ALMOND GWALIOR −53
 応接室の扉を開きライハ公爵が室内を一応調べ、
「危険物はない。儂は扉の外で待機しているが、フォウレイト」
「はい、殿下」
「無用な動きはするな。お前の身体能力はさすが近衛の娘だけのことはある。公爵妃に対し誤解されるような動きあらば、解るな」
 ライハ公爵は返事を聞くことなく、部屋から立ち去った。
「あのように言われたので、気を付けることだけはしなさい。ライハ公爵殿下は次の近衛兵団団長にも推されている程の御方。攻撃されたら間違いなく死にます」
 フォウレイト侯爵はメーバリベユ侯爵の言葉に頷くことはせずに、入り口扉の近くで膝をつき頭を下げた。
 二人の距離は離れており、ライハ公爵とは扉一枚挟んだ距離。
「恭順の意の表し方を知っているようですね」
 メーバリベユ侯爵は満足したように声を上げて、一呼吸おいてから膝に置いた手に他者には解らない程度の力を込めて話し始める。
「私の名はメーバリベユ侯爵ナサニエルパウダ。セゼナード公爵妃でもあります。貴方は “今は” 名乗らなくてもよろしい」
 公爵妃としてこの任務は絶対に成功しなくてはならない。
 成功とはフォウレイト侯爵を部下とすることもだが、自分よりも年上の女性を階級以外で圧倒し支配下に置くこと。
「はい」
「私の配下としてあるお方に仕えて欲しいのです」
「あるお方? とは」
「皇帝陛下の正妃。いずれ間違いなく国母となられるお方の傍仕えに私は貴方を推薦し、異母弟である帝国宰相を説得して、今度は貴方を直接説得するために此処まで来たのです」
 フォウレイト侯爵に対しての支配力。支配力が帝国宰相ほどに及ぶとは思ってはいないが、ある程度の支配力をこの時点で植え付けておかなくてはならない。
「皇帝陛下の正妃……」
「次の皇帝陛下の母となる方です。このメーバリベユも連なるロヴィニア王家と帝国宰相が全精力を注ぎ彼女を国母します。彼女が国母になることは決定事項」
 奴隷から正妃としての道筋はできあがったが、階級でもめている現段階において 《彼女が国母になることは決定事項》 それは簡単な事ではなく、このような場所で口にして良い事ではないと公爵妃も知ってはいるが、敢えて言い切った。
 自信と余裕、言葉を虚勢にしない為の行動力。それらを兼ね備えた公爵妃を、公爵妃は自ら演出し、自ら演じる。フォウレイト侯爵はその言葉を聞きゆっくりと顔を上げ、公爵妃を見つめた。
 自分の娘程の年齢の公爵妃の威厳と自分を見据える眼差しに、フォウレイト侯爵は人生の全てを託す決断を即座に下した。
「はい解りました。お受けさせていただ……」
「待ってください、まだ全てを語ってはおりません。この帝国は未だ僭主と交戦状態にあります。私も二年程前に王弟の妻として誘拐されました。正妃に仕えると言うことは、それらの危険にも巻き込まれると言うことです。それでも受けますか?」
「はい。これ以上ない栄誉たる職とこの身の安全など比べる事すらおこがましい。命ごときは惜しくはありません」
 その声、その喋り方、共に育ったことのない帝国宰相によく似ていると、公爵妃は血に驚く。
「それでは正式に挨拶を。メーバリベユ侯爵 ナサニエルパウダ・マイゼンハイレ・バウルベーシュレイド、貴方のお名前を教えていただけませんか?」
「フォウレイト侯爵 カーンセヌム・デビレセン・ガンディーザーラ と申します。ロヴィニア王弟妃殿下」
「王弟妃殿下と呼ばれるのはとても嬉しく、そう名乗りもしましたが、諸事情で髪はまだ結えていませんの。ですからメーバリベユ侯爵と呼んでくださいね。例え結婚が成立してもメーバリベユ侯爵で通すつもりですけれども」
 自らの爵位にこだわり誇りを持つその公爵妃の姿勢は、結婚後も変わることはなかった。
 その片鱗をフォウレイト侯爵は初めて垣間見た貴族ともいえるだろう。
「かしこまりました。それでは、私が仕えることになる御方は何処のご令嬢でございますか? メーバリベユ侯爵」
「令嬢とは言わないでしょうね。身分でいいますと奴隷です」
「奴隷で、すか?」
 “令嬢とは……” の部分で貴族ではないかも知れないと思いはしたが、奴隷とはフォウレイト侯爵は思ってもいなかった。
「はい、奴隷ですよ。それもまだ正式に決まった事ではありません。勿論、御子がいるわけでもありません。正妃となられる予定の御方は未だ処女でいらっしゃいますから」
「あの……一体どういった経緯で。簡単で良いので、説明いただけませんでしょうか?」
 現皇帝がたった一人の皇族で既に晩婚と言える年齢(二十五歳)に達しているのにもかかわらず結婚歴無し、その状態から後継者を得ることに誰もが腐心していることは、フォウレイト侯爵どころか平民でも解ること。
 それらを考慮して、正妃の階級を兼ね合わせてみると、奴隷が懐妊したので正妃に認定……普通はその様に考えるが、公爵妃はそれを否定し、否定されたフォウレイト侯爵は声を失う。
「“簡単に説明” ……では終わらせられませんよ。貴方と私がこの先お仕えするお方ですので。皇族や王族に『年頃の独身女性』が居ない事はご存知ですね?」
「はい、存じております。それで、貴族の選別を行い正妃候補を四人選んだことも存じております。メーバリベユ侯爵はその四人に選ばれたことも」


 皇帝の正妃候補に選ばれ、その後、各王家の思惑によって流れてしまった正妃の座。テルロバールノルとエヴェドリットが選んだ貴族の娘は、その後直ぐに結婚している。皇帝の正妃候補にまでなり、王家とも繋がりを持った女性となれば引く手数多であったことは言うまでもない。
 ロヴィニアが選んだメーバリベユ侯爵 ナサニエルパウダも結婚はしたが、結婚は出来ていない。爬虫類大好きで『人間には勃たないと思う、ってか勃たない自信あり』を理由に逃げる王子エーダリロクとの、奇妙な夫婦生活は何時まで続くのか? それが興味の対象にすらなっている。
 そして未だ独身のエダ公爵 バーハリウリリステン。ケシュマリスタ王が選んだ正妃候補。
 実際は違うのだが表面上だけで権力志向と言われているメーバリベユ侯爵と、それを上回る権力志向のエダ公爵。彼女は本当に権力志向の強い女性だった。
 元々彼女は主であるケシュマリスタ王の愛人。
 愛人の座に収まっている気など全くなかった彼女は、王に全く省みられない王妃ネービレイムスから『王妃』の座を奪うつもりで愛人となった。王妃の座を狙っていた彼女だが、ある時『皇帝の正妃』になれるチャンスが訪れたことを知り、ケシュマリスタ王に働きかけて自らを候補に選ばせた。
 その後正妃候補は取り消されたのだが、彼女は王妃の座には目もくれず『皇帝の正妃』の座を得る為に画策していた。


 エダ公爵、彼女が狙う皇帝の正妃の座。
 その[皇帝]が果たして現帝シュスタークであるのか、それともかつて愛人であった皇位を狙うラティランクレンラセオであるのか、その息子で暫定皇太子であるケルシェンタマイアルスであるのか? 全く違う人物なのか? 
「私は選ばれましたが、利権やらなにやらで、私程度の貴族正妃は流れました。その後、王達は各々の子を陛下の妃にするために、王女を作ろうと躍起となります。二年間の間に妃となるべき王女を作るという約束で。結果は今でも王女が一人も居ない所から解りますでしょう?」
 エダ公爵の画策をメーバリベユ侯爵は知っているが、現皇帝シュスタークの正妃には関係ないのでそれは語らずに話を進める。
「はい」
 エダ公爵、彼女が手に入れようとしているのは[パスパーダ大公 デウデシオン]
 過去に『皇帝の座を狙っている』と皇王族によって皇帝に讒言された男こそ、彼女が射止めようとしている男。
「その後、各王家が自領地の平民を選び連れて来たのですが、陛下が中々興味を持ってくださらなかったので、少しショック療法に出たらしいのですよ。肝試しに一人の娘を選んでつけてやったそうですの」
 もっとも皇帝に近い男を “皇帝に仕立て上げる” メーバリベユ侯爵はそれをエダ公爵の描く夢物語と笑うことはできない。

 帝国宰相デウデシオン。その虐げられた幼少期と屈折した胸中、皇帝に対する忠誠と両性具有に対する猜疑、女性を憎みながら弟の中にある女性を慈しみ、弟の男性を愛おしむ男。

「その女性は平民だったのですよね」
「平民ですよ。その平民の娘と陛下が向かった先が、奴隷居住区」
「そこで出会われたのですか」
「出会ったというよりは、その方は陛下と平民の娘を驚かす為に待機していた方なのですよ。生まれつきの病で、お顔が少々……治療すれば治るそうですが」
「…………」
 その驚かした奴隷《ロガ》の映像を見て、フォウレイト侯爵は驚きを隠せなかった。
 どれほど驚いても驚いても、驚きは無くならないと……強襲され自分が帝国宰相の異母姉であることを知った後に感じたものとは全く別物の、強い衝撃をその映像を見て覚えた。
「顔の片方だけを隠すと、それは可愛らしい御方でいらっしゃるでしょう? とてもお優しい御方で、陛下のお心を掴んで離さないのです」
 メーバリベユ侯爵が手顔を半分隠す。
 そうすれば確かのその奴隷は可愛らしい姿であった。だが、その手を外すとフォウレイト侯爵にとっては見るも恐ろしい姿をしている。焼け爛れた後のような顔に、それをさらに悲惨にするような内側から生えてきた突起がまばらに浮かんでいて、とてもではないが『見た目』で気に入られたとは思えなかった。その次にメーバリベユ侯爵は治療後の「予想される顔」を映し出す。
「これが治療後のお顔ですか?」
 まるで別人のような顔立ちの少女に、フォウレイト侯爵は思わず手を伸ばした。
「陛下は治療せよとは命じないでしょうが、やはり公共の場に陛下と共に立つ正妃のお顔となれば、治療しないわけにはいかないそうですわ」
 その顔は、片方を隠してみたのとはまた違う “美しさ” 
「何故今の段階で治療なさらないのですか? 治療予定表をみれば、直ぐにでも完治させることが可能のようですけれども」
「他の男に懸想されない為だそうです」
「ですけれども、お心が優しい御方ですから、顔を治療しようがしまいが関係ないのでは?」
「世の中には、外見と言うハードルを越えて、性格を見極められる人間は少ないようですわ」


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