私の名を呼ぶまで【43】

戻る | 進む | 目次

[43]私の名を呼ぶまで:第二十四話

「無理だった」
 ”二人の皇子を手玉にとる美女側室”ことベニートが、渋い顔をしてヨアキムの執務室に入ってきた。
「頑なだろうとは考えていたが、それほどとは」
 ベニートに与えられた任務は、侯爵令嬢レイチェルをヨアキムの側室にすること――
 関係を持った以上は側室に迎え入れるのは当然……なのだが、レイチェルの後宮侵入がばれると厄介なので、関係は明かにせずに侯爵に打診したのだが”美女は結婚しても幸せになれない”と頑なに信じている侯爵。
「とりつく島もなかった」
 受け入れる素振りはなかった。
 侯爵を脅して後宮に収めることもできるのだが、そこまでしてレイチェルを後宮に収めるとなると、彼女を妃として迎えなくては周囲が納得しない。
 レイチェルを妃にすることはヨアキム個人としては問題ないのだが、それにはやや時期が悪い。
 一年後にやってくるエスメラルダ。彼女は側室としてヨアキムの所にやってくる。
 普通側室がその地位を失うのには、本人が死亡するか、主が死ぬか、下賜されるかの三つだけ。
 だがもう一つ抜け道がある。それは正式な妃となりその後離婚すること。
 ここでレイチェルと結婚し妃として迎えてしまえば、エスメラルダが帰る際に一度離婚し、エスメラルダと結婚して離婚し、再度レイチェルと結婚しなくてはならなくなる。
 侯爵の状態がもっと良ければ通りそうだが、娘が皇族と結婚したら不幸になる未来しか描けない侯爵では、離婚の時点で”レイチェルのためを思って”なにをしでかすか分かったものではない。
 事実、
「側室にするくらいなら殺すとまで言っている。娘の尊厳が踏みにじられる前に、貴族令嬢として殺してやると」
 侯爵の精神状態は非常にまずいものであった。
「侯爵の妻は陛下が下賜した美しい側室の一人だったな」
「奥様から色々聞いてるんじゃないのか? それに奥様にしてみれば、ヨアキムは美しい側室唯一の勝利者アイシャさまの息子だし……奥様からするとヨアキム自体が憎いのかもね。ちなみに侯爵は奥様を愛してらっしゃる」
「過剰反応も仕方なし……か」

 ヨアキムはエスメラルダが無事帰国するまで、レイチェルを妃にすることを諦めた。

「待遇が悪くなった美女の環境改善をするつもりなら、まずは手元にいる側室の中で美しいのを寵愛してみたらどうだ? 一年後にやってくるエスメラルダ姫は……」
「彼女は帰ることが決まっている。下手な優しさをかけるような非道はしたくない」
 ヨアキムは滞在中、好きという気持ちを隠さずに自分に接したエスメラルダのことを嫌ってはいない。
 だが彼女が自分に持っているような感情が芽生えることもなかった。彼女が自分をあれ程までに好いてくれていなければ優しくも出来たが ―― 恨まれるかもしれないが、恨まれれても故国に帰り幸せになってくれれば―― そう思えるくらいには好感を持ったため、優しさを一切見せないことに決めていた。
「……あ、そうだ! ヨアキム、レイラ・ルオッカの顔見た?」
「いいや。オルテンシアにばかり注意を払っていたから、まったく記憶にない」
「彼女美人だよ」
 ベニートは箱から後宮人員についての調査書の束を取り出し、ヨアキムには見せていない”レイラ・ルオッカについて”の書類を探す。
「書類にはなかったが」
「彼女大怪我してるから、顔は綺麗だけど、体が……ね。でもこの際、顔だけで彼女に優しくしてみたらどうだ?」
 書類に目を通したヨアキムは、
「子どもは絶望……か」
「だって彼女、神に仕えるのが希望だから。問題ないかな? と思って」
 それはそうだが、と、深い溜息をついた。

**********

 父である皇帝マティアスと、バルトロとエドゥアルドの母である皇后シュザンナの前で、
「ふざけるな! エドゥアルド!」
「私は本気だ! ヨアキム」
 二人は怒鳴り合っていた。
 いまにも殴り合いになりそうな二人を、各々の親衛隊が腕を掴み羽交い締めにして止めている状態。
 二人がいがみあう理由は、側室リザ以外はあり得ず、今回も”彼女”が理由であった。
「誰が、はい、どうぞ! と渡すか!」
「ヨアキム!」
 レイチェルの恋人が戦死したあの戦争において、エドゥアルドの部下たちが彼の側室リザに対する愛に感動し、彼の愛の手助けになればと戦勝の褒美としてエドゥアルドの側室を希望した。
 エドゥアルドの元にいる側室たちは、ヨアキムの側室と似たような者が集められており【妃になんてなりたくありません】を装っていたので、下賜の際に騒ぐわけにもいかず、全員行儀良く身を引いた。
 こうして後宮を空にして、その後エドゥアルドは『リザ一人だけを愛する』と……皇帝マティアスに宣言した。

 神に仕えるのでもない限り、成人皇族は側室を最低一人でも持たなくてはならず、持っていない場合は成人とはみなされず、公職につくこともできない。

 次の皇帝は血の呪いの原石のこともありヨアキムに決定した。正式発表は妃を迎えてからとなっており、それらが決定した際に前線指揮官はエドゥアルドで内定した……のに、この暴挙である。
 下賜はその後宮の主の一存ででき、皇帝に事前報告をする必要もない。
 下賜が終わってから報告を受けたマティアスとシュザンナが、バルトロとヨアキムを呼び寄せ、事情を聞いたヨアキムが怒鳴りだした――
「エドゥアルド!」
 呼ばれてはいなかったが実は当事者であるベニートも遅れてやってきた。
 騒ぎを聞き、これはもう処刑覚悟で名乗りをあげなければ……と口を開きかけたその時、ヨアキムの蹴りが顎に入って、口の中を強かに歯で切り、血を吹きながら仰向けに倒れる。
「なにをしにきた、ベニート。邪魔だ!」
 ”あっちに行け”と蹴ってくるエドゥアルド。
 まさか邪魔と言い、蹴って追い出そうとしているベニートが、自分が愛して止まない側室リザだとは……

―― 普通は思わないよね

 起き上がり袖口で口を押さえているベニートの元へバルトロが駆け寄って来て、ハンカチを差し出す。ありがたく受け取り、顎を蹴ったのは”喋るな”という指示だと理解したので、ベニートは黙ることにした。

「エドゥアルド! リザが良いと言っていないのに、勝手に先走るな!」
「彼女はこれから説得する!」
「首を縦に振らなかったらどうするつもりだ!」
「それは……」
「それにリザは私の中では、皇后候補の一人だ」
 ヨアキムは全身の力を抜き、拘束している腕を解かせてマティアスの側へと近付き、
「リザはブリリオートの娘が爆ぜた時にいた一人です」
 以前言われた通りに候補を絞っていると小声で伝えた。

 次期皇帝が皇后候補に数えている側室 ―― この発言で一応騒ぎは収まった。その後、エドゥアルドには公職についていてもらわないと困るということで、急いで側室が用立てられた。
 彼の側室に選ばれたのは、ヨアキムの所に来た神に仕えることを望んでいる三人の内の一人、地方領主の娘である。
 彼女はせんだってエドゥアルドが下賜した側室たちとは違い、本当に妃や側室にはなりたくはなく、神に仕えたいと思っていたので、快諾し一人エドゥアルドの後宮に入ってくれた。
 彼女は一人静寂のなかで祈りを捧げる日々を送ることができ、非常に満足した側室生活を送ることになる。

**********

 騒ぎが一段落ついた所で、ヨアキムはバルトロと食事をとっていた。
 エドゥアルドは皇帝夫妻と親子水入らずで食事――という名目で、今日のことを叱られている。当事者であり部外者であり、騒ぎで唯一傷を負ったベニートは治療へ。
「……エドゥアルドがリザ・ギジェン殿に惹かれる気持ちは分かる。彼女はとても美しい」
 顔だけなら……と思いながら、ヨアキムはナイフとフォークを動かしていたのだが、
「リザ・ギジェン殿を愛せるのなら、ベニートと仲良くなれるはず。二人はとても似ているのに」
 バルトロの予想外の発言に、ヨアキムはナイフとフォークを皿に落とし大きな音を立てる。
「済まん……ちょっと驚いてな。自分の側室がベニートに似ていると言われて」
「容姿ではなく、魂の種類や形状が同じなんだ」
 バルトロからの説明を聞いて、侮りがたい神官の力というものの片鱗に触れて、側室リザの待つ後宮へと帰った。


戻る | 進む | 目次