私の名を呼ぶまで【47】

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[47]私の名を呼ぶまで:第二十八話

「なぜ報告書に記載しなかったのだ?」
 ヨアキムの話を聞いたバルトロは、ヘルミーナ以外の理由があるのではないかと感じた。
「バルトロは誤魔化せないな……陛下に知られたくないことがあった」
「……」
 手元にある一つの真実と、そこから推測される出来事。
 報告書に記載したら最後、皇帝マティアスは徹底して調べるよう命じ、苦悩するであろうと考え、真実を最後まで語れなかったリュシアンの発言は証拠としては使えないとして、エドゥアルドを説得した。
「融合した虫が孵らない条件として近親者の体液が上げられる。私とヘルミーナは戸籍上では虫が孵らない関係だった……カレヴァの祖母が皇帝の娘であったなら」
「ヨアキム、それは……」
 虫が孵化して死んだことが知られれば、先々代皇帝の皇后を寝取った貴族がいる――ことになる。
「バルトロはカレヴァの妹ラトカの死因を知っているか?」
「母上の主だったラトカ殿?」
「そうだ」
「聞いたことはない」
「バルトロが図書館で会ったキリエの姉マリエ。あれが側室として後宮に入ろうとして爆ぜた。あの時陛下は立ち会っていて……その後、陛下からラトカの死因もマリエと同じであったと聞かされた」
「……」
 どの時代に”血の呪いの原石”を持った男児が現れるのか? リュシアンには分からない。だからいつの時代でもすぐに対応できるように、途切れることなく虫を国家の重臣に寄生させていた。
「さきほど説明した通り、クニヒティラ一族は虫の卵を植え付けられている……ラトカにも体内に寄生卵が潜んでいた筈だが、彼女は身籠もることができた」
「どうし……捜し当てたのか」
「何処までが近親者の範囲かを知れば、すぐ推測できてしまう。先々代の頃は平民ではなく貴族を妃に迎えていた時代だ」
 貴族は領地の分割などを避けるために近親婚が多い。
 クニヒティラ一族も貴族として、領地が細分化され維持できなくなることを防ぐために、親戚同士での婚姻を繰り返していたため、寄生融合していても虫が孵ることはなかった。
 特に「一般的に」男性の跡取りの場合は血縁ではない女性を娶ることはあっても、女性が跡取りの場合は近親の男性と結婚させて領地を守る傾向が強い。
 それによりカレヴァの母親は虫が孵り死ぬようなことはなかった。

「ラトカと陛下は戸籍上では近親だったが……ヘルミーナが私と関係を持ったことで虫が孵って死んだことが公表されれば、ラトカと男女間の関係にあった陛下は誰が不倫相手であったか突き止めてしまう」

 即位しているマティアスと、その父親の二代続けて平民を皇后に迎えたラージュ皇帝。
 初期のころは隣国の王女なども娶ったが、呪いの伝播を恐れて妃が得られなくなってからは、貴族を娶るようになった。
 ヨアキムやバルトロから遡ること三代前、四代前の皇后は当然貴族の娘が皇后であった。
 四代前の皇后が不倫し生まれたのがカレヴァの祖母。
 四代前の皇后は息子の皇后に一人の貴族の娘を推し、その娘は嫌われながらも三代前の皇后の座に収まった。
 娘は本当に嫌われ、後宮で虐めの標的になる。どうしてこんなにも自分は虐められるのだろうかと悩み、自殺を図ったこともあったが、一命を取り留め再度虐められることとなる。
 三代前の皇帝は母親が押しつけた皇后を嫌い、側室や侍女たちの虐めを黙認どころか推奨していた。
 それらを見て育った二代前の皇帝は平民を皇后に迎える。
 三代前の皇帝は平民の皇后を迎えることに関し、なにも言わなかった。

 四代前の皇后が息子の妃に推した娘。彼女の父こそがカレヴァの祖母の実の父親に該当する。寄生し孵化する虫たちは、そのことを如実に物語っていた。

 ラージュ皇国の呪いは繁栄をもたらす。一族が途絶えないための呪い。そのラージュ皇帝を裏切った四代前の皇后と、その間男の一族はどうなったのか?
 皇后は三代前の皇帝の母として、間男の娘は二代前の皇帝の母としてラージュ皇国の呪いに取り込まれ、いまでも一族は続いている。
 不運続きでかつての栄光はないに等しいが、滅亡は間逃れていた。
「ヨアキム」
 その間男の一族の遠縁にあたるのが、ヨアキムの生母アイシャ。
「私は母は好きではないが、息子としてなにかしてきたかと言われると……この程度のことしかできない」
 ヘルミーナに寄生した虫が孵ったところから血縁ではないが、遠縁として連座させられる可能性はある。
 マティアスがアイシャのことを一時でも愛してヨアキムが生まれたのならば連座回避の希望もあるが、あの話を聞いた以上、そんな楽観的希望を持つほうが愚かだろうと。

 蜂についてはバルトロが調査を続けることになった。

**********

 バルトロに調査を任せたものの、ヨアキムは一つだけ気にかかることがある。それはラトカ・クニヒティラの死体はどこに埋葬されたのか?
 ヘルミーナの遺体は王宮内の庭で焼き、遺灰をひっそり人目につかぬ場所に埋葬した。だがラトカの遺体がどのように処分されたのかは分からない。
 当事者に尋ねるしか知る術はないのだが、聞けなかった。
「ヨアキム皇子」
「皇后。お久しぶりです」
 父マティアスの後宮へと向かい、シュザンナに挨拶をする。
「アイシャ殿もお喜びになるわ」
「はあ……皇后はどちらへ」
 アイシャも皇后もマティアスの後宮にいるので、母親に会う前に父の正妻であるシュザンナに挨拶をする必要があるのだ。
「庭の手入れを」
「ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ええ」
 ヨアキムはシュザンナと共に庭を歩き、彼女が手入れする紫陽花を見つめ……なにも尋ねずに別れ、アイシャと面会した。
 ヨアキムはアイシャが苦手であった。彼女の覆い隠せない本心と対面するたびに、その気持ちが強くなる。
「ヨアキム」
「なんですか」
「皇位をバルトロ殿下に譲る気はないの?」
 アイシャは物わかりの良い側室をずっと演じている。それこそヨアキムが生まれてからずっと。そしてこの先も、変わらず「息子が皇位を継ぐより、皇后さまの息子が皇位を継ぐべきだ」と言い続ける。
「私一人で決められる問題ではないと何度言えば分かるのですか」
 賢い側室は皇帝に自分の息子を推さず、正妻の息子を推すもの――アイシャはヨアキムが皇帝になれることを確信していながら、顔を合わせるつど、皇帝になるヨアキムに皇位を譲るように勧める。
 表面だけの言葉であることは、ヨアキムも分かっている。アイシャの本心は息子が皇帝の座に就けることを喜んでおり、バルトロが皇帝の座につくことなど微塵も望んでいない。
 だが世間でいう賢い側室は「そういう物」なのだ。
 アイシャと表面上の会話を交わし、ヨアキムは父の後宮を出て、自分の後宮へと戻った。
 彼の後宮にも物わかりの良い側室は山ほどいる。
 だがその半数以上がアイシャと同じく表面上だけ。本当に愛されない側室で満足しているような女は少ない。
 化粧代わりに【権力には興味などありません。情など必要ありません】をという態度を顔に塗り、ドレス代わりにまとう女がヨアキムは嫌いだった。それこそ反吐が出るほどに。

 だからエスメラルダのことは嫌いではない。側室ではないが自分の趣味に忠実なブレンダも嫌いではない。

「キリエ」
「ヨアキム皇子」
「調査は終わりだ」
「なにか問題でも」
「終わりと言ったら終わりだ」
 キリエ・ブリリオートは化粧代わりにヨアキムが嫌いな態度をまとっているので、側室にしてはいるが好んではいなかった。

―― どうして私に好意を持つのか分からん

 優しくした覚えもないのに自分に好意を持つ側室に疑問を持ちながら、ヨアキムは過ごしていた。



(テオドラがお怒りだぞ)



 蜂の出所が分からない以外は特に問題の起こっていない日々が続いていたが、その静寂がある夜、切り裂かれた。
 ユスティカ王国の元侍女側室の一人が、後宮の通路を歩いているヨアキムを手招きする。その女と目があったとき、最近感じていた異常な空気の出所が「この女」だとはっきりと分かり、誘われるままに、レイチェルも手入れに携わっている中庭へと出た。
「お前は何者だ?」


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