PASTORAL −137

 余が足を運ぶと、ベッドに横になっていたクロトハウセが起き上がろうとする。
「無事で何よりだ、クロトハウセ」
 それを余は制する。
「ご心配をおかけして申し訳ございません」
 クロトハウセは既に起き上がる事は可能だが、あえて横になったまま話を続ける。
 エリザベラに盛られた毒がまだ効いている、というように見せるための行為だ。
 挨拶の後、エリザベラの処刑に関する書類に署名をさせ、公的なことは終わる。
 何の躊躇いもなく、エリザベラの処刑に対し同意をするクロトハウセ。四王の署名も既に出揃っておるゆえ、これで確定だ。
 カウタは最後まで渋っておったがな。あれは最後までクロトハウセの妃を庇っておった。カウタにとって “妃” は “大切なもの” と同義語であるから、そうなっても仕方あるまい。
 その五つの署名に目を通し、余が最終の採決を下す。これらの署名が揃っていながら皇帝が反対する事はない。
 それらを終えて、今度は私的な話をする。少々クロトハウセの背中を押さねばならぬので。
「エバカインが心配しておった。いや泣き出してしまって、余としても少々困ってしまってな。そなたが毒を盛られた事、エバカインには堪えたようだ。自分が盛られれば良かったと考えておる素振りが見えて、余としても何と声をかけてよいのか悩んだ」
 その為別離宮に置いて、少し落ち着かせようと思ったのだが……いい思いをさせてもらった! 至福の一時、まさにこのまま時間が止まればいいのに! むしろ宇宙があの瞬間に消え去っても余は満足であった! 
 ただ、別離宮に行けと命じたのには、エリザベラの処刑以外の理由もあったのだ。このまま連れて帰れば婚礼までの間、余はエバカインに手を触れることができぬ。
 手は触れられるが、あれこれするわけにはいかぬ。ふっ、婚礼までの我慢ではあるがエバカインがちらついておると、それも辛いものだ。
 進軍中は戦争に意識が向いている為それほど苦ではないのだが、今回は婚礼。そちらのほうにばかり意識が向かって仕方が無い。だが、我慢せねばな。
 余が規則を破っても、責められるのはエバカイン。裏で悪く言われるのも余の可愛らしいエバカインである。
 出来る限り、それらを口に出来ぬよう規則は守る。それでも悪く言うようであれば、それなりに対処するつもりではあるが。
 それにしても、済まぬなエバカインよ。法の抜け穴とは言え、目立つのは男皇帝の配偶者とされた異母弟であるそなた。それでも何も言わずに従ってくれるその寛大さに余は甘えておる。
「後で見舞いにでも行くが良い、人知れずな」
「はい」
 余は離宮でのエバカインとの日々を、語ってやった。楽しそうに目を輝かせて聞いておるクロトハウセ。
 機会があらば、一緒に連れて行ってやりたいものだ。
「私にとってロガ兄上は、命の恩人……とは少々違うのですが、それに近いような気がするのです」
「命の恩人とな」
「ええ。ロガ兄上がおられなければ、私は存在していなかったと思うのですよ。カルミラーゼン兄上はすでに存在しておりましたし、ルライデは今と同じように生まれてきたでしょう。ですが私は……言葉は悪いのですが、ロガ兄上の母であるアレステレーゼ妃がクロトロリア帝に犯されなければ、そして妃が身ごもらなければ、私は生まれてくる切欠がないまま、存在する事ができなかったような気がするのです。今こうやって陛下の弟としてお話する事も無かったのではないかと。そう思えば、複雑ではありますが……その、何と申しますか……」
「言いたいことは解る。それは言わずとも良い」
 クロトハウセは自らが生まれてきたことを喜べば、裏にエバカインがおる。
 クロトロリアがアレステレーゼを犯さなければ、クロトハウセは本人が言う通り生まれてこなかったであろう。
 エバカインの存在は当然認めるべきであるが、クロトロリアの蛮行は到底認める事はできぬ。だがクロトロリアの行為を責めれば、エバカインは自分の存在を疎ましく思う。それは違うのだと言ったとしても、消えるものではない。故に口にする事は出来ず、我々の胸にその澱み続ける。

**********

 あの日のザデフィリアの言葉

「それにしても皇族に迎え入れのを許可してくれるとは、思わなかったぞザデフィリア」
「殿下……ご気分を悪くしてしまうかもしれませんが」
「どうした? ザデフィリアよ」
「私がそのように申したのは、クロトロリア帝に蹂躙された女性を最初に考えたからなのです」
「アレステレーゼの事か」
「はい。彼女に妾妃の位を受け取らせる事、それは彼女を再び苦しめると思うのです。心無い者は、嫉妬から ”妾妃になれたのだから強姦されて良かったな” などと彼女に言うかもしれません……ですから……皇子は皇子として迎え、彼女は彼女のあるべき場所へと。彼女を厚遇する事が、彼女の為にならない……上手くは言えないのですけれども、彼女を妾妃にすることは、彼女の意思など全く顧みず ”許せ” と強要する事になるのではないかと。無論、彼女がなりたいといえば妾妃と迎えるべきでしょうが、そうでなければ……」
「そうだな」
「ですが、私の意見が正しいわけではありません。彼女の意見は彼女に聞かなければ解らないかと思うのです。……私は一生、その気持ち解りたくはありません。強姦されるなど、考えただけでも恐ろしい……事です。己の身は己で守るのが当然ですが……」
「泣くな、ザデフィリア。そなたは私の妃。決してそのような目に遭わぬよう、私が明日にでも部下達に警告を与えておくし、警備を見張る部隊を私が秘密裏に用意しておく。カウタが警備に襲われた事を聞いて、恐ろしくなったのであろう。特にそなたは妹達に狙われておるからな」
「はい……」

 それを確認すべく、即位後アレステレーゼを呼び問うた

「そなた前帝の妾妃となる気はあるか? 妾妃になると言う事は、クロトロリアの蹂躙を許した証と他者に取られる可能性もある。なるもならぬも好きにせよ。どちらにしても生活水準は皇王族と同じにする事は確約しよう」

 アレステレーゼは微笑み

「私はあの子に辛い思いはさせたくはございません。あの子は私とクロトロリア帝の間に ”望まれて” 生まれて来た子。そこに当然暴力など存在しておりませんから、受けさせていただきます」

 [妾妃]の座を受け取った
 誰よりも息子を愛しておる母親は、はっきりとそう言った。十六年の歳月を一人で生きた女は強く、余の妃であった王女も及ばなかった。

**********

 だが、いくらアレステレーゼがクロトロリアを許しても、余は許す事はできぬのだ。
 エバカインを愛しておる、そなたがこの世に誕生してくれた事、余は嬉しく思っておる。
 だが余は決してクロトロリアの行為を認めるわけにはいかぬのだ。皇帝である以上、強姦は罪であるという姿勢を崩すわけにはいかぬ。
 そなた愛しさに、父帝の行為を「無かった事」とてしまいそうになるが、決してそれは許されぬ事。
 余はあくまでもクロトロリアを、人として最低の行為を行った皇帝を皇帝として非難する姿勢を崩すわけには行かぬ。
 余とクロトロリアは親子であるが、皇帝同士でもある。
 既に死しておるとはいえ、いや死しているからこそ余はクロトロリアに対し無言で、自らの行動で蛮行を非難し、非難し続ける。
「ですから、私はロガ兄上を本心から慕い、そしてあの方のためならば何でも出来るのです。話は変わりますが陛下、ロガ兄上をエリザベラの処刑に立ち合わせるのは」
「立ち会わせようと思ったが、カルミラーゼンが泣いて踊ってアボガドを剥きはじめ、とろろをすりおろし始めたので今回は見送らせる事にした」
 エバカインの “皇君として初の仕事” となるエリザベラの処刑立会いだったのだが、カルミラーゼンが『あの可愛らしいエバカインに、あんなもの見せるのは、鬼畜の所業でございます!』鬼畜を絵に描いたようなカルミラーゼンに言われたので、やめておく事にした。
 鬼畜が何たるかを帝国で最も心得ておるカルミラーゼンの言う事だ、間違いはなかろう。
 そしてカルミラーゼンの “とろろ攻撃” はかなり厳しい、まさに鬼畜の所業よ。
「良かった! ロガ兄上は出来るだけ、そのような事から離れて生活されたほうがよろしいと。ロガ兄上は……その、カウタと似た性質をお持ちの可能性もありますので」
 カウタは処刑に立ち会うと、そのショックから翌日にはほぼ全て忘れてしまう。処刑したことだけを忘れておればよいのだが、そう上手くもいかぬのが実情だ。だがカウタの事ばかりを考え、処刑するべき貴族を見過ごすわけにはいかぬ故に、余は処刑の手を休めることはない。
 極力処刑はカウタの従わぬ『進軍中』に、空母で略式処刑として行うようにしておるのだが、エリザベラのような階級となるとさすがにそうもいかぬ。
 正式な手順で正式な場所で行わねばならぬ。何よりもエリザベラの処刑は、他のロヴィニア王とテルロバールノル王の溜飲を下げるのにも必要だ。
「軍人としてエバカインを見ておる分にはその心配はなさそうだが、今回は不必要に処刑を楽しみそうな男もおるので列席させぬ事とした。ところでクロトハウセ、カウタの事だが退位後の警備、エバカインは快諾したが」
「ロガ兄上が? あ、あれはちょっと、ご迷惑をおかけしますので、私がその、折角のお二人の時間を平気で邪魔しますよ? あいつは。お二人がいい感じになられてらっしゃるところに “蟻持ってきたよー” とか言いかねませんから、その……別に、そのあれが大事というわけではなく、お二人にご迷惑をおかけするのが家臣として、見ていて不徳がいたしたりところたり……」
 大好きだから一緒にいます。全部面倒を見ますと素直に言えばよいものを。
 まあ、この態度も可愛らしいのだが。
「カウタの事、任せても良いと取るが、それで間違いないな」
 元々そう言うとは思っておったが。
「御意! ……ただ、その……」
「安心しろ。任せるのはそなたが生きている間だけだ。その後の事は余に任せよ」
 クロトハウセの寿命は、カウタの寿命に及ばぬ。
「最後までお役に立てず申し訳ありません」
 寿命を測定するのは簡単で、昔は多くの者が自らの寿命を測定した。だが、現在は禁止されておる。
 禁止した理由は、寿命を測定し、その数値が自分の想像よりもはるかに短かった場合、自暴自棄になる者や、徐々に迫ってくる “死” を恐れるあまり発狂や自殺をする者が多くなった為の措置。
 禁止されはしたが、その技術は失われたわけではない。皇族(皇王族も含む)や王族の者は、許可さえ取れば寿命の測定を行う事が可能だ。
 その許可を出すのは、皇帝や王である。
 クロトハウセの測定寿命は四十七歳。本人はその前に戦死すると申しておるが、限界まで生きたとしてもカウタの測定寿命の半分程度。
 カウタの測定寿命は百歳。余は九十八歳まで生きる事が可能と算出されておる。四歳年下の余は幸いカウタを最後まで保護する事が可能。
「気にするな。こればかりはどうにもならぬ」
 ゼンガルセンの測定寿命は八十七歳、そこまで余と勝負し続けるのかどうか。
 なんにせよ、余は “うかうかと戦死” や “むざむざと謀死” などしている余裕はない。人生九十八年、残り七十二年間だが予定がみっちりぎっちりぎちぎちむっちむっちに詰まっておる。
「そこまで思い残す事なく、楽しくカウタと過ごすがよい」
「あれと! 楽しくなど! ……ありませんよ。別に私は、あいつの顔が綺麗だ、声は透き通るようなのだからしゃべり方をもう少しどうにかしろ、そういった事は思った事はありません」
 どうしてこうも可愛らしいのだ、クロトハウセよ。兄は可愛らしい弟ばかりで、クラクラしてしまいそうだ。
「それとクロトハウセ」
「はい」
「そなたが何時カウタに手を出すか! なる賭けが行われておるのだが」
 後宮内のみの賭けだ。余が許可し、胴元はカルミラーゼンで、一口100万ロダス(約一千万円)。許可を出した余自身も少々賭けておる。
「はぃぃ?」
「余も賭けた。賭けた日付はエリザベラの処刑日。余に勝利をくれるな、クロトハウセ。意味は解るな」
 こうでもせねば、そなたカウタを抱くことはなかろう。
 壊せというわけではないが、今までの状況からそなたが手をだしても二十年少しの間は今の状況が激変することはない。エバカインとは違い、カウタの症例は帝国建国以来存在するもの。データは十分出揃っておる。
 過去の歴史と公にできぬデータとカウタを観察した結果、そなたが死ぬまでは二人で楽しく暮らせよう。
 そなたが死ねば、後はショックでどうなるかは解らぬが余が、最後までカウタを支えようではないか。
「あ、あの……畏まりました」
 カウタは案外強い男でな、自殺したいと申した事もなければ、本人は一度も思った事がないようだ。
 あれは壊れてはおるが、狂ってはおらぬから自殺する事は可能だ。シャタイアスの母のように死を選べぬ程、狂っているわけではない。だが、死にたいという素振りは一度たりとも見せた事はない。カウタは死にたければ余に告げるであろう。

 “殺してください”

 だが壊れても壊れても、あれはそのまま生き続けることを望む。クロトハウセ、そなたがいる限りは決して殺してくださいとは言わないであろう。
 そなたが死んだ時どうなるかは解らぬが、その時に死にたいと願えば余は叶えてやろう。それまでは楽しく過ごすが良い。

そして殺す

「我が永遠の友よ。頼んだぞ」

かくて殺される


「カルミラーゼン。クロトハウセはついに ”あれ” を抱いたか」
「御意」
「王妃は決めたか」
「クリミトリアルトを」
「そうか。カルミラーゼン、余の配当金をそなたの最初の妻バタニアルハスの慰謝料と再婚資金にあてる。バタニアルハスの再婚相手は余が選ぶ。それらの事、本日中にバタニアルハスに告げよ。その後カウタの退位と、そなたのケシュマリスタ王即位公布を行う」
「御意」

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