私の名を呼ぶまで【71】

戻る | 進む | 目次

[71]労働,神はわが誓い,自由民

 皇子を含む皇族男性が呪われているとはどういう事なのだろう。
 ”爆ぜる”というのはもしかしたら、ただの脅しかもしれない……でも証拠を見せられるのは遠慮したいから、結局信じるしかない。
 皇子に呪いがかかり後宮にも呪い。
 そう言えば、呪い解きを専門にしている人がいたよな……なんだっけ……そうだ呪解師だ。そういう人に呪いを解いてもらって……あれなんか体がふわふわするような……私、目を瞑ってる?

 目を覚ました私がまず気付いたのは空気の冷たさだった。

**********

 妃の姿が見えないとカタリナが気付いたのは昼と夕方の間の刻 ――
 昼食を片付け午後のお茶の時間の用意を整え後宮へ引き返してきた。部屋に妃の姿はなかったが、食後の散歩でもしているのだろうと、その時は深刻には考えなかった。
 時を知らせる鈴の音を聞き、温かいお茶を淹れるべく湯を取りに食堂へとむかう。湯が沸くまで知り合いと話をし、
「お妃さまを見た?」
「いいや、見てないよ」
 それだけ聞いて部屋へと戻った。部屋で眠っていることをも考えて、ヨアキムの私室を含めた全室を確かめるも姿はない。そして妃は次の時を知らせる鈴の音が鳴っても部屋に戻ってこなかった。
 冷めてしまった湯を残し、カタリナは部屋を後にし、詰め所へ行き妃をみていないかどうか? 尋ねた。
 答えは食堂と同じ。
「大きめな荷物を持って出た人は?」
「いません」
 カタリナは誰も通さないように依頼し、ヨアキムの元へと急いだ。

 カタリナが必死に探している妃は、当人もそして監禁したベニートすら思いも寄らない場所にいた。

**********
 
 妃がヨアキムから聞いた話について尋ねようと側室リザの元を訪れたのは、カタリナが部屋を出てすぐのこと。
「わざわざお越しくださるとは」
 側室リザは妃を座らせて背後に回る。
「今日ブレンダは店に出ているので休みでしてね」
 陶器と軽い金属の触れる音を立て、お茶の用意をしているように装いながら”薬”が入っている小瓶の栓を抜き、タオルに数滴たらす。
 妃は指を大切にしているブレンダの代わりに側室リザが茶を淹れることもあると聞いていたので、違和感を覚えることはなかった。
 側室リザは妃の顔にタオルを押しつける。妃は自分の身になにが起こったのか分からぬまま意識を失い、側室リザの腕に体重を預けた。
「いいタイミングでやって来てくれましたね、お妃さま」
 側室リザは妃をクローゼットに寝かせ、部屋を出る。”カタリナには内緒できた”とは聞いていたが、念の為にとアンジェリカに知らせる途中で妃の部屋に忍び込み、書き置きなどがないことを確認し、そして彼女の元へと急いだ。

 側室リザが妃になにかをした―― その一部始終を見ていた者がいた。庭師として働いていたレイチェルである。

 側室リザの部屋に妃がいることに気付いたレイチェルは、植木に身を隠して近付き室内を窺った。
 タオルを顔に押しつけられ倒れた妃を見てレイチェルは驚く。側室リザが部屋を出て行ったのを確認してから、彼女は側室リザの部屋へと急いだ。
 部屋の鍵はかけられていなかった。
 これは側室リザが、後々の保身の為に鍵をかけなかったのだ。外側から鍵をかけていたら監禁に問われるが、施錠していなければ、倒れた妃を眠らせていただけ……と言い逃れができるため。
 レイチェルは部屋に入り、クローゼットで眠っている妃を見つけた。
「起きてください、お妃さま」
 声をかけても揺すっても目を覚ます気配のない妃。
 いつ側室リザが戻ってくるか分からない不安と、なぜ妃の意識を失わせ閉じ込めたのか分からない恐怖。
 レイチェルはこの部屋に妃を置き去りにするべきではないと考え、窓の鍵をあけて庭へと飛び降り、刈り取った雑草を袋を窓の下に敷き詰め、空の袋を一つ持ち部屋に再度侵入する。そして妃を袋に入れて、必死の思いで担ぎ外へと運び出す。

 その最中、妃は窓枠で強かに頭を打った。

 妃を孤車輪に乗せ、雑草を運ぶように庭から後宮の物置場の一角にある庭用倉庫に連れてゆき、袋から引きずり出しもう一度声をかけてみるがまったく反応はない。
 取り敢えず雑草を集める袋の上に妃を寝かせ、安全確保のために外側から閂をかけ、レイチェルが預かっている鍵をもしっかりと施して、ヨアキムの元へと急いだ。

 向かう途中、
「今日はあの蜂、見かけなかった……」
 そうは思ったものの、それが重要であることなどレイチェルには分からない。

**********

 最近自分の回りで見かける、いままで見たことがない蜂は、虫師が作る特殊な蜂であり ―― リュシアンという虫師の物である ―― そのことに辿り着いたバルトロは、蜂を最も見かける後宮へとやってきた。
 自分の後宮ではあまり見かけず、ヨアキムの後宮と父の後宮でよく見かける……。
 バルトロは当初、己の妄想に恥じたが、それ以外思い当たる節もなく、父に質問し激怒されてもこの疑いが晴れたなら……と覚悟を決めて、マティアスに尋ねた。

「陛下の側室であったラトカ・クニヒティラの遺体はどこに?」

 問われた皇帝は傍仕えの者たちを下げ、バルトロに真意を尋ねた。彼は包み隠さず全てを語り皇帝マティアスの答えを求めた。
「カレヴァが虫に寄生されていたと言うことは、その妹であるラトカも同じことが考えられます」
 
 ラトカの遺体は彼女の実家に埋葬されて ―― いなければならないのだ。だが旧クニヒティラ領を調査したところ、あの辺りで「凶暴な蜂」は一切見られないとの報告がなされた。
「男性と関係を持つとすぐに孵化すると聞いたぞ。私は彼女を側室として扱っていた」
「はい……ただ、もっと深く調べたところ、虫の包が孵化しない場合もあるそうです」

 息子の眼差しに感じたもの。それが長年心の内側にあった物であることは分かったが、マティアスは問うことはなかった。

「孵化した場合は体にはなにも残っていませんが、孵化しなかった場合は焼却せねば。包まれた虫の卵は、軽く百年は生きるそうです。陛下、ラトカ・クニヒティラの遺体は、かの一族の墓に眠っているのですか?」
「……後宮の一角に埋葬した。シュザンナがよく手入れしている紫陽花の下に、爆ぜた肉をかき集めて箱にいれて。教えてくれ、バルトロ。なぜ今お前はそれを?」
「蜂です。いままで誰も見たことのない蜂が最近頻繁に後宮で見られるのです。そして……ヨアキムが教えてくれたのですが、ヘルミーナ・クニヒティラは虫が孵って死んだと。現れたのは巨大な蜜蜂であったと」
 マティアスはバルトロに焼き払うための油を持ってくるように命じ、自らはシュザンナのもとへと急いだ。
 事情を聞いたシュザンナは、
「焼いてしまうのですか」
 よくしてくれたラトカと自分を繋ぐものがなくなり、本当に永の別れが訪れたのだと、
「ああ」
 覚悟を決めて頭を落とし明るいがランプに火を灯した。
「お伴いたします」

 だがバルトロはやってこなかった。

「陛下。バルトロ皇子よりこれを」
 女騎士三名が油が入った缶を運び込み、入り口扉を閉ざそうとする。
「なにごとだ?」
「バルトロ皇子よりの命令で……壕の熊が逃げ出しました! お二人は後宮の奧に」
 後宮から駆け出していきそうなシュザンナの腕を掴み、
「急ぐぞ、シュザンナ」
「陛下」
 腕を引き、女騎士たちに油を運ばせ、ラトカの肉片の上に咲いている紫陽花を目指す。青ざめたような色の紫陽花を剣で切り払う。
「……そんな」
 豊かな葉と色鮮やかな萼と張り巡らされた枝の根元にあったのは、ぽっかりと開いた穴。遺体を入れた箱を埋めたはずのそこから這いだしてくる蜂のような物。
 マティアスは油をその穴に注ぐように命じ、女騎士たちは命令に従う。その一人が蜂のような物に刺された。
 刺された女騎士は泡を吹き出し、奇怪な叫びをあげてマティアスに剣を振り上げる。
「熊を外に出したやつらと同じ……」
 女騎士の呟きを聞きながら、シュザンナからランプを取り上げ外側のガラス筒を投げ捨ててから穴へと放り込んだ。
「お前たちはシュザンナを連れてアイシャの元へ行け!」
 マティアスは剣を構えなおして、炎から逃れようとしている蜂のような物たちを切り落とし、刺され異常行動を取る女騎士と、その背後から迫って来る刺され変異した者たちと相まみえる。


戻る | 進む | 目次