PASTORAL −119

 余の最初の子は十五歳の時。
 これは流産してしまった。翌年、再びザデフィリアは身篭ったのだが、
「殿下」
 医師達にザデフィリアが妊娠に向かぬ体質だと告げられた。結婚前までは普通だったのだが、
「こればかりは妊娠してみないとわかりませんし、一度の妊娠で体質が変わられる事もありまして。皇太子妃殿下は、母君がケシュマリスタ王女でいらっしゃいましたから」
 体質が変わってしまったようだった。
 多産系で名高いロヴィニアの血よりも、少子で難産になる確率の高いケシュマリスタの血の方が強くなったようだ。
 暴行されると脳神経が崩壊してしまうのと同じように、ケシュマリスタのこの妊娠に向かぬ体質も手の施しようがない。一般人の体質変化とは理由が違う。
 医師達のデータと、当人の容態を観て結局その子も堕胎させた。
「仕方なかろう」
 勝手に処分を決め実行させた事、泣いて責められた。そこまでは予想しておった事だ。
 表面上は二回目の流産という事にし、ザデフィリアの父親であるロヴィニア王には委細を伝える。
 するとロヴィニア王は、アウセミアセンの王太子妃となったリザベルタリスカ、シャタイアスの妻となったクラサンジェルハイジ、そして末王女のクリミトリアルトを『姉の見舞いに』と宮殿に送ってきた。
 ロヴィニア王が考えなしであったわけではない。余が考えなしであったのだ。
 余はザデフィリアの体質の事を考え、妃とはしておくが子は産ませぬ旨をロヴィニア王に伝えた。ロヴィニア側にしてみればそれでは意味がない。
「妃をお取替え下さい。我が家にはまだ三人の娘がおりますゆえに、お好きなのをお選びください」
 向こうはそのように言ってきた。ならば独身である末王女だけを送って寄越せば良い、既婚の二人は必要ない。それを問いただした所
「どうしても見舞いに行きたいと……」
 ロヴィニア王の言葉の歯切れは悪かった。あの強情な第三王女と第四王女を諌めることが出来なかったのであろう。
 クリミトリアルトだけはザデフィリアを真に心配しておった。真に心配……とは少々違ったか。ザデフィリアが死ねば、ロヴィニア王の唯一の独身王女クリミトリアルトが余の妻となるのは確実。そうなれば、上の二人が黙っていない、そしてあの二人は実力行使も辞さぬと。
 そして、
「お前は皇太子妃の見舞いに来たのか? それとも体調を崩しにきたのか! 今の言葉が皇太子殿下の耳に入ったら」
「別に構いはしないわ。本当の事でしょう? 子供ができない妃など、とっとと離婚すればいいのよ!」
「お前が妃になれるはずないだろうが! クリミトリアルトが選ばれるのが順当だ」
「貴方如きと離婚するのは、なんて事はないわ! シャタイアス」
「お前なんか皇太子殿下のご迷惑以外何物でもない! 絶対に離婚はしない! 意地でも離婚してやらんからな! クラサンジェルハイジ!」
 この有様。
 ザデフィリアに向かって二人の王女は『離婚するのが筋だ。家に帰れ、役立たず』と責めてたてた。それを聞いていたシャタイアスは妻を諌め、アウセミアセンは知っていながら何も言わなかった。後に余がアウセミアセンを見捨てようと考えたのは、これが原因の一つであったのかも知れない。
 アウセミアセンのことは放置しておいても構わぬが、二人の言葉にザデフィリアは頑なになってしまい、家には帰りたくは無いと泣き出す始末。
「私はそなたとは別れぬ、安心しろ」
 ただ、幾ら言葉を重ねても足りなかった。ザデフィリアは一人だけで良いから『どうしても』と求めてきた。余は十六歳、ザデフィリアは二十二歳。結婚して十年目の事。
 こんな終わりが来るとは、正直思ってはおらなかった。
 ザデフィリアは妊娠したが酷い有様であった。四ヶ月を越えれば脳死は確実だと報告を受け、それを余は包み隠さず告げた。
「殿下、この子は皇太子に」
「死ぬぞ」
「我儘きいて下さると、言ってくださったではありませんか」
 こんな我儘を言われるとは、思ってもおらなかった。
 もっと可愛らしい我儘、例えば『お忍びで宮殿を抜け出して遊びに行こう』などを言われると思っていたと伝えると『可愛らしい我儘をいえない女で申し訳ありません』と微笑んで返された。
 あまり話をしたことがない相手ならば、まだ説得しようと考えたが、余はザデフィリアと会話をよくしてどのように考えるかを知っている。これが、この表情をした時は決して決意を翻さない事をも知っている。帝国四王家の王女は、正しく王女であった。
「女の浅ましい意地をお見せしたくはありませんでした。最後まで綺麗に散れば良いのでしょうが」
 妹にその立場を取られたくない、ただその意地だと。だが、意地の一つもなければ皇后など務まるまい。
「産ませてやる代わりに、これだけは納得しておけ。そなたが嫡子を産むのは私の命令であって、そなたは拒否したが抗えなかった。良いな」
「それでは殿下が悪く言われてしまうかもしれません」
「そなたが “産みたい” で産んだのでは子の後ろ盾にならぬ。私が “皇后” の命と引き換えに切望した子と知れておれば、周囲の態度も違う」
「殿下……」
「腹の子は女子だ。名は適当につけるが、皇帝名はザーデリア。それで良いな “皇后ザデフィリア” よ。それに、私も欲しい。そなたと私の子、長年の夢であっただろうが」
「殿下……ザーデリアは私の妹には近付けないでください。あの二人が何れ殿下の妃となっても、この子の傍には近づけないで……妹を悪く言うような女ですが、あの二人は決して良い影響を与えませんから」
「そなたが育てるのが最も良いのだが、それを言っても仕方ない。ザーデリアの養育係に誰を望む。そなたが最も皇太孫の傍に相応しいと思うのは誰だ」
 やつれた頬と、くすんだ肌、手を通しただけで抜け落ちる髪。
 ”待たせたようだな、ヒーシイ公爵ザデフィリア”
 ”ええ、待ちました皇太子殿下”
 ”姫様、姫様。殿下に失礼で”
 ”一年前、殿下より結婚すると連絡をいただいたその日から待っておりました。一日千秋の思いで。殿下のお傍に来れる日を待っておりました”
 儀礼に遅れた余にそういって笑いかけてきたな、そなたは。
「あの……殿下が何時か迎える “可愛いあの人” を傍に置いて……。あの人なら、あの人なら優しく育てられたあの人になら、ザーデリアも」
「解った。私は何れリザベルタリスカかクラサンジェルハイジを妃に迎える、そなたが死んでしまうから仕方のない事だ。それでも忘れはせぬ、そなたと過ごした日々、そしてそなたの言葉」

 ザデフィリアは四ヶ月持たなかった。三ヶ月目の初めには、生きた屍と化す。

 まだ腹も大きくはなっていない皇太子妃の傍で、産まれて来た子をどうやって次の皇太子にするかを考える。
 皇室法典は融通が利かない。皇帝に即位する為には、あくまでも母体内で成長しなくてはならない。母体が危険な為に胎児を取り出し、胎児育成機器などを使用しては即位ができなくなる。あくまでも “胎児の母親である母体” に八ヶ月以上いなくてはならない。
 そして医療は進歩した。母体を “胎児を育てる為に生かしておく” だけの装置ならば幾らでもある。それらを使用して母体を唯の胎児育成器にしても、皇位継承権は得られる。
 大きな矛盾を隣に、余は帝国の法全てに目を通した。ザデフィリアを皇后にしてやる為に必要な方法を求めた。その中に、

「異母弟の項目、欠落しておるのか」

 抗いがたい誘惑が落ちておった。ただ、それに浮かれて良い時期ではなかった為、心に刻んだまま別の項目へと向かう。
 皇女は無事に生まれ、皇太子妃は死んだ。
 ザーデリアを抱いた時 “ザデフィリアお前との間に出来た子を皇帝にしてやる” それしか言葉は浮かんでこなかった。口に出来ぬ言葉である、まだ余の力ではそれらの発言するのは適当ではない。
「ザデフィリア。そなたと子を乗せてやるといっていたゴンドラと運河。そろそろ完成するそうだ」
 余が皇帝となった暁には、誰もが怯み手を付けたがらなかった法律の改正に乗り出してみせよう。待っておれザデフィリア、そなたを皇后にしてやろう。

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