ALMOND GWALIOR −46
「何で、執事の娘の結婚が破談になってバロシアンが兄貴に突っかかるんだ?」

 どうしても解せない理由を一人呟く。
 小さな声で呟いたつもりだったが、一人きりの部屋は音を反響させて耳に戻ってきた。その音に、意外と大きな声だった事に気付き何となく周囲を見回す。
 この屋敷はザウディンダルが幼少期に集められて過ごした場所とは違う、皇帝の私室に近い場所にある屋敷だが内装は当時の屋敷に良く似ていて、懐かしさを覚える。見回しながら、かつての事を回顧しようとしたのだが、
「お待たせいたしました」
「ぜ、全然」
 帝国宰相の執事は直ぐに用意を整えて戻ってきた。
 元から用意されていたらしく、ソファーの側に小さなテーブルを寄せるとそこに麻布のランチョンマットを敷き、青磁のスープ皿に銀のスプーンを置く。
『さすが兄貴のところの執事……動きに無駄がねえや……』
 執事に隙がないのは珍しい事ではないが、それを差し引いても執事の動きは完璧だった。スプーンで三回ほど口に運んだあと、
「何であんたの娘の結婚が破談になって、バロシアンが怒るんだよ?」
 スプーンを指先でまわしながら、執事に話しかけた。
 穏やかな表情一つ変えずに執事は、
「ハーダベイ公爵閣下は私に向かって怒っていたのではなく、帝国宰相閣下に向かって怒っておりましたね。私の娘なのに帝国宰相閣下に怒る理由とは、如何なものでしょうかねえ」
 あまりにも遠まわしな喋り方をする。
 こういった遠まわしな言い方をするのは、本人からは直接述べられない理由があること宮殿に長くいるザウディンダルは、知りたくもないが知っている。
 “自分の娘なのに帝国宰相……帝国宰相を怒鳴る理由? 兄貴をバロシアンが怒鳴る。執事の代わりに? 何で執事の代わり……”
「あんた、もしかして」
「想像された通りかと」
「あんたが、兄貴の父親か」
 デウデシオンの父親が生きてるのは、弟達の中では口にしないが誰もが知っている事柄であった。他の弟達の父親が殆ど死んでいる状況の中、自分の父親だけが健在であることをデウデシオンは喜べるような男でもない。
「肯定はいたしませんが、否定もいたしません」
 あと一人弟の中で父親が生きている者がいるとは噂されているが、それが誰なのかは知られていない。噂が出始めた時期から、シュスターク帝誕生後に先代皇帝ディブレシアにあてがわれた『罪人』である可能性が高く、それが居ると知られた方が立場的にまずいのだろうとされていて、誰もそれを伺おうとはしない。
 他者にしてみても、デウデシオンを追い落とすのに躍起になるものは多いが、シュスターク帝誕生以降の庶子達はそれ程の権力持っておらず、彼等の誰かが罪人の子であることを突き止めたところでデウデシオンを引きずり落とすのに何の関係もないため、殆どの者がそれを調べることをしていない。
 下手に突き止めて、デウデシオンに殺される可能性も無きにしも非ず、ということもあるのだが。
「あんたの娘……っても結構な年だよな。再婚か?」
 目の前の執事、ダグルフェルド子爵がデウデシオンの父に図らずもなってしまった後に娘を得た可能性はない。そうなれば、彼の娘はデウデシオンよりも年上となる。
「いいえ初婚です……初婚になるはずでした」
 もう直ぐ三十七歳になるデウデシオンよりも年上が初婚というのは珍しい部類に入る。貴族であれば尚の事。
「何で結婚潰れたんだ」
「潰されました。私には妹がおりまして、これが私が『亡き後』侯爵位を寄越せと……そのいざこざが続きまして、結局爵位は私の娘が継ぎましたが、それが不服だったようで……」
 執事が語るには、その後爵位を継げなかった仕返しにと、長年嫌がらせを続けているとのこと。
 執事の娘は病弱だった母を幼い頃に喪い、その後苦労に苦労を重ねやっと人並みになり職場の上司に目をかけられ、その息子と結婚する運びになった所、再び叔母が手を回して破談するように仕向けた。
 叔母には息子も孫もおり、執事の娘が独身で死ねば爵位が自らの家に回ってくるので躍起となっているのだと。
「そういった事があり結局破談してしまい、その事を知ったハーダベイ公爵閣下が、帝国宰相閣下に『異母』とは言え姉なのだから、力を貸してやるべきだと」
「聞いてるだけで、すげームカツクんだけど」
「お耳汚しで申し訳ございません」
「兄貴が手ぇ貸さねえ理由は解るけど、兄貴の近い親戚が……それで、バロシアンが自分でどうにかするって騒いでたのか」
「はい」
 それに関して、ザウディンダルは少し引っかかった。
 確かにバロシアンは帝国宰相に何時もくっついていて、腰巾着と言われているが、腰巾着がわざわざ兄の私生活に “怒鳴りながら” 口を挟むか? ザウディンダルは同じ異父弟ではあるがデウデシオンにあれほどまでに強固に言い寄ることはない。
 その不思議に感触を覚えつつ、離れたテーブルの上にある赤い苺が目飛び込んでくる。
 何故それ程までに赤い苺が自分の中に入ってくるのかザウディンダルには解らないのだが、とにかく気になった。
「なあ、バロシアンって結構一緒に兄貴と飯食ったりするのか?」
「朝食はできる限り一緒に取られていますよ。そうしないと帝国宰相閣下は食事も取られないで仕事をなさいますので」
 バロシアンがデウデシオンと朝食を取っている。
 それを聞いても “うらやましい” と感じなかった自分にザウディンダルは驚く。羨ましいよりもあの雰囲気に入り込めない、あの場に居なくて良かったとすら感じていた。
 その空間はこの執事も一緒に作り上げているような……そう思っていると、伝令が入る。
 執事は伝令に目を通して、
「王子方がお見えになるそうですので、私は下がらせていただきます。後のことは表向きの執事に任せますので」
 あの四人が見舞いに来ると告げた。
「表向きの執事?」
「私はあくまでも裏に居るべき存在ですので。それでは、失礼させていただきますレビュラ公爵閣下」
 “あいつら来ても見舞いにならねえよ” と言ったザウディンダルに礼をしてダグルフェルド子爵は部屋からその存在を消した。

**********


 自分の頬に触れ「まだ熱があるな」と考えながら「しばらく熱が引かないと、兄貴と一緒に居られるなあ」とも考えてしまったザウディンダルは、ずっと頬の熱と掌で感じていた。
 そうしていると、挨拶もなしに “三人” がザウディンダルの寝室を訪れた。キュラとエーダリロクとビーレウスト。
 カルニスタミアは《自分が見た皇帝の記憶》を四大公爵と帝国宰相に説明する為に、少し遅れていた。
「元気そうだね。やっぱり愛しいお兄様と一緒だと、回復も早いのかな? あれ? ザウディンダル、君……やったね」
 ザウディンダルのベッドに腰をかけて顔を覗き込むキュラ。
「何がだよ」
「隠しても駄目。女になったでしょ」
「なっ! なってねえよ!」
「女特有の匂いがするんだよねえ。そこから香ってくるやつ。ねえ、ビーレウスト」
 同意を求められたビーレウストも、追い討ちをかける。
「やったかどうかは知らねえが、女でイッた感じだな。腰も女っぽくなってやがるし、確かに女ってか雌の淫靡なヤツが漂ってる」
「てめっ!」
 何時も通りの下らない言い争いから、殴り合いに移行するやり取りをしている所に、来訪者が現れた。
「失礼します」
 ノックをして入室してきたのは、書類を持った女性。
「メーバリベユ侯爵?!」
 セゼナード公爵エーダリロクの妻になって四年目の元皇帝正妃候補だったメーバリベユ侯爵。
 三年間夫から逃げられている彼女だが、他の男と浮気しているという噂などなく、ひたすらエーダリロクを追いかけまわしている。最近エーダリロクは皇帝陛下のために奴隷衛星で仕事をしている為、顔を合わせることがなく妻からの猛攻に一息ついていたのだが、彼が一息ついている間に彼女は次の行動を取っていた。
「はい、逃げないの、エーダリロク。やあ、メーバリベユ侯爵、何時も変わらず美しく、そして元気そうで何よりだ」
 久しぶりの再会に抱擁ではなく、脱走で応えようとする相変わらずの夫を、優しい眼差しで見つめるメーバリベユ侯爵と、脱走しようとしている夫の襟首を掴んで軽く挨拶をするガルディゼロ侯爵。
「これはこれは、ガルディゼロ侯爵閣下、おはよう御座います。侯爵閣下も息を飲む程の美しさに磨きがかかって、羨ましいですわ」
「最近ちっともエーダリロクを追い回さなくなったけど、遂に諦めたのかい?」
 夫妻の仲良く逃走・追跡を見守っているキュラが、最近見かけないことを尋ねると、
「何を仰いますのやら。私は諦めませんわ」
 何で私が諦めますでしょうか? 心外ですといった表情で言い切った。
 まだ諦めていなかったんだ……その場に居たキュラ以外は思い、ビーレウストが話を続ける。
「でも、ロヴィニア王も諦めて別のにしたらどうだ? ロヴィニア王の王太子をくれるとか言い出したんだろ? 次の王妃になったほうが断然いいだろ」
 ロヴィニア王は自らが正妃候補に選んだこのメーバリベユ侯爵をとても気に入っていた。
 皇帝との婚約を破談にした後に《セゼナード公爵を下さい》といわれた時、ロヴィニア王は実弟ではなく自分の第一子、要するに王太子にしないか? と言ったくらいに彼女のことを気に入っている。
 彼女は王太子妃もロヴィニア王の後妻にもならず、とにかく爬虫類王子との結婚を望みそして叶ったのだが、書類上だけでそれ以上は決して進まない。
 『人間はいやー』と言いきる実弟が『人殺すのすきー』と言い張る親友と共に逃げに逃げて、既に三年が経ってしまった。
 実弟はともかくメーバリベユ侯爵が甥、出来れば姪を産むことを期待しているロヴィニア王にとって、実弟と結婚させておくのは勿体ないと考え、王子の妃よりも断然立場のいい王太子妃の座をもう一度提示して、考えておくように言ったのだが、
「私は諦めません。ロヴィニア王の手助けが無くなるのでしたら、違う方に協力してもらえばいいこと。その相手を見つけて、着実に地歩を固めております」
 彼女は頑として首を立てに振らない。そしてロヴィニア王がそう言うのならば、違う手段を講じれば良いと夫を追い掛け回さずに自らの地位を死守する為に行動していた。
「へぇ〜」
「私、陛下が迎えられるお后予定の方の女官長になりましたわ。彼女が皇后の座に就いてくだされば私は皇后女官長。彼女は四大公爵の血を引いていませんから、当然陛下の外戚ロヴィニア王家が後ろ盾になりますでしょ。それに皇后となれる方の側近をもロヴィニア勢が抑えておければ、これ以上のことはないでしょう。王妃は女官長など務めている暇はありません、けれども爬虫類にうつつを抜かす公爵妃ならば十分務まりますから、ロヴィニア王も結婚を維持することを快諾してくださいましたわ」
 彼女は皇帝が愛してやまない、片想にして狂変までするほど大切で触れることすら躊躇う、今や正妃確実と言われる奴隷の女官長の座を得て、後宮の人員確保どころか役職決定まで始めていた。
 それを前にロヴィニア王も折れた。
 むしろ、実弟と “本当に” 結婚させたいと本気になった。実務能力で帝国宰相と互角のロヴィニア王。その王に勝るとも劣らない才能と商才をも持つ侯爵が手を組んで、爬虫類と技術開発にうつつ抜かしている従弟の天然皇帝に良く似た本当の王子を落とす。
「凄いな。着実に自分の力で位を高めていってるね」
「マジかよ……」
「諦めろ、エーダリロク」
 それは最早、逃げ道などない。
「……すげえ……。それで、あんた兄貴……じゃなくて、帝国宰相に何の用だ。伝言で済む事なら俺が伝えておく」
「いいえ、伝言では済みませんので、お帰りを待たせていただきます」
「そうか」


novels' index next back home
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.