私の名を呼ぶまで【58】

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[58]私の名を呼ぶまで:第三十三話

 ロブドダン王国で勢いに任せて結婚してしまったヨアキムは、一人馬車の中で自責の念や後悔、その他諸々の愚かな自分の向き合うはめになった。
「……」
 向き合ったところでどうにかなるものでもないのだが、とにかく向き合う。そうして自身で招いた事態を理解し、しなくてはならない出来事を脳内でまとめ城へと戻った。
 結婚はロブドダン王国で済ませたので、入宮の儀式は必要がないので、到着後そのまま妃を後宮へと入れ、細々としたことはカタリナに任せ、ヨアキムは単身で皇帝のマティアスにまずは結婚報告を行う。
「エスメラルダが帰国するまでは、正式な妃を迎えるつもりはなかったのですが」
 エスメラルダを側室に迎えた事情を知っているマティアスだが、息子の新しい恋を――実際は恋愛感情ではないのだが、ともかく世間的に言われている「熱愛」を否定することはしなかった。
「一度離婚してもらい、また結婚してもらえばいい」
 エストロク教団は離婚や再婚に制限を設けていない。だからこそ「側室」という制度が成り立っている。
 ”勢い任せ、自分でもどうして妃と結婚しようとしたのか分からないのです”とは言えなかったヨアキム。言ったとしてもマティアスには信用してもらえなかっただろう。
 突拍子もないことをするような男ではない。いままで真面目に生きて来た「せい」というべきか「おかげ」というべきか、マティアスは息子の急な結婚に驚きはしたが、ヨアキムなりの考えがあるのだろうと好意的に解釈してくれた。隣に座っていた皇后も同じであろう。バルトロには祝福され、エドゥアルドに「リザはどこへ!」と詰め寄られ無視する。

 ラージュ皇国に連れてくる途中で、妃には貴族の身分と荘園を与えて離婚しようと決めたので、母親のアイシャに会わせるつもりもなかった。

 行動を起こさなければなにも始まらない。
 ヨアキムはまずユスティカ王国に ―― エスメラルダと結婚し送り返してもよろしいか? ―― に連絡をする。向こうの準備が整ったら妃と離婚しようと、着々と準備を進める。
「侍女はカタリナで専属護衛は……」
 ヨアキムが一目ぼれし、強引に連れ帰ったとされてしまった妃。
 妃に対して好意はないが、責任は感じているので、後宮に自分の妃として存在する間は、細心の注意を払うべく、信頼のおけるものを用意することに決める。
 侍女は最初からついているカタリナ。専属の護衛はシャルロッタを選んだのだが、彼女の祖父であるリオネルが危篤状態にあると報告があった。
 国を出る前はそんな素振りはなかったのに ―― ヨアキムはただちにリオネルの館へ見舞いへと赴く。そしてリオネル本人に会う前に医師の話を聞いて、当人と会った。
 ヨアキム自らの見舞いにリオネルは感謝する。
「シャルロッタから聞いたのですが、ヨアキム殿下、妃を迎えられたと」
 国内はヨアキムの急な結婚で沸き返っていた。
 幼馴染みであるシャルロッタも……ヘルミーナがヨアキムの中で過去の人になってしまうことに寂寥はあるが、いつかはこうならなくてはならないとも考えていたので祝福することに決めた。
「ああ」
「それは良かった」
 ヘルミーナの影を振り払い、新たな一歩を踏み出した皇子と皇国の将来に安堵し――懸案がなくなり張り詰めていたものが切れたのか、ヨアキムが見舞った三日後にリオネルはこの世を去る。

 ヨアキムは「妃は勢いで。実際私もよく分からない……」とリオネルに正直に言いたかったのだが、医師に気落ちさせるようなことは言わないほうがよいと忠告されたので堪えた。

 リオネルの死後、孫のシャルロッタは葬儀もそこそこに、やっとヨアキムの心を暖めてくれた大切な妃に仕えると言い張ったものの、
「リオネルをしっかりと見送ってからだ」
 弔問に訪れたヨアキムが諫め、彼女はその指示に従う。

 ヨアキムは妃に信頼がおける女性護衛以外はつけるつもりはなかったので、シャルロッタの喪があけるまで妃の外出を制限する……のだが、外出させなくてはならない状況となった。
「妃をお前の店に?」
 ヨアキムは妃の着衣をブレンダに一任した。もっとも一任と言えば聞こえは良いが、面倒なので丸投げ――が真実に近い。
 妃を連れてくる際に、ロブドダン王国の仕立て屋にかなり無理をさせ、数着服を用立てた。上質な布で仕立てられた貴族女性用の服という体裁は繕えたが、それなりに目が肥えた貴族、まして皇帝の前に出せない部類のものであった。

 ヨアキムが単身で皇帝の元へと赴いた理由でもある。

 急いで用意させた素っ気ない服を飾り立てることと、新しい服を用意するようにブレンダに依頼した。
 ブレンダは快く引き受け、ロブドダンで用立てられた服をレースで飾る。
「はい」
 だが新しいドレスを用立てるには、ブレンダの親が経営している工房に直接連れて行かなくては――
「許可書は出す。後宮に連れて来い」
「急いで大量に作るとなると、許可書がでない針子も総動員しないと間に合いません」
 ブレンダとその両親は雇用主側なので、契約に使われる中流語を使えるが、雇われている者たちはそれらを上手くは使えない。
 後宮内で使われるのは中流語で、許可を得て後宮に入る業者は中流語を使える者と限定されている。
「……」
「お妃さまだって、たまには中流語じゃなくて、慣れ親しんだ下流語を聞きたいはず」
 上流と中流語で育ったヨアキムは、会話のほとんどが下流語の妃とは上手く会話が成り立たない――

「アメリア、用意はできたか?」

 ヨアキムが声をかけると「?」といった表情になる妃と、妃の耳元で囁くカタリナ。ヨアキムも下流語は使えるものの、皇帝の父と没落したとはいえ貴族出の側室との間に産まれた皇子のため、下流語は使用頻度が低く使い慣れない。
 なによりも地方によりイントネーションなどが違うため通じづらいのだろうと「勝手に解釈し」ヨアキムは自らが【妃付きの騎士】となり、カタリナと妃を連れてブレンダが待つ街の工房へと赴いた。
「お待ちしておりました!」
 前日から兵士を派遣し、ブレンダの実家工房を貸し切りにして、妃の服の採寸、用意させておいたデザイン画に目を通し好きな服を注文させる。
 妃は下流語で話しかけてくる針子たちと楽しそうに会話をしており、カタリナも同じであった。カタリナを連れてきたのは、彼女は妃付きの侍女になったので、他の側室付き侍女とは違う、一段上の制服を着る必要があり、それもブレンダに任せることにした。
 そうこうしていると、ブレンダが巻き尺を持ちヨアキムへと近付いてくる。
「ヨアキム皇子の服も幾つか仕立てさせてください」
 ”断らないですよね”と強気の姿勢でやってきたブレンダに、
「……わかった」
 内心で”やれやれ”と呟くも、素直に椅子から立ち上がった。ヨアキムが抵抗しなかった理由は――側室リザにある。
 妃の身上調査のために国外に出たベニートは、エドゥアルドとヨアキムが衝突しないように「ブレンダ宛」に手紙を送っていた。もちろん側室リザとして。
 自分は無事であることなどを認めた手紙を送り、エドゥアルドに自分の移転は妃には関係のないことだと伝えて欲しいと。
 ヨアキムはエドゥアルドを僅かだけであろうが抑えてくれるのならばと、妃関連の洋服はすべてブレンダの実家、ビショップ工房に依頼することを約束する。
「本当に逞しいお身体ですよね」
 ヨアキム自身の洋服は条件には入っていなかったのだが、ベニートが帰国するまで、シャルロッタの喪が明けるまではブレンダの協力が必要不可欠。
 自分の洋服を作らせることで気分良く妃に仕え、エドゥアルドの「リザをどこへやった!」攻撃を防いでくれるのなら安いもの。
「……ん?」
 黙って採寸されていたヨアキムは、隣の部屋から聞こえてくる笑い声が気になった。
「声が大きすぎますが、注意はできませんよ。お妃さまも一緒ですから」
「なんの話をしているのだ?」
「菓子の品評会ですよ。昨日近くの菓子屋から色々と買い集めておきました。兵士の皆さんに毒味もしてもらいましたから安全です」
「そうか。購入代金を払う」
「要りません」
「なぜだ?」
「無料でくれましたから。お妃さまに気に入ってもらえたら、後宮に菓子をおろせるじゃないですか」

 妃はかなり権限があったな ―― ヨアキムは首回りを計測されながら、早くベニートが帰国することを望んでいた。

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