PASTORAL −143

「署長!」
 エヴェドリット軍隊の “後始末” を任された警察署の署長、ルセントム大佐。
 下級貴族、五十台始めの大佐は大挙して訪れたエヴェドリット軍から受け取った「奴隷」「平民」「貴族」を一瞥して、頭を下げた。
 権限もなく自分達の仕事に割り込んできた他国軍、そう評するのが正しいのだが、権限や縄張り意識を露わにするより、横暴な貴族を捕らえ、怪我人を此処まで運んできてくれた軍に感謝を示す方が得策だと、大佐は頭を下げた。それに、何より連れてこられた「奴隷」に見覚えがあった。
 さきほどサンティリアスを照会した責任者は「此方の元副署長関係で、書類を貰ったベサビウラ少佐です。とても解りやすい報告書でしたよ」それだけ言い残し去っていった。
 最初にエバカインを運んできた「タースルリ一行」を追跡したのはこの警察署。
 非認可の貨物船を秘密裏に追跡するのは通常業務の一つ。仕事を与えられた警官達は、誰も疑問を感じずに仕事の一環としてこなし、そして「エヴェドリットが引き継ぐそうだ」と署長に言われ黙って仕事を引き渡す。
 逮捕する必要もない非認可貨物船の追跡を、エヴェドリット側に渡し警官達はまた雑多な終りのない日常業務へと戻り、そして忘れてゆく。
 小さな出来事、警官達はそう理解している「追跡調査」だがある一定の階級から上にしてみれば、非常に重要な案件であった。
「第三小隊。告げられたポイントの掃除に向かえ。それで、君はまた捕まったのかね? つくづく運の無い……いや、強運の持ち主だね」
 軍が “血の海” にした場所を清掃する為に部隊を派遣し、手錠をかけられて簡単な治療を施されたサンティリアスにしゃがみ込みながら声をかける。
「いて……あんた、いや……貴方が警察署長のルセントム閣下であらせられますか?」
 蹴られ、切れた口の中の痛みに耐えながら、サンティリアスは用件を切り出す為に声をかけたが、それは、
「貴様等! 私を誰だと思っておる!」
 貴族の怒鳴り声にかき消された。
 ルセントムは全く困ってもいないのだが “やれやれ困ったねえ” そんな表情を貼り付け立ち上がり、振り返って頭を下げる。
「え〜何処かの貴族閣下であらせられるとぉ〜思うのですがぁ〜何せ私は下級貴族でしてぇ〜上級貴族のお顔と名前は全くぅ〜一致いたしません。む・ろ・ん〜エヴェドリットの新王だとかぁ〜軍の重鎮であらせられるぅ〜バーローズ公爵家当主やシセレード公爵家当主でしたぁ〜ら解るのですがぁ、なにぶん学もありませんしぃ〜上級貴族に知り合いもおりませぇ〜ん。まあ〜私も上級貴族に〜お知り合いが〜おりましたらあ〜こんな所には〜おりません〜」
 明らかに可笑しい語尾で、淡々と語る警察署長。
 顔を見合わせるサンティリアスとサラサラ。
 当初貴族はサラサラに目をつけ、車に引き摺りこもうとし髪を引っ張り顔を殴ったので、サラサラも体の右側に痣ができていた。
「貴様! 私をバカにしておるのか! 私は伯爵だぞ! フィスラタ伯爵」
 十七歳の少女に怪我を負わせた伯爵は、無傷。
 引き摺りこむのも、抵抗したサラサラを殴るのも「血と肉片」に成り果てた部下達。
「はぃあい、はい。伯爵閣下であらせられましたか。何せ私は伯爵様だぁ〜とは知りませんでしたのでぇ〜。それにぃ〜貴族はぁ〜下位のものがぁ〜上位の方にぃ〜名乗ってくださいとはぁ〜言えませんのでぇ〜。名乗ってくださりありがとう御座います、伯爵閣下。私は、第23警察署署長 ルセントムでございます」
 突如面を上げ、真面目な口調となったルセントムを前にして、言葉に詰まる伯爵。
「わ……よって私は帰宅する。こんな薄汚れた……って貴様!」
「んで、君はなんで此処にきたのかな? 捕まるの解ってるでしょう? 頭良い子なんだから、サンティリアス君。そうそう、ラウデはどうしてる? 君が持っていっちゃった部下。あれはあれで、人柄も良くてそれ相応に才能もあったから、いい警官だったんだけどなあ」
 いきり立つ伯爵に背中を向けて、サンティリアスに話しかける
“署長、相変わらずですねえ。貴族の慣習を踏襲しつつ、礼儀をギリギリの所で非礼を働くその態度。そしてその口調”
 部下達は黙ってその攻防を見守っていた。割と、結構、毎度で何時もの事なので。
「エバ……副署長に、元の副署長に……。それで此処まで来ました。連絡をつけてはいただけませんか?」
「かつてここの副署長であられた御方に会いたい、と言う事だね」
 “当然だろうねえ” ルセントムは頷く。
 捕らえた貴族を警察に “置いていった” 時点で大体の事は想像がついていた。それを敢えてサンティリアスの口から聞きなおしただけの事。背後で怒鳴る貴族を、警官達も慣れたように適当に宥める。
 横暴貴族を宥めるのも、警官の仕事の一つだ。言葉の通じない幼児を宥めるよりも苦労することだが、できなければ仕事にならない。
 そんな子守りが仕事の一つなど、ばかばかしいにも程があるが、それが現実だ。
 警察署長はその現実に物理的に背を向けて、負傷した奴隷と平民、いや「サンティリアス」と「サラサラ」に声をかける。
「はい!」
「そうです!」
 署長の言葉に二人は顔や体が痛むのも忘れ、身を乗り出して肯定する。
「無視するな! 警察署長!」
「まあ、落ち着いてください伯爵サマ」
「そうです、そうです伯爵様」
 部下達は毎度の事なので、伯爵には触れずに(下手に体に触れると、後で罰せられる恐れもある) “はいはいはいはい” と頷きながら、適当に聞き流し、それでいて怒りを徐々に高める。
 こうやって平常心を失った貴族を最後に署長が宥めるのが “第23警察署” の何時もの手法。
「絶対に会わせてやれるとは言い切れないがね。何せ私からは連絡など出来る御方ではないので。ただ一人だけ、近い知り合いがいる。連絡を取ってくださりそうな方に連絡を取ってみる。でも、それが駄目だったら諦めてくれるかな?」
 元の「上司」であっても、連絡を取れるような身分ではない。
 例え、突然自分の執務室を掃除し始めたり、閑を持て余して廊下を磨き出したり、帝国でも最高級の階級にいながら定時前登庁(始業20分前には執務室の掃除が終了している)定時退庁。
 賄賂を貰う事を拒み(警察の管轄である犯罪者程度が渡せる賄賂は、はした金にもならない程の財力)奴隷ボランティアに積極的にそして真面目に参加、なおかつ警察在籍中の二年間皆勤という快挙。
 皇族というのは最上級の着衣と長い髪、そして装飾品の数々と長いマントを身につけ、市民が唯一立ち入る事の許されている専用バルコニーから手を振る方々……なる認識を打ち砕く短い髪に帽子、ほころびを繕った制服を当たり前のように着てくるその姿勢。当然マントなど身に着けて登庁した事は一度も無い。
 安っぽいプライドが肥大化した貴族の扱いに慣れているルセントムをして『この方は全く違う。これが貴族と皇族の違いかあ。真のプライドの高い方は扱えるものではないな』と言わしめた男・エバカイン。
 それが全くの勘違いである事を理解している人、その人にルセントムは連絡を取ろうとしていた。
 エバカインの母、エミリファルネ宮中伯妃。
 ルセントムが唯一直接連絡を取れる “元” 下級貴族。現在は上級貴族の一人に数えられる “妾妃”
「はい。その時は別の方法で探します!」
 そう言い切ったサンティリアスを見ながら『彼女以外のルートで奴隷が大公にたどり着く事は先ず不可能だろう』、そう思いはしたが、口にはしなかった。その程度のことは、元部下であった警官が“横領” して “横流し” しようとした “頭脳明晰な奴隷” が理解していないはずはない。
 それでも、彼は諦めないのだろう。その体から溢れるような強い意思に、サンティリアスを結果的に助ける事となった、警官としては当然のことをし、それが原因となり中央から遠ざけることで命を繋がせた部下を思い出した。
「芯が強いと言うべきか、強情だというのかは知らないが……大丈夫だろう」
 奴隷男の真直ぐな視線と、平民女の痛みと恐怖、それと誰かを心配する瞳を交互に見たあと、ルセントムは立ち上がって振り返る。
「お待たせいたしました伯爵閣下、そしてまだ暫くお待ちください伯爵閣下」
 じゃあな、と部下に軽く手を上げて、連絡を取る為に署長室へと向かう。閉じられた扉の向こう側から、それはもう怒り狂った貴族の意味を成さない言葉を聞きながら。そんな叫び程度で混乱しているようでは、階級社会の警察署長など務まらない。
「阿るのは楽だが、からかうのも楽しいもんだ。阿てしまうと、この快感が味わえない。薬などよりずっとスリルがあるよ」
 多くの人から賛同されないだろう事を呟きながら、その神経の図太さを持ってルセントムは宮中伯妃に連絡を取る。
「先に名前を名乗る事お許しください。第23警察署署長のルセントムです」
『構わないわよ。召使を一人も雇っていない、連絡を取り次ぐ者を置いていない私が悪いのですから。何か私に用事でも? この宮中伯妃に』
「はい、火急の」
 ルセントムは簡潔に状況を告げ、宮中伯妃は即座に理解し、行動に移した。
 通信を切り、まだわめいている伯爵を捕らえている部屋へと戻る。伯爵本人は不当な拘束だと感じているようだが、警察としてみれば逮捕だ。階級をのぞけば、ではあるが。
 三人と警官多数がいる部屋へ入ったルセントムは、開口一番

「すぐお越しくださるそうだ。それまで事件を起こした伯爵も拘束しておくようにとのご命令なので、お前達! 確りと伯爵閣下を “ご”拘束させていただけ!」

 非礼の一つ「指差して」笑ながらそう告げた。
「はい!」
「はい! 署長」
 部下達は署長の笑いに、一瞬無言で会話した後、凶悪犯を取り押さえるかのような態度で伯爵を拘束する。
「私は大貴族だぞ!」
 フィスラタ伯爵は、本物の名門貴族だ。
 解りませんとは言ったルセントムだが、実際は彼が何爵であるか? くらい知っていた。
 貴族としてではなく、警察署長として。
 通常帝星にいない貴族が帝星を訪れれば、その情報は瞬時に各警察署長に送られている。それを有効利用するかしないかは、その警察署長次第。
「はいはい、大貴族様なのは重々承知しておりますが、軍警察というのは権力に弱いものでございましてね。貴方様よりも偉い御方のご命令に、逆らうわけにはいかないのです」
「たかが軍警察の署長如きが、どれ程の縁故を持っていると! 私にこのような事をして!」
「ツテなんて全くございませんが、とにかく大貴族様であらせられる貴方様を拘束しておけとの命令ですので、従わせていただきます。はい、とっとと転がしておけ」
「貴様! 命が惜しくないのか」
「惜しいからこそ偉い人に従うのですよ、大貴族様」

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