ALMOND GWALIOR −36
「陛下」
 確かに毎日のように奴隷の下へと通っている陛下の態度から、あの娘が気に入っていることは解る。 
「おお! デウデシオン!」
「明日も奴隷の元へ向かわれるのですか?」
 あの顔が半分崩れた、唯の奴隷をそこまで気に入られた理由は解らないが……解るはずもないか。
「行きたいと思っておるのだが……何か用事があるのならば……」
「用事がないとは申しませぬが、向かわれたいのでしたら全く気になさらないでください」
「そうか」
 生まれつきの病で顔の半分が爛れ、もう片方も若干むくんでいる。陛下が気に入られている琥珀色の瞳も確かに美しい。その二つ以外 “容姿的” には目を引く箇所はない。
 陛下に興味をいだかせたのは容姿だが、通い続けることになった理由は、あの奴隷娘の内面なのだろう。
 陛下が人を外見ではなく内面で判断される方だということが解って嬉しいと思う反面 “内面” という明かに他者に認めさせ辛い箇所を気に入られた事に悩みもする。
 『皇帝陛下がお気に召した奴隷』それが容姿と内面だけでは、正妃に推すには弱すぎる。
「奴隷を正妃か……」
 皇后以外の地位につけた場合は、陛下の御子であってもケシュマリスタ王の息子に取って代わられるだろう。となれば皇后か……初の奴隷皇后を目指すためには何が必要だ? 遺伝に関しては悪くはない。
 作られた遺伝子の暴走による『女性の消滅』を押し止め、押し返せるとしたら純然たる人間である奴隷にもその可能性はある。
 やはりロヴィニア王ランクレイマセルシュに協力と同意を求めねばならぬか。あの男の協力がなくては、ラティランクレンラセオには勝てないだろう。ロヴィニア王は協力はするだろうが……表立っては協力してこない。やはりそうなると……
「帝国宰相閣下」
 そんな事を考えていると、声をかけられた。
「[ハセティリアンの]どうした?」
 音もなく近寄ってきた弟、デ=ディキウレの妻。義理の妹と言えばそうなるのだろうが……複雑なところだ。
「定期報告に上がりました」
 弟の妻は私の異母姉の報告書を持って来た。
 帝国宰相になる以前から、異母姉の存在は知っていた。妻子のあった父が、ディブレシアによって『死んだこと』となり、その後苦労して生きていることも。だからと言って手を貸すつもりはない。
 生死に関する事、例えば『暴漢に襲われたようにみせかけて殺される』などという行為に対しては手を打つが、それ以外の相続争いには一切手を貸す気はない。私が手を貸すと余計に危険が増す。
 貴族の家督争い如きの比ではなない。
 私も敵が多くなければよいのだが、何せ帝国の恨まれ役なのでな。私としてはそれでも構わないのだが……
 私の異母姉の存在は、各王には知られている。知られてはいるが、私から何の接触も図らない為に捨てて置かれている。地味な顔立ちの苦労に苦労を重ねた貧乏侯爵に、興味を持つものはそういない。何よりも私が完全に黙殺し、彼女が苦労しても一切便宜を図らないことから、誰も接触しようとは思わない。
「ああ、そうか。[ハセティリアンの]新しい任務だ。ハセティリアンの配下につけ」
「御意。それと閣下、早目に報告書の方に目を通してください。それでは」
 再び音もなく出て行った弟の妻。
 その気配が完全に消えた後、私は報告書に目を通した。あの弟の妻が[早く]と急かした以上、何かあるのだろうと。
「貴女もとことんまで運が悪いというか……性格の悪い親族を持って苦労なさるな」
 姉はもう直ぐ結婚する予定であった。下級貴族だが、財のある男……の息子と。財のある男は姉の勤めているホテルの総支配人、息子はその跡取り。
 だがそれを気に入らなかった叔母の手によって壊されたとのことだ。
「簡単に若い娘に乗り換えるような男と結婚しなくて済んだ……と思うしかあるまいな」
 ホテルの総支配人はしっかりとした人物だったので、これで身内ができてしまえば、此方側でそれ程警戒しなくても良いと思ったのだが、
「奴隷娘を宮殿に召し上げた後[ハセティリアンの]に向かってもらうか」
 また此方側で少々警備をつけておくか。[ハセティリアンの]を自由にさせておく為にも必要であろう。
 異母姉には悪いが、私はそれで彼女の結婚のことを考えるのは終わった。
 私が今考えなくてはならないのは、陛下の御成婚であって異母姉の消えてしまった幸せではない。

 私が幸せにしなくてはならないのは陛下であって、それ以外のものではない。
― デウデシオン、幸せになってね
 ただ思う。
 陛下が皆の幸せを願ったとしても、その皆に私は含まれない。

デウデシオン、デウデシオン……

 私の幸せは彼女と共に冷たくなり土に還ったのだから。

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 エーダリロクは皇帝の従兄として、兄にこれからの方針を確かめるべく連絡を入れた。
「兄貴」
『どうした? 珍しいな、エーダリロク』
 実弟からの連絡を受け、手を止めた。
 滅多に連絡を寄越さない実弟が、直通で連絡してくる時は、重要な案件であることをロヴィニア王は理解している。
「ちょっと聞きたくてな。兄貴は奴隷を正妃として迎えるつもりはあるのか?」
『直球だな、お前のそういう所は嫌いではないが。それでは私も答えよう、正妃にする気はある』
「三代続けて皇帝の外戚の座に収まるようなモンだから、推すだろうとは思ったが “ロヴィニア王として推す” のか?」
『そんな事はせんよ。奴隷正妃を推すのは帝国宰相の仕事だ。精々他の皇王族の反感を買ってもらわねば』
 近々頭を下げに来るだろう帝国宰相を想像し、彼は笑った。
 帝国宰相がどれ程力が強くても、一人で奴隷正妃を立てることは不可能。そして王家に協力を求めるとなると、皇帝の外戚であるロヴィニア王家しかない。既にランクレイマセルシュは叔父である皇帝の実父から『奴隷を正妃にしたいが協力してもらえるか?』と打診をも受けている。
「言うと思った。帝国宰相に反感を買ってもらうのは良いとしても、陛下と奴隷の子を皇太子から次代皇帝にするには、奴隷娘は皇后でなけりゃ無理だろ? 前例がないことを、どう動かす気だ? 特に貴族・王族の婚姻関係を握っている最古の王家の王様は、頑固で融通が利かねえで評判だ」
 実弟の当然の疑問にゆっくりと口を開く。
『私個人としては、奴隷だろうが何だろうが構わない』
「そりゃまあ名より実を取るヴェッティンスィアーンだからな」
『最悪、アルカルターヴァは退位させるつもりでいる』
 「奴隷正妃」を最も強固に反対するのは、地球時代から続く最古の王家テルロバールノルの現当主であることは、誰もが容易に想像がつく。
 だが現当主は王位継承権を持つ実弟カルニスタミアと《両性具有》を挟んで不仲なのは有名。この実弟は兄王に似て頑固ではあるが、兄王よりは柔軟なところも見られる。カルニスタミアを王位に就けてしまえば、反対するのはケシュマリスタ王のみ。
 皇帝の外戚ロヴィニア王は、既にリスカートーフォンと正妃についての話し合いを進めていた。
「……そりゃあ、随分と大胆な策だな。アテでもあるのか?」
『当たり前だ、私を誰だと思っているのだ。策謀のロヴィニアだぞ』
「そりゃそうだが」
『お前は巴旦杏の塔の管理責任者だから教えておく必要があるな』
 リスカートーフォンも唯では動かない。相応の《取引材料》を提示していた。
「何だ? アルカルターヴァを退位させるのに、巴旦杏の塔が関係あるのか?」
『ザセリアバは両性具有が欲しいと言っている』
 ロヴィニア王は実弟が《巴旦杏の塔》の管理者であることを最大限に利用して取引を持ちかけた。
「なに?」
『性的な意味ではない。兵器としての両性具有、要するに帝国騎士レビュラ公爵を調べて、自らの血に上手く掛け合わせる方法を知りたいとな』
「ああ、そっちか」
 両性具有は身体的に弱いが、帝国騎士の能力はケシュマリスタの因子によるところが多い。ケシュマリスタの因子とは両性具有を指す。
 レビュラ公爵は帝国で初めて確認された《両性具有の帝国騎士》
 このケシュマリスタ原型に等しく、なお色々な血が混じった身体を研究して、エヴェドリットの帝国騎士の数を増やしたいとザセリアバ王は考えていた。
 両性具有の生殺与奪権は皇帝の所持する絶対の権限の一つだが、両性具有を管理しているのはロヴィニア王の実弟。
 この苦労ばかりをかけてくれる実弟が、有能であることをロヴィニア王は誰よりも良く知っている。

『そうそうお前が約二年程前、私に言った《もう一人の女王》は帝国騎士ではないのだな?』

「帝国騎士だったらバレてるだろう? 体機能情報はあのオーランドリス伯爵が全て管理してるんだからよ」
 実兄に【あること】に関して協力を求める為にその存在は教えたが、それが《誰》なのかまでは教えてはいない。
『そうだな。それでだ、エーダリロク』
「何だ? 兄貴」
『陛下がレビュラ公爵に手を出したら即座に教えろ。悪いことはしない、それを逆手に取ってアルカルターヴァを退位に追い込むだけだ』
「リスカートーフォンと手を組むのか?」
『そうだ、アイツは兵器開発のためならば帝国建国法典すら守らんよ。それが私にとっても有益である以上、協力するほうが賢い』
 皇帝の外戚と、帝国最大武力、そして皇帝の信頼を一身に集めている帝国宰相と、皇帝に意見することの出来る父達の中にいる《アルカルターヴァ嫌い》そして評価が高く、兄王と不仲な実弟カルニスタミア。
 これだけ揃えば、アルカルターヴァ公爵カレンティンシスを退位させることは不可能ではない
「……兄貴、陛下がザウディンダルを抱かなくても《リスカートーフォンが欲しい情報》を手に入れる方法があるんだが、全面的な協力をする気はあるか?」
『どのような策だ?』
「最終的には兄貴やリスカートーフォンと同じで、ザウディンダルを《何があっても》巴旦杏の塔に閉じ込めないようにする。その途中で、リスカートーフォンが欲しい情報はほぼ手に入れられる。ただし、出だしはバレりゃあ危険だぜ」
『ほぉ。楽しそうではないか、どれ言ってみろ』
「じゃあお言葉に甘えて。奴隷管理区画に屑貴族が降りるように仕向けてくれ。ロヴィニアじゃなくてな」
『ソレに何をさせる?』
「奴隷娘を殴らせる」
 《正妃となる》ことはほぼ確定している状態の奴隷を殴るように仕向けろと言う弟の顔に、ロヴィニア王は《彼》の影を感じた。
『危険過ぎるが、それはなにをもたらす?』
「《私》を降臨させる。《俺》計算じゃあ、陛下は間違いなく奴隷の危機で帝王になる」
『おもしろそうなお話ですな、続けていただけますかな? エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル《様》』
「良かろう。聞くが良い、ヒドリクの傍系王よ」

 《彼》の言葉に従い、ロヴィニア王は奴隷の居る衛星で暴行を繰り返していたケシュマリスタ貴族を調べ上げ、自らの意思で衛星に降りたと思わせて、降ろした。


『さあて、どうなることやら。楽しみだ』


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