ALMOND GWALIOR −283
 シュスタークとロガの長かった挙式も最終日を迎えた。
 ロガが挙式期間中に着用したドレスは二百五十八着。二百五十九着目になる最後の一着はアイボリー色のプリンセスラインウェディングドレス。
 貴族たちの中では小さく華奢で目立たないロガ。
 大宮殿内での式典であれば、目立たなかろうが貧相と思われようが問題ではないが、最後は大広間に面しているバルコニーに、シュスタークと四大公爵たちと共に出て手を振る必要がある。
 彼らのお目当ては皇帝よりも初の奴隷出の皇后ロガ。彼女が幸せそうであり、美しくあり、皇帝や王たちと並んでも見劣りしない姿を「見たい」のだ。
 見た目で人々の要望に応えるのも皇后の、そして帝国宰相の役目。
 少しばかり胸の膨らみを偽装したぴったりとした上半身と、腰から裾にかけて滑稽にならない程度に大きく広がるスカート。袖はレースを十二段重ねたバゴダスリーブ。
 豪奢な光りを放つかのごとき黄金髪を持つ四大公爵と、昼の空の下にあっても夜の星々の瞬きを見せる黒髪を持つシュスタークたちに負けないように、この五人の頭髪に似たかがやきを陽の光りの元で魅せる特殊織りされた四メートルほどのマリアヴェール。
 ヴェールはどれ程でも長くすることはできるのだが、全体的に四メートルのヴェールがもっとも映りが良い。
 なによりも民衆は大広場からロガを見上げる。
 上空から撮影されることもないので、どれほど長いヴェールをまとっていようとも、民衆には見えない。下から仰ぎ見た時、もっとも美しくあれば良いのだ。

 シュスタークはどのような状態でも、人々が思い描く皇帝の姿である。初陣を果たして軍人としても最高位に就くことができたので、彼にもっとも似合う軍服でその場に臨む。
「さあ、行こうか。ロガ」
「はい、ナイト……陛下」
 ”ナイトオリバルド様”と呼びかけた所で、バルコニーで後ろに並ぶ四大公爵がやってきたのでロガは呼び方を陛下に変えて、差し出された手に手を置く。
「それではお願いします」
 バルコニーの脇から全方向を警戒していたデウデシオンが、バルコニーに出る窓を開くように命じた。

 大宮殿内で解放されれば唯一どんな身分の者でも立ち入ることができる大広場。そこから望めるバルコニーに現れた皇帝と皇后、そして四大公爵。
 直接見ることができる最初で最後の機会に人々は歓声を上げる。

**********


 監視室では上空からシュスタークたちを見ているエーダリロク。上空から撮影してはいけない決まりになっているので彼が上空から撮影しているのだ ―― 要は撮影ポイントに前もって陣取り、他の者達を排除しているという訳だ。上部からの撮影を排除しつつ、大広場からシュスタークたちに大歓声を送る人々の姿を全帝国に発信する。
 それがエーダリロクの本来の仕事であった。
 さすがのエーダリロクでも予想していなかった”彷徨える帝王”がやってきて仕事が増えたものの、なんの被害もなかった上に残された帝王の気持ちが若干楽になったことも感じ取ることができて、まさに幸せな忙しさ。
「陛下の挙式やっと終わるな。あとは二人に半年くらい自由な時間を与えたら帝国は一応安泰だ。次はラティランの野郎をどうするか」
 ロガとシュスタークの間に”皇女”が生まれる未来を脳裏に描き次の一手を探る彼に、人々は言うであろう「自分の将来を案じろ」と。
 そんな誰もが同じ言葉で突っ込む童貞エーダリロクの元に、
「エーダリロク!」
「痛ぇ! キュラ叫ぶな……」
 攻撃的な声を出しながらキュラティンセオイランサが駆け込んできた。わざとらしく耳穴を人差し指で押さえてエーダリロクが振り返り理由を尋ねようとしたのだが、それよりも早くデータ表を突き出しながら、
「帝星大気圏に異常発生。三日前まで君が専任してた”あれ”っぽいって」
「また、彷徨える帝王絡みか!」
「当たり前だろ! そうでなかったら、わざわざ来ないよ! 早く!」

《本当に申し訳ない。若い頃の無茶が……》
―― 別に詫びなくていいから

 自分ではあるが赤の他人である子孫の結婚式。表現し辛い相手ではあるが、ザロナティオンはシュスタークの結婚式を喜んでいたのだが、度々入る邪魔。それも昔自分が放った銃の弾道という事実に責任を感じていた。
 死んでも意識があると責任を感じてしまうくらいに、ザロナティオンは真面目であった。
 シュスタークの内側にいるラードルストルバイアは”幸せであれば出て来ない”といった手前、表には出なかったが、異変を感じてずっと”ぎりぎりの所”に待機していた。

―― そんなに気になるなら現れたらいいじゃない。あんだけ喋っておいて、すっごく格好悪いけどね
―― うるせえな、無性

 警戒室に飛び込んだエーダリロクは、上がってくるデータを見て、
「……大丈夫だ。今回のこれは、色彩異常だけだ」
 デウデシオンに連絡を入れる。
 《式の続行には問題はない。詳細は後で》と告げて通信を切り、警戒室のモニターの一つを監視室に繋いで上空監視を続けつつ、まだ集まるデータを読む。
「なにが起こるの?」
「宇宙空間の一部が真っ白になるだけだ」
「他は何も無いんだね?」
「ああ。宇宙船の計器類に異常が出るようなエネルギー波も観測されないし、余波ってほどでもねえし……平気だ。ただし”今回は”ってつけておく必要はある」
 エーダリロクの通常でも鋭い目が”どこか”を睨んでいる。
 それはこの室内でも上がってくるデータでもなく、まして笑顔で式に臨んでいるシュスタークやロガでもない。
「次回があるの?」
「次回はあるだろうな」
「いつ」
「知らねえ。だが確実にくる」
「それがなにか問題なの?」
「俺たちは次元を無理に開いているから、その”余波”がどこかで、とんでもないことをしでかす」
「君にしちゃ曖昧だね」
「まあな。だが余波は確実に未来で起こる。俺たちはこれからこの理論を研究して利用する。その先で……」
「そんなに言いたくないことが起こるんだ」
「……まあな」
「じゃあ聞かないでおく。ま、僕が生きている間には起こらないんでしょ? だったらいいや」
「お前らしいな、キュラ。俺がどれほど考えても、俺が生きてるくらいじゃあこの余波は来ないだろうから……俺はここで見張ってるから、お前は式見てきたらどうだ?」
「いや要らない。陛下と皇后だけならまだしも、四大公爵が背後にいるんだよ。正装したラティランクレンラセオの陰険な笑顔なんて見たいと思う?」
「思わねえな。俺も兄貴の”これでロヴィニア四代”の勝利者笑顔は見たくねえ……って」
「でしょ? どうしたの? エーダリロク」
 ロガたちが映っているモニターを食い入るように見ているエーダリロクに、キュラが不審さを露わにして声をかける。
「ん……兄貴とラティランの野郎……まあ、いっか。なあキュラ、鬱陶しいから後ろの四大公爵、画像処理で消して見るか!」
「それいいね! ほんと、あいつら邪魔だよね!」

**********


「空が白くなりますが、異常はないとのことです陛下」
 デウデシオンは背後からシュスタークに報告する。
「解った。またなにかあったら報告せよ」
 シュスタークは振り返らず整い冷たさを感じさせる顔をほころばせ、人々を驚かせながら手を振り続ける。
 すぐに後ろに下がったデウデシオンと、シュスタークから少し離れたところに立ち手を振ることなく人々を見ている四大公爵。
「最後の最後まで帝王が目立つ式だったな」
「仕方あるまい……なにを考えているラティランクレンラセオ」
「おそらくお前と同じことだよ、ランクレイマセルシュ」

 幻を見せることができる。思い通りに操ることができる。

 白く染まる空にラティランクレンラセオは目を細めて、群衆に幻覚をかけた。
 ランクレイマセルシュは白く染まった空の下で大きく目を開き、群衆に暗示をかけた。バルコニーを見上げていた群衆の目に映し出されたのは、白い空から舞い落ちてくる白い羽。
 無数に降り注ぐ白い羽。
 羽が見えると叫ぶ声を聞いた者は”暗示にかかり”白い羽を見る。
 手を伸ばしても掴むことのできない羽。
 雪のように、木の葉のように、舞い落ちる羽。
 歓声を聞きながら、ラティランクレンラセオは目の前で必死に手を振っているロガの後ろ姿を眺める。
「人間は”賢い”から、集団心理や集団催眠と名付けて、それ以上は追求しないさ」
 人々の行動を見下ろしていたカレンティンシスはラティランクレンラセオの言葉に、眉を顰めたが怒りはしなかった。
「随分と馬鹿にしているように聞こえるが」
「馬鹿になんてしていないよ」
 小首を傾げてこれ以上無いと言うほどに馬鹿にした態度で、ラティランクレンラセオは答える。
 ザセリアバはランクレイマセルシュをちらりと見ただけで、特に追求はしなかった。奇跡と喜んでいるのだ、好きなだけ喜ばせておけばよいと。
「……陛下?」
 バルコニー前に置かれた台に上り、必死に手を振っているロガをシュスタークが突然抱き上げた。要綱にはなかった行動にザセリアバが反応して、半歩の半歩程度のほんの僅かばかり後ろに立つ。
「なにをなさるおつもりで?」
「ロガを手すりに座らせようかと」
「畏まりました」
 大きな手すりは小さなロガが座るには充分過ぎるほど幅がある。カレンティンシスが傍へとやってきて、長いドレスの裾をバルコニーの内側にして着衣を整えた。
 シュスタークが守るようにしてロガの後ろに立ち、片手をロガの胴体に回してもう片方の手を上げる。
 ロガの四メートルほどのヴェールの扱いを考慮して、やや斜めに座っていた。重みのないヴェールはバルコニーを吹き抜ける風に、群衆が幻視している羽と同じように柔らかく舞い上がる。その舞い上がるヴェールの両端をザセリアバとカレンティンシスが掴み押さえる。
「気にせずに手を振り続けよ、皇后」
「は、はい! カレンティンシスさん」
「カレンティンシスさんではない。アルカルターヴァ公爵じゃ」
「は、はい!」
「笑みは絶やさず」
「はい!」
 ロガはカレンティンシスに言われて、練習を思い出し小さな声で「ありがとうございます」と聞こえたら叱られてしまう感謝を呟く。
 人の耳であれば拾えなかった感謝だが、カレンティンシスは難なく拾い上げてしまったものの追求しなかった。
「随分丸くなったじゃねえか、アルカルターヴァ公爵さまよ!」
「今日だけじゃよ。貴様も笑顔を絶やすなよ、リスカートーフォン」

 柔らかな笑みを浮かべてロガが空を仰ぎ見る。その視線の先から空は青さを取り戻し、白い羽も消えてゆく。

「ロガ」
 バルコニーに手を置いて背後に立っていたシュスタークが声をかけてきたのだが、その声はシュスタークのものではなかった。
「……」
 ロガは驚きを隠し笑顔を絶やさずに”誰か”と視線を合わせる。
 シュスタークなのにシュスタークではなく、ラードルストルバイアでもない。本当に僅かだけ会話したことのある相手。
「僕だよ」
 黒い髪に切れ長の目の、見慣れた容姿がまったく別物になる。
「ビシュミエラ様?」
「そうだよ。君なら解ってくれると思った」
 その名とシュスタークではない喋り方に四大公爵たちは驚いたが、聞こえていない素振りを続ける。
「君に一つ頼みがあるんだけど聞いてくれるかい?」
 ラティランクレンラセオがしたのと同じく小首を傾げるが、それは馬鹿にしている態度ではなく、欲しいものがある時ザロナティオンに対してだけ見せた動き。

―― 望まれたこと、全て叶えてはやれなかったが……

 モニター越しに見ていた”ザロナティオン”は、愛おしげに”バオフォウラー”を映し出している画面を撫でる。
「はい。私に出来ることでしたら」
「君にしかできない。あのね、君の誕生日、今日にしてくれないかな?」
 さすがに”この言葉”に四大公爵たちは息を飲み、その背後に控えているデウデシオンも正面からの映像を確認しながら、ここにいるのが「ビシュミエラ」であると確信する。シュスタークが取れるような行動ではなく、シュスタークには決して思いつかないこと。
「私の誕生日ですか?」
 性別のない”女性”であったビシュミエラ。
 彼女の感性はやはり女性と呼ばれるだけあって、女性に近かった。
「うん。そしたら僕は幸せになれる。今日という日は僕にとって不幸だった。でも君の誕生日になれば幸せになれる」
「わかりました」
「ありがと。帝国、頼むよ。それじゃあね」
 少女のようであり、少年のようであり、幼児のようでもある口調と態度は一瞬にして消えて、シュスタークが戻ってくる。
「驚かせたな」
 この言葉はロガに向けてというよりは、背後の五人に対した部分が大きい。
「いいえ。でもお話できて良かったです」

 止まぬ歓声と、広がってゆく青空。その青空を見つめる太陽の瞳。式の終わりを告げるラッパの音は声に飲み込まれてしまった。

 シュスタークはバルコニーに座らせたロガを抱き上げて、二人は手を振る。

「今日を誕生日にしてもよろしいですか? ナイトオリバルド様」
「ああ……今日はビシュミエラにとって悲しい日だったのだ……」

 百年前の今日。十三月三十二日。それは帝王が死んだ日。

「それでもいいか? ロガ」

銀の狂気の「死」を全ての「生」として継承する奴隷による緩やかな世界の再生。過去となった己との対面そして決別。

「喜んで」

 一年の最後でもあるその日。奴隷皇后の《誕生日》として、死んだ神聖帝のなかで生まれ変わり”彼女”を永遠の安らぎへと導いた。

 翌日、帝国では新しい年の幕が開かれる ――


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