PASTORAL − 97

 椅子に座って、窓の外を観てた。
 もう顔も覚えてないけれど、九歳の初夏の頃。道を歩いていたら、貴族の息子達の車に囲まれた。そんな事されたの初めてだったから驚いて、足が硬直する。
 何を言っていたのか理解は出来なかったが、誘拐されそうになった事だけは理解した。学校で習った護身方法『大声で助けを呼ぶ』を実戦したんだが、相手が貴族だったから誰も助けてはくれなかった。それでも心配してくれた人がいたらしく、匿名で警察には連絡してくれたらしい。
 その結果、俺は今警察署に連れて来られて座ってる。

 過去だ……夢だな……これも。

 警察に連れてこられた理由は、人殺しだ。俺もまあ……大貴族の血が少しは流れていたらしく、青年貴族達相手に殴りかかって、殺した。
 成人男性貴族の十人中、七人は殺したはずだ。正確な数は知らない。
 通報を受けてきた警官達も驚いた、誰よりも驚いたのは貴族達だったらしい。
『あいつを逮捕しろ!』
 叫んでた。気持ち、解らなくもないけど。
 俺の強さから『帝国騎士』若しくは『近衛兵団』の予備になりそうだから……なんのお咎めもないんだそうだ。
 「罰することができない」警察の返答に、殺された貴族の親は怒った、駆けつけてきたらしい。
 それを観ながら冷静だった。何て言うのかなあ……多分、少しだけ俺にもリスカートーフォンの血は流れてるんだとおもう。絶対に少しは混じってるんだけどさ。
 俺、初めて人を殺した事に対して『全く罪悪感』がなかった。相手が悪い事をしたってのを差し引いても奇妙なくらいに。
 普通の人間は少しは何かを感じるらしいけど、それにはそれはなかった、好んで殺そうって気にもならなかったが。ただ一つ “母さんに叱られる” それだけが不安で口を閉じたままだった。
 でも、どうしていいかも解らなかった。靴下についた血を見ながら足をブラブラをさせ、それが見飽きて窓を眺めていた。
 警察官達が貴族を宥めてる。
 それを脇で聞きながら窓の外を観ていたら、道路から車が消えた。
 “どうしたんだろう?” と不思議に思ってみていたら装甲車が現れ上空には装甲艇。偉い人が通る際にこうなる事は知っていたから、それを見ていた。
 その時は軽い気持ちで。装甲車が俺のいる警察署の方に止まり、そして最後に高級乗用車が到着した。子供でも車に興味がない人間でも、それが高級車であることは解る、色が……
「白い車だ!」
 俺の言葉に誰もが口を閉じ、窓の外を観た。
 白い車、それが帝星で何を意味するのか? 知らないはずもない。
 俺の事など忘れたように、貴族は部屋を出て行く、当然警察官も。一人残った俺は椅子から立ち上がって、窓にくっ付いて外を観続ける。
 去年母さんに連れて行ってもらった、公式行事で観た二人が順に車から降りてきた。真赤な髪の皇太子が、栗毛色の皇太子妃と共に。
「うわぁ! 皇太子殿下と皇太子妃殿下だ!」
 綺麗な皇太子妃と、彼女よりやや背が低い皇太子殿下が警察署の中に入ってくる。俺も行ってみよう! と思い立ち、廊下に出た。
 警察署は静まり返ってたのが印象的だった。俺は急いで出口の方に向かう。
 大声で泣き叫んでいる方に進むと、そこにさっきまで警官に詰寄っていた貴族がいた。皇太子殿下と妃殿下は直ぐに立去ってゆく。せめてその後姿くらいは見たいと走ろうとしたら、警官の一人が近寄ってきて、声をかけてきた。
「閣下の母上はエミリファルネ宮中伯妃ですか?」
 周囲の大人の目が全てこちら側を向いた。その視線が酷く怖かった。違うな……本当に怖かったのは “彼等の方” なんだ。彼等の内心が瞳に現れてただけなんだ。
「違うもん」
 俺は母さんが宮中伯妃だって事は知らなかった。下級貴族だって事しか知らなかった。エバカイン・クーデルハイネ・マクセーヌ・ラリウとしか教えられていなかったから。
「じゃあ名前はエバカイン・クーデルハイネ?」
「……誰から聞いたの」
 何で名前が知られたのか? 当時の俺には解らなかった。
 警官は顔を見合わせて、
「申し訳ございませんでした」
 頭を深々と下げた。周囲の警官も頭を下げる。
「閣下もお人が悪い。陛下の御落胤ならば、そのように言ってくださいませ。知らぬなどは通用しませんので、私達の首が飛びますよ。比喩ではなく現実に」
「御落胤……って」
 意味が解らなかった。でも直ぐにそれが何なのか解った。
『知らなかったんですよ! あんたが! あんたが! 皇帝の私生児だなんて!』
 貴族の叫び声、そして聞こえてくる装甲車が走り出した音。周囲を見回したら、俺に声をかけてきた警官が、
「どうぞ。ご自由になさってくださいませ。御母堂にも連絡は届いているそうですので、此方の方にお迎えに上がるそうです。数々のご無礼お許し下さいませ、閣下」
 そしてまた深く頭を下げられ、彼等は二度と頭を上げる事はなかった。俺が居なくなるまでずっと、頭を下げていたに違いない。
 皇帝の私生児の言葉に、俺は駆け出した。
 “あそこにあんたのお兄様がいるの”
 母さんの言葉がよみがえってきた。大宮殿に居るはずのお兄様、そして皇帝の私生児。鋭くない俺だって解った。
 警察署を飛び出して、後続の装甲車を抜けながら走った。気が付いたら装甲車は全て皇太子夫妻の乗っている車の前方に待機していて、その車は止まって……
 リアガラスの向こう側に居た真赤な髪の皇太子と、何か必死に話しかけている皇太子妃。
 何故かな? あの時、それ以上傍に近寄れなかった。
 ただ黙ってそれを見てた。そのうち、皇太子妃が泣き出したみたいで必死に兄上にすがり付いて、抱き付いて。兄上はその皇太子妃に腕を回して “泣くな” と言った風に手で肩を叩かれて……そして車は走り出した。
 走り去っていく車を、ずっと見送ってた。交通規制がかかってる道路のど真ん中で。
 夕暮れ時で、泣きたくなった。
 
兄上に声を掛けて欲しかったんだな……あの時。

「エバカイン」
 迎えに来てくれた母さんが車から降りてきた。
「母さん……」
 交通規制がかかっている道路を、俺を迎えにくる為に走る事ができた母さん。俺は本当に自分が皇帝の私生児だという事を理解した。
「帰るわよ」
 大通りに二人きり。そして宇宙にも二人きり。
「母さん! お兄ちゃんて……おにいちゃんて!」
「ごめんね。正しくは、お兄様じゃないの……」

 一緒に住んで、一緒に遊んで……とかそういう事を考えていたんだが、相手が違った。
 その後、調べたら兄上が即位したら俺は殺されるかもしれない事を知る。
 先代皇帝の私生児を軒並み殺した皇帝もいた。その際は、母さんも一緒に。生まれてきて悪かったなと、心の底から思った。
「皇太子殿下、即位したら俺のこと殺すのかな」
 誰に聞けば良いのか? 誰にも聞けない。それでも、警察に助けに来てくれたのだから、生かしておいてはくれるんじゃないか? それに一縷の望みを託した。
 だから会えると聞かされた時、普通に会えるのだと聞かされた時、嬉しかったな……本当に。

「エバカイン、エバカイン」

 あ? ……もう起きる時間?
「母さん?」
「エミリファルネではない」
「あっ! 兄上ぇ!」
「お兄様だ」

 俺の勝手な思い込みだった訳です。はい、兄上は名君ですのでアホな異母弟すら、生かしてくださってます。

「お、お兄様……な、な、何か?」
「泣いておるから、どうしたのかと思ってな」
 うわー恥ずかしい……鼻水すら出てるような。
 どうやら俺は一階の寝室に移されたようです。移動させてくださったのは兄上だよな……ご迷惑をおかけして申し訳ないです。
「怖ろしい夢でも見たのか?」
 言われながら、ベッドに腰をかけて俺の前髪をゆっくりと撫でながら声をかけてくださいます。あーあ……こんな優しい兄上のこと勝手に勘違いしていて、恥ずかしいです。
「別に怖いわけではなく……懐かしいというか……その、あの……謝罪してもよろしいでしょうか!」
「何だ。言うがよい」
 長い間、兄上が即位したら殺されるんじゃないかな? と勘違いしていた事を謝らせてもらいました。
「本当に申し訳ございませんでした」
 頭悪いとロクな事考えないよ。
「それは余が謝罪するべき点であろう。声を掛けずに悪かったな。そんな不安を覚えさせて六年も放置しておいた余が全面的に悪い。許してくれ」
「お、お兄様。いやです! 頭下げないでくださいませ!!! そ、そんなつもりで言ったのではありません」
 兄上が頭を下げちゃったぁぁ!
 そして、
「言い訳になろうが、あの時なお前を連れて、エミリファルネの元に送り届けようと思っていたのだ」
 また、凄い急展開ですね。そんな事されたら、俺硬直しますよ。
 間違いなく顎から硬直していきますよ……あ、それ死後硬直じゃないか! 落ち着け俺!
 そんな俺を前に兄上は、あの日の兄上側の出来事を語ってくださいました。俺から観れば夢が正しいが、兄上からしてみれば……
「あの日、初めてザデフィリアと二人きりの外出であった。劇場の方にオペラを観に向かう予定で。皇太子妃がどうしても行きたいと言っていた物だ。そこに向かう途中、そなたの事件が報告されたので急遽目的地を変えた」
 どうりで直ぐにおいでになった訳ですね。
「警察署で声を掛けなかったのは、開演時間が押しておったのだ。それで取り急ぎ用件を伝え、署を出た。そなたが追いかけてきた事には気付いたので、車を止めるように指示を出した。余はそなたを送り届けようと思い、皇太子妃に別々に行動しようと言ったが、あれが聞き入れなくてな」
 そりゃ……初めての二人きりでのお出掛けを、俺なんかに潰されたら腹も立つでしょう。普通の何時でも出掛けられるカップルじゃなくて、お出掛けまで色々と準備やら警備やらがある皇太子夫妻じゃあ。
「冷静に話し合おうとしていたのだが、直ぐに泣き出してしまった。泣き出したあれを放置してそなたを送ろうものならば、その事は間違いなくリーネッシュボウワの耳に入る。当時の余の力では、リーネッシュボウワからそなたを護りきる事が出来ぬので、あれを宥めて予定していたオペラへと向かった。全く、情けない事この上ない」
 ご、ごめんなさい……。そんな重大なコトがあったのですね……。うわぁぁ、恥ずかしさが蓄積されてゆく。一人で勘違いしていた裏側には、兄上の冷静なるご判断があったんだ。
「長い事はなれて暮らしておった故、行き違いもあるであろう。それをこの二週間で少しでも縮めたいのだ」
「はっ! はい!」
 そういいながら兄上は、両頬を手で包み込んで顔を近付けてきた。キスされるのかな……と顔を見上げてたら、
「安心せよ。歯間から幽門まで洗浄・消毒してきた。口内は清浄な状態である」
 そんな気持ちでお顔を見上げていた訳では……目、閉じよ……うん、キスする時は目を閉じるものだよね。そして、行き違いが減るといい……幽門? 幽門って胃の? せ、洗浄? 言葉の “あや” とかじゃないよね、お兄様の事だから……お手数おかけしました! ごめんなさい! お兄様ぁぁぁ!
「どうした? 閉じた目を開いて」
「あ、あの。ちょっと、そのお待ちください」
 自分からお兄様にキスしてみました、も、もちろん軽く! ふっ! 触れるくらいで!
 先ずは、その……歩み寄り……のような。
「い、いやじゃないって、解っていただけたでしょうか?」

 返事は内臓吸い上げられるようなキスで返されました。よ、喜んでいただけたようで……す

backnovels' indexnext