私の名を呼ぶまで【39】

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[39]私の名を呼ぶまで:第二十話

「お待たせいたしました」
 酒杯をのぞいていたヨアキムのもとへ、テオドラが戻ってきて、二時間後に騎士たちが目覚めることを伝えた。
 徐々に聞こえて来る、吐き気を催すような不快さだけを感じさせる、水気を多く含んだまとわりつくような音。
 ヨアキムは新しい酒瓶と銅杯を用意し、テオドラに勧める。
 杯に注がれた菫酒は野に咲いている菫と遜色ない鮮やかな色であった。
「すみれと言えば……遠い世界に、男性も女性も愛せる人のことをすみれと表現する国がありました」
 真面目に聞いていたヨアキムは、笑みも浮かべず本気で話しているテオドラに、その話題にはもう触れないでくれと頼み込む。
「呪解師テオドラ、そこから離れていただきたい。本当に離れてください、お願いします」
 大国の皇子として生まれ、恵まれ傅かれる人生を送ってきたヨアキムが初めて「やめてください」という気持ちで、自身が悪くもないのに心より謝った。
「済 みません、済みません。もう触れませんから。それでは本筋に戻しましょう。まず私が二年後に呪いをかけ直すといった理由ですが、オルテンシア王女は殺害し なくとも二年放置しておけば、蛹が腐りその毒で死にます。彼女が亡くなれば、ヨアキム皇子も落ち着くでしょう。その彼女ですが、ホロストープの王女ですの で、虫については全くの無知であるとは考えられません。王が悪夢師を雇い、彼女に自分が処女ではないと偽りの記憶を植え付けさせたことからも間違いはない でしょう」
 以前テオドラから『処女の体内でしか育たない』と聞かされたことを思い出し、ヨアキムは王の意図を理解した。
 表情からこの説明はこれ以上は要らないだろうと判断して、テオドラは次の説明に移る。
「ホロストープ王は二人のメッセンジャーを用意しました。一人はカレヴァ殿、もう一人は婚約者のシリル。この二人に共通しているのは、近親者が虫の宿主になってしまったこと。王は虫を宿した娘がいることをヨアキム皇子に伝えたかったのでしょう」
「何故だ?」
 テオドラは少々首を傾げた。
「少し話が飛びますが、よろしいでしょうか?」
 記憶を探りまだ説明していない出来事を思い出したのだ。
「構わない」
「それでは……蛹を体内に飼っているオルテンシア王女を、このホロストープ王国内で殺害しますと、地中に埋まっている虫の卵が一斉に孵り襲いかかってきます。グレンは言いませんでしたか? 地中に埋まっている虫は全て雄虫であり、雄虫は人を食うと」
「言った。本当なのか?」
 手に持っていた酒を飲もうという気持ちにはなれず、卓に置き話に集中する。
「本当です。ではお聞きしますが、ヨアキム皇子。ヘルミーナ殿を虫で失っていなかったら、グレンやローゼンクロイツの話を信用しましたか?」
 テオドラの問いはヨアキムが欲していた答えでもあった。
 どうしてヘルミーナが死ななくてはならなかったのか? 本来ならば答えなどないはずだが、彼女の死は完全に仕組まれていた。
「信じなかっただろう……そして調べもしなかっただろう」
 テオドラが閉じた傷跡から痛みが広がり表情が強ばり、喉の奥が狭まり声が震える。ヨアキムは己の声が怯えていることに気付いたが、それを取り繕おうとは思わなかった。
 目の前にいるのは呪解師テオドラ、人など及びもつかない「なにか」その存在を前にして、怯えを隠すなど滑稽であろうと。
「おかしい表現ですが、リュシアンはラージュ皇国やヨアキム皇子を高く買っていたのです。リュシアンの本音としては、ヘルミーナ殿を死に至らしめた虫に殺されてくれたら……だったでしょうが」
「殺されていたらどうなっていただろうか?」
 しても仕方ない話 ―― そう言われるだろうと、やや投げやりな気持ちで尋ねたヨアキムであったが、
「大陸は滅びました」
 真剣な答えが返ってきて、ヨアキムは驚いた。
「滅び……」
 ラージュ皇国ではなく”大陸が”滅ぶ。
 それが意味する物は? ヨアキムが尋ねる前にテオドラが語り出し、食い残された足が城から落下し、地面に突き刺さった際に発生する震動が伝わってきた。
「リュ シアンが女性に虫を寄生させたのは、孵化しても後宮の呪いを抜けられるからです。人間の男性を阻むラージュの後宮ですが、虫などの人間以外の生物の雄は通 り抜け自由です。ヘルミーナ殿の命を奪った虫は、リュシアンの命令に従って動きます。だからヨアキム皇子を殺害して、血の呪いの原石を奪いホロストープへ と……計画の一つは”そうだった”と思いますよ」
「そうか……」

 落下した脚が大地に突き刺さる間隔が短くなったこともあり、テオドラは説明を急いだ。

 カレヴァとヨアキムを直接会わせたのは虫について知っているかどうかを調べるため。ヨアキムは火口付近で虫について語り、それを隠れて聞いていたリュシアンは考えていた案を実現させるために伝令の虫を放った。
 リュシアンは捕まったが虫はそのまま任務を遂行する。
 オルテンシア王女に虫の卵を植え付けたのはカレヴァが来る前。
 融合ではないのかというヨアキムの問いに、テオドラは「原則として王位を継ぐ者だけが虫を宿せるので、融合はまずありえません」と答えた。
 自らの体内で虫の卵が孵り、蛹になっている。それも近親者の血を糧にしている、それも王女自らの口を通して。
 悪夢の中に婚約者シリルを混ぜたのは、自身が蛹を宿していないと思わせるための策。
 虫師と密接な繋がりを持っていた王家なので、王女もある程度のことは知っている。
 それともう一つ、
「ヨアキム皇子と恋仲にするためです」
「……」
「ヘルミーナ殿の命を奪った……原因でも結果でもありませんが、リュシアンは興味を持つと踏んだのです」
 ヨアキムが虫について知り、シリルから話を聞き、オルテンシアを後宮へと連れて行く。
「真実を知らない彼女は、蛹を餓死させるためとは知らずに後宮に留めおかれているうちに、あなたに心を開く。虫の性質を知っているヨアキム皇子は彼女を恨むと同時に憐れに思う」
「私は絶対に……」
 そんなことはないと今は言えるヨアキムだが、絶対にないと言いきる程、自分が強い人間であるとは思えず口を濁す。
「ヨアキム皇子が視野の狭い愚か者でしたら、リュシアンはこんな策は立てなかったでしょう」
 オルテンシアは巻き込まれた。ヨアキムがそれに気付くと分かって元凶のリュシアンはあえて姿を見せた。
 後宮にオルテンシアを入れ、そのまま剣で命を奪う――
 同情が生まれなかった場合、その原因は恨みにある。恨み殺害するのか? 二年間彼女を生かして恐怖に怯えさせるのか?

 彼女に体内に虫が巣くっていることを伝えないとしたら、それはまた同情であり愛情に傾く可能性を秘めている。

 なんにせよ全てに裏切られた彼女・オルテンシアがヨアキムを頼るのは確実であった。

「なにか聞きたいこと、ありますか? まったく知らない人に説明するのは簡単ですが、ヨアキム皇子のように部分部分を知っている人には、なかなか説明し辛いので」
 雌虫が雄虫を食べる音が徐々に大きくなる中、ヨアキムは無数の疑問の中から選びだしたのは、自分にもっとも関係のない物。
「リュシアンが勘違いした”哲学者の石”とは……いや、質問を変える。リュシアンは哲学者の石を手に入れて、何をしようとしたのだ?」
 グレンに聞くまで存在自体知らなかった”哲学者の石”
「十中八九、不老不死を手に入れようとしたのでしょう。焦っていたのだと思います」
「焦り?」
「私が見たところ、リュシアンの体内には然程雌虫はいませんでした。死期が近かったのでしょう。『師』はその『術』により『技』を持たぬ人々よりは長命ですが、不老不死ではありません」
「……」
 テオドラは自分に注がれるヨアキムの視線に発言内容を脳裏で復唱し、引っかかりに気付く。
「ヨアキム皇子が仰りたいことは分かります。私は不老不死ではないのか? ……これが不思議なものでね、私は自分が長生きしているなんて”これっぽっちも”思っていないのですよ」
「二百年以上生きていても?」
「基準が違うんですよ」
「基準?」
「ヨアキム皇子はご自身を基準にして私を見るから不老不死に見えるのです。私が私の基準で見ますと……正直に言えば皆さん死ぬのが早い。朝に咲き、夜には萎み、一生を終える花から見ればヨアキム皇子は長命でしょう」
「よく分からんが……あなたがそう言うのだから、そうなのだろう」
 ヨアキムにとって不老不死であっても、テオドラ本人にとっては不老不死ではない。長命であることを認めるも、不老不死をあっさりと否定しているところに、自分には分からない世界があるのだろうと言い聞かせた。
「それで哲学者の石なのですが、本当に不老不死をもたらすのかどうか? 私も知りません」
「不老不死は存在しないということか?」
「存在します。ですが、哲学者の石を用いて不老不死を得ようと思ったことはないので……そうか! ヨアキム皇子が言ったように、私は他人からすると、哲学者の石で長生きしているように見えるのか。そうなんですね!」
 他者の寿命が短いと感じるテオドラにとって、それは新たな発見にも似ていた。
「そうだろうな。では何故リュシアンは、哲学者の石にそのような力があると信じたのだ?」
「リュディガーとパンゲアがついた嘘が原因かと。ユスティカ王国の聖地トヴァイアスをご存じですか?」
「知っている。無限の資材を産みだし、廃材を大理石に変えることも可能。中心地は王族以外立入禁止だと聞いている」
 ラージュ皇国の呪いに関する秘密ついて他国が知っているのと同じく、ユスティカ王国の秘密もある程度は知られている。真実味を帯びていながら、それが正しいかどうかは――
「中心地はユスティカ王族でも立ち入ることはできません」
「そうなのか?」
「ラージュ皇国に伝わる私を含めた十人の『師』は立ち入ることはできます……が、あの中心地に立ち入ることが出来るのは十一人。その十一人目を知っているのがユスティカ王なのです」
「私にそれを語ってもいいの……もしかして私が十一人目か?」
「正解です。血の呪いの原石を持って生まれた者、それ理を砕く者」
「理の玉座はラージュ皇族であれば誰でも砕くことはできるのでは?」
 理の玉座とは各国王城に存在する「盟約を結ぶ場所」そこに王が立ち誓った事柄は必ずや守らなくてはならない。守らなくても問題はない……とも言われいるが、とにかく守れば国の繁栄が約束される。
 一般には「玉座」と「理の玉座」は混同されているが、実際は謁見の間に備わっている玉座に”理”がある国は存在しない。
 この”理の玉座”は『師』の誰かが作ったものとされ、同じものを作ることに成功した者はおらず。だが破壊できる者は極僅かだが存在する。

 ラージュ皇族――

 彼らはある目的のために、その力を与えられている。
「通 常の理の玉座でしたらね。聖地トヴァイアスの理は”強大”ですので。先程私は”不老不死は存在する”と言いましたが、この聖地トヴァイアスの中心にいるト ヴァイアスこそ不老不死です。彼は強制的に不老不死とされ、無限を恐れ死を望みました。ユスティカ王国はトヴァイアスを殺すために存在しています。不老不 死になった彼を殺害するために使用しているのが哲学者の石です。リュシアンも私に一言声をかけてくれたら、不老不死にしてあげたのに」
「出来るのか?」
「哲学者の石で不老不死になる方法は知りませんが、トヴァイアスが不老不死になった理由は知っていますので、それさえ用いれば簡単に」
 事も無げにテオドラは言いきった。
「哲学者の石で不老不死を阻止? いや……何と言うのだ」
 ”不老不死を殺す”それはあり得ない。
「ト ヴァイアスの場合は元に戻すだけです。それで中心地に不老不死がいると知れると問題が起きると考えて、実際は無限を削っている哲学者の石を隠れ蓑にしたの です。ですがそれだけでは足りないと、冥界の氷を血の呪いの原石と言い換えて、あたかも哲学者の石のように噂を広めたのです」
「なにか取引があったのか?」
 ラージュ皇国がユスティカ王国の根幹を守っている、その見返りは必ずある。
「ユスティカ王国は最終的に滅びます。ラージュ皇国が大陸の支配者となるのです。ユスティカ王国はその為の踏み台。建国者ジョニー・ユスティカ、またの名を錬金術師パンゲアはその条件で国を建てたのです」
「錬金術師パンゲアがジョニー・ユスティカとは知らなかった」
「ユスティカ王族も知らないでしょうね」

 そして夜が明け、彼らは前日とは違う異様な光景を目にすることになる。

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