ALMOND GWALIOR −65
 《帝国のシンデレラ》 こと、ザウデード侯爵 グラディウス・オベラ・ドミニヴァス
 帝国が最も幸せだった頃に、皇太子とその他四人の子を産んだ、下働きから帝后になった少女。
 彼女は人気のない場所で当時の皇帝サウダライトに出会った。
 そんな出会いは滅多にあるはず無いのだけれども、その過去の話は人気があるので、もしかしたらと同じ行動を取る人が多い。
 私はそれを否定する気はない。
 全く憧れないと言ったら嘘になる。
 帝后が好んだ髪型、現在は「オベラ」と言われる髪の結い方に憧れた事もある。同じようにしてみたけれど、私には似合わなかった。
 大きい瞳と笑顔と、愛される性格でこそ映える髪型なのだろう。

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 私の持って来た報告書に目を通してる団長閣下は、その帝后グラディウスの子孫に当たる人物だった……そんな事を思い出し、私は団長閣下を見つめた。
 団長閣下の中に可愛らしい帝后の姿は微塵も存在しない。あるのは……なんだろう? この違和感。
 恐怖感にも似た何かが、目の前の団長閣下にはあった。
 凝視してはいけないと思いながらも、視線を外すことが出来ないで不躾な視線を団長閣下に向けてしまった。
 報告書から目をはなして私のほうを向いた団長閣下は、私の探るような視線に気付いていただろうが、それらに関しては全く触れずに微笑んだ。
「少々お時間を頂きたいが、よろしいか?」
「はい」
 色々と調べることがあると言うことで私はその日、近衛兵団本部のゲストハウスに泊まることになった。
 帝国近衛兵、皇帝陛下のお側に付く事を許された選ばれた兵士が属する部署が持つゲストハウスは、下働き達が住んで居る場所とは当然のことながら全く違う。一部屋一部屋が美術館と宝飾品の展覧会を併せたような豪華な作りで、それが二十部屋もあった。さすが帝国の中枢と、感動すると同時に少しだけ呆れた。
 これだけの財力があったら、下働きの住んでる場所などすぐに修繕できるでしょうと。
 口に出すことは出来なかったけれども。
「初めまして、アニエスと申します」
「初めまして、ミスカネイアです」
 いかにも良家の子女といった雰囲気の女性が、身の回りの世話用にと用意されて恐縮した。
 私と同じで上級貴族ではないが、私とは違い優しげで綺麗だった。上級貴族の美しさは持ち合わせていないが、綺麗という範囲に余裕で収まれるくらいに美しい人だった。
 彼女は大学を出てから、
「行儀見習いのつもりで数年務めてから、故郷に戻って仕事をしようと思っていたのですが……ねえ」
 彼女は語尾を濁らせたが話は見えた。
「宮殿で良い方を見つけられたのですね」
「良い方といいますか」
 彼女のことは嫌いではなかった。今も嫌いではない、嫌いではないどころか、大好きだ。

 少し羨ましく思う事もあるが、言っても仕方のない事。

 翌日朝食後に、団長閣下が訪れ、
「誠に申し訳ない」
 目の前で頭を下げた。
「な、何事で……」
 その榛色の柔らかげな髪が、とても印象的だった。
「暴行犯は近衛兵団団員です」
 私はその日もゲストハウスに泊まった。そうしている間に、団長閣下が部下を連れて下働きの区画へと赴き、犯人を衆目の前で処刑したと後で聞かされた。
 私が報告を持っていったら脅した責任者も、その日の内に更迭されたらしい。
 その日の夜に私の泊まっているゲストハウスを訪れた団長閣下は、こういった。
「貴女のお陰で逮捕できましたが、貴女が関係していたと知られたら、貴女の身に危険が及びますので、この事件は私が独自に捜査を命じた事になります。相応の褒美は取らせますが、この事件に関しては他言無用で」
 私が意見出来るような相手ではないし、私としても願ったりだった。
 翌日私が職場に戻ったら、人事異動が発表され上へ下へと大騒ぎ。大規模な人事異動を前に、偉い人達が頭を抱えて座り込んだり奇声を上げていたりと……


 下働きが住む区画を管理する権限が、帝国宰相側に移った。


 皇王族に従っていた下働きの役人達は、根刮ぎ首を切られて捨てられた。そんな事をしたら処分を不服として、暴力に訴える物がいるのではないだろうかと不安を感じたが、帝国宰相はそれが狙いだったようで、不満分子から次々と皇王族を連座させ処刑した。
 そして下働きの区域は、速やかに修繕されていった。
 皇王族は下働きの住む区域を直す資金を懐に収めていて、帝国宰相はそれを知っていたけれども、下働きの住む区画は伝統的に皇王族が支配していたので、中々支配権を手に入れる事が出来ずに、どこかに綻びがないかと探っていた所だったのだそうだ。


 これらに関してはイグラスト公爵妃になってから聞いた


 この人事異動が発表されてから半年以上過ぎて、シダ公爵タウトライバ閣下の婚約が発表された。
 相手はあの日ゲストハウスで何かと世話をしてくれたヒュネハウセ子爵令嬢 アニエス殿。
 アニエス殿の方がシダ公爵閣下よりも九つも年上。とは言っても私より年下。
 シダ公爵閣下がアニエス殿を見初めたのは、やはりお手伝いと主といった形だったらしく、また 《グラディウス》 を求める者達が人気のない場所へと足を踏み入れるようになった。
 でも警備が帝国宰相支配下の近衛兵団予備役の手に委ねられているお陰で、目立った事件は起こらなかった。
 当時予備役だった団長閣下の異父弟バイスレムハイブ公爵アウロハニア閣下は、とても良くして下さった。

 帝星宮殿の仕事も悪くはないなと思い始めた頃、私は人生の転機を迎える。 

「近衛兵団団長閣下からの呼び出しですか」
 拒否出来るはずもないので、私は指定の場所へと向かう。
「お久しぶりですね、ロッティス伯爵令嬢」
「覚えていてくださって光栄です、団長閣下」
 そこには団長閣下がおいでだった。団長閣下は私に弟シダ公爵の妃アニエス殿の主治医を務めて欲しいと告げてきた。
「私などよりもっと良いお医者様が……」
 帝国宰相と近衛兵団団長の弟君で、幼い陛下に代わり帝国軍代理総帥の座に就く事が決定しているシダ公爵閣下の妃となれば、自薦他薦を問わない優れた者が多数いるだろう。
 私など足下にも及ばない。

「いや。アニエスが出来れば一度でも会った事のある人のほうが良いと言ってきたので、貴女を……」

 団長閣下は言葉に詰まりながら私を説得してきた。
 大柄な団長閣下を前に、私は ”お断りできないことくらい、知っていらっしゃるのに……何故、命じないのかしら” 妙に冷めた思考で団長閣下を見つめていた。
 結婚後、アニエスはこのような流れになった経緯を教えてくれた。
『お節介ながら間を取り持たせて頂こうと思って』
 団長閣下は私に好意を抱いていたのだそうだ。
 アニエス曰く ”一目惚れ”
 それに気付いていたアニエスが、顔を自然に合わせられる様に気を遣ってくれたのだという。
 団長閣下の趣味も変わっていると、思わずその時口にしてしまい、アニエスに笑われた。
 アニエスの夫であるタウトライバもそうだが、私の夫となった団長閣下も女性に人気がある。
 人気というか、あからさまに妻である私に敵意を剥き出しにする女性……そういうのが存在する。独身だった頃もかなりの人気だった。
 普通の女性でも手の届く範囲の権力者。それが団長閣下。
 下働き区域の予備役達の様子を良く見に来てもいたので、周りの女性達は団長閣下に憧れていた。
 私も憧れていなかったと言えば嘘になる。

 だがそれ以上に……気になることもあった。

 憧れてはいたがその時の私は、団長閣下と結婚するなどという事は思いも付かなかった。
「そうですか。ですが簡単にお引き受けできる仕事で……」
 断り切れない事は知っているが、少しは考える時間が欲しいと言おうとした時、私の ”運命” が動きだした。
 大げさに聞こえるかもしれないが、それは私にとって運命だった。
 後に結婚することになる団長閣下ではなく、その 《存在》 こそが、私の人生を決定付けた。
「タバイ兄」
 どこからか現れた子供。
 子供とは思えない程に憂いを帯びた、潤んだ眼差しを人に向ける美しい 《子》
「ザウディンダル! どうして此処に!」
 私はあの時……
「あのさ……」
 レビュラ公爵ザウディンダル・アグディスティス・エタナエルと会っていなければ、
「ああそうか。アニエスが居なくなって寂しいのか。だが今は私は仕事中だから、部屋の隅で待っていなさい」
 団長閣下と結婚はしなかったとはっきり言える。正確に言うなら、団長閣下と結婚しなくてよかった筈だった。
「団長閣下」
「どうした?」
 その潤んだ眼差しは、物語の主人公になった少女と同じ。
 下働きから帝后になったグラディウスの瞳を持った子。
「その方は?」
「この子は私の弟にあたる」


「その人は弟ではないでしょう……妹でもなさそうですが。そしてもう一つお聞きしたいのです」


 団長閣下は立ち上がり、色を失った表情で私を見つめた。
「……なにを?」

 − ……しなかったのです −

 私の言葉に団長閣下は瞼を閉じて頭を振り、
「良く気付かれた。そして気付かれた以上、貴方を帰すわけにはいかない。考える時間も与えない」
 団長閣下に抱かれるようにマントにくるまれ、そのマントを握りながら藍色の瞳をした子が私を見つめていた。それが私の人生の分岐点。


− 私は潰された男の頭を見ながら止めた思考を再び動かす −


 ザウディンダルが居なければ、私は全てに目を瞑ったままアニエスの主治医となり、ただ無知なままに幸せになれたのかも知れない。


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