私の名を呼ぶまで【62】

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[62]私の名を呼ぶまで:第三十五話

「お妃さまはヨアキムと同い年だよ」
「なに? 本当なのか? ベニート」
「もしかして、自分よりも年上だと思ってた?」
「ああ。少々くたびれた感じが……当たり前か」
「当たり前だろう。ずっと仕事してきた女性なんだから。苦労していると、やっぱり老けやすいよ」

**********

 ヨアキムはカタリナにオルテンシアなどに注意をするように伝えた。
 本人に直接言わなかったのは、自分の下流語がうまく妃に通じないと、誤解を生むだろうと考えてのこと。
「妃についてなにかあるか?」
 実際のところ、ヨアキムの下流語は上品で気取った感じになっているが、妃に問題なく通じていた。彼女がヨアキムに険しい表情を向ける理由は違うのだが――
「はい。外出を制限されているお妃さまに、毎日どのように過ごしていただけばよろしいでしょう」
 カタリナの質問にヨアキムは、
「図書館通いなり庭いじりなり、元の仕事なり、好きなことをさせて構わないぞ」
 最近の側室たちの傾向を元に答えたのだが、彼が連れて来た妃はそういった人物ではなかった。
「お妃さまは読書は嫌いだそうですし、勉強もお好きじゃないそうです。散歩はしてもいいそうですが、好きというほどではなく、庭いじりの趣味もなく、元々の仕事は別に好きではなく……」
 最近は後宮側室と言えば「読書好き」で自分を地味に賢く見せようとする。
 ヨアキムが成長したころは、すでにそのように取り繕った側室が大勢いた時代なので、妃も適当に図書館に通って本を読んで時間を勝手に潰してくれると考えていた。
「そうか……妃にはそういった趣味はないのか」
 ヨアキムはしばらくカタリナに妃の相手するように命じ、キリエの部屋へ赴く。
「百年前のラージュ皇国後宮の様子と行事を明日までに調べておけ」
「かしこまりました」
 翌日、ヨアキムがキリエの部屋を訪れると、まだまとまってはいないが、それに関する文献が机に積み上げられていた。
 まとめる途中のメモ書きに目を通し、栞が挟まれている本を開く。
 派手は悪、質素こそ美徳――となる前の後宮のさまざまな行事。そして妃の過ごし方。
 ヨアキムはキリエがまとめた用紙に一晩中目を通していた。

 なんの予備知識もない妃が後宮でできることはお茶会程度。

 いまの後宮に妃のお茶会に付き合うような女性は、
「一人だけいたな。もっとも安心できるのが」
 一人だけ心当たりがあった。ユスティカの王女エスメラルダ。
 ヨアキムはエスメラルダに、妃の元に通って茶を飲んで欲しいと依頼した。エスメラルダが足を運べば、残りの四人の側室も誘いをかけたらやってくるだろうとも考え。
「妃の元に通い、茶を飲み会話をしてやって欲しい」
「私にそれを頼むのですか」
「他の側室は嫉妬に狂って凶行に走りかねない」
「私はどうなのです?」
「あなたは大国の王女だ。立場を弁えることができる。私はユスティカ王国を呪いたくはない」
「私は……姉妹は嫌いですが、呪われて死んでしまえばいいという程ではありません。何より私はあなたの側室。主の言葉に従います」
 エスメラルダは依頼を受けた。
 ヨアキムはエスメラルダに【妃は勢いで……】と言おうとしたが、自分が妃を愛していると言う勘違いが、呪いを恐れる者たちに対して牽制になることに気付いたので……だが嘘は付かなかった。
 こうして妃の元にエスメラルダが足繁く通うことになる。
 毎日のエスメラルダの訪問と、それに伴い顔を見せる、彼女を守るユスティカの影である元侍女側室たち。
 カタリナはユスティカの影とかいう名前だけは笑える存在については知らないので、他の側室も来たがっているのならば、均等に訪問を受けたほうが良いだろうと、書状を用意したり、日程を組んだりと細やかに動いた。

**********

 勢いで結婚させられてしまった妃は、侍女のカタリナと共に、少々の面倒を感じながらも、それなりに過ごしていた。
 妃はそのように過ごしていたが、ヨアキムはというと――
「レイチェル!」
「ヨアキム皇子」
 妃にしようとしていた女性、レイチェルにふられかけていた。正確にはレイチェルが身を引いたのだが、ヨアキムはそれを認めていない。
 好意という点では、妃とレイチェルならば後者の方が上である。
 だがレイチェルは関係は終わったとばかりに、仮眠室へ来るように命じても拒否される。誤解を解くために、二人きりで会話できるように彼女の手を引き自分の後宮の庭へと連れて行き……説得に必死で、妃の眼前で男女の会話を繰り広げているとは思ってもいなかった。

**********

「ヨアキム皇子。ロブドダン王国の謝罪としてメアリー側室に差し出したいって、本当に受けていいの?」
「構わん、リザ」
「そっか」
 ヨアキムの後宮に側室リザが戻って来た。
 理由をどうするか? 悩んだ挙げく、泣いて誤魔化すことにした。
 エドゥアルドの性格なら好きな女が泣いたら、それ以上は追求しないだろうと。二日ほど間違った絶食をして、やややつれた雰囲気を作り、後宮に入る前にヨアキムが立ち会い、エドゥアルドと引き合わせた。
 理由を聞かれた側室リザは「適度に声を詰まらせて」家族の死に目に立ち会ったような雰囲気で濁した。

 ちなみにベニートの家族は健在である。

 側室リザを後宮に入れたあと、ヨアキムが「リザの家族は公にできない立場の者だ」とある意味真実を語り煙に巻いた。

「エドゥアルド皇子を騙すと、心がいたみますわー」
「どこが心を痛めているというのだ? リザ」

 そんなやり取りをした数日後、ヨアキムがベニートの後宮に乗り込んだ。
「どういうつもりだ! ベニート」
 ベニートの襟首を掴みつめよる。ヨアキムの形相と声にベニートの側室たちは震え、
「べにーとさまああ」
 泣き出すものさえある。
「ヨアキム、苦しいし……側室が……正直にこたえるから、降ろして」
 つま先立ちになっているベニートが必死に訴える。
 悪戯好きな従兄の必死の訴えは慣れているので、もう暫く吊そうとしたのだが、慣れていない側室たちが泣いて許しを請うので、仕方なくヨアキムは拘束を解いた。
「大丈夫だからね」
 とんでもないことをしでかすベニートだが、側室たちにとっては悪戯もしない善き主。彼の身になにかがあったら生きてはいられないし、彼のためなら死ねる――ような側室ばかりが揃っていた。
 側室たちを彼女たちの部屋に下がらせ、ヨアキムと二人きりになり、
「えっと。もしかしなくても、あれ? 陛下とお妃さまの対面?」
 またいつもの薄ら笑いを浮かべて答えた。

 夜半に後宮の私室へともどったヨアキムは、困惑した表情の妃から招待状を手渡され、ベニートの訪問があったことを知る。
”拒否はできないな……明日か。私が用意はさせておく、ユリアーネ”
 妃の心底いやそうな表情を見て、ヨアキムはベニートの後宮へと行き、問答無用で締め上げたのだ。
「陛下が”どうしても”って。みんなにお披露目したのに、陛下に挨拶させていないなんておかしいだろ?」
「離婚する際に会わせるつもりだったんだ!」
「でも陛下喜んで待ってるよ」
「……お前のことだ、ドレスも宝飾品もすべて用意しているんだろう」
「ああ。ヨアキムの服も用意しておいたよ……この通り」
 衣装室に飾られている男女揃いの服を見て、ヨアキムはブレンダに採寸されたことを思い出す。
「ラージュ皇国伝統の連理の枝を刺繍した正装だよ」
 贅沢だということで、最近ではめっきり見なくなったデザインの服を出され、ヨアキムは深く溜息をついた。


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