悪意の肖像
 呪解師のテオドラは最寄の【駅】からもかなり距離のある村へと向かっていた。
 舗装の一切されていない、人が通った跡だけが先を示す道。
 両側の青々と茂った草を貫くように続く地面。
 背の高い自生の木々の木漏れ日を楽しみながら、散歩のように楽しめる道は程なくして終わった。


14 月と狂気



 《国》の支配の及ばない、部族単位で生活を続けている彼等は独自の《武器》により己の国を守り、そして侵略していた。
「お前がフラドニクス一の呪解師か?」
 テオドラは辺境と呼ばれるサヤニア族の長からの依頼を受けて、村に《指定通りの日》に訪れた。指定の日というのは《満月》
 心地よい田舎の散歩道から様変わりした争いの痕跡を横目に歩き続けてきた。
 サヤニア族はササ族と絶え間なく諍いを起こしている。
 絶え間なく争っているということは、二つの部族の力が拮抗しているとも言える。
 だがテオドラが道で見た死体は、ほとんどがササ族でありサヤニア族はずっと数が少なかった。
 それはサヤニア族とササ族の力の均衡が崩れたことを意味する。
「はい、そうです」
 サヤニア族長の前に通されたテオドラは、族長と言う名の《呪封躯》を興味深く眺めた。
 サヤニア族やササ族に限らず、数の少ない部族の民は人以外の力を用いて国や自分たちを守る。
 その中で人間が最も効果的に強力な力を用いることの出来る方法は、人以外の力を身に宿して使うこと。
「俺は最も腕の立つ呪解師と封印師の両方を依頼したはずだが?」
 他の力を移し封じることが出来る物を《封印師》と呼ぶ。
「封印師としても他者に後れを取りませんよ」

 サヤニア族とササ族が諍いを起こし片方が呪解師と封印師を呼ぶ。依頼を受けたフラドニクスの方は相手と依頼で、何が起こるか予想がついたので最も腕の立つテオドラを送り込んだ。
 《呪封躯》の族長はテオドラが自分の予想よりも若かったことが不服らしく、その感情を隠そうとはしなかった。
 テオドラを試すように服を捲り上げて腹を上半身に施されている呪文を見せる。
「これが何か解るか?」
「憑依封印ですね。神を人に封じ込め、その力を人が操る」
「憑依している《もの》が何か解るか?」
「八頭蛇神」
「見ただけで解るのか?」
「これでもフラドニクスの呪解師ですし、その憑依封印はかなり高度ですから。それにしても八頭蛇神持ちの貴方を此処まで消耗させた相手も相当ですね」
 物怖じ一つせずにテオドラは答え、両手の甲を《呪封躯》の族長に見せる。
 まだテオドラの力に不安はあるが、全くの素人でもないことを認めて族長は仕事を依頼する。
 テオドラが連れて行かれたのは、見た目は木の柵が円状に張り巡らされた吹さらし。
 その中に封印用の布を巻かれた男性が柱に縛り付けられていた。
「リヒティ。そいつか」
「そうだ、大婆」
 一時的な封印を施している、皺だらけの老女がテオドラを値踏みするように見て口を開いた。
「テオドールの血縁か?」
「そのテオドールが呪解師でしたら間違いなく祖父です」
 テオドールという名を聞き、族長は自らの体に施されている封印に無意識に手を当てた。
「この印を施した男の孫だと? 呪解師は血に乗らないと聞いたが?」
 族長の問いにテオドラは、封印されている人から視線を外さずに答える。
「呪解師、すなわち全ての呪を解く力が親から子へと引き継がれないのか? それは族長リヒティなら解るはずでしょう。《呪》は代々受け継がれてしまうこともあります。そして呪解師は身に呪を持つことはない。呪われないことが呪解師にとって必要な一つの資質でもあります」 

 八頭蛇神の呪封躯を持つリヒティは、生まれながらに《呪封躯》であった。
 彼の祖父がササ族から己の部族を守る為に、封印師に依頼して守り神を直接その身に取り込んだ。
 依頼を受けたのがテオドラの祖父、テオドール。
 ただの封印では入れ物、すなわち祖父が死んだ時点で封印が解けて力を失ってしまうが、憑依封印を施すと親から子へと力が受け継がれることになる。
 リヒティは祖父と母を経て八頭蛇神を宿して生まれてきた。
「こいつだ」
 ササ族も同じことを行った。
 力を封じ込められ弱っている男の中に住み付いているものを見る。
「九尾狐ですか」
「良く解ったな」
 男もリヒティと同じく憑依封印で、親から受け継いだ《呪》 だが、リヒティとは違うものがそこに存在していることにより、リヒティに負けた。
「私はこの人についている九尾狐の封印を解いて持ち帰ればよろしいのでしょうか?」
 呪解師は《呪》をその身に持つことはないので、大きな呪縛を解くときは入れ物を持ってこなくてはならない。念のために《媒体》を用意してきて良かったと思いながら男性に近寄ろうとすると、肩を捕まれて止められた。
「封印は解け。だが持ち帰ることは許さない。その男の《もの》を封印する場所は《ここ》だ」
 睨みつけながら、テオドラの肩を掴む手に力を込めるリヒティは自分の胴体の、封印を指差す。
「身にもう一つの神を宿すと?」
「ああ」
 人の身に二つの神は不可能だと口にする前に、先ず男性の状況を確かめることにした。
 男性が生きているうちに呪を解かなければ、リヒティの望みは叶わない。
 封印により封じ込められている神は、身が朽ちると同時に食い破り世界に現れてしまう。
 そうなってしまえば、呪解師のテオドラには何をすることも出来ない。
 封印という手段はあるが、封印するまでには相手を弱らせなくてはならない。
「九尾狐が抜けると死ぬのだろう」
 力を封じる布を少しはがし、手を当てる。
「これは」
「どうした?」
「少々手間が掛かりますね」
「出来ないのか?」
「違います。この人には死印も重ねられています。この人が死ぬと同時に九尾狐も滅ぶように印が重ねられています。滅ぶといってもこれ程の九尾狐、力を失う程度でしょうが」
 テオドラは力を封じられている男性と話をしながら準備を整える。
 男性はササ族で族長の甥にあたった。
 族長はこの《呪封躯》をもつ男性を嫌っていたという。
「貴方はご存知でしょうが、私が生まれたと同時に族長は腹違いの妹を失いましたから」
 族長はこの力を継承させることを嫌い、フラドニクスではない者達の手で《死印》と呼ばれる印を完成させた。
 当初は男性から九尾狐を抜いてしまおうとしたのだが、フラドニクスの呪解師でもない限りは不可能であったため《死印》で我慢することにした。
 フラドニクスの者を呼ばなかったのは、サヤニア族に気付かれることを恐れたのか、依頼料が勿体なかったのかは男性にも解らなかった。
「死印がなければ勝てたかもしれませんね」
「勝たなくて良かったのでしょう」
 死印を施された《呪封躯》のササ族はサヤニア族の《呪封躯》に敗北し、リヒティは講和の条件に男性を寄越せと命じてササ族族長はそれに応じた。
「そうですね。死印という《呪》を上手く使って即死は逃れるようにしますので」
 テオドラは用意を整えて、夜に儀式を行うことを告げた。
 柵の周りをたいまつが囲み、そしてテオドラが祈りを捧げるかのようにフラドニクス印を持つ手を合わせて指を折る。
 人々の見ている前で男性より九尾狐と思われる大きな火の玉のような物体が抜けて宙で渦を巻いて停止した。
 テオドラはリヒティに「その身に九尾狐まで取り込んでは、身の安全は保障できませんよ」と告げたがリヒティは一切意見を聞き入れなかった。
 仕方なしにテオドラは男性より引き抜いた力をリヒティに注ぎ込む。
 火の玉のような力が消え去り、暗闇を灯すたいまつの明かりだけに戻る。
 多数用意されているたいまつの明かりだが、誰の目にもとても暗く感じられる。
 人々は声を殺して無言のまま、たいまつの明かりに誘われた蛾が炎に焼かれ地に落ちおる音が幾つか聞こえた。
「成功したようだな」
 リヒティは身体の奥底から湧き出てくる力に、歓喜に震えた声を上げた。
「そうですね」
 テオドラは興味なさそうな声で返事をしながら《死印》により生きながらえている男性に手を差し出しながら声をかける。
「フラドニクスまで一緒に行きましょう。死印を継続させることで生命を維持することも可能らしいので。是非研究を手伝ってください」
 男性は苦笑いしながらも、テオドラの手をつかみ立ち上がった。

 直ぐにこの場を去ろうとしたテオドラと男性の前にリヒティが立ち塞がる。

「生かして帰すと思ったか?」

 リヒティの言葉に今度はテオドラが苦笑いを浮かべて言い返す。
「信用してはいませんでした。ですから、その九尾狐を抜きます」
 テオドラの言葉にリヒティは自分の胸を腕で覆ったが、そんな物は無意味とテオドラは手首を掴み、手首を掴まれたほうの手に力を込める。
 リヒティの身体に封じ込めた九尾狐は即座に引き抜かれ、誰もが呆気に取られている中テオドラは九尾狐を頭上に投げ上げた。
 まさか《呪》を放り投げるとは思っていなかったリヒティは、暗がりに浮かぶ力を呆然として見上げる。
「これか」
 そして暗がりから何者かが飛び出しそれを喰らったのをしっかりと見た。
 力を身体に吸い込みながら着地した男はリヒティとその背後にいるサヤニア族を眺める。男は赤い炎に照らされているにも関わらず闇のようであった。
「デ! デューン!」
 先ほどテオドラを「テオドールの孫か」と言った、サヤニア族最高齢の老婆が、照らされながらも闇に紛れ込んでしまいそうな男を指差して叫ぶ。
「大婆、知っているのか?」
 リヒティの声に《リヒティの内側に封じられている神》が答える。

― あれは吸血鬼だ。逃げた方が良い ―

 デューンはリヒティの隣を駆け抜け、背後にいたサヤニア族に襲い掛かった。
 宵の吸血鬼に勝てる者はなく、無数の死体が転がった。吸血鬼は自らが殺害した死体の血を浴び殺すほどに強くなり、
「残るは《呪封躯》の男とその老婆だけだが、歳を取ったな老婆。あの時は幼子であったのに」
二人の前に立ちはだかる。
「ピエタで大人しく封印されていると聞いておったが」
 死相をまとった老婆が問うと、デューンは笑って答えた。
「この地方の部族が呪解師と封印師を依頼するとなれば、九尾狐か八頭蛇神のどちらかの封印を解くことくらいは想像がつく。解いた後の《入れ物》にと言われてね。あの憎たらしくも狂おしい程に愛しいリュドミラの孫に頼まれてはね」
「あれはリュドミラの孫か。テオドールとリュドミラの血を引いているとは、並の《呪》以上の呪を体に宿しておるようなものじゃな」
 老婆はそれだけ言って自分の首を短剣で突き刺した。
 リヒティは叫び声を上げデューンに攻撃を開始する。

― やめておけ。本体の性能が違う……だからやめておけと言ったのだテオドールとリュドミラの孫なんぞ、この八頭蛇神であっても戦いたくはない。そしてデューンも ―

「身体の調子はどう?」
 九尾狐と八頭蛇神を身体に封印したデューンは、
「いいね」
 何事もないように笑った。
 今まで雲に隠れていた月がその姿を現し、青白い光でデューンを照らす。
 闇の眷属にはたいまつの炎よりも、銀月の青白い光が相応しく、デューンの狂気をより一層高める。
「あっちにサヤニア族の集落があるんだな。殺してきても良いかい? テオドラ」
 テオドラが答える前に、九尾狐の《呪封躯》であった男性が口を開いた。

― できるならササ族も滅ぼしてください。サヤニア族よりもササ族を ―


 二つの部族の村は、青白い月明かりでも覆い隠せないほど赤く大地を染めてほんの一時で滅んだ。
 《呪封躯》であった男性は、己の村が滅びる様を眺め、そして満足した。その時の月明かりに照らされた表情は、ディーンよく似ていた。
 テオドラは神を封じた吸血鬼と《呪封躯》であった男性を連れて、来た道を戻る。

 朝日のもと、呪解師と吸血鬼と復讐を終えた死者は穏やかな表情を浮かべてフラドニクスへと向かった。

「私は部族の村を離れるのは初めてなのです」
「楽しい旅になりますよ」
「やれ、日差しが辛いなあ」

《終》


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