私の名を呼ぶまで【13】

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  皇子と侍女・2  

 クローディアは駆け落ちしたことを後悔していた。
 人目を避けて庭に出て、手に瓶を持ちメアリーに命じられた通り虫を採取する。
『虫を集めてどうするの?』
『侍女は黙って従えばいいの』
『嫌よ! 虫集めなんて』
『集めてこなかったら、あなたの食事は抜きよ。クロード』
『ひどい……』
『後宮から出ていっていいのよ。あなたと駆け落ちした騎士の元へ帰ったら? 彼が待っているとも思えないけれども』
『教えて。なんに使うの』
『しつこいわね』
『なにに使うの? それによって集めてくる虫は違うでしょう?』
『部屋に撒くのよ。妃の部屋に』
『いやがらせに使うってこと?』
『早く集めてきなさい』
 妃の侍女カタリナに事情を説明して事態を防ぐなりできたのだが、クローディアはそうは考えずメアリーの指示にいやいやながら従った。

 昼間でも薄暗い庭の片隅で、嫌がらせの材料となる虫を採取していたクローディアを、エドゥアルドが見つけた。

 皇族男子は他の皇族男子の後宮へも出入りができる。後ろ暗いことのないベニートのような者は正面から他者の後宮へと入るが、エドゥアルドのようにヨアキムを害する意思がある者は隠れて侵入する。
 クローディアとエドゥアルド。両者とも人に隠れて動く必要があり、そのような場所は自ずと限られてくるので遭遇する確率も高くなる。
「……」
 クローディアを見かけたエドゥアルドだが、侍女風情には興味ないと通り過ぎる。対するクローディアは、ヨアキム以外の男性が後宮にいる――相手が皇族であることに気付き、手に持っていた虫を捨てて後を追う。
「お待ちください」
 侍女に声をかけられて足を止めるようなエドゥアルドではない。返事もせずに深い藪を抜けて行こうとする。
「お待ちください! 私はロブドダンの王女クローディアです」
 エドゥアルドは足を止めて肩越しに振り返る。
 異母兄でこの後宮の主ヨアキムが、側室の一人を迎えるために立ち寄った国で、王女に駆け落ちされた話は聞き及んでいた。
 だが隠されたことではないので、侍女が知っている可能性もある。
「お前は王女であるという証拠は」
「それは……」
 身分を証明するものを全て置いて出奔した彼女は、他国の皇子を納得させるような物は所持していない。
「言うだけならば自由だが」
「お待ちください!」
 クローディアは必死にエドゥアルドに縋りつく。
 いまの彼女は故国に帰るための協力者が必要で、その相手がヨアキムと敵対しているエドゥアルドであっても問題はなかった。とくに彼女は側室になることを拒否し駆け落ちした程、ヨアキムに思い入れがない。
 後宮で仕事をするようになってからも廊下を歩いている姿を数度見かけただけで、直接顔を合わせたことなど一度もなく、ヨアキムに対してなんの感情をも持てないでいる。
 もともと王女であったので、侍女同士で会話することもなく、エドゥアルドがヨアキムと不仲であることも知らない。話しかけている相手がエドゥアルドであることも解らない。
「本物の王女であれば虫集めなどしないだろう」
「お金があったら虫の包を買いますが、駆け落ちした私は買う金もなく……」

「……侍女ではないようだな」

 ユスティカ王国の王女付きの侍女ならば知っていても不思議ではないが、普通の侍女は虫の包など知るはずもない。
 王女であるかどうかは不明だが、ただの侍女ではないだろうと足を止めて話を聞き、メアリーと顔を合わせて”虫の包”の代金を立て替えてやった。
 メアリーはさすがにエドゥアルドのことは知っていたので警戒したが、
「金を渡すだけだ。虫は自由に選ぶがいい」
 毒虫を購入することを強要されることもなく、無害な芋虫でも構わないとされて、メアリーはその話に乗った。

**********

 メアリーはエドゥアルドから渡されたメモの通りに道を歩き、虫師から”虫の包”を購入する。
「本当にただの芋虫なんでしょうね」
「無害な芋虫だ。毒虫はもっと高いよ」
 手のひらに収まる、メアリーには中身が空にしか見えないガラスの箱を渡され、料金を支払いその場を後にする。
 見送った虫師は、メアリーが虫の包を何に使うのか予想できた。
「稼がせてもらったから……街から出るか」
 ”食べるだけ”と言い購入したメアリーだが、その目つきを見れば一目瞭然。
 着ている服の上質さと、異国の風情から後宮の側室であることは明か。面倒に巻き込まれるのは御免とばかりに、虫師は街から出た。
 その足で隣国のロブドダン王国へと入る。
「虫師、ですか?」
 虫師はそこで若く見える娘に声をかけられた。
「あんたは……これは呪解師さんかい」
 見た目は若いが手袋を外した甲に現れている紋様が、見た目の年齢だけで判断してはならないと物語っている。
「あなたはどちらからこの国へ?」
「隣のラージュ皇国からだ」
「そうなんですか。ラージュ皇国と言えば、こちらの王族の方が側室になったご令嬢に近々会いに行くそうです」
「へえ。で、あんた、俺にそんな世間話したくて話かけたの?」
「違います」
 初対面同士だが、挨拶をすることもなく、名乗ることもなく、近くの食堂に場所を移して話をする。
 小振りなパンケーキ三枚と肉の煮込み料理が乗った皿が二人の前に、間には熱々のスープが入った大きなボウル。
「奢ってくれるのかな? 呪解師さん」
「儲かっているのに、私に払わせるのですか? 虫師の方」
「聞きたいことはなに?」
「あなたは亡国ホロストープ王族についてなにかご存じですか?」

 虫師は右目を閉じて、額から口元まで指で線を引いてみせる。

「知っているのはこの程度だ」
「なるほど。食糧を絶ってさえいれば、長くても二年で死にますよね」
 ボウルからスープを取り皿にわけた虫師は、温かいスープをすすりながら答える。
「ご名答。あんた詳しいねえ。虫師としてもやっていけるんじゃないのか? 俺なんて呪解師のこと何も知らないってのに」
「そうですか? 蠱物師まじものしのあなたなら、呪い解きに関しては良くご存じでしょう」
 蠱物師は呪いをかけることを生業とする。世間ではすべてをまとめて呪術師と言われるものだが、その世界では呪術の種類により細かく分類されている。
 蠱物師は体内に蠱を飼い様々な呪いをかける。
「呪い解き専門は恐いねぇ」
「お若くみえますね」
 体内に蠱を飼うことで、年齢よりもずっと若く見えることも往々にしてある。
「話はこれでいいかい、おばあちゃん」
「おばあちゃんという年齢ではありませんけれどもね」
「意外と若いのかい? 呪解師さん。それだったら失礼したな」
「祖先と言ったほうが正しいと思いますよ。おばあちゃんならば、生きて会える年代でしょう」
「恐れ入ります。ところであんたの名前聞いてもいいか?」
「聞きますか? 隠してはいないので教えるのは構いませんが、私の名を聞いたらあなたの体内の蠱が逃げ出すかもしれませんよ」
「あんた……聞かないでおく。いや聞かなくても解ってたんだ。食事代は俺が持つよ。だから聞かせてくれないか? あんたとヨアキム皇子の関係について」

 メアリーの両親がラージュ皇国に向かってから、その呪解師は話を終えてラージュ皇国を目指し歩き出した。

**********

 ”虫の包”を撒いたところで何事も起こらなかった。メアリーも漠然とした想像での行動であったが、何事も起こらないことは予想していなかったので落ち込んだ。
 事態が好転すると思っていたわけではないが、あまりになにも変わらない現状と、廊下で他の側室と話をしているヨアキムを前にしてメアリーは妬心を募らせる。
「側室の部屋にも虫を撒くと?」
「毒虫を撒きます」
「どの側室の部屋だ」
 エドゥアルドはメアリーに問い、
「リザという側室です」
 資金提供を拒否して後宮を去った。
 ヨアキムに真実を話すと脅したがと無視され、以降エドゥアルドからも避けられる。
 そうしている間にメアリーの両親がラージュ皇国に到着する。
「ヨアキムさま」
 両親が来ることを知らされていなかったメアリーは、城で両親と会い驚いている中、後宮からクローディアも引き出される。
 メアリーの両親はクローディアに驚き、二人が妃に嫌がらせをした容疑者として名が上がっていることを告げて尋問を開始する。
「エドゥアルドさまから!」
 クローディアはあっさりと口を割り、エドゥアルドは「王女の帰還費用を提供しただけだ。まさか虫師から虫の包を買ってくるとはな」言い切り、二人の証言以外に証拠はないので、罪を逃れた。
 虫の購入資金を側室に提供しただけでは、どんな罪にも問うことはできないのだが――

「側室が後宮から出るには三つの方法しかない。一つめは収められている後宮の主が死ぬこと。二つめは主が家臣に与えること。三つめは側室が死ぬこと。私は メアリーを後宮に留めておくつもりはない、まして家臣に与えるつもりもない。私が死ぬことを望むのならば宣戦布告として受けて立つ」

 すべての視線がクローディアに注がれた。

 侍女クロードは後宮から消え、メアリーはロブドダン王たっての願いで故国の家臣の元へと嫁ぐことになり――クローディア王女の行方はいまだ不明である。

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