた。
「呪解師です」
「呪解師……ですか」
 男性は鸚鵡のように呪解師の言葉を呟くと、焚き火に照らされている死体に視線を向けて力なく微笑む。
「呪解師というのは死体を見ても驚かないものなのですか?」
「さあ、人によりけりでしょうね。なにより今のご時勢、死体のない場所を探すほうが難しいでしょう」
 一羽の蝙蝠が鳴きながら死体にとまる。
「その死体は私が殺したのですが、それでも驚きませんか?」
 すでに凝固した血を小さな舌で舐めながら声を上げ続ける。それに引き寄せられるように蝙蝠たちが死体へと次々降り立つ。
「この場で貴方以外の人が殺害したほうが驚きますけれど」
 男性の懺悔にも似た回想は小声で、時には蝙蝠の鳴き声と羽音にかき消されたが聞きたいわけでもない呪解師は黙って聞き続けていた。
 男性は死体の身内を殺してしまった。
 殺したことは誰もが知ったが、殺した理由が【正当】であったために罰せられることはなかった。死体は怒ったが、村の人々は男性に味方する。村人が味方すればするほど死体は怒り狂う。
 そして男性は村を出た。
 死体は男性を追って村を出る。
「殺したくなくて逃げたのですが」
 延々と繰り返される逃走劇、もしくは追走劇。他人を巻き込まない劇を続けるために、男性は人気のない方角へと逃げ続けそしてついにこの山小屋の前で二人きりになった。
 刃物を振り上げ襲い掛かかられた時、男性は抵抗して相手を殺した。
「仕方ないでしょう。無抵抗で死ねる人はそうそういませんよ」
 男性は星の現れた夜空を見上げて笑う。
「この山小屋にたどり着いた時、夜空を見上げたら故郷にとてもよく似ていたので、ついつい長居してしまいました。いつも通り少し休んですぐに移動したら追いつかれず、殺さなくて済んだのではないかと考えると」
 南へと逃げた先で故郷に良く似た空に出会えるとは……言いながら力なく笑う男性に呪解師は水晶球を取り出して語る。
「ご存知ないようですが、世界は球体なのですよ。この水晶球のように。貴方がここから同じ方向に逃げ続けると、最後は同じ場所にたどり着くのです」
 男性は驚き呪解師が指でなぞる水晶球を凝視する。
「まさか……」
「この山を越えると貴方の故郷があるのではないでしょうか?」
 呪解師は山を越えた場所にあるもっとも近い村の名をあげると、男性は両手で顔を隠して小さな悲鳴を上げた。
 村が男性の故郷なのか? 呪解師は尋ねなかった。火を灯したランプと三日分の食糧を手渡し、星を指差す。
「あの赤い星に向かって歩くと二日目の夕方前に今言った村にたどり着くことが出来ます。向かいますか?」
 男性は呪解師からランプと食糧を受け取り、蝙蝠が群がっている死体のそばに突き刺していた刃物を持って歩き始める。
「燻製美味しかったですよ」
 その声に男性は深く礼をしたあとに声をあげた。
「申し遅れました! 私はメーシュと言います。呪解師殿、貴方のお名前は?」
「私の名はテオドール。いつかまたお会いしましょう、メーシュ」


 山小屋から外の蝙蝠たちの宴を眺めていたテオドラは、メーシュ王国の起源を思い出していた。
 大きな蝙蝠は人に似た姿となり小さな蝙蝠を踏み潰しながら地に立つ。
「探したぞ、テオドラ」
 一応は施錠している入り口だが、吸血鬼の前に鍵は役にも立たず簡単に上がりこまれる。
「どうしました? デューン」
「メーシュ王国のロキが私を探している。それに関してお前が関係しているらしいと噂を聞いた。お前は一体何をした?」
 デューンの問いにテオドラは表情を変えずに事実を述べ、聞いた吸血鬼は笑みを浮かべすぐさま飛び去った。


《終》


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