PASTORAL −122

 妃は喉から手が出るほど欲しい。そして子供を均等に産ませて、晴れてエバカインを抱きしめたい。
 幼少期はぷにぷにしておったエバカインは、その才能を磨き引き締まった大人と子供の間の身体を持ち合わせて余を誘惑しておる!
 窓から見上げるエバカインがおる衛星、それを見上げておるだけで余は幸せであった。エバカインに付けた男爵家の跡取りも問題なく、クロトハウセが定期的に見回りにも行っておる故に身の危険もない。
 余が自ら見回りに行きたい所なのだが、少々忙しくそれは出来なかった。
 十九歳で皇太子一人の現状に、家臣達は非常に心配しておった。皇太子が生まれてから余は帝国防衛戦役において、機動装甲に搭乗し出撃しはじめた事にある。
 余の戦死を恐れているのである。戦死した所で皇太子がおり、カルミラーゼンがおれば帝国は磐石であるのだが、カウタが問題であった。
 カウタは王妃・アイリーネゼンとの間に子が出来ないでおる。カウタの性質を知っている者達は、後継者は諦め、従弟である余の弟の誰かを王に添えて欲しいと。
「して、お前が来たのか。アイリーネゼン」
 そして十七で皇太子妃を失って以来、決まった相手を持たぬ余に公式の愛人を持ってはどうか? という意見が出された。一夜の相手の素性を調べさせるよりならば、公式の愛人の方が調査費用的に安く上がる。
「はい。お嫌でございましょうか?」
 それで選ばれたのが、アイリーネゼン・ファルリッシュ・レマティーエルファ。現カロラティアン伯爵の妹にあたり、カウタの妻、要するに王妃。
 カロラティアン伯爵家はケシュマリスタの大名門・副王の称号を持つ家柄で、皇帝の夫も出した事がある。美しく大人しかったアイリーネゼンは、カウタの為に教育を施され王妃となった。
「“我が永遠の友” の妻を、喜んで寝取る皇帝に見えたか」
「そうでは御座いません」
 覚えてもらえるように毎日のように会い、カウタが出来ぬ軍事的なことを覚え、そして結婚後は夜を誘いカウタの子を身篭る為に努力する。
 貞節な女で、夜ともいえぬ関係であっても他に男を作る事もない王妃。この女は、夫を持ちながら別の男に抱かれる事を善しとしない女だ。
 シャタイアスの妻であるクラサンジェルハイジも候補にあがっておったようだ、あの女ならば喜んで来たであろう。余も、あの女ならば違和感も覚えずに抱いた。産後の肥立ちがよければ、公式の愛人はあの女に変えよう。
 クラサンジェルハイジは公式の愛人を経て、子を身篭れば正妃としよう。
 気性の荒いクラサンジェルハイジはそろそろシャタイアスと別れさせ、余が妻に迎えるべきだろうな。あの頃は後ろ盾も実力もなかったシャタイアスだが、今はクラサンジェルハイジが居なくともアウセミアセン如きに負けることはない。
 シャタイアスの妻となってくれておったのだ、その功を労う必要もあろう。その為にも余が迎えればクラサンジェルハイジは喜ぶであろう。
 だがこの女は違う。生涯の夫は一人だけとするような女。
「アイリーネゼンよ。そなたの夫であるケシュマリスタ王の大叔母・デバラン侯爵か? それともそなたの兄であるカロラティアン伯爵か? どちらが余の子を身篭って来いと命じたのだ」
「! ……」
 皆も目を瞑るのであろう。
 余も目を瞑らねばなるまい。カウタがあの状態になった大きな原因は余の父、皇帝クロトロリアにある。
「そなたの兄、カロラティアン伯爵であろう。珍しく皇族の女児がおらず王妃として嫁がせたのに、跡取りが出来ぬのは腹立たしいのであろう。デバラン侯爵はカウタマロリオオレトを可愛がっておるから、このような事はさせまい。ただ侯爵も、そなたが余の子を身篭っても何も言うまい」
 余とカウタは従弟同士、このような日が来る事も想像はできておった。
「……」
「覚悟は出来ておろうな、アイリーネゼン」
「はい……」
 余はカウタの妻、アイリーネゼンの白い手首を掴み引き寄せる。
 長く艶やかなその髪は百合の香りがした。香りに色などないが、淡い黄色の百合を連想させる香りであった事だけは忘れることはない。
 居なくなった後、アイリーネゼンが使っていた香水を作らせたが、香りは違っていた。あの女が身に纏ってこそ、あの香りであったのだろう。
 結局、公式の愛人をクラサンジェルハイジに変える事はしなかった。余との間に子が出来なかった事もあるが、アイリーネゼンは思いの他良い女であった。ケシュマリスタの軍事を預かっている王妃を連れてゆけば、他の相手も必要なく済む。
 ケシュマリスタには現在、年頃の王女はおらぬ故、このアイリーネゼンを正妃にする事も可能。
 そんな事が余の脳裏を過ぎったのは、三年目のこと。
 その日情事の後、訪問者が現れる。カウタが突然来たと報告を受けた。
「へ、陛下!」
「黙っておれ」
 ベッドの上に横たわるアイリーネゼンに余のガウンを掛け、カウタの来訪を許可した。三年に渡るこの状況、気付いておらぬのはこの、
「陛下」
「どうした、カウタマロリオオレト」
 カウタだけと言われておるが、それは違う。カウタは知っておる、王妃が余と関係を持っている事を。
 ただそれを表現出来ぬだけ。そして怒らぬのは、自分が壊れている事を自分で見つめている為。
「あのですね、今日の夜出撃ですね」
 妻に負担をかけている事を理解しており、それを自身でどうにも出来ない事を知っておる。
「そうだ」
 お前は本当に壊れてしまえれば良かったのにな。
「アイリーネゼンの事、よろしくお願いします」
 ガウンの下にいる、一糸纏わぬアイリーネゼンが震えだした。
「突然どうした」
「アイリーネゼン、陛下に所に行く時、とても楽しそうなのです。だから、いぱい、いっぱい一緒に居てあげてください」
 本当に愚かならば、妃の変化など気付くまい。
「そうか」
「女の人と一緒にいる所、お邪魔して申し訳て申し訳て……申し訳ございませんでした」
「構わぬ。……カウタマロリオオレト! アイリーネゼンのことだが!」
 カウタは少し頭を傾げ、余の手を握り、
「ムームー。僕、子供の頃、言ったよ。陛下は頭下げちゃだめなんだよって、教えたよ」

− 下級貴族の腹におる子を助けて欲しいとな。人に物を頼むときはどうするか知っておられるか? レーザンファルティアーヌ皇子
− 頭を下げれば……いいのですね。デバラン侯爵、貴方に下げればいいのですね

 本当に解っておるのだろう、カウタ。
「では、陛下いってらっしゃいませ!」
 お前は余に謝罪をさせてはくれぬのだな。昔からそうであった……お前がそのように育てられてしまった事、あの男の贖いきれぬ罪だな。
 ケネスセイラよ、貴様もクロトロリアと同じで死んで名誉を保った屑だったとは……

 扉が閉まった後、アイリーネゼンは火がついたように泣き出した。手のつけようがない程泣き叫び、去っていったカウタに許しを請う。カウタを追いかけようとしたアイリーネゼンの手首を掴み、引き止める。
 三年前、手首を掴み引き寄せた事を思い出し、そして今、この関係が終ったことをはっきりと感じ取った。
「殿下、お許し下さい! このアイリーネゼンをお許しください! 殿下! 殿下!」
 崩れ落ちたアイリーネゼンの手首を離す。余の足元でカウタに許しを請う王妃。
 やはり、公式の愛人を変えれば良かったのだと。ただ、年上のこの女は心地良かった。
 戦争に勝った後、アイリーネゼンと最後の酒を飲み交わす。
「余の妃となるか、アイリーネゼン」
 最早、戻るに戻れぬであろう。
 アイリーネゼンは、当然ながら頭を振った。
「嫌だと兄を撥ねつければよかった。陛下、こんな兄の言いなりになって夫を裏切るような女を、正妃にしてはいけませんわ。それに、私気が多い女です。殿下も陛下も愛しておりました」
 言いながら、余の目の前で毒をグラスに入れる。
 余も愛しておった、死んだザデフィリアとは違い、そしてエバカインとも違う感情で愛しておった。お前は本当に心地よかった。皇帝が求めてはならぬ甘えを、お前が叶えてくれていた。
 甘えたつもりはない、お前も甘やかしたつもりはなかろうが、言葉にするならば「甘えていた」この余が、滑稽であるが甘えておった。
「殿下を裏切って泣く愚かな王妃でありますが、陛下から頂いた女としての日々は幸せでした。……殿下の妻となれた事も幸せでした」
 美しく酒を飲む女であった。言い終えてアイリーネゼンはグラスをあおり、笑う。
「そなたは良い愛人であった」
「……陛下、あの人の事、よろ、しくおね……がい、いたしま、す……」
「言われるまでもない “我が永遠の友” だ」

 テーブルに伏したアイリーネゼンの髪を掴み、それに口付ける

 アイリーネゼンは戦死したことにし、遺体を柩に収め旗艦から降りる。走ってくる足音、そして内側が見える柩を覗き込み、
「アイリーネゼン! 起きてよ! カウタマロリオオレトだよ! 起きて! 一緒にお城に帰ろうよ! 起きて! 目覚ましてぇぇ! 一人にしないでよ! 寂しいよ! お母様もお父様もいなくなって、アイリーネゼンまで居なくなっちゃったら、一人ぼっちだよ! 嫌だよぉぉ! 起きて! 起きて! いやぁぁぁ!」
 柩に縋りつくカウタを見下ろし、余はその場を後にした。
「てめえの女房が浮気してる事にも気付かないで泣けるとは、宇宙で一番幸せな男だ」
「言うな、ゼンガルセン」
 その後、ケシュマリスタの軍事全権を代理で統治しつつ、余の正妃候補の選出を行った。
 ケリュマリスタには王女がいない為、カロラティアン伯爵家の姫かイネス公爵家の姫かを選ぶ事となった。カウタはイネス公爵家の姫を余に勧めた、理由を問うと、
「アイリーネゼンがですね、ですね……」
 それ以上、あれは語る事はない。
 ただそこにはカウタと王妃の間で交わされた会話が存在するのであろう。調べれば知る事は容易いが、敢えて聞かぬ。
 余はイネス公爵家の姫を選び、その際公爵に次女を勧められた。余としては長女の方が欲しかった。成熟した、直ぐにでも子が産める妃を欲していたのだが、少々思うところがありその提案に乗った。思うところとは、エリザベラ=ラベラ。ゼンガルセンの姉を正妃に迎えると内乱の恐れもある。
 出来ればエリザベラとの婚約は潰したい。それらをタナサイド王に打診しても、ゼンガルセンの恐怖を全く感じ取れぬ王には理解が出来ず、話が進まぬ。
 まだ幼いマイルテルーザを正妃候補に入れ、二年の期間を設ける。その間に、婚約を潰す方法を色々と模索しようではないか。
 エリザベラ一人だけを上手く潰すのは不可能であろうが、四人全員を一度に潰すことは可能であろう。
 マイルテルーザとの婚約が潰れた後、長女であるクラティネを得ればよい。
 エリザベラの代わりに妹のロザリウラを。
 クリミトリアルトは姉二人を怖がっていたので、婚約が潰れても良かろう。潰れればあの姉二人のうちのどちらかが余の妃となろう。
 そしてデルドライダハネは、皇后よりも王が向いておる。どうしてもと言うのならば、迎えても良いが、従姉のケテレラナの方が年上であったな。
 人選が決まった後、カロラティアン伯爵が現れた。イネス公爵家のマイルテルーザよりも、自分の姫を娶った方が良い筈だと。副王の家柄だ、それは確かにいえるが、
「カロラティアンよ。そなた、妹に浮気を薦めたな」
 強要したのであろう。
「そのような事は。それは妹の戯言でございます」
「戯れていようが構わぬのだ。そなたの妹が浮気した、それは事実であり、それを咎めるでもないような当主の娘など皇帝の正妃に相応しくはない。それだけの事だ」
「……」
「ケシュマリスタでの地位を失いたくなくば、より一層ケシュマリスタ王への忠誠に励め。意味は解るな」
「御意」

 アイリーネゼン、そなたの死を悼みはせぬ。余とそなた、二人でカウタマロリオオレトを裏切った、それでよかろう。同情も欲しくはないであろう。

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