ALMOND GWALIOR −231
 怪我人の側においておくと漏れなく危険な兄アニアスを連れて、
「イズモール、任せた!」
 クルフェルは来た道を引き返すことに。
「アニアス兄、ダーク=ダーマにまだ僭主が残っているとのこと」
「僭主は武人である兄上たちに任せて、私は一料理人としてキャッセル兄に食事を!」
 だがアニアスが離れようとしない。
 キャッセルが心配ということもあるが、治療後直ぐに菓子を食べてもらいたいという欲求も多分にある。ケースで覆ったシュークリームが乗った皿を持ちながら叫ぶ弟に、キャッセルは苦しい息の下、
「義理姉さんか義理妹さんの所へと行くと良いと思うよ……って言うか、行ってきて」
 自分よりも精神的に強い義理姉と義理妹に助けを求めた。
「そ、そうだ! アニアス兄! ほら、ハネスト様にお会いできるかもしれませんよ! 彼女にはまだ食べてもらったことないでしょう! この機会を失えば、また会えないかも!」
 作戦実行前の顔合わせの時、初めて出会ったデ=ディキウレの妻。
「そうだね! わかりました! この不詳アニアス、義理姉ハネスト様の元へ」
 そう言い、治療器の作動を確認してから、二人はイズモール少佐に後を任せて引き返した。途中でブラベリシスたちの潜入手引きをした裏切り者をあぶり出させるために、乗組員たちを閉じ込めた部屋へと立ち寄り、閉ざしていた扉を開放し、裏切り者を殺害して生き延びていた者たちを二人で射殺する。
 全員を殺し終えて、
「アニアス兄。彼らはどうして人を殺していたのですか?」
 クルフェルが肩を窄めて両手を広げ”どうして?”と尋ねる。
「私も分からない。内通者を探せと言ったのに、何故か殺していたのだよ。リンチは極刑だろ」
「そうですね。処刑の手伝いありがとうございます」
 大将の名の元に処刑された死体を放置し、二人は機動装甲に乗り込んでダーク=ダーマへと急いだ。

**********


『俺、お前と違って忙しいからさ』
 ビーレウストとシュスターク、そしてメーバリベユ侯爵以外の誰もが腹立たしく感じる笑顔でエーダリロクは、二人に”そう”言った。
 二人とはザベゲルンとディストヴィエルド。【大破】したが自然修復が開始されており、どこかに監禁するにしても、連行するには選りすぐりの人員が必要になる。
 ”エーダリロク”は他にすることが山ほどあり、なによりエーダリロク自身ではこの二人を連行する人員として力不足。
 監視をしていた所で、暴れられたら敵わない――もちろん、ザロナティオンがいるので、そんなことはないのだが。建前上はそうなっている。
 というわけで、持ち前の能力を生かし、再生能力を鈍化させる物質でディストヴィエルドの胴体と手足を溶接し、その溶接剤で口をも一時的に封じた。

「この溶接剤の成分、お前の体とほぼ同じ。だから手足は治っていると勘違いする。脳の指示で治すなら、溶接用に組み込んだ部分をお前の体液で分解するしかないぜ。頑張れよ!」

 そう言った時のエーダリロクの顔を無数の目で見ることになったザベゲルンは―― むかつく。ディストヴィエルドが与えるようなむかつきではなく……本当にむかつく ――正体の知れぬ、まさに「本能的にむかつく」笑顔に苛々しながらも黙っていた。
 エーダリロクはこの二人と対戦し、正体をばらしてしまったのだが、彼らよりも強かったので『黙っていろよ』という命令をザベゲルンは強者に従う一族の長なので敗北した以上命令を飲み、ディストヴィエルドはザベゲルンが従ったので、黙るしかなかった。
 口を溶接され首だけになったディストヴィエルドは、エーダリロクが言った通り、様々な成分を必死に試して口を開けるようにしようとしていた。
 ザベゲルンはというと、宇宙を見上げていた。体のほとんどは食べられてしまったが、回復できる程度は残されての放置なので、自分と何らかの取取引をしたいのだろうと――無駄に考えても仕方ないと、半円形の透明な天井から見える星空を眺めていた。
 その後、タウトライバが指揮する回収部隊とがやってきて、それに少し遅れて、
「お待たせしました」
「ハネスト殿」
 元僭主・ハネストがやってきた。
「ここはお任せください」
「それではお願いします。コルタレロル隊、艦内の残党狩りに向かうぞ」
 タウトライバは編成しなおした近衛兵部隊に号令を掛け、その場を離れていった。

 近付いてくる足音を聞き、同族だと理解していたザベゲルンは、容姿と名、それと共に蘇る幼い頃に感じた戦慄に、思い当たる人物がいた。
「貴様! 生きていたのか! ハネスト」
「生きておりましたよ、ザベゲルン。むしろ勝手に殺さないで頂きたいですな」
 ”ハネスト”のことを覚えているザベゲルンは吼え、
「貴様がケベトネイアの娘か!」
 ”ハネスト”の名を聞いたディストヴィエルドが、治療を終えた口を開き声を上げる。
「そういう貴方さまは誰で?」
 床に溶接されているディストヴィエルドを見下ろしながら、ハネストは笑い返した。
「インヴァニエンス=イヴァニエルドの息子だ」
 ザベゲルンは切り裂かれた口を上手く動かして、ハネストに教えてやった。
「まだ生きていらっしゃるの、あの人」
「何故裏切った?」
「人生は一度きりとよく言いますでしょう? ですから一生に一度くらいは、裏切りというものをしてみたかったのです。そして裏切ってみたわけですが、想像以上に大変です。どのくらい大変かと言いますと、二度と裏切りたくはないと考えるほど大変です。黙って一人の主に仕えているほうが楽でしたね」
「……ふん、そうか。ディストヴィエルド、回復して溶接を振り切って逃げようと考えるのはいいが、この女から逃れるのは無理だろう。お前の実力如きではな」
「ザベゲルン!」
「裏切り者が多かったということか。ディストヴィエルドの裏切りは腹立たしいが、貴様の裏切りは悪くはないハネスト=ハーヴェネス。完遂した裏切りは褒めるに値する。よくやった! それではな」
 ザベゲルンはそれだけ言うと、触手で己の体を包み込み休眠状態に入った。
「これは危険だ」
 ハネストは完全回復に入ったザベゲルンが突然反撃してこないかを警戒する。
「……」
 自分に対する注意が外れたのでディストヴィエルドは、溶接されている胴体を千切り首を抱えて逃げようと行動に移す。
 上半身と下半身が一気に裂け、腕が動いて体を動かし、頭部を拾い上げる。
 ハネストが反撃しようとすると、溶接部分を千切った下半身が、蹴りなどで応戦し始めた。ハネストは下半身の動く為に必要な「足」その物を折り、フロアから逃げ出したディストヴィエルドを追おうとしたのだが、
「こいつですね」
 その必要はなかった。
「アイバス公爵」
 片手に自作の菓子が載ったトレイ、もう片手に己の頭部を抱えた上半身だけのディストヴィエルドを持った、アニアス=ロニが現れた。
 アニアスはディストヴィエルドをハネストの足元に投げつけて、その次にトレイを差し出して、
「これ、食べてくださいますか」
 先程キャッセルに”食べて下さい”と言った菓子を持ってきた。
「喜んで」
「帝星に戻りましたら、義理姉上であらせられる貴女さまのお好みの物を」
 トレイを受け取ってくれたハネストの前で”自分のお菓子を食べてくれる人が増えた”ことに喜び浮かれ始めたアニアス。踊り出した彼を前に、ハネストもやや驚いた。
「義理姉だと?」
 二人の会話を聞いたディストヴィエルドが、ハネストが”誰か”と結婚していることに気付き、声を荒げて問い質したが、すぐにその口は封じられる。
 アニアスによって口が真っ二つに切り裂かれたのだ。
 アニアスは露わになった舌を握り締めて、
「エヴェドリット王はタンがお好きですから、調理して持っていって差し上げましょう。おや? 回復なさる体質ですか? これは良い料理の材料になる。失敗しても、素材としては勿体なくありませんものね」
 僭主解体用包丁でディストヴィエルドの頭を見事な兜割りにして、両手で髪を持ち振り回しているアニアスの頭の中は「新しいエヴェドリット好みの肉料理が試せる」と喜んでいた。
「これでアジェ伯爵殿下にお礼ができますね」

 ハネストはアニアスが持って来た菓子を食べて感想を述べてから、二人でザベゲルンとディストヴィエルドを隔離場所へと移動させた。

 その後ダーク=ダーマに”ただ一人きり”になったハネストはドームを見上げる。
 プラネタリウムのような視界が広がるドームの穴を応急処置として塞ぐためにビーレウストが貼りつけた自らのマントは、エヴェドリット王国の紅蓮の旗そのもの。
 暗闇に掲げられた紋章を前に、ハネストは顔を覆った。
 
 宇宙の覇権を賭けて敗北した紅蓮の旗。

**********


 宇宙にひるがえる、紅蓮の旗。銀河大帝国時代と呼ばれる旧国家においては一王家であったエヴェドリット。
 帝国崩壊後、三百有余年を経て再統一を目前にしていた。
 戦黄昏を思わせる髪を持つ男の前に広がるのは、最後の完全独立国家ゾデアージュ領。これから四十九時間後に、彼が単独で総攻撃を加えて消え去る国。
「失礼します」
「何用だ? レフィア公」
 ここに至るまで、他の旧王家はほぼ滅ぼされた。
 辛うじて残ったのはテルロバールノル王家。国その物は滅んだが、滅ぶ前に直系第一子テクスタードがエヴェドリットに亡命、そのまま皇帝の夫の座に収まったことで滅びることを免れた。ロヴィニアとケシュマリスタ、そしてベルレーは滅ぼされた。
 ベルレーの位置には彼らエヴェドリット、彼らはかつてのケシュマリスタのように、ベルレーに最も近い王家としても残る。そして空いた二つの王家の部分には新王家。
 ただ、新王家とは言ってもその一つ、ハイゼルバイアセルス公爵家にしてラケ王家は旧ベルレー王朝の血を僅かにだが引いている男が王となったので、厳密な意味で新王家と言えるのは一つしかない。
 アウリア・レフィアという男を祖にする、レフィア公爵家にしてヒューメラダーカ王家のみ。
 人々が羨望ではなく恐怖するかの如き勢いで出世した男は、昔から上司である男にゾデアージュ側からの申し出を伝える。
「無条件降伏……だそうです」
 伝えても無意味なことをアウリアは知っている。無条件降伏を飲まなくても良いことを、皇帝にはならなかった皇帝が遺言で残している。
「最後の国は皆殺しにしていいとジルニオンが言っていた。生きていても私にくれたであろうよ」
 最後の国は「ご褒美にエバカインにあげる」と、そう書き記されていた。
 アウリアは退出し、艦橋へと戻り降伏を受け入れないことを伝えた。どんな条件でも出してくれ! 私たちだけでも助けてくれ――そう叫ぶ代表に、
「私では副帝ベルライハには勝てません。そういうことです。理解していただけましたか?」
 ベルライハ公爵の決断は変わらない、阻止するとしたら戦い勝つのみ――エヴェドリットで戦術の天才として名を馳せる男が、逃げ場はないと伝え通信を切る。
 近隣諸国全てがエヴェドリットに属し、最後に運悪く残ってしまったゾデアージュ。助けを求める相手は、自分たちを滅ぼす側にしかいない。

 アウリアが退出してから二十三時間後、訪問者が訪れた。

「失礼します」
「どうした? ラディスラーオ」
 軍事国家の元帥服を着用しているが、まったくと言っても良いほど似合っていないラディスラーオと呼ばれた男は、自分の眼鏡に触れてから後ろ手にして直立する。
「”貴方がた”ならお分かりでしょう、ベルライハ公」
「最後の国は皆殺しだ」
「分かっております」
 ラディスラーオはエヴェドリットが統一戦争を開始してすぐの頃に滅ぼされた、ベルレー王朝の末裔の国を統治していた男。
 彼の国は無条件降伏で、軍人以外の被害はほとんどなく、好条件で併合されることになった。元々政治家として有名であったラディスラーオ。彼が上手く取引をして、己の命と地位、そして新王家の座を得たと多くの者が思っている。
 新王家の王はラディスラーオの弟アグスティン。王妃はキサといいラディスラーオの兄と再婚した女性の連れ子である。
 いわば彼の近親者のみで構成されている。
 アウリアのようにエヴェドリット生まれで軍人で、その才能を見出されたのとは違い、彼は謀略と犠牲でその地位を得たと言われていた。
「では何故わざわざ? 戦後処理の準備で忙しいだろう」
 犠牲者はこの部屋で眠り続けている。
 皇帝の勝利と呼ばれる真紅の癖一つない髪を持った、ベルレー王家最後の一人であった少女。
「形だけ。”貴方がた”は、一応は貴族社会というのは形式を重んじると思いまして」
「そうですか」
 ベルライハは立ち上がり、棺に被せていた軍旗を少しずらし随分と昔に戦い敗れ、ラディスラーオを救い眠りについた少女の顔を見せる。
 無条件降伏を受け入れられた唯一の国、ハイゼルバイアセルス。その最後の王女にして彼の妻であったインバルトボルグ。
 ラディスラーオは目覚めることのない彼女の安らかな寝顔に視線を落とす。
「本気で説得しにきたわけではありません。”貴方がた”を説得できるなど考えたこともありません」
 彼はベルライハ公爵のことを”貴方がた”と呼ぶ。そう呼ぶようになったのは、先代皇帝ニーヴェルガ大公ジルニオンが死んでから。
 深い意味はないが、誰もそれを止めようとはしないので、彼はいつも、そう呼んでいた。ベルライハ公爵が死ぬ時まで、彼はそう呼び続け、死後は複数形で呼びかけるのを止めた。
「そうですか……やっと宇宙の全てが陛下の物になる。だが……もう終わりか」
 統一戦争はこれで決着がつく。だが人々はあまり喜びを感じていなかった。統一戦争が終わったら戦争は終わるのか? ――
 ゾデアージュの惨劇は伝えられ、支配された者たちは恐怖に震え反逆など考えないだろう。だが、反抗しなければ殺されないのか? 過去が自信を持って【否】と答える。
「一つだけ策があります、ベルライハ公」
「なんですか?」
 戦うことに倦むことなどないリスカートーフォン。
「新帝国が樹立したら、新帝国に対して”貴方がた”が反逆すればいい」
 その言葉にベルライハは方を揺らして笑い、インバルトボルグの棺の軍旗をかけ直す。彼は退出礼をし、部屋をあとにした。
 アウリアのようにゾデアージュ側に返信することもなく、彼は仕事へと戻った。

―― 新帝国を滅ぼすのも悪くはないが……お前がいなければ、ジルニオン

 そしてベルライハ公爵が一人、機動装甲に搭乗しゾデアージュの主星へと近付き、地上へと降り立つ。圧倒的な力を持ち、惑星を一瞬で滅ぼすことのできる殺戮の機械から降りその手で人を殺す。
 ベルライハを阻める者はゾデアージュの主星にも、その国全体にも――宇宙にも存在しない。”リスカートーフォン”と名付けられた巨大な剣。
 両刃で中心に透かし彫りが入っている、かつてのエヴェドリットの武器であったデスサイズに取って代わった僭主が持ち込んだ武器。
 それを振るい人を殺し、迎撃用のビットを操り空からの攻撃を阻止する。
 主星にて残った最後の四人は、ベルライハ公爵が着陸する際に使った機動装甲の前にいた。
 夫と身重の妻、そして娘
 夫は妻子を守る為に、銃を構えるが、既に遅かった。彼の妻子は巨大な剣により肉片となり飛び散る。
 足元に落下した肉を含んだ重たい血の音に彼は最後の力を振り絞り叫んだ。
「どうしてなにもしていないのに、俺たちを殺すんだ!」
 彼の切なる疑問。そして彼は自分が問うてはならない質問をしたことを知った。ベルライハ公爵の顔が歪んだのだ。
「お前たちが尋ねてくるからだ」
「……」
「旧帝国時代、エヴェドリット相手にそんな質問をする人間はいなかった。彼らは知っていた、我等が理由なく、いかなる人間であっても殺すことを。老若男女、妊婦であろうが幼気な子であろうがおかまいなしだ。彼らは知っていた、我等に命乞いをしても無駄だということを。そして彼らは知っていた。エヴェドリットと向かい合う、それは死を意味するということを」
「あ……あ……」
 鋒が彼の顎を捉え、ゆっくりと突き刺さり、
「だがお前たちは忘れた。そしてお前は私にそんな質問をした。私たちは再びエヴェドリットに戻り、リスカートーフォンとなる」
 口半ばになった所で、首から股までを一気に切り裂く。
「我等人殺しのエヴェドリット。どうして? と問われることが不思議なのだ。それをお前たちが忘れてしまっただけのこと」
 死者に告げ機動装甲に乗り込み、ベルライハ公爵は次の惑星へと向かった。

 ゾデアージュの人々は逃げようとした者の、亡命者を受け入れたら、その惑星も殲滅対象になると皇帝クロナージュが通信画面越しながら全臣民に通達したこともあり、どの惑星も受け入れなかった。
 皇帝クロナージュはその報告を受け、
「エヴェドリットにしてリスカートーフォン、ここに復活か」
 上機嫌で語ったという。

 そしてベルライハ公爵は敵を失い、最後には宇宙で最も強い自分自身を殺害し去っていった――

**********



「我が国、滅びたり……」
 ハネストは呟く。
 彼女は帝国に下り、自らが属していた一族を裏切る形となったが、それが完成する”さま”を前にして、身を押し潰されそうな感情に支配されていた。
 裏切りを受け入れられてもらえないことよりも、裏切りが叶わず滅ぼされての死ぬことも、自分が自分の生まれてから裏切るまでの全てを消し去ってしまった事実。
 帝国を獲ろうと旗を掲げたエヴェドリット一族の”一つ”
 その終焉を前に、彼女は泣いた。

 記録においては内乱を起こした一族が滅んだ。

 そこには一人の裏切り者がいたことも、その裏切り者には立場の違う夫がいたことも、立場の違う者同士が家庭を築いたことも、胸を押し潰す誰とも共有できない悲しみを抱いたことも、その彼女を支えていった夫がいたことなど何処にも書かれてはいない。

 世界にとって”それ”は滅んだだけのことなのだ。どれ程悲しかろうが苦しかろうが、それは存在しない。


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