私の名を呼ぶまで【51】

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[51]私の名を呼ぶまで:第三十一話

 翌朝、ヨアキムとエドゥアルドは皇帝マティアスの前で「昨晩の刃物を持ち出した諍い」について尋問を受けた。

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「まったく……」
 一晩では語り尽くせない過去 ――
 途中で妨害が入らなければ、明け方まで語り続けるところだったのだが、
「やっだーもうー」
 突然”逆さ”に降ってきたノベラに驚き、二十一歳になる第二皇子と十九歳になったばかりの第三皇子が互いに飛び付き抱き合い転がって逃げた。
「びっくりさせちゃった?」
『なにをしに戻ってきた? ノベラ』
「テオドラからの手紙渡すの忘れてたことに気付いたのー」
 幼少期から離れて成長した異母兄弟は、今日初めて抱き合った。そして、二度と抱き合うようなことはない ―― ことを願いノベラから手紙を受け取る。
「読んで頂戴。会うならこの私が伝えてくるから。……あっ! 右手が疼く。力が制御できなくなる! 右目の邪眼が!」
『耐性のない皇子の前で遊ばないように』
 ヨアキムは会いたいと伝えてもらうことにした。
「いつ来ても大丈夫よ。すぐに伝えておくから」
 再び風のように去ったノベラ。
「……」
「……ヨアキム、傷はどうする?」
 エドゥアルドは傷を間近に見て、遠い過去の話も大切だが、この事態もどうにかしなくてはならないことに気付いた。
 ヨアキムはヘルミーナには勝てなかったが、決して弱くはない。
 クニヒティラ一族なき後、ラージュ皇国でヨアキムに傷を負わせることができるのは、クリスチャンが話の途中『君たちは強い。逃げ切ったヨアキム皇子はもちろんだが、ノベラ相手に踏み込んできた人間は初めて見た』と言ったエドゥアルドのみ。
「……」
 ノベラの存在を正直に話すことも考えた二人だが、
「父上にエイエントセツナノオチタガッソウノノベラ(永遠と刹那の堕ちた月葬のノベラ)などと言いたくない!」
「それは同意する」
 ノベラについてどうやっても上手く説明できないので、出来事を正直に語ることは諦めた。
 二人が皇帝マティアスに語りたくなかった理由の根本は、ラージュ皇国の建国の詩。曖昧で独特な言い回しが続くその詩は、ノベラに影響されたリュディガーが作ったものだと聞かされ、皇子二人は落ち込んだ。
『あまり悪くとるな。リュディガーにとってノベラは救い主だから……ノベラのあれは伝染力が強いから』
 言葉でノベラを語るのは不可能であり、
『ラージュ皇帝だろ? 映像を見せてやることはできるぞ。鼻歌でラージュ皇国建国の詩を歌っている、包帯巻いて鎖も巻いて、血糊をつけた姿だが』

 映像は丁重にお断りし、ノベラについては二人だけの胸に閉じ込めておくことにした。

 ではヨアキムの怪我についてどのように言い逃れするのか?

「刃物を持ち出したのは私が先です」
 側室リザのことで話合っているうちに、激高し刃傷沙汰になった ―― ことにした。
 以前にも二人が側室リザのことについて喧嘩し、ベニートが負傷したこともあったので、真実味は充分にある。
「本当か? ヨアキム」
 先に手を出したのは自分だと言い張るエドゥアルド。
「はい。ですが、今回は私のほう……先に挑発したのは私で……」
「何を言うヨアキム! 悪いのは私だと」

 当初は相手をかばい合うような状態であったが、最後は、

「私が悪いと言っているだろうが!」
「私だ! ヨアキム!」
 自分がより悪く、原因であると認めさせるために殴り合いに発展し、両者とも後宮にて謹慎を命じられた。

『うまく誤魔化せたようだな』

 上手いかどうかはさておき、二人は各々の後宮で謹慎することになり――

「ここは私が使う。下がれ、レイラ」
「はい……」
 ヨアキムはクリスチャンを携えて、併設されているが足を運んだことなど数える程しかない、後宮の礼拝堂へと入った。
「聞こえているか? エドゥアルド」
”ああ、聞こえている”
 エドゥアルドも同じく後宮の礼拝堂で一人きりになった。

『よし、話を続けよう』

 二人がいままで近付こうとしなかった礼拝堂に入ったのはクリスチャンとの会話を聞かれないようにするため。人がクリスチャンに話しかける場合は、頭で考えただけでは通じない。言葉にしなくてはならない。
 そしてクリスチャンは離れた場所にいる人に話しかける際には制限が発生する。現在はラージュ皇族全員にだけ聞こえるようにしており、その結果傍から見ると「大声で独り言を言っている皇子」ができあがってしまう。
 クリスチャンのことは、現時点ではマティアスに対しても伏せておくように「テオドラが言っていた」とクリスチャンに言われたので、二人は指示に従うことにした。
 それで謹慎中に己の行いを省みるという名目で、礼拝堂に入り朝から晩まで懺悔する生活を送ることにした。
 語るべきことは幾つもあり、その中には聞いても信じられないことが多数ある。
『このエストロク教についてだが、奉じられている神の真の姿は悪夢師ローゼンクロイツだ』
「は?」
”はああ?”
 クリスチャンは衝撃が大きいものを先に告げることにした。
「あの……」
”借金持ちがか!”
『そう言うと思った。二人とも気持ちが落ち着いたら教えてくれ。そしたら話すから』
「落ち着く前に一つだけ」
『なんだ? ヨアキム皇子』
「バルトロには言わないでくれ」
”兄上は信心深いんだ”
 ラージュ皇族にはある程度離れていても聞こえるように設定されているので、当然バルトロもその声を拾ってしまう。
『兄、バルトロ……エドゥアルド皇子の兄か。それでは除外できないなあ。気をつけるとするよ』
 ラージュ皇族だけが声を拾えるようにしたのだが、その範囲を決める際に少々問題があった。
 一人だけと会話を交わすのならば簡単だが、ヨアキムとエドゥアルドのような異母兄弟に同時に話しかけるとなると、普通はマティアスまで遡り共通の波長を見つける必要がある。
 ”普通は”という但し書きがつく理由は、ヨアキムが持つ血の呪いの原石。

**********
 
 クリスチャンを介して二人が離れた場所で会話ができているのは、呪いの原理に似たものを用いている。二人の魂をクリスチャンが繋いでいる状態に近い。
 母親が違うのでマティアスに遡り共通する部分を探すのだが、ヨアキムが持つ強大な呪いがマティアスを死に至らしめる可能性もある。
 ならばどうするのだ? ―― ヨアキムの問いにクリスチャンは『皇帝マティアスに兄弟はいないのか?』と尋ねた。
 死去しているマティアスの父でありヨアキムたちの祖父を起点にして会話をする道を開くと提案してきたのだ。
 それらの理論も方法もヨアキムもエドゥアルドも分からないが、マティアスの異母姉であるリザ……ではなく、彼女の息子ベニートに会わせることにした。
 リザを引き合わせなかったのは、彼女に会う口実が見つからなかったためである。
『皇帝の異母姉と貴族との間に生まれた息子か。それなら上手く遡れるだろう。性別が同じほうが調節しやすい』
 その点ベニートはヨアキムの執務室に頻繁に出入りしているので、
「ヨアキム。ちょっと捕り物に行ってくる」
「お前で大丈夫か? ベニート」
「大丈夫だよ。二人仲良く謹慎しててくれ。下着の主に会いにいくんだ」
「なんだそ……寄付した下着の相手か! 本当に見つけたのか」
 引き合わせるのが容易い。
 こうしてベニートを通して祖父の代まで遡り波長を合わせて二人が離れたところでも会話できるように設定を整えた。

**********

”あれが神とか悪い冗談だろう”
『いやいや、神の定義の問題だ』
「神の定義だとか、神学には興味はないのだが」
『まあ聞いてくれ二人とも…………神を信じていない二人に関係する部分を抜粋すると、理の玉座についてどの程度知っている?』
”王宮内の丘にある理の玉座のことか?”
 ラージュ皇国の理の玉座は王宮内の広大な庭のなだらかな丘にある。
 近くまでは馬で近寄れるがある一定のラインからは馬が恐がり徒歩でしか近づけない。
『そうそう。理の玉座での誓いについては?』
 ヨアキムはテオドラから聞いたことを答え、
『そうだ』
 クリスチャンから正答だと返され、
”知らなかった”
 エドゥアルドの驚く声を聞くことになった。
『それでテオドラは話さなかっただろうが、理をためて天災を防ぐわけだが、どうやって防ぐと思う?』
”どう……テオドラ殿が関係しているのか?”
『ご名答、エドゥアルド皇子。理を管理しているのがローゼンクロイツ。その報告を受けてテオドラが天災を回避する。おっと、理論とか聞かないでくれよ。私は人間相手には――なんでも知っている――と名乗るが、最上級の師は人間の範疇にはない』
 クリスチャンの言葉に、ヨアキムとエドゥアルドは異論などなかった。

 こうして日々、朝から夜まで礼拝堂に篭もり話をしていたため、反省の態度が見られるとして、彼らが予想していたよりも格段に早く謹慎が解かれてしまい、ヨアキムはベニートにロブドダンにクローディア王女を側室として迎えると連絡を入れさせた。
「この子が私の新しい側室」
「被害者の一人……なるほどな」
「はじめま して 。 よあきむ でんか」
 どう見ても人買いに誘拐されて連れて来られた田舎の娘。それ以上でもそれ以下でもない、あまりにも垢抜けていない子ども。
「セシルと名付けた」
「そうか。わざわざ見送り感謝する、セシル。ベニートは……まあ良い男だ。一生生活に困ることはないから安心するがいい」
 ヨアキムはセシルと名付けられた娘の額に挨拶代わりに口づけ、テオドラに会うためにカルマルの町を目指す。ロブドダン王国からの返事は聞いてはいない。側室にと望んだ以上、拒否権は彼らにないためだ。


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