ALMOND GWALIOR −63
「お待たせしましたね」
「いいえ、ジュシス公爵殿下と話をする事が出来て、有意義でした。あの失礼ですが、ハーダベイ公爵閣下」
「何でしょう? フォウレイト侯爵」
「ジュシス公爵殿下からの言伝で ”我は貴様を近衛兵にする事、未だ諦めず。覚悟せよ、ハーダベイ” だそうです。一言一句違わずお伝えさせていただきました」
 フォウレイト侯爵の言葉を聞き、バロシアンは困惑した表情を隠しもせずに浮かべて、
「はあ……そうですか。あの方、まだ諦めておられないのですか」
 歯切れの悪い独り言の様な返事を返した。
 エヴェドリット王族のジュシス公爵が 《諦めない》 と言う程に、バロシアンは強い。
 近衛となる基準値を容易に上回る能力を有しているのだが、バロシアンは武官の道を選んでいた。
 選んだ理由は多々あるが、その根幹は父親に当たるデウデシオンであり、理由はタバイと同じものであった。
「お強いそうで」
「はあ、まあ……強いと言えば強いのですが、宮殿には私等足下にも及ばない程に強い人は数多く存在しますからね。異父兄達の中で最も強いのは……イグラスト公爵タバイ=タバシュ。現近衛兵団団長の座に就いています。強いからその座に就いている……当然と言えば当然なのですが」
 バロシアンの奇妙な喋り方が気になったフォウレイト侯爵だが、初対面なので ”ハーダベイ公爵閣下はこのような話し方をするお人なのでしょう” と、納得してしまった。


 この後に何度も会話を重ね 《あの時の歯切れの悪さは、このことを意味していたのか》 とフォウレイト侯爵が理解した時、それは彼女が皇君と向かい合い、話をするようになってからの事となる。


 ”余程近衛になりたくはないのだろう” そう考え話題を変えたフォウレイト侯爵と、近衛の話題以外になった事で何時も通り、当たり障り無く会話を始めたバロシアン。
 ザウディンダルよりも、余程大人を感じさせる語り口でフォウレイト侯爵の緊張を解しながら、対面の場所へと案内をした。
「此処が帝国宰相デウデシオン閣下の邸です」
「これが……」
 宮殿内で家臣に与えられる邸の中で、最も皇帝の私室に近い場所にある官邸。権力者のみが与えられるその邸は「邸」と呼ばれているが、その規模は皇族の住む「宮」と呼ばれる建物と比べても何ら遜色はない。
「宮殿の中に宮殿が存在しているように見えます」
 幼い頃に追われたフォウレイト侯爵邸。
 父親の死後、相続問題で手入れが行き届いてはいなかったが、侯爵にとってその邸は大きく貴族が住むには相応しい邸だと記憶していた。
 過去を懐かしむあまりに、侯爵邸を美化している自覚のある彼女だが、その思い出を重ねても今目の前にある官邸は侯爵邸など問題にならない 《城》 であった。
「城と言えば城でしょうね。大宮殿の中にある離宮のような建物ですから。帝国宰相が与えられたのは家臣が与えられる邸の中で、陛下の私室にもっとも近いものです。まさに権力の証でしょう」
 言いながらバロシアンは扉を開かせ、デウデシオンが待っている部屋へ真直ぐに向かった。

 デウデシオンは邸にあっても異母姉との再会に感極まるような男ではない。淡々とこれからのスケジュールと、生活に必要な最低限の事を教え、他の決まりは自分で覚えて失態や失礼なきように過ごせと告げた後、流れるように 《最後の話》 へと移行した。
「隠し通せると考えていたが、ロヴィニア王族に気付かれている以上、伝えておくべきであろう」
 フォウレイト侯爵は気付かなかったが、彼女の背後に立っていたバロシアンは、デウデシオンの視線を受けて、身を軽く震わせる。
「何で御座いましょうか?」
「お前の背後に立っているハーダベイ公爵 バロシアン。先代皇帝ディブレシア最後の庶子。父親は私だ」
「…………」
 帝国宰相の顔に 《表情》 はなかった。
「人の口は塞げぬとはよく言ったものだ。何処から漏れて物かは知らぬが……二度と口にはせぬが、理解したな? フォウレイト侯爵」
 その表情は何も伝えないし、何も受け付けない。
 質問どころか、驚きも許しはしないだろうとフォウレイト侯爵は目の前の帝国宰相の表情から感じ取り、
「はい、帝国宰相閣下。ハーダベイ公爵閣下は、私の甥にあたるのですね」
 頭を下げず表情一つ動かさずに、はっきりと言い返し振り返る事もしなかった。
 それは返事が必要なことではなく、事実を確認するものでもない。与えられた言葉を己の中に重ね、決して外へは漏らすなと。


 無言は決して何も解決はしない。だがこの事実に関して、フォウレイト侯爵はデウデシオンの血縁であるが故に、無言にならざるを得なかった。


「私の話はここまでだ。入れ、ダグルフェルド」
 沈黙は何も変えてはくれないが、沈黙以外の選択肢は誰も持っていなかった。そして今、長い沈黙を強いられた男が侯爵の前に現れる。
「……」
「……」
 再会は矢張り無言であった。
 そして沈黙が支配する。長い間語らわなかったからではない、何かが通じ合ったからでもない。
 ただ歳月は沈黙だった。
「ダグルフェルド子爵 アイバリンゼン。私の邸の執事で、陛下の父君達とも親交がある。後は任せたぞ、ダグルフェルド。行くぞ、ハーダベイ」
 父と娘の沈黙を前に、息子は立ち上がる。
 彼は目の前にいる二人の息子ではなく、異母弟ではない。帝国宰相であり、皇帝の異父兄であり、前皇帝の愛人。
「はい。それでは失礼いたします、フォウレイト侯爵」
 沈黙は帝国宰相の過去を何一つ語らないから救われない。
 全てを拒絶するように立ち去る異母弟と、その甥に侯爵は声を掛けた。
「あのっ!」
「何だ?」
「お二方はお忙しくて?」
「残ってもよろしいですか? 結婚相手について意見も伺いたいので」
 バロシアンの言葉に、デウデシオンは目を閉じて頷き許可を与えて、去っていった。
「私は話す事はない。それではな」

**********


 騒ぎの元達が騒ぎの元凶である叔母の一族を置いて好き勝手に去っていった後、デウデシオンは何の感情もなくそれらを排除した。
 彼女達は助命をする暇どころか、自分達が何故この場に居るのかも理解できぬままに処分された。あまりにも淡々と帝国宰相が処分を決定し、それを実行させてしまったために。
「私に恨み言の一つくらい言わせてくれても良かったのでは?」
 後日処刑の事実を知ったダグルフェルド子爵は軽食を持って来た際、苦笑いを浮かべながらそう言うも、デウデシオンはその言葉に少しだけ視線を動かし、
「生かしておくだけで危険分子になるのだから殺す。雑務処理の一つであって、血の通う判断などではない」
 淡々と処刑も雑務の一つだと言ってのけた。
「失礼いたしました」
 言いながらデウデシオンは父であるダグルフェルドが『自分の妹夫婦を自分の息子が処刑したことについて』どう考えているかを知りたくなったが、それを尋ねることはしなかった。ダグルフェルドが食事を置いて部屋を出て行ったこともあるが、聞いたところで何にもならないこと、その会話の先に何もないことも。
「処刑や処分に血を通わせる必要は無い……ああそうだ、そんな物は必要ない……」
 そう呟きながら、最後に父と息子として他愛のない話をしたのは何時だったの思い出せないことにデウデシオンは気付き、同時に何も話がない事にも気付いて愕然とした。


 かつて処刑を命じて泣いた少年の姿はどこにも見あたらなかった。あの日の少年を何処に閉じ込めたのか? 少年は死んでしまったのか? デウデシオン本人すら行く先を思い出すことも、見つける事も出来なかった。

**********


 治療室に運ばれたザウディンダルは、簡単な検査を受け、気休めにしかならない味の付いた水を主治医、異父兄タバイの妃でもあるロッティス伯爵ミスカネイアから受け取って口元に運ぶ。
「治療はおしまい」
 二口ほど口に含み、舌を濡らして下から窺う様にミスカネイアを見上げながら、
「ありがとうございました」
 礼を言う。
「良いのよ、ザウディンダル。これは私の仕事なんだから、気にする必要は全く無いわ。ザウディンダルはもっとやりたい事を遠慮無くしなさい。そのバックアップはこのミスカネイアが確りとするから。怪我をしたら治療する、それが私の仕事よ」
 笑顔を浮かべながら、ザウディンダルの頬を指先で軽く押す。
「う、うん……」
 ザウディンダルの人生には全く存在しないが、本能的に知っている 《母》 を感じ、照れながらも嬉しそうに頷いた。
 先ほどまで、帝国宰相を怒鳴り飛ばしていた人とは思えない優しい視線をミスカネイアは向けている。
 本来ならばザウディンダルは 《皇帝陛下のご命令》 なので帝国宰相の元へと連れて行かなくてはならないのだが、少々込み入った話と事後処理があるので、預かって欲しいと依頼されていた。
「というわけで、少しは我慢してくれるかしら? ザウディンダル」
「勿論。べ、別にそんなにいっつも居てくれなくたって」
「私も今の機会に少し帝国宰相閣下にお話があるから、あの人と同室でいい?」
「タバイ兄も入院してるの?」
「ええ。何時も通り、胃を壊してね。ほら、目の前で陛下が暴れて、繊細な胃から腸から何から何まで、ぼろぼろに。ザウディンダルは頑張って陛下を止めてボロボロなのに、あの人ったら一人でボロボロよ」
 言いながらミスカネイアはベッドを動かして、二部屋離れた入院用の部屋にノックもせずに入る。
 室内は薄いピンクとアイボリーのレースで飾られ、室内に置かれている家具のほとんどはメルヘンな彫刻が付随しているが、それは兄嫁の趣味とザウディンダルも知っているし、嫌いではなかった。

 ザウディンダルは人には決して言わないが、ピンク色やレースが大好きだった。

 そんな柔らかな室内で、顔立ちだけは柔らかなタバイが、パジャマ姿でベッドの上にいた。眠っているわけではなく上半身を起こして本を読んでいた彼は、すぐに本を置いて立ち上がり、ザウディンダルを受け取る。
 そして、
「あまりあの人を叱らないでくれないか」
「叱りに行くわけではありません。それとあなたは私の仕事に口を挟まないで下さい! 今、私は后殿下の生殖能力判定結果を報告しにゆくのですよ!」
「わ、解った。解った、悪かった……その早く兄にザウディンダルを……」
 妻を宥めて送り出したタバイの後ろ姿は、とても疲れているように見えた。
「タバイ兄、大丈夫か?」
「もう平気だ。ザウディンダルの方こそどうだ?」
 自分のベッドの脇に医療用のベッドを移し、のぞき込むようにしてタバイは話掛ける。
「平気! 平気」
「あまり無理するなよ。……むしろ無理しないでくれるか? ミスカネイアに私や兄が叱られてしまうから……叱られるんだ……うん」
 苦悩の表情で胃を押さえだしたタバイに必死にザウディンダルが声をかけ、手を動かして全身で表現するも、
「ご、御免。絶対無理しないから安心してくれっ!」
 手を動かすザウディンダルの痛覚値が上がったのを見て、タバイは益々胃を押さえる。
「あのな、ザウディンダル。あまり私のことは心配しなくて……」

 タバイの胃袋が 《ギュルル》 と吠え痛みが走る。何時ものことではあるのだが。


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