ALMOND GWALIOR −251
 あと数時間で帝星に帰還できる艦内は、浮き足立つ気持ちを抑え込んで規律に従う。タウトライバは艦橋で、皇帝の帰還に相応しい隊列を作るために帝国宰相が用意しておいた艦隊を組み入れて再編成し、進行速度を確認し帝星に逐一連絡を入れて連携をとりつつ、不測の事態にも備える等の指示を出していた。
「あと少しで帝星だな」
 正装に着換えたタウトライバは、久しぶりに妻子に会えることを楽しみに、同時に”それ”で気が緩まないように気を引き締めて任務にあたっていた。
「シダ公爵閣下」
「なんだ?」
「ご子息からです」
「息子? 誰だ」
「エルティルザ殿です」
「繋いでくれ」
 もうすぐ帝星に降りて出迎えに来てくれる筈の妻子を抱き締め、再会を喜び合う……のに、何故連絡を入れるのだろうか? 不思議に思いながら、タウトライバは画面に現れた息子に話しかける。
「どうした? エルティルザ」
『あのですね! 父上。まずはご帰還おめでとうございます』
「それはありがとう」
『それで……あの、父上。女の子の名前考えてきてくださいね』
「は?」
『長話も悪いので、それじゃあ!』
「ま、待て! エルティルザ!」
 父の叫びを無視して笑顔で通信を切った息子。
 艦橋を支配する妙な空気。
 コンソールの前にいる兵士たちは互いに視線を交差させて”シダ公爵妃が妊娠したって聞いてたか?” ”いいや。今回は聞いてない” ”妊娠してるなら毎日子供に向けて日記録画するだろうし” ”生まれてるの解ってたら、ものすごい顔で名前考えてる頃だよな” 過去のタウトライバのことを考えて首を振る。
「女の子の名前って、まさかエルティルザがどこかのお嬢さんと……」
 結婚が早かった自分に当てはめてみると、エルティルザも充分結婚してもおかしくはない年齢。その上帝国騎士として叙任され、自ら稼ぎも得るようになっている。
「祖父になるのか……」
 三十代半ばで祖父は皇王族としては珍しいことではないが、
「せめて最初に紹介して欲しかった……」
 彼女らしき存在など聞いたこともなかったタウトライバには、ショックも一入であった。―― 思い込み ―― ではあるが。
 着衣が乱れないように最大限の努力をして驚きを抑える。
 妻であるアニエスに連絡を入れればすぐに解決出来そうだが、私事で時間を取る余裕はほとんどないので到着まで我慢することにした。

 着陸しシュスタークやロガを無事帝国宰相に引き渡し、出迎えてくれた妻の腕に抱かれた金髪の可愛らしい赤子を前に声を失うも、
「女の子が生まれましたわ」
「私と貴女の?」
「もちろん」
「父上! 名前考えてきてくださいましたか!」
 自分の子だと知り、飛び付いてきた息子に僅かばかりの罪悪感を抱きつつなかったことにした。
「なぜ教えてくれなかった?」
「理由は長くなりますから。この子の名前が決まったら、タバイ様やミスカネイア義理姉様も交えてお話します」

 タウトライバが《女子誕生》の真実を知るのは一ヶ月後。

 突如現れた娘に衝撃から立ち直り、浮かれに浮かれまくって、名前の提出期限をぶっちぎり。
「娘の可愛らしさに名前が決まらぬとは微笑ましいではないか。好きなだけ考えさせてやれ」
 シュスタークはタウトライバの浮かれぶりを、本心より微笑ましく見守り、名前くらい好きなだけ考えさせてやれと無期限の許可を出す。
 一時期付けたい名前の全てを並べて、危うく帝国の歴史上二番目に長い名前になりかけたが、そこは兄弟たちが必死に思い留めさせた。
「陛下が名前を呼んで下さる際に噛ませてしまったらどうするのですか!」
 良く噛む皇帝シュスタークは、娘の名付けに需要な役割を果たしていた。
 もちろんシュスタークはそんなことがあったなど知らない。ただ名前にかかりっきりになるタウトライバを見て、
「余も子が生まれたらこれ程悩……ああああ! 悩んでられぬ!」
 シュスタークは自分も男女どちらであれ悩みそうだなと思うと同時に、自分の子は名付け期間の延長などできないことを思い出し、
「デウデシオン!」
「如何なさいました」
「皇太子の名前決めてくれるか!」
「お断りします」
 素気なくデウデシオンに袖にされ、シュスタークも結婚式の間中、悩みに悩み父達に助言を求め、ロガと共に名前を完成させた。
 タウトライバの浮かれぶりのお陰で、シュスタークは皇太子の名を早い段階で提出することとができたのだ。
 その皇太子の名付けに貢献したタウトライバの娘の名は、クーデルレチューデ・バドロンドリアロイデ・ファルランタラーゼ。
 乳白色の肌と薔薇色の唇に黄金色の髪を持った、キャッセルによく似た姫君は、シュスタークの第五子、彼女よりも十歳以上年下の第二皇子の妃となるのだが、名前が決まるまで長すぎ、当然呼ぶのに誰もが困ったので愛称が付けられた。
 その愛称は姫という意味の《デゼ》
 幼少期はデゼ。少女期はデゼ・クーデルレチューデ。父と同じ道を歩み軍人となってからは《デゼ》に階位がつき閣下と呼ばれ(例・姫少将閣下)そして《デゼ》親王大公妃。
 成人してから姫と呼ばれることに抵抗はあったものの、自分と同じように「デゼ」付き愛称で呼ばれることとなった叔父大公妃もいたので、受け入れるしかないと理解して強く生きて行った。
 もちろん「デゼ」付き愛称で呼ばれていた叔父大公妃は全力で拒否したが、彼の全力は兄弟たちの全力の前には無意味であった。

**********


 ロガは着陸前にどうしてもしたいことがあった。

―― カルニスタミアさんにお礼をしたいのです ――

 僭主との戦いで自分を連れて逃げてくれ、意識が戻ってからはヤシャルの無罪のために色々と手を尽くしてくれたカルニスタミアに、帝星着陸前に直接会って礼を言いたいと願っていた。
 帝星に到着してしまうと、忙しく両者の予定を合わせるのも難しい。
 ヤシャルのために手を尽くしてくれている時に会いに行きたかったのだが、件の重要国家機密的な幼児化事件が発生したために会うことができなかった。
 容態が悪化したと聞かされたロガは、非常に心配し心を痛めてもいた。幼児化しているカルニスタミアに会ったら、余計に心を痛めていたかもしれない。

 帝星着陸目前にロガの希望が叶い、やっと会うことができた。
「カルニスタミア」
「カルニスタミアさん」
「陛下、后殿下。わざわざ足を運んでくださり」
「見舞いだから当然であろう。調子が悪かったそうだが、もう大丈夫か?」
「完全ではありませんが、落ち着きました」
 もう安静にする必要はないと当人は思っているのだが、大事を取ってということでまだベッドに縛りつけられているカルニスタミアの元に、シュスタークとロガが凱旋用の着衣に着換えてやって来た。
 カルニスタミアを見舞っている間に広場に着陸し、控えている民衆に手を振りそこから馬車に乗り込み、街中を手を振り一周して大宮殿に戻り出迎えの貴族達にも手を振って……と、予定が組まれている。
「あの時はありがとうございました!」
「后殿下にそのように言っていただだけるとは」
 カルニスタミアの部屋にはカレンティンシスもアロドリアスもリュゼクもプネモスも控えている。シュスタークやロガと共にザウディンダルやエーダリロク、ビーレウストにキュラが同行してきた。
 タウトライバは前述の通り艦橋で艦隊を、タバイは式典用の近衛兵に指示を出しており、ハネストは近くの衛星に僭主を降ろして、帝星襲撃部隊と合わせてこれからの段取りを説明する。
 ミスカネイアはロガの私物をまとめて責任を持って降ろすこと、タカルフォスはボーデンを預かることになっていた。

 ―― あの時はありがとうございました ―― ロガの笑顔に、気になさらずにと答えるカルニスタミア。
 何事も無く終わる筈……であった。
 だがここから事態が急変する。
「怪我が酷かったと」
「はい」
 精神が後退したとはとても言えないので《そのように》伝えられていた。
 確認を取ったロガはカルニスタミアに、
「ちょっと上半身裸になってもらえませんか?」
「?」
 誰もがカルニスタミアと同じような「?」といった顔になる。―― 后は皇帝の前で一体何をしようとしているのだろう ――
「駄目でしょうか?」
「儂は構いませぬが、陛下?」
「ロガの希望通りにしてやってくれぬか」
「畏まりました」
 カルニスタミアのベッドの隣に用意された椅子に座っているシュスタークは、良く解っていないがロガが変なことをするとは思っておらず、出来る限りロガのしたいことをさせてやりたいと考えているのでカルニスタミアに”頼む”と言いながら、他の者達を制するように手を動かす。
 皇帝の意志を受け、全員が沈黙を保つ。
「ちょっとベッドに乗らせてもらいます」
「はい?」
 薄紫色のスカート状になっている軍服の裾を掴み、大きなベッドに登り上半身裸になったカルニスタミアの背中側に回る。
「后殿下がなにをしようとしているか解る?」
「いいや」
 キュラに聞かれたザウディンダルは首を振るしかなかった。
「と、とどかない……」
 周囲の困惑を他所に、ロガはまるで気にしていないかのように裸になったカルニスタミアの背中に抱きつき、必死に手のひらを動かすのだが、どうも本人が目的としていることは出来ていない模様。
 娘が父親の背中に抱きついているような形だが、そういった微笑ましさはない。むしろ空気は重苦しいと表現するに相応しい状況。
「……」
「あの、ちょっと前に回っていいでしょうか」
「ご自由に」
 ロガはベッドの上を歩きカルニスタミアの前へとやって来て、乳首を指で摘んだ。
「……」
「早く治るといいですね! 貴族のおまじない、やってもらった時、凄く効きました!」

 ロガがしたかった事を理解し、誰もが沈黙した。

「あ……ありがとうございます。后殿下」
 カルニスタミアは貴公子の面差しで微笑み、ベッドから降りるのに手を貸し、
「陛下、わざわざありがとうございました」
「あ、うん。そうだな、うん。ロガ、わざわざありがとうな」
 シュスタークも《自分が言ったことが原因になっている》ことに気付き呆然としかかったが、ロガに間違っていると言う気にはなれず、皇帝の慈悲深き微笑みでロガを褒め讃える。
 事態が飲み込めていないカレンティンシス一同にエーダリロクが近付き、事情の一端を説明していた。

**********


 命令されたとおりに上半身だけ裸になったロガの背中にスプレーをかける。
 胸を手で覆い隠して緊張した状態で終わるのを待っているロガ。
「?」
 ぽすり……と土の上にスプレー缶が落ちる。どうしたのだろう? そうロガが思う隙も無くカルニスタミアが腰に腕を回し無理矢理引き寄せ、
「……いたっ!」
 腰の辺りに口付ける。
 何が起こったのか解らないロガは、突然抱きすくめた力強い腕と、腰に感じた事のない濡れた様な感触に怯えて動けないまま暫く時間が流れた。


**********


 人は後ろに目はない。ロガは背中にキスされた事もない。ロガが痛みを訴えたのは、回された手が胸に触れて、乳首を指で挟んだところにある。
 だが誰もそちらに気付いてはいなかった

**********


「后殿下が怪我をした際、儂は治療用のスプレーを持って行きました。その時、上半身を裸にさせて不必要に触れたこと此処にお詫び申し上げます」
 ロガは思い出したようで頬に手を当ててとても困っているようだ。
 それはまあ、そうだろうなあ。
「あ〜ロガ。その時、ライハには異心はなかった。それは、怪我を治すおまじないのようなものだ。なあ、ライハよ」
 子どもの頃、よく父達がかけてくれたものだ。
 デキアクローテムスは『背が大きくなるおまじない!』と何かの面とかいうのを持ってやっておった。自分も小柄であるし、ザロナティオンも小柄であるからして気になっていたのであろう。
「はい、そう取っていただければ」
「おまじない……なんですか」
 ロガは顔を真赤に……真赤に……
「ロガ! 熱でも出てきたのか」
「陛下! 違います! それは照れてるんですって!」
 ガルディゼロの突っ込みにロガはますます顔を掌に隠して……
「照れるかもしれぬが、その……なあ」
「あ、はい。あれから直ぐ痛みもなくなったから、ありがとうございました。気にしてませんから……気にしないで下さい……で良いんでしょうか?」
「ありがとうございます。このライハ公爵カルニスタミア、后殿下に絶対の服従を誓わせていただきます」

**********


 ロガが赤面したのは、見える範囲での羞恥だったのだが、そこに誰も気付かなかった。
 理由を聞いたカレンティンシスの表情は正に青ざめ、
―― 兄王妃の乳首で身を滅ぼしてたほうが良かったんじゃねえのか、カル
 皇帝の正妃の乳首を指で挟んでいたとは……ビーレウストがそんな感慨に耽る。
 大きく見開かれたキュラの瞳に、また幼児化して現実逃避したくなったカルニスタミアだが、ロガがせっかく”まじない”でまた正気を失っては失礼だろうと踏みとどまった。

「后殿下。陛下はカレンティンシス王と少しばかり話があるそうです。俺と一緒に先に戻りましょう。そうですよね、陛下」
 ”やべぇ。兄貴も混ざるくらいの大事だ”とザウディンダルは感じ取り、ロガを連れてこの部屋から早々に退出することにした。
「お、おお! ザウディンダル、その通りだ。ロガ先に戻っていてくれ」
「解りました。それではカレンティンシス王、失礼します」
「おお。《愚弟》の見舞い、まことにありがとうございます」
 《愚弟》に凄まじい力を込めてカレンティンシスは礼をする。
 部屋をあとにしてボーデンの元へと向かう途中、
「ザウディンダルさん。カレンティンシスさまが言った《愚弟》ってどういう意味ですか?」
 ザウディンダルには聞き覚えのある言葉《愚弟》
 デウデシオンに何時も言われている言葉で意味も完全に理解しているが、あそこで《愚弟》と言った意味を追求されると困るので、
「……あー済みません、俺も良く聞き取れませんでした。カレンティンシス王の発音はテルロバールノルが混ざっていて、偶に聞き取れないんですよ」
 誤魔化した。
「そうなんですか」
 頭の良いザウディンダルは五言語を操り、専門用語も多数マスターしているが、覚えていることと上手く説明して、事態を収拾させることは違う。
「こんどエーダリロクか、もしくはメーバリベユ侯爵に聞いてみましょう」
「そうですね」
 こういう時は虚言の代名詞たるヴェッティンスィアーンに任せるべきなのだと、ザウディンダルは心得ていた。
 シュスタークもヴェッティンスィアーンに連なるのだが、そこは触れないでおくのが臣民としての嗜みである。
 ちなみにザウディンダルも虚言の代名詞の血は引いているが、両性具有の特性上嘘は苦手なので、これはどうしようもない。

 ロガとザウディンダルが去った部屋には、重い空気程度では言い表せない物質が漂っていた。
「……」
「……」
「……」
 シュスタークは怒ってはいないのだが「怒っていない」と言ったところで事態が収まらないことは良く知っている。
 誰が最初に口を開くか?
 互いの表情を窺いつつ出方を待った。
 だが待ち続ける程の時間も残されてはいない。もうじき帝星に到着するのでシュスタークは出口へと向かわなくてはならない。

―― 黙ってこのまま皇帝を帰すのか?

「陛下! まことに申し訳ございませんでした! 愚弟がその、そのまさかわいせつ行為を働いているとは」
 そんなこと、このカレンティンシスに出来るはずもなく、自ら紛争地帯に飛び込んでゆく。
 カレンティンシスがこれ以上無い程土下座すると同時に、家臣一同も土下座する。違うのは家臣たちは何度も何度も額に打ちつけて、自らを罰しながら無言で謝罪しているところ。
 ビーレウストが親指を立ててキュラを誘い、カルニスタミアのベッドへと近付く。
「君は弁解なんてしないよね」
「ない」
「いくら潔くても、今回ばかりは許されないよ」
 言って二人でカルニスタミアをシーツや毛布で巻いて、飾り紐で縛り上げる。もちろんすぐに逃げ出せるのだが、ここで逃げ出してもどうしようもないことは解っているので、カルニスタミア甘んじて受ける。
「頭を打ちつけのを止めよ」
 家臣一同の額は割れるわ、床も割れるわ、酷い状況になった室内で、
「カレンティンシスよ」
「はい!」
「今回のことは秘密にな。后には後々余……とランクレイマセルシュとバーランロンクレームサイザガーデアイベンとで”まじない”につき修正しておく。それと今日のことは女官長に上手く取り計らってもらう」
 女性の乳首に関してデウデシオンに意見を求めてはいけないことは、この二年間で充分シュスタークは理解したので、女性に関しては誰が見ても大得意な頼れる外戚王と、おまじないを多数知っている実父にも協力を依頼することにした。
「ラ……ランクレイマセル……シュ……」
 カレンティンシスとしては最も知られたくはない、知られること自体が罰ともなる相手だが、そのくらいされても仕方ない。
 シュスタークの隣で舌を出して嗤っているエーダリロクに、カレンティンシスは腹立たしくあった屈辱は感じなかった。そのくらい実弟カルニスタミアのしでかしたことは大きい。

『到着体勢用意』
 タウトライバの声に、
「カルニスタミア、余は気にしておらぬが……その、ビーレウストとキュラティンセオイランサが少しばかりの罰を与えてくれるであろう。それで余は完全に許すゆえにな。二人ともあまり酷いことはせんでやってくれ」
 皇帝として無罪放免もできないので、カルニスタミア気遣いつつ二人にも声をかけて、
「カレンティンシス、気に病む事はない」
 エーダリロクとともに立ち去った。

 テルロバールノル王国は皇帝初陣帰還直後のセレモニーには何ら関係ないので、多少の間姿が見えなくても問題はない。


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