PASTORAL −145

 立ち上がった宮中伯妃は、ルセントムから連絡を受けた際に聞いていた「暴行未遂伯爵」をチラリと横目で見ると、
「署長さん。済みませんけれど、皆様が休憩中に飲むコーヒーをサーバーごと持ってきてくださらないかしら。すっかり喉が渇いてしまって」
 警察署にあるコーヒーメーカー。
 そこのサーバーにあるコーヒーは、どうしても煮詰まったかのような状態になる。
「はい、畏まりました」
 どう考えても貴族に出すには相応しくない(実際エバカインには出していなかった)コーヒーをルセントムは取りに向かった。
「大佐、新しいのを」
「別に宮中伯妃様は飲むわけじゃなかろう、こんな所の安物飲むより、ホテルにでも行って飲めば良い事。あの方が欲しているのは “コーヒーが入ったサーバー” 喉は渇いたと仰られていたが、飲むとは言っていない」
 隣を歩いていた若い警官にそう言うと、ルセントムはサーバーと念の為にカップを持ち、再び戻る。
「はい、どうぞ。宮中伯妃様」
「ありがとうルセントム大佐!」
 そう言うと、宮中伯妃はその煮詰まったコーヒーを勢い良く伯爵にかけた。
「ぐあぁぁぁ!」
 顔に熱いコーヒーをかけられた伯爵は、拘束された腕で必死に顔を拭おうと暴れ、足をもつれさせ転ぶ。
「あら、手が滑ったわ。でも大貴族ならこの程度簡単に避けるはずなのだけれどもね。ルセントム大佐、この伯爵閣下往来に放り出してくださいません。私、暴行犯と同席すると気分が悪くなりますので」
「これは気付きませんで申し訳ございませんでした。お前達、エミリファルネ宮中伯妃の御命令どおり、伯爵閣下を往来に放り出せ。いいか? 放り出すんだぞ」
 宮中伯妃から恭しくサーバーを受け取ったルセントムは、部下達に指示を出し、先程「新しいのを」と言った部下に空になったサーバーを渡す。
 呆然としつつ受け取った若い警官の脇で、
「はい! 署長」
「かしこまりました! 宮中伯妃」
 慣れたように、二人の警官が熱さに悶え叫んでいる伯爵を引き摺り、往来に放り出した。
「申し訳御座いません、伯爵閣下」
「我々下端には、第三皇子の御生母の命令には逆らえないので」
「じゃ、お元気でお戻りください。手前様の足で」
「その程度、病院に行けば即座に治りますから。頑張って病院に行ってください」

− 強権を傘にきて、横暴貴族を投げ飛ばすのは楽しいものですねえ(ある警官の呟き)−

 伯爵が連れ出された後、宮中伯妃は宮殿の伝令係に連絡を入れ、二人にお茶を出すようにルセントムに依頼し、バッグから出した紙に面会を求める定型文とフィスラタ伯爵なる人物を調べる様に手紙を書き上げて封をする。
 受け取りに来た伝令係に「大至急」だと念を押して、今度は病院に連絡を入れ、次に仕立て屋に連絡を入れる。
「さて、明日会える可能性もあるから、医療施設と併設のエステサロンにも行きましょうね。その間に服も新調しておくから」
 椅子に座って呆然としていた二人はその言葉に、
「そんな事をしていただくわけには……」
 そう返すも
「何馬鹿な事言ってるのよ。 “大公に会いたい” んでしょ?」
「それはそうですが」
「大公と面会するにはそれ相応の格好をしていなければならないのよ。幾ら私が一緒に行っても、貴方達の格好が宮殿に入るのに不適切であれば門前払いよ。顔腫らしてボロボロの洋服を着て立ち入れるような場所じゃないのよ」
「あ……」
 言い切られた。
 大公に会う、その為には相当な金額がかかるだろう事を二人は理解した。
「お金に関しては気にしないでね。ルセントム大佐、サンティリアスを一時的に自由にしたいので、保証金の200万ロダス(約二千万)置いていきますよ。何かあったら私に連絡を」
 ケシュマリスタ系奴隷を帝星で自由にするには、ある程度の金額が必要となる。
「はい。最も何もないでしょうが。後の事はお願いします」
「そうですか。さあ、行くわよ二人とも」
 警官達に扉を開かれ、堂々と歩いてゆく宮中伯妃の後ろを二人は、歩幅も何時もの半分以下でおどおどしながら付いてゆく。
 サンティリアスとサラサラは病院で治療されたあと、併設のエステサロンに連れてゆかれ、それらが終わった時には「貴族に仕える召使」の服が仕立てあがっており、ソレを着て夕食をとるホテルへと連れて行かれた。
 個室でとても三人では食べきれない量の料理を出され『礼儀作法なんて気にしないで食べてね。手掴みでも構わないわよ』との言葉に、二人はようやく緊張が解れたような表情となり、思う存分食べた。
 帝星に来るまで、非認可船を乗り継ぎ少ない手持ちを出来るだけ減らさないように、食費などを切り詰めて帝星まで来た二人が、何の心配もなく食事できる嬉しさに、笑顔で料理を口に運び続けた。
 それこそ、何も喋らないで。もう食べれない! そうなる程に食べた後、ホテルで翌朝の食事を買い、それを召使よろしくサンティリアスが運ぶ。
「結構 “様” になってるね、サンティリアス」
「俺は元々、身の回りの世話用に教育された奴隷なんだから当然だろうが」
「“結構” なだけで、サンティリアスの召使って似合わないよ」
「うるせえなあ、もう」
 だいぶ慣れた二人の会話を聞きながら、宮中伯妃は笑みを浮かべ自宅へと乗用車をまわす。
 車から降りた二人は、
「…………」
「す……凄いね、サンティリアス」
「ああ……」
「何もない家だけど」
 目の前の豪邸に呆然とする。
 門から邸までは短いのが帝星の貴族邸の特徴だ。何せ帝星は殆どが宮殿の為、貴族街であっても土地が少ないので門から邸までの距離はほとんどない。
 その為、直ぐに邸の大きさが理解できる。
「は……はあ」
 門のところで、足が止まり見上げる程の家。
 口をポカンとあけて見上げている二人に、
「こんな邸で驚いてたら、バゼーハイナン正門で泣いて帰らなきゃならなくなるわよ。さ、入って、入って」
 あまりに驚いている二人の背後に回り、背中を押して中へと進める。
「ほ、本当におっきい家です……ね」
「それ程でも。帝星にある邸としては大きいけれど、貴族が領地に戻ればこんなものじゃないわよ」
「家に鍵とかは?」
 サンティリアスやサラサラが手をかける扉は全て何の抵抗もなく開く。普通は邸の主など登録されていない人でなければ開かない筈なのだが、
「この家、施錠する必要がないの。たいした物がないってのもあるけれど、帝国軍の監視下だから。彼等が何時も軌道衛星から衛星を使って監視してくださってるお陰で、安全なものよ。大体貴族の家は外部からの侵入者には、監視衛星と殺人衛星の二つで対応するから施錠しないのが普通のようよ」
 “ああ、本当に住む世界が違うんだな” 二人は顔を見合わせて、促されるまま邸へと足を踏み入れた。
 外観からある程度わかっていた事だが、邸はとにかく広い。贅沢に使われる空間の数々、天井の高さや数々のシャンデリアの豪華さ。夕食をとる為に連れて行ってもらったホテルも一流だったが、この家は桁違いだった。
「さすが皇子が生活した家」
 リビングに通された二人は、慣れない広さに戸惑って部屋の隅っこで明日の朝食を持ったまま、あたりを見回すだけ。
「そう緊張しないで。興味があったら家中見て周りなさい、何もない家だけれど。今は先ずお茶を淹れるから……あら? お出でになれたようね。ちょっと待ってて」
 ティーポットを置いて、宮中伯妃は玄関の方へと向かう。二人はその後ろを隠れるように付いてゆき、廊下の柱の影から来客者を見る。行儀の悪い事だと解ってはいるが、『もしかしたら』自分達が持ち込んだ事件に関する事で宮中伯妃に何かあっては……と。
 “関係ないのかなあ”
 “どうだろな。格好は貴族みたいだから……良く解らねえ”
 “? でもあの人、見たことあるような”
 “…………!! あれ! じゃねえ! あの御方は、カルミラーゼン親王大公殿下だ!”

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