ALMOND GWALIOR −248
「で、カルの容態は?」
「積み木の他に知恵の輪がお気に入りな感じ」
「治る気配は?」
「気配自体は最初からある。カルニスは放り投げて自分だけ自由になることを選ぶような王子さまじゃあねえからな」

 エーダリロク、ビーレウストの両名が現在いる場所は、兵士食堂でもなく共同浴場でもなく第四副艦橋。
 二人は場所移動して、以前とほぼ変わることなく好き勝手過ごしていた。
 カルニスタミアが”あの状態”になったので、エーダリロクに呼び出しがかかることが増え、一般兵士の居住区画にいるとやってくるまで時間がかかるうえに、秘密維持にも支障が出る。それならば最初に与えられた王族専用の区画に滞在していれば良いのだが、それは嫌だと二人が言い張った。
 普段ならば怒鳴りつけて従わせるカレンティンシスだが、今回は事情が事情なのであっさりと引き下がり「距離的に」兵士の居住区と王族の居住区の間をとって第四副艦橋に滞在することになった。
 
「そりゃたしかにな」
 副艦橋には住居スペースも設けられているので、生活するのに不自由はない……はずだが、なぜかこの二人は艦橋にテントを張ってコンロで調理して火気探知にひっかかり、僭主のことだけでも胃を痛めている団長の胃に追い打ち攻撃をかけるなど、本当に自由気ままに過ごしていた。
「……でもまあ、後悔はしてんだろうな。色々と」
 カルニスタミアの幼児化を見たいなと思ったビーレウストだが、カレンティンシスに断固拒否されて引き下がった。ビーレウストの身体能力と潜入捜査能力を駆使すれば、カルニスタミアのところに辿り着くことは容易だったが、そこまでして見たいとも思わなかったので、そのまま”ぶらぶら”と艦内を歩き回り、趣味と実益を兼ねた殺害という任務を行いつつ過ごしていた。
「後悔って?」
「子供の頃仲良くしなかった後悔。これが最後だ。正気に戻ったらこの兄弟は”終わる”」
「来るのか? 簒奪」
「九割の確率でくる。俺は怒鳴ってるのがストレスだと言ったが、それは嘘だ。怒鳴られてる最中に幼児化したならそれが原因だろうけど、ザウの言葉が引き金になったんだから……」
「ザウディスは何を言ったと?」
「んー自分が僭主の末裔だってことと、幼児化直前の話題はキュラがカルニスのこと好きだって。ザウ本人は”カルニスタミアのことだから気付いていると思ってた”って。理由が理由だからヒステリー様に言うわけには行かないから」
 ザウディンダルが僭主の末裔であることもそうだが、キュラティンセオイランサが弟のことを好きだなど聞いたら、
「……」
 ビーレウストの無言が物語るようなことにしかならない。
「あと一押しだ。その一押しは俺がすることになるだろう」
 二人しかいない副艦橋。煌々とした明かりに照らされている計器類は、どれ一つとして動いていない。だから艦橋内は静かではあったが、寒々しくもあった。
「エーダリロク」
 だがエーダリロクのカルニスタミアが簒奪するという言葉は、それらを消すほどに熱っぽい。自分が王になるわけでも、自国の王が変わるわけでもない。
 むしろロヴィニア王国としてはカレンティンシス王のほうが”やりやすい”。自国の兄である王と仲が良いとは二人とも言わないが、憎しみあっているわけではなく、国の発展を望んでいないわけでもない。
「なんだ、ビーレウスト」
 それなのにエーダリロクは他国に最強の王が誕生することを望んでいる。
「手前はカルが王位に就くことを随分と望んでるが、どうしてだ?」

 理由がなければ、利害が関係しなければ決して動かない男。そのエーダリロクを動かす理由。

**********


―― 陛下。これは今は亡き愚弟が陛下のために作った…… ――

 エーダリロクの寿命は皇帝よりも、帝国宰相よりも長い。その寿命が何故皇帝には 《ない》 のか、知らされている者は少ない。

―― これは忘れ物だ。届けてくれ、ビーレウスト。そうだ、お前の親友の ――


**********



「面白そうだからってだけじゃ駄目か」
 エーダリロクが笑ったとき、
「いいよ」
 ビーレウストは気付いたが、理由が理由なので追求はしなかった。それは追求する必要がないことなのだ。ビーレウストがビーレウストである限り。
「ありがとさん、ビーレウスト」
 この理由に気付かれたとしても、エーダリロクも困りはしない。エーダリロクは黙って受け入れる男ではない。できうる手段の全てを講じる。

**********


「両性具有の寿命を延ばす研究をしていると言ったら、あんたは信用するか?」
 振り返った帝国宰相の表情は、喜びと同量の恐怖を含んでいた。ザウディンダルの寿命が延びることは純粋に嬉しいのだが、自分を越える寿命をザウディンダルが得てしまえばと考えた時、クレメッシェルファイラの末路が甦り、吐き気と共に攻撃的に叫び出したくなる。その気持ちを抑えて、
「そんな研究をしているのか。無意味なことだ」
 エーダリロクも驚くくらいに冷静な声で返した。複雑な内心を浮かべる表情と、冷静であろうとする理性の声。
「無意味か……そうかも知れねえが……話はここで終わりにしよう」
 同意した帝国宰相の表情からは、既に感情が消えていた。足音を響かせ扉を開き神殿から出る。そのまま帝国宰相は去り、エーダリロクは神殿の入り口を見上げる。

《喜びはしなかったようだな》
− まあな。別に俺は帝国宰相を喜ばせるために両性具有の寿命を延ばす研究をしている訳じゃあねえから良いんだが。弱き者達……か
《何故寿命が違うか……か。私のことを考えれば推測できそうなものだが》


**********


「どういたしまして」

―― ”恋”とやらが生きる執着心になると希望的観測を持って、カレンティンシス様にあとを頼むわ


 誰よりも自分を理解している男は、そう言いながら自分の心の水面に映る《皇后の女官長》の横顔から目を逸らそうと、その水面に数滴の血を垂らして波紋を広げて姿を歪ませた。

 エーダリロクの”思惑”はそこにあるが、
「兄上様!」
 自分の思惑通りにカルニスタミアが動くとは思っていなかった。
 統治者という面ではエーダリロクも内側に息づくザロナティオンもカルニスタミアには及ばない。彼が簒奪に動くことは解っても、その真なる理由など解りはしない。
「なんじゃ? カルニスタミア」
 スケッチブックに父から習った”かんじ”を書き、
「これの読み方、父上にお尋ねしたいのじゃ」
 ”お願いじゃ、お願いじゃ”と目で訴えながら膝であるいて近付いてくる。
「父上に……か」
 訴える目は凛々しいのだが、その中にある輝きはどうみても幼児のもの。膝で歩くのは立ち上がるとカレンティンシスが自分の目線よりも下にいることに気付き自ら修正した。エーダリロクが言った通り”自分が大人であること”を理解している行動とも言える。
「お忙しいようじゃが、少しだけでも時間を作って欲しいのじゃ」
「大事な会議の最中じゃから……儂が聞いてきてやろう。それで我慢するのじゃ」
「ありがとう! 兄上様」
 カレンティンシスはスケッチブックを受け取り、まだ父が生きている頃のカルニスタミアの言動に、
「誰か知っていそうな者はおらぬか? エーダリロクあたりは知っているのではないか?」
 涙を堪えながら、事情を知っている家臣、リュゼクとローグ公爵とその息子のアロドリアスの三名に問う。
 鼻を啜りながらローグの差し出すハンカチを”儂は泣いてなぞおらぬ!”と払いのける。誰も”泣いている”と一言も言っていないのだが、そこら辺に触れると怒り出すのは明かなので、家臣三名は黙っていた。
「イデスア公爵殿下は詳しいと……以前ライハ公爵殿下から」
「本当か! アロドリアス」
「はい。確かにそう聞きました。ライハ公爵殿下は以前、皇君より生前形見分けとして、イデスア公爵殿下の書いた小説? のようなものをいただきまして……その内容が、なんかその……まあ、はあ、漢字に触れているような、触れてないような話だったので……はあ、その流れでまあ……ええ、ええ、その、あの」
 なぜ皇君に形見分けがビーレウストの暗黒史……基、子供の頃の無邪気な作品なのかというと、ビーレウストは実兄アメ=アヒニアンに喜んでもらおうと物語を書き、実兄は喜んでそれを大切に保管して後に死亡。
 仲の良かった皇君がそれらを全て回収して厳重に保管。ビーレウストの成長とともに、暗黒史と化したそれらを大放出。
 皇君らしく「腕力で勝負になりそうな人だけに贈るよ」と、カルニスタミアやらザセリアバ、アシュレートにシベルハムにキャッセル、タバイにデウデシオンなど明かに分が悪い相手にばかり広めていった。
 カルニスタミアはその形見を受け取る際、所用があったので代理としてアロドリアスを派遣した。その経緯で彼は目を通すことになったのだが……
「はっきり言わぬか、アロドリアス。”はあ、まあ、ええ、あの、その”だけで何を言っているのか全く解らんぞ!」
 父親のローグ公爵に叱られるアロドリアスだが、彼としてはこれ以上のことは言えないのだ。
「怒るな、ローグ。その小説らしきものが今回重要な役割を果たしたのだ。それに儂も他の本を見たが……まあ、儂でも”あれでそれであれで、まああれ”としか言えぬわ。だが、王子の小説は今回の襲撃で本当に重要であった」

 とにかく「あれでそれであれで、まああれ」ながら、カルニスタミアが書いた”かんじ”を唯一解読できそうな、事情を知っているビーレウストの元に、
「イデスアはおるか!」
「居るもなにも、居るように連絡寄越したのあんた達だろ」
 カレンティンシス自らやって来た。
「きさまーこれをー」
 父が生きていると信じている弟のことを思うと自然に涙がこみ上げてくるカレンティンシスだが、王たるもの人前で泣くものではないと必死に我慢して、我慢して……

―― 儂王さま、鼻提灯……

 なんで俺たちはこの王様に「奇行」を注意されてんだろう? 思いながらエーダリロクは、

《両性具有なのだから、もう少し……》
―― 御免な。あんたのラバティアーニとは……その、御免なあ

 謝る必要もないのだが、間違った方向に男らしいカレンティンシスに呆然としている、落ち着きを取り戻したザロナティオンに謝罪した。

 シュスタークが「華の顔」と評した、ともすれば女性らしさが垣間見える美貌は、涙目と鼻提灯で酷い有様だが、王子二名に笑う自由もなければ、笑いたいという気持ちなど微塵も沸き起こってこない。
 それを迫力や威厳と括って良い物か? 悩みつつスケッチブックを受け取ったビーレウストは力無い眼差しでそれを読んだ。
「これか? これは”はかない”って読むんだ」
 カルニスタミアが書いた文字は「儚い」
「”はかない”とはなんじゃ?」
「すぐ死ぬってこと」
「なんじゃそりゃ?」
「儚い命とか、儚い存在とか。殴ったらすぐ死ぬような、殴らなくても寿命が三日くらいでひっそりと死ぬような、そういうのを表してる」

 ”儚い”というのはそれだけの意味ではないのだが、ビーレウストはそれ以外の意味は覚えていない。彼に生き死に以外の意味を覚えておけというのは酷であろう。

「礼を言う。それではな!」
 鼻提灯を割りながら”儂は泣いてなぞおらぬぞ!”と叫びつつ、副艦橋を去っていったカレンティンシスを見送った二人だった訳だが……
「相変わらずだな、ヒステリー様」
「……」
 艦橋内に静寂が戻ってはきたが、当初の静けさとはまったく違う。嵐の後の静けさ―― そう表現するのが適しているような静寂。
「どうした? ビーレウスト」
 そして嵐が去ったあとのビーレウストの態度の変化。
「いや、なんかあの泣き顔……」
「鼻提灯つくってた顔がどうした?」
「なんか胸が高鳴った」
「……恋ってやつじゃねえ? お前ヒステリー様に恋したんだよ」
「そうなのか?」
「間違いないな」
 エヴェドリットの恋する箇所は、常人とはかなり大きく異なる。
「どうしたら良いだろうな、エーダリロク」
 本当に鼻提灯で美貌が破壊されかかっていたカレンティンシス王の顔に惚れたのか、その胸の高鳴りはもっと別のことではないか? など、エーダリロク以外の者なら”正気に戻れ”と両肩を掴んで揺すってみるところだが、ここにはそういう突っ込みをする人もいない。
「恋して浮き足だってんな、ビーレウスト。俺に聞いてどうするんだよ、そんなことも忘れたのかよ」
「悪い、悪い」
 突っ込み不在と童貞街まっしぐら。
「でもさ、カルニスが簒奪するとヒステリー王様は大宮殿預かりになるじゃないか。その時に帝后宮に引き取ればどうだ?」
 馬鹿と天才の両方を持ち合わせている王子は、未来予想図は確実に描くことができる。
「おいおいエーダリロク。いくら俺が馬鹿で横着でも、后殿下が皇后の座についたら現帝君宮から退去するぜ」
「そこなんだけどよ、退去されると困るらしいんだわ」
「なにが?」
「警備について」
「俺に警備も兼ねて残れと?」
「そういうこと。王たちは宮から全員を退去させるつもりはないらしい。宮は使ってないと寂れるのが早いし、あんな巨大な建築物放置しておくのは危険極まりないからさ。皇君を帝君宮に移すっていう案もあるらしいが、ラティランが許可しない限りは無理だろ。その点ビーレウストは、そういう煩わしさないし」
「仕方ねえなあ。陛下のほうから正式に言われたら残るとするか」
「帝后宮の主ビーレウストと大君主カレンティンシス様。どうよ」
「締まらねえなあ……まあ俺はともかく、カレンティンシス様が俺のところに来るかどうかは解らねえしよ」
「でもさ、引取先を決めておくとカルニスも簒奪しやすいだろうからな」
「殺したりはしねえの?」
「殺さないだろ。簒奪する前に”兄上様”について本当のことを教えるつもりだし」
「ああ。そうなったら殺すことはないだろうな。それじゃあ……本気で宣戦布告するか、ラティランクレンラセオ・レディセレギュレネド・リュゼーンセバンダーリュに」

**********


 ラティランクレンラセオに帝星に戻るようデウデシオンから命令が下された。久しぶりに画面越しだが顔を合わせた二人の会話はそれだけでは終わらなかった。
「映像は楽しんでもらえたか?」
 ザウディンダルが暴行されている映像は観たかとラティランクレンラセオが笑い混じりに聞く。デウデシオンは表情を変えることなく、見たと答えた。
『ああ、見た。わざわざ犬まで調達してくれるとは。ケシュマリスタ王は想像力が豊かだな。それとも部下が考えてくれたのか?』
 ”なんの話だ?”などと言ったらまた送りつけてくることは明かなので、デウデシオンは否定しなかった。
「君、いつになく饒舌だね」
『そうか? 否定はしないでおこう。なにを言っても過剰反応だと言い返されるのがオチだからな』
「……命令通り艦を帝星に進める」
『私は公の帰還など待ってはいないが、陛下は待って下さるだろうよ。陛下の御心にそえるように帰還せよ』
「分かった。私も陛下に会えるのは楽しみだ」

 挨拶もせず互いに通信を勝手に切り、ラティランクレンラセオは笑いを浮かべ、デウデシオンの表情は変わらず。
 通信機の前を離れて映像が入っている記録媒体を二枚重ね手に持つ。
 少々古い型の記憶媒体にはクレメッシェルファイラの処刑映像が、最新型にはザウディンダルが拷問されている姿が収められている。
 デウデシオンは目を閉じて目を手で覆い隠す。少しの暗闇のなかで休憩して、乱暴に記憶媒体を執務机に戻して、デ=ディキウレに隠すよう告げて部屋を出た。


novels' index next back home
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.