ALMOND GWALIOR −234
 僭主の襲撃から一夜明け皇帝シュスタークとその后ロガは薄紫色の空に昼間でも二種類の月が重なり浮かぶ特徴を持つ、なだらかな緑の草原の続く惑星へと降り立った。
 皇帝は幸せにするつもりで連れてきた奴隷の少女が、自らの意志で人を撃ち殺したことに耐えきれず泣き出した。

「ナイトオリバルド様、ちょっと待っててくださいね」
 護衛として少し距離をおいて立っている、まだ異形化した状態のタバイに手招きしつつシュスタークの元を離れてあることを依頼した。
「お家とかここにすぐ作れますか? 立派なのじゃなくてもいいのです。ナイトオリバルド様と私二人いられるくらいの。食事は運んでいただけたら」
 前もって考えていたことではないが、この状態のシュスタークをどうにかすることが出来るのは自分だけだろうとロガは考えて行動に映したのだ。慢心でもなんでもない、当然のこととして。
「すぐに用意いたします」
 人間の姿に戻りつつあるタバイが、戻った口を開き答える。
「それと……」
「なんで御座いましょう」
「今日一日だけ、私とナイトオリバルド様の二人きりにして欲しいのです」
 機嫌を取ると言えば聞こえは悪いが、真に機嫌を取り笑わせることが出来るとしたらそれはロガだけ。
「二人きりは無理です。私がこの惑星上で待機することをお許しください。身の危険がない限りは決して近寄りませんので」
「はい。ではお願いします。あとボーデンのこともよろしくお願いします」
 タバイに依頼したあと、声も出せずに泣いているシュスタークの元へと戻り、
「ナイトオリバルド様」
「……」
「一日くらい休みましょう。私がお側にいますから」
 こうして二人だけの時間を過ごすことになる。

 その晩、后のロガはシュスタークの内側に眠るラードルストルバイアと会話をした。

「ナイトオリバルド様、起きちゃいましたか?」
 ベッドに腰を掛けて座っている”シュスターク”に、自分の身支度の音がうるさく、眠りの浅いシュスタークが目を覚ましたのだろうと思い声をかけたが、それはシュスタークではなかった。
「……誰?」
 夜空の雲が風で流れ、青白い光が窓から差し込んできた。その光に照らし出されたシュスタークの表情はまったくの別人。
「きゅ……きゅる……きゅるる……くび……く……」
 言葉を発する都度、首が前屈みなり揺れる。
「あなたは……」
 ロガは目の前にいるのが《自分の首を軽く掴んで絞めた》存在であることに気付いた。だが逃げようとは感じなかった。逃げようと思っても逃げられないということもあるが、逃げるよりも先に色々なことを尋ねたい。それがロガの正直な気持ち。
「あの……お話をしたいと思っているのですが。お話できますか? たぶん、私が言うことは解るんですよね?」

―― おい。話させろよビシュミエラ
―― 煩い! 煩い! 煩い!
―― ほうら、奴隷が俺と話したいって言ってるぜ
―― ……! もうっ!

「あーあー。変な声だな」
―― 文句があるなら、声帯機能と言語機能返せよ!
「うるせえ」
「あ、あの……」
 喋り方も仕草も全く違う”誰か”
「待たせたな。俺はこいつの中にいるラードルストルバイアって人格だ」
「二重人格? というものですか?」
 ロガは”ラードルストルバイア”の近くで膝を折って見上げて話しかけた。
「椅子に座れ。床に膝折られたら小さすぎて見えねえ。それで表現としちゃあ二重人格だろうな。でもよ、そういう類の二重人格じゃねえ。俺は昔存在していた」

 その頃シュスタークは己の中で、ラバティアーニと会っていた。
 ラードルストルバイアの元にいて、後にザロナティオンに食い殺された両性具有・ラバティアーニ。

「どうしました?」
 二杯目の茶を飲み干したあたりで”ラードルストルバイア”が涙を流しはじめ、ロガは驚いた。
「俺が泣いてるんじゃねえよ。この体の真の持ち主が泣いてるんだ。心配する必要はねえ」
 ロガはシュスタークの涙を拭くために用意していたタオルで、その涙を拭う。
「どこか痛いとかではなく?」
「違う。あいつはあいつで、違う奴から過去を聞いて泣いてるだけだ。涙もろいってか……そろそろ俺は戻るとする」
「また会えますか? ゼーク様」
 ラードルストルバイアと上手く言えず、頬を羞恥で染めたロガに”ゼークと呼べ”と命じ、ロガはその言葉に素直に従った。
「二度と会うつもりはない」
「……」
「会っては駄目だ。俺は死にたくないから目覚め戦う。俺はこいつの寿命以外で死ぬ気はない。だから俺が現れるってのは原則として危機的状況下にあるときだけだ。だから会わない方が良い、そして会うつもりもない。今回は例外だ」

 ”頻繁に現れるとシュスタークが狂う”とラードルストルバイアは言わなかった。

「……あの! 昨日助けてもらったお礼をしたいのですが。なにか……その、二重人格で下位人格? の人にお礼ってしたことないから……どうしたらいいでしょう!」
 消える前に言わなくては! と、両手を控え目ながらも振りつつ、本気で尋ねてきたロガに”ほとんどの人間はしたことねえんじゃねえの?”とラードルストルバイアは思いつつ、シュスタークが愛した奴隷をみつめた。
 小さく頼りなさげな淡い光のような存在。
 ラードルストルバイアの目にはそう映ると同時に、だがその淡い光は決して消えることはなく、同時に人や動植物、世界に凍えない温かさを与え続けるのだろうと思わせる物がある。柔らかながらも力尽きることのない強さを感じさせた。
「幸せになるだけでいい」
「……」
「こいつの傍で幸せになれ。そしてこいつより長生きして見送れ。それだけだ。歳月を必要とするから難しいかも知れねえが。正直三十年と少ししか”自分”として生きたことのねえ俺には、この先約三十年間の長さなんて知らないがよ」
 シュスタークでありながら、違う表情で笑うラードルストルバイア。
 ロガは軽く頭を下げてからはっきりと宣言した。
「私や陛下、その他の者の命を助けてくださり、ありがとうございます。生涯をかけて礼をすることに異存はありません。私の人生は私のものであり陛下のものであり、そしてゼーク様にも捧げます。受け取ってくださいゼーク様、私と陛下の幸せを」
 十代後半になったばかりのロガも、この先三十年間近くを幸せに生きるということは見当も付かない。だが生きている人の全ては知らないままに生を重ね、幸せを求めて生きてゆく。知らないのはロガやラードルストルバイアだけではない。
 結局誰もなにも知らない。
 自ら考えて人と比べることなく、僅かな幸せを喜びながら生きてゆく。奴隷であった頃の生き方と何ら変わらないのだ。

 生涯二度、僭主の襲撃に遭遇したロガ。だが彼女がラードルストルバイアに会ったのはこれが最初で最後 ―― 彼女はラードルストルバイアと約束した通り、シュスタークを涙を滲ませた瞳と微笑みで見送った。

**********


 その頃タバイは一人、二人がいる家を視界に捉えたまま待機していた。
 カレンティンシスの旗艦に荷物を運び込んだり、僭主たちを説得し、監視したり、帝星の状況を確認したり……やらねばならぬことは無数にあるのだが、タバイにとって優先事項は皇帝と后。
 生死不明の兄、デウデシオンがもしも死亡していたら――
 自分の想像に悪寒が走り、体を震わせ……そして自嘲した。宇宙空間でも行き来できる体がまるで普通の人間のような反応を見せたことを嘲った。
「……」
 ロガが二人きりにして欲しいと言ったこの惑星に、誰かが移動艇で降りてきた。タバイから少し離れた位置に着地した移動艇から現れたのは、彼の妻ミスカネイア。
「あなた。食事よ」
 ”なにをしに来た?”などとは聞かなかった。
「ありがとう」
 自分の妻が命令に背きわざわざやってくるのには何か理由があるのだろうと、視線は皇帝と后に向けたままタバイは感謝だけを口にした。
「あなた」
「なんだ?」
「ザウディンダルの容態が悪化したわ」
「……そうか」
「いまはセゼナード公爵殿下がついて下さっています……そして帝国宰相とはまだ連絡が取れません」
「……そうか」
 僭主との戦いに勝ったのにも関わらず、タバイの心はまったく晴れない。雲に閉ざされているのとも、冷たい雨が降っているのとも違う。
 心その物が動きを止めてしまった――がもっとも近い。”もしも”デウデシオンが死んだらと考えてしまう自分が嫌で、感情を強制的に閉じている。
「ねえ、あなた。むかしの話をしても良いかしら?」
 二つの月が浮かぶ惑星の下、ミスカネイアはタバイの返事も聞かず語り出す。
「初めて会った時のこと、覚えている? 」

 私達を捕らえている牢獄の前まで走って来た、暴動を起こしていた主犯格の男は血まみれ。
「行き止まりだ!」
 私達の存在など無視し、袋小路に追い詰められた絶望を叫ぶ。
「何だ」
 足音が聞こえてくる。
 そして現れたのは背の高い男性。王家の人名図鑑に載っていそうな顔立ちの若い男性。近衛兵の格好をしていた。
「頼む! 助けてくれ! 元々は仲間じゃない……」
「お前などと仲間だった事は 《過去》 一度もない」
 頭を潰された男に、それが聞こえたのかどうか?


 私は潰された男の頭を見ながら、思考を止めた



 彼は私達を見て、
「誘拐された者達か?」
「はい、そうです」
「もう暫くそこに居るように。見捨てはしない」
 それだけ言って立ち去っていった。


「もちろん覚えている」
 突然なにを言い出すのだろうか? タバイは徐々に斜め後ろにいる妻に視線を移動させる。

「その人は弟ではないでしょう……妹でもなさそうですが。そしてもう一つお聞きしたいのです」


 団長閣下は立ち上がり、色を失った表情で私を見つめた。
「……なにを?」


―― ……しなかったのです。……お聞きしたいのは、団長閣下とその子は私と同じ生物ですか? ――

 私の言葉に団長閣下は瞼を閉じて頭を振り、
「良く気付かれた。そして気付かれた以上、貴方を帰すわけにはいかない。考える時間も与えない」
 団長閣下に抱かれるようにマントにくるまれ、そのマントを握りながら藍色の瞳をした子が私を見つめていた。それが私の人生の分岐点。


 僭主の残党に捕まったミスカネイアを助けたところから始まり、そしてザウディンダルが両性であることを見抜いたところで結婚が決まった。
「あれ、少し省略したのよ」
「なにを省略したのだ?」
「私気付いていたんです、それ以前に」
 タバイは体ごとミスカネイアのほうを向く。
「初めて出会った時。あなたは僭主の残党の頭を、私の目の前で叩き潰した。その時、人間の血の匂いがしなかったの。正確には人間の血の匂いとそれ以外の、嗅いだことのない匂いが混じり合っていることに気付いたの」
 本当は最初から分かっていたのだが、触れることができなかった。
 二度と会うことはない相手だからと、ミスカネイアは忘れようとしたのだが、縁故ではあったが帝星で採用され、タバイに会うことができる場所に。
「……」
「言いたかったのはそれだけよ。私は艦に戻って自分の仕事に戻るわ。ザウディンダルのことは任せておいて」
「止まってくれ、ミスカネイア。そしてこっちを向いて」
 戻ろうとしていたミスカネイアを呼び止め、振り返った彼女に近付き、
「異形から戻らないと触れるのが恐い……陛下の気持ちが分かる」
 触れぬように手を体に回す。
「私は后殿下のように華奢ではないわ」
 触れても平気よ、とタバイを見上げる。
「そうでもない。自分が丈夫だと過信するな。帝国で丈夫と言っていいのは、私くらい丈夫でなくては」
 タバイはミスカネイアの額に己の額を乗せて、そう言い”笑った”
「帰っても忙しい日々が続くけれども、無理はしないでね。あなた」
「ああ」
 タバイは手を解き、ミスカネイアは早足で移動艇へと乗り込み、戻っていった。カレンティンシスの艦まで付き添いたいと思いながら見送っていると、せっかく体内に戻った羽がまた体を割って出てきそうになり、急いで意識を集中して羽を戻す。
「私は子どもか……」
 そう呟いたタバイの表情には、もう翳りも自嘲もない。


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