ALMOND GWALIOR −66
「報告に上がりました」
「待っていた」
 ミスカネイアは帝国宰相に「未来の皇后」の発育状況を報告する。

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 彼女が夫である近衛兵団団長から皇帝が気に入った奴隷が居ると聞かされた時、彼女は喜んだ。彼女自身、皇帝が愛人を持つ事にこれほど喜べるとは! そんな驚きを自分に感じる程に喜べた。
 二十五歳になった皇帝が正妃どころか愛妾も持たないで玉座に黙って座り、家臣に勧められなければベッドで独り寝している状況は、お姫様物語の好きな彼女でも危機的状態故に、愛人を多数持って欲しいと強く願う程。
 奴隷の少女は顔半分は爛れていたが、皇帝はそんな事を気にせずに少女の元に通い楽しそうに過ごしていた。
 皇帝の五度目の訪問の辺りで、彼女は夫と義兄の帝国宰相から「奴隷娘の主治医」を任された。
『何番の部屋に住まわせるのですか?』
 愛妾は愛妾が住む区画があり、その区画にある愛妾の部屋は素っ気なく番号が振られている。
 番号が少ない程 《寵愛が深い》 とされている。
 元々は連れてこられた順番に振られていた番号だが、彼女も憧れた平民帝后があまり賢くなく、最初に与えられた自分の部屋の番号 《7095》 を覚えられなかったので、皇帝が 《1》 に変えてやった。
 それが始まりで番号が早い方が皇帝の寵愛が深いとされるようになった。
『番号はない』
『まさか配偶者候補待遇、寵妃ですか?』
 配偶者候補は、その名の通りで皇帝の正配偶者になる前段階。
 皇女皇子、王子王女は皇帝の正配偶者に直接就く事が出来るが、それ以外は多種多様な行程が必要になる。
 名門貴族と王家の格の違いをあからさまにするためだけの儀式だが、それなりに必要でもあった。
 王家の近い血縁貴族から配偶者候補を何名か選び、配偶者候補として宮殿に住まわせる。候補区画も存在し、一人一人に大きな館も与えられる。
 皇帝がそれらの館に通い、身籠もったらそのまま正配偶者の座に上がり、子供は親王大公となる。
 愛妾はどれ程寵愛され、子を産もうが妾妃であり子供は私生児、良くて庶子。決して親王大公となることはない。
 愛妾は皇帝の一存で住まわせる事ができるが、正配偶者候補待遇となると王家が絡み、簡単にはいかない。
『四大公爵の許可は下りたのですか?』
『現在協議中だが、お前の報告を持って確定する』
『私の報告……生殖能力に関する詳細ですか』
『そうだ。生育も悪くないから生殖能力も既に持っているだろう。それらの委細を報告書にして上げろ。王達を納得させるものを作り上げろ』
 帝国の現状からすると、奴隷であっても正妃として迎えて皇太子を産んで欲しいのは彼女にも解る。
『称号はまだ決まっていないが、何れ皇后とする』
『……皇后』
 陛下と仲良く笑っている奴隷の少女の映像を前に、彼女は少しだけ泣きたくなった。奴隷の少女が宮殿で皇后になる、その苦労を想像しただけで彼女は逃げ出したくなった。

**********

「……以上です」
 彼女の報告を受けた帝国宰相の表情は優れない。
「至らぬ点でも?」
 帝国宰相は頭を振り、
「報告書に不満はない。ただ折角時間を割いて作ってきてもらったものだが、正妃はほぼ決定した。先頃の陛下の 《変貌》 に王達も奴隷を正妃にする事を認めることで恭順を表すようだ……だが階級は未だ帝妃から譲らない」
 最終目的まで遠いことを溜息混じりに語る。
「やはり奴隷正妃ですと、皇后の地位が必要になりますか?」
「あの軍妃ですら平民というだけで帝后から皇妃に格下げされた位だ、何も無い奴隷妃では地位を持って安定させてやらなければ、皇太子問題にも繋がる」
 難問であることは彼女も理解できるが、それらに関して彼女はなにも言わなかった。彼女が出来るのは 《宮殿に連れてこられる奴隷妃の健康に注意すること》 だけであって、次代皇帝にかかる調整など意見する自由はない。
「手間をかけたな」
「いいえ。后殿下が本決まりでしたら、私のほうも大急ぎで支度をしなくてはなりません。私は帝国の一員として言葉は飾りません。後継者を早急に産ませる、それだけに専念した組織作りでよろしいのですね」
 彼女は帝国宰相が 《それで良い》 とすぐに返事を返すと考えていた。
 今までの帝国宰相の言動からすると、それ以外の返事があるとは考えられなかった。
「……そこまで急がなくても良い」
「え……」

 彼女はそれが、帝国宰相が奴隷の事を考えての言葉と受け取れなかった自分を恥じると共に、考えたくはない事まで考えてしまった。

《兄は皇帝の座を狙っている。だがあの人が皇帝の座に就きたい理由、それは……》

 夫である団長が偶に口にする愚痴。
 愚痴というには重過ぎて、笑い飛ばす事もできないその言葉。
 だが彼は真の理由を語る事はない。
 帝国宰相はザウディンダルが欲しいから、両性具有を完全に手中におさめたいからだと言うが、それ以外の理由があることも言葉の端々から彼女は感じていた。
 だが彼はそれに関して決して触れず彼女を煙に巻く。

 結局彼女もそれらには触れず、帝国宰相と共に 《簒奪の引き金となりうる異父弟》 の元へと足を運ぶ。
 部屋にはぐっすりと眠っているザウディンダルと、それを見つめている夫の姿があり、彼女は少しだけ安堵した。
「眠っているのか」
「はい」
 子供のような寝顔を浮かべているザウディンダルを、二人が優しげに見下ろす。
「ザウディンダルは連れて行く。お前は折角の休暇だ、家族サービスでもするが良い。それではな、タバイ」
「はい……兄」
 近衛兵団団長よりも強いと言われる帝国宰相は、一人異父弟を伴い邸へと戻っていった。
 それを見送った後、二人も邸へと戻る。
「複雑な表情ですね」
「あの人と私は家族のつもりだったのだが……まあ仕方のない事だろうな」
 溜息をつく彼を見ながら、彼女は偶に思うのだ。

 結婚しなければ良かったと。


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