ALMOND GWALIOR −286
 副帝の証である短剣を強く、だが怖々と握り占めながらザウディンダルは、自分を抱き上げて歩き続けるデウデシオンの横顔を窺った。
 下ろされている銀髪が風にたなびき、顎から耳にかけてのラインが露わになっている。

―― ナイトオリバルド様言ってました “我輩の兄は左耳の下の辺りに小さなホクロがある” 子どもの頃から椅子に座って暇なとき、見上げていたから印象深いんだって。その兄のこと、誰よりも信頼してるって ――

 デウデシオンがまだ奴隷でしかなかったロガのところへ足を運び、帝星へと連れて来ようとした時「皇帝の兄である」ことを証明したその小さなほくろを、抱き上げられているザウディンダルも眺める。
 ザウディンダルもそのホクロのことは知っている。
 銀髪と白磁のような肌に浮かび上がるような小さな黒い点。シュスタークはそれを”兄”だとロガに告げた。
 ロガとデウデシオンの会話を脇で聞いていたザウディンダルは、その時はなにも感じなかったが、今こうして見上げていると様々な思いがわき上がる。
 喜びや哀しみといったものではなく”ナイトオリバルド”という異父弟がいるという事実。他者に説明しようものなら痴がましいと叱責され、不敬罪にまで問われかねないものだが、それはたしかな真実でもある。
 ”ナイトオリバルド”は昔からザウディンダルのことを兄と認めていた。両性具有であることを知ってからも。
 だから ―― ザウディンダルも”ナイトオリバルド”を弟と認めようと。
 なにも変わらない、誰にも言うことはない。おそらくデウデシオンにも。両性具有であるザウディンダルは嘘をつくのは苦手だがこれは真実を語らない。そう今までと同じ。
 だがザウディンダルの確かな変化であった。
 そしてもう一つ。明確な死に対する認識について ――
 どこへ向かっているのか? ザウディンダルには分からないが、どこへ連れていかれるとしても怖くはなかった。行き着く先が両性具有の処分場であろうが、デウデシオンが連れて行くのなら、それを受け入れることができる。
 自分を抱き締めている腕に込められている微量とは言い難い殺意。その殺意は自分に対してであることもザウディンダルは感じ取っている。
 だが逃げようとは思わなかった。
 死を嫌う両性具有でありながら、殺意ある腕に抱かれて幸せを覚える。精神を浸食する死への憧れ。灼熱でありながら凍えゆく。なにがどうなろうとも怖くはなく、むしろ共に破滅することを望むほどに。
 ザウディンダルは顔をデウデシオンの胸に押しつけ、目蓋を閉じ、副帝の証である小刀を再度握り絞めた。
 柄の部分は固く、飾り気はまったくない。あるのはシュスター・ベルレーの番号の刻印のみ。ザウディンダルは指先でそれをなぞりながら、愛する死の淵で微睡む。
 抱き上げられ揺れる足先を風が撫でる。その風が内気ではなく、外気に変わった。樹木の香りが強いどこか。
 その柔らかな空気とは対照的な固い足音に変わる。
 ザウディンダルにも聞き覚えのある、機動装甲の外装甲の上を歩く際の音。肌で感じていた陽射しが消え、閉ざされた空間に入った。デウデシオンはまだ何も語らず、だからザウディンダルも口を開かず、ただ待った。
 全身が浮遊する。微かな音でここが機動装甲の操縦席であることにザウディンダルは気付いた。戦場ではない宙を飛んでいるのに感じる死。だがその死は敵を前にする時とは違う死である。
 死はすべて同じである ――
 それは正しい。だが正しさのみが世界を支配するわけではない。
 機動装甲が地上へと降り、
「ザウディンダル」
 デウデシオンが口を開いた。操縦席が開き湿った外気が、雨音と共に流れ込んでくる。ザウディンダルはその水を含んだ空気に長い睫を震わせながら、ゆっくりと目蓋を開いた。
 塔に絡まる蔦。その生い茂る葉は雨を弾き、葉を揺らしている。
「巴旦杏の塔」
「そうだ」
 デウデシオンは大剣から手を離し、小刀を握り絞めているザウディンダルの手を包み込む。
「……」
 揺れる葉が雨音と共に歌、二人はその奏でに耳を傾ける。
「……」
 雨を降らす重く垂れ込めた灰色の雲は、デウデシオンの機動装甲の色とよく似ていた。無数の音を聞きながら二人はしばし外をみつめる。
「ザウディンダル」
「なに?」
「私は簒奪しようとしていた。理由はただ一つ、お前を手に入れるために」
 デウデシオンはザウディンダルに軽く口づける。
「そして私は今日、簒奪を実行した」
 雨を降らせ続ける曇天の空とは対照的な、本当に晴れやかな笑顔でデウデシオンは甘く囁く。ザウディンダルは副帝の証である小刀を手渡し、デウデシオンの首に抱きついた。
「皇帝になれなかったけど、いいの?」
「ああ。言っただろう? お前が欲しいから皇帝になりたかっただけだ。お前が手に入るのならば、皇帝でなくともよい」
 デウデシオンは小刀を手にしたまま、ザウディンダルを抱き締める。艶やかな黒髪が雨で濡れた空気を吸い、いつも以上に滑らかに指に絡まる。
「……」
「私の感情は重たいだろうが、どうすることもできない。ザウディンダル、お前は私から逃げられない」
 デウデシオンはそう言い、抱き締めている腕に力を込める。抱きあげて運んだ時と同じように、込められる微量の殺意。
「逃げるわけ、ないだろ」

**********


 後の世においてデウデシオンが権力に固執し、皇帝の愛姫を奪ったといわれているのは【シュスタークに剣をむけた】この出来事が原因である。ただ奪ったのが表立っては残すことのできない両性具有であるためにデウデシオンの妃として名を残すことができず、だが口をつぐめなかったため、不確かにし曖昧な噂として残ることになった。
 それともう一つ、ザウディンダルの名を残せなかった理由がある。レビュラ公爵ザウディンダルの名は、帝国史に「帝国騎士の完成形」としてはっきりと刻まれ残った。
 ただ帝国史に名は残ったが、帝国騎士という一般人には知ることの出来ない場所に名が残ったため、噂を打ち消すちからはなく、結局「皇帝の愛姫」と「帝国騎士の完成形」は別々の人間となった。

**********


「それで、エーダリロク。俺たち王族全員残して、なにを教えてくれるんだ?」
 事前にエーダリロクから「今日の謁見後に王族全員に話がある」と聞かされていたビーレウストが尋ねると、
「おう!」
 エーダリロクは先程、修繕費の見積もりに使った端末を掲げ、謁見の間に幾つもの映像を出現させた。どの図も一目で「難解」とは分かるが、それ以上の理解は不可能で、詳しい説明を聞きたいと、ビーレウストはまず思わない図であった。
「陛下」
「なんだ?」
「陛下は帝国騎士についてどのようにお考えでしょうか?」
 宙に現れた無数の映像のどれ一つとして理解できないシュスタークは、この問いも難しく動きが止まった。
「どう……とは」
「少々質問を変えましょう。陛下、帝国防衛には帝国騎士は必要不可欠。一度の会戦で四百人程をぶつけると、敵とよい勝負ができるですが、現実には五十人以下で防戦一方といいながら、ほとんど負けている状態。帝国騎士の数は多くはありません。多くない理由は一つ、帝国騎士がどのようなものなのか? 分かっていないから……でした」
 エーダリロクが語尾に力を込めて言いきる。
「まさか」
 シュスタークは玉座から腰を浮かせエーダリロクを凝視した。
 エーダリロクは兄王を通してエヴェドリットから依頼されていた「帝国騎士の量産方法の調査」をある程度まで完成させ、より完全にするために、ここで自らが掴んだ情報を他王家にも明かすことにしたのだ。
「全てではありませんが、部分解明はできました。全を解明するためには、ある人物が必要です」
 本当はもう一人、説明に同席させたかった人物がいた――デウデシオン。だがあの状態の彼を止めることはできず、黙って見送る。
「誰だ?」
「ザウディンダルです」
 仕切りなおさなかったのは、この状況が望みを叶える方向に持って行きやすいと判断したのだ。
「……」
「陛下。おっかない想像しないでください。俺はザウディンダルを使って人体実験なんてしませんよ」
「あ、済まん。その……調べるというのがどのようなものなのか分からなくて」
「ご安心ください。ザウディンダルを傷つけたりはしません。するはずないじゃないですか、なにせザウディンダルは陛下の両性具有――と言おうと考えてきたのですが、所有権が帝国宰相に移ってしまいましたがね。そこで陛下にお願いがあります」
「なんだ?」
 両性具有が絡むとシュスタークの領分である。所有権をデウデシオンにくれてやったが、話をつけるとなるとやはり「皇帝」が必要となる。
「巴旦杏の塔を閉じることを条件に、ザウディンダルの体を調査させてもらえるように取り計らって欲しいのです。ただ実験させろでは帝国宰相は納得しないでしょう。陛下がザウディンダルの所有権を帝国宰相にくれてやったので、ある程度の譲歩策を打ち出さないと、調査させてくれないでしょうから」
 巴旦杏の塔は両性具有を捕らえる。一度入ったら、死ぬまで出ることはできない。その塔に出入りできるのは皇帝のみ。だが起動と停止は「四大公爵」の力が必要となる。
「あー……」
 四大公爵は帝国宰相には滅多に従わない。精々協力しても二人だけで、他の二人は必ずといって言いほど反対してくる。
 だが彼らも皇帝には従う。両性具有はもともと皇帝の物なので、命じれば―― だが所有権はデウデシオンに副帝の地位と共にくれてやった。
 すっかりと立ち上がり腕を組んで困り果てているシュスターク。
 塔の起動・停止には四大公爵が「仮死状態」になる必要があり、非常に危険なのだ。仮死状態そのものはコントロールされているので問題はないが、完全なる無防備となる。
 誰にも恨まれていない王など存在しない。どれ程の善王であろうが、その地位を乗っ取りたいと考える者は存在する。
 【起動】ならばまだしも、いま命じなくてはならないのは【停止】
 両性具有が存在しているのに停止を命じるのには、通常の勇気とはまた違う勇気が必要になる。そして停止させたとしても、両性具有がこのさき生まれ、塔に入れる際に ―― シュスタークとしては出来れば避けたいが、その頃はもう自分がいない可能性もある ―― また仮死状態となり起動させなくてはならないことを考えると、すぐに命じることはできない。
「陛下。私は柱に入る覚悟は出来ております」
 ランクレイマセルシュは胡散臭さしかない笑顔でシュスタークに申し出る。
「帝国騎士の量産は我の望みでもあります。陛下、ご命令を」
 秘密裏にエヴェドリットの帝国騎士だけを増やしたかったザセリアバだが、現状から、エーダリロクの判断が最良であることを理解し、ランクレイマセルシュのあとに続く。
「陛下。儂はいつでも、陛下の御心のままに。命じてくだされ」
 自らも両性具有であるカレンティンシスの胸中は穏やかではない。だがそれを気取らせるわけにはいかない。隣に立っているラティランクレンラセオが知っているとしても、カレンティンシスは王として立つ。
「このケスヴァーンターンも命じられることを待って降ります」
 四大公爵に言われシュスタークは軽く頷き、
「分かった。巴旦杏の塔の閉鎖を命じる」
 エーダリロクを見つめながら、閉鎖を命じた。

「四大公爵には俺から詳しく納得するまで説明しておきます」

―― 説明は要らぬのだが……

 宙に浮かぶ意味不明な画面を、ちらりと見て四人は視線を交わした。彼らも決して馬鹿ではない、それどころか賢い部類に入るが、天才中の天才であるエーダリロクですら「部分解明」しかできていない事柄を、理解するのはほぼ不可能である。

「エーダリロク。四大公爵たちに説明したあとに、簡単でいいから余にも説明してくれ」
「はい」


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