悪意の肖像
 呪解師のテオドラは封印を依頼された。
 依頼を叶えるには十分過ぎる程の財宝を積み上げて、その男は封印を望む。
 背後に立っている女性はうなだれていて顔が見えなかった。テオドラは「彼女と話をしたい」と希望し、男は黙って頷いた。

02 呼吸不可


 エリーゼは何時ものように目を覚ました。
 仕事をしなくてはとベッドから降りようとするが、体が思うように動かない。体を動かす方法を忘れてしまったかのように動かずエリーゼは恐怖した。
 開くことを忘れていなかった瞼、その開いた瞼のしたにある瞳が視界をエリーゼに世界を見せる。窓から差し込む強い日差しと、見たこともない装飾品の数々。感じた事のない甘く体にまとわりつくような湿気を含んだ熱い空気。
 最北端のメーシュ王国に生を受け、ずっとそこで生きていたはずのエリーゼは感じた事のない空気。自分が何処にいるのか解らなくなった彼女は混乱し、声を上げる。
 “誰か! 誰か!”
 必死に声を絞り出すも声の出し方も忘れてしまっていた。
 その叫び声に一人の男が部屋に飛び込んできた。メーシュ王国に広がる灰色の空の下でも美しい金髪と、雪のような白い肌の国王。
「……ロ、ロキ様……」
 彼の姿を見て安堵したと同時に記憶が蘇りエリーゼは気を失う。

 エリーゼは自らが 《死んだ》 ことを思い出す。

 ロキにかかった 《王妃の呪い》 を解くためには自分の心臓が必要だと言われ、エリーゼは死ぬことを受け入れた。ロキの腕の中で死んだ自分を彼女は覚えている。
 無論ただの侍女であった彼女は覚悟を決めても死の恐怖に屈し泣いたが、これで王が、愛したロキが助かるならと夜を過ごし薬の入っている酒を飲み、酒のもたらす酩酊とはまた違った高揚感の中で胸を開かれて、涙を流しながら呼吸を失った。
 再びエリーゼは目を覚まし、彼女の傍にいたロキに尋ねる。
「ロキ様。私は夢を見ていたのですか? それともロキ様が亡くなられたのですか……」
 物語を多数知っていた伯母が語ってくれた《死後の世界の話》を思い出し、ロキがもしも死んでしまったのならば悲しいが死んでも会えたことを少しだけ喜ぼうかと思った。
「エリーゼ、お前は生き返った」
 エリーゼの夢想はロキの現実により砕かれる。
 今までの出来事を聞き、彼女は枕の頭を乗せ顔を覆うことも出来ないままに泣いた。
 エリーゼは生き返ったことに喜ぶことは出来ず、むしろ生き返った事に対する恐怖が彼女の心を切り刻み嘖んだ。エリーゼは死んだことが公になっているために、大手を振って国に戻ることも、人前に出ることも禁じられた。
 エリーゼはロキの言葉に黙って従う。
 ロキは彼女と同衾するために部屋を訪れた。その時身支度をしていたエリーゼの姿が目にとまった。
 鏡の前に立ち 《エリーゼがエリーゼ自身を見つめる瞳》 の悲しさに満ちた瞳を見たときに今は亡き母親が重る。側室として生涯日陰の身だった母の諦めと悲しみ、自分にはどうすることも出来ない力に囚われ逃れられられずに生きてゆく姿。
 エリーゼはロキの妃になることの出来ない身分であったが、側室にはなることは出来た。だが生き返った事により、ロキの傍にいられても側室にすらなることが出来ない。
「お待ちしておりました、ロキ様」
「許してくれ」
 “もう私は人ではありません” というエリーゼに腹を立てたこともあったが、それは真実。
 彼女の諦めと自分に向ける複雑な感情を映した瞳を前にして、ロキは認める。
 自らの感情だけでエリーゼを生き返らせたロキは自らをも人間ではなくなる道を選ぶ。彼はデューンに依頼し吸血鬼になった。
 デューンは吸血鬼にしてやる代わりにメーシュ王国の全ての者を食糧として寄越せと命じ、ロキは “私が王である間は民を食糧として渡す” と言い、その条件でデューンはロキを吸血鬼にした。それと前後するようにロキはテオドラを呼んだ。
 テオドラがメーシュにたどり着くまで、デューンは逃げ惑う人を狩り血を吸い、その後ろを吸血鬼となったロキが同じように血を吸って歩く。
 人々は王が吸血鬼になった事に困惑し、城を取り囲み退位を叫ぶ。テオドラはその群衆の目をかすめて城に侵入しロキと対面していた。


「私から王を奪うために封印してくれ」


 それしか道はないだろうとロキは言う。
 テオドラはエリーゼに話しかけた。
「貴方の希望は?」
 テオドラの突然の言葉に驚いたエリーゼだが、直ぐに彼女は望みを語る。
「私も一緒に塔に封印してくださいませんか?」
「吸血鬼と共に封印される為には、これを飲んでいただかなくてはなりません」
 差し出された白い薬包を掌に受け取る。透けて見える中身は赤かった。
「これは?」
「エリクシル、世間では賢者の石と言ったほうが通りが良いでしょうか?」
 エリーゼは伯母から賢者の石について話を聞いたことがあった。
「不老不死になると聞きた事があるのですが?」
 錬金術師だけが作ることの出来ると言われた特別な物。
「吸血鬼と共に封印される 《食料》 が無くなってしまったら困るのですよ。私はロキ王を吸血鬼にしたデューンを封印しましたが、彼が黙って封印された真の理由は、推測の域を脱しませんが共に封印されることを望んだ錬金術師のリュドミラが 《エリクシル》 を完成させ不老不死になっていたからです。リュドミラは以前は 《エリクシル》 を持っていませんでしたが、アルラウネというホムンクルスよりその方法を伝授され不老不死となりました。それでおそらく……」
 テオドラは最後をぼかしたが、エリーゼは既に聞いてはいなかった。
「ありがとうございます!」
「いいえ。私は呪いを解き、封印するだけの者。その過程で貴方に不老不死となっていただかなくてはならなかっただけですから」
 エリーゼとの話を終えて、テオドラはロキと見つめ合う。
「封印を引き受けますが、何時目を覚ませるかは解りません」
 封印は仮死状態にしてから術を施す。
「それでも良いですか?」
 ロキとエリーゼは手を握りあい、しっかりと頷いた。その後三人で “封印される場所” へと足を運ぶ。
 そこはかつてロキが位を奪った父王を幽閉した王族専用の牢獄。その説明を受けなくとも以前この城を訪れたことのあるテオドラは、此処に誰が居たのかはすぐに解った。
 煩い霊を霧散させて、エリーゼに室内を整えるように命じてロキと二人で 《天空の柱》 を眺める。
 山頂が灰色の雲に隠れ望めることはないと言われる山々の上に存在するとされている《天空》
「ロキ王」
「何だ?」
「正直に言いましょう。私は貴方を人前で仮死状態にして牢獄に閉じ込めます。その後何時になるかは解りませんが息を吹き返した貴方は牢獄から出入り自由です」
「……」
「でも彼女は永遠に出ることは出来ません、貴方以外の者も入り込むことは出来ません。封印の真実です」
 言いながらテオドラは持ってきた大きな鉄の箱を叩く。
「扉が開いても出られません。窓が開こうとも出て行けません」
 テオドラの言葉にロキは目を閉じて頷く。最初に話した際にデューンは既に封印したとテオドラから聞かされた。メーシュの民が食糧にされることはないのだが、ロキはそれでも自らの封印を望んだ。
 エリーゼは用意を整えた後に赤い薬を飲み意識を失う。その後テオドラは人々の前で《吸血鬼ロキ》を仮死状態にして、人々の見ている前で牢獄へと押し込んだ。


 二人が息を吹き返すのが何時なのかはテオドラにも解らない。


 その頃すでに依頼料はアッサーラと、
「リュドミラとデューン入りの鉄の箱に、メーシュ王国の財宝か。何処に行っても生活していけるだろうな」
「そっち持ってください、ローゼンクロイツ。早く脱出しないと面倒になるんで」
 ローゼンクロイツにより運び出されていた。

《終》


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