ALMOND GWALIOR −219
 異形化して戦ったことはあるが、異形化して死闘をしたことはない ――

 ヴィクトレイは巨大な剣を巧みに使いタバイと戦いを楽しむ。
 その剣が発するエネルギーはタバイの傷をも治すものだが、それ以上の利点があった。

―― タバイ=タバシュ。異形と戦った回数が少ないな。それも武器を持った相手と異形化してやり合ったことはないだろう

 ヴィクトレイは剣を持つ手を目の前で水平にし、その腕を支えるようにもう一本の腕をおく。タウトライバが自分より背が高い相手とほとんど戦ったことがなく”戦い辛い”と戦い方を掴めないのと同じように、タバイは異形となり剣のような直接的な武器を持った相手と戦ったことがなく、戦闘方法が掴めないでいた。
 かつてタバイに異形化し戻る方法を教えた帝君だが、限界を超えるような状況に追い込むことはなく、具体的な戦闘方法を教えたこともない。
 感情の昂ぶりとその収め方を教えることのみ。それは悪意や含みがあったのではなく『帝君が属する一族が生まれながらに持っている物』なので、教えることができなかったのだ。

”異形化したら、自分の戦い方を見つけるだろう”

 ヴィクトレイはタバイの頭上に剣を振り下ろす。通常よりも長い腕でそれを掴み、可動域に制限のない腕を背側に回して間合いを縮め、蹴りを腹に叩き込む。
 ヴィクトレイは自分の腹にめり込んだ足を自らの両足で挟み、自らの体とタバイの足両方を固定して剣を引き寄せる。
「可動域に制限のない腕は使い勝手はいいが、腕力で劣ればそれは戦いでは使い物にならん。覚えておけ」
「……」
 ヴィクトレイの腕に、そして足に一層力が入る。
 両足で挟まれている足は骨が内部が内部で砕け、修復されを繰り返し、剣の奪い合いが続く。
「回復力もあがるのようだな」
 内腿から伝わってくる骨が修復される震動に、ヴィクトレイはタバイの身体能力を測る。
 自由になっている通常の長さの腕で、ヴィクトレイの下あごに拳を入れると手首を掴まれ固定される。
「お前にはあと一本腕が残っているな」
 そう言いヴィクトレイは髪の毛を動かし始めた。
 ザベゲルンを兄に持つヴィクトレイは、触手の数だけならば兄以上。髪の毛が一本一本が全て触手。
「髪一本は弱いがな」
 タバイの自由になっている腕を絡め取り、手首を掴んでいた腕も髪で拘束する。

―― ここで剣を離す……いや……

 ここで剣を離し手を自由にして攻撃に転じたとしても、軸足以外固定されているので、この間合いは変わらない。それどころか剣を手放し相手に渡したら武器を与えることになる。ヴィクトレイは自由に使える一本の腕でタバイの顔を殴りつける。

 この状況を回避するため、タバイは眠らせていた腹部の”犬”を目覚めさせ口を開かせる。

 ヴィクトレイは全てを捨てて身一つで飛び退き距離を作る、その隙にタバイは剣を背後の壁に突き刺した。
「飢えた冥界の番犬だな。なにも食わせてやっていないのか? 可哀相に」
 食わせろと叫ぶ犬たちの声を聞きながら、距離を縮める。
 政治的な駆け引きや、人間関係の勝敗がはっきりとしない勝負は苦手だが、直接殴りあうことだけはそれなりに自信のあったタバイだが、その自信も揺らいでいる。
 ヴィクトレイはタバイをすり抜けて剣をまた引き抜き、正面から対峙し髪を宙に”這わせる”ようにして動かす。
「我が異形なのは解っているだろう。ならば倒す方法も知っているだろう」
 異形を速やかに倒す方法はただ一つ。
「知らぬ訳ではあるまい、イグラスト」
 ニメートルを越える幅の広い剣を構えて、ヴィクトレイは挑発する。
「……」
「食べるための”口”が三つもあるというのに、何故食わん?」
 タバイが”同族”を食べることを拒んでいることを確認するために。
「……」

 ―― 兄さん? 何食べてるの? おいしい? おいしい? わーい、くれるの! ありがとう! 兄さん大好き ――

「何が理由で同族を食べることを拒否しているのかは聞かぬ、いや答えられぬか。だが我は食べることに躊躇いはない。特にその膜、珍味だからな。それ程の量があっては、珍味とも言えぬが」
 黒い長髪に、三代皇帝プロレターシャに瓜二つな優しげな顔立ち。
「!」
 その顔の中心、額から上唇の上までが一気に割れた。そこには牙と長い舌。
「口は普通に動く。食べながら話すこともできる。行儀が悪いから喋りながら食べることはしないがね」
 顔の亀裂から飛び出した長く鋭い舌が、タバイの腕の一つを捕らえて引き寄せる。

―― なんという力だ

 先程の髪の触手とは比べものにならない、全てにおいて強さを感じさせる舌。タバイの足は引き摺られ、床が砕け剥がれる。
 ヴィクトレイとタバイの視線が交錯し、現れた大きな口にタバイの顔が囚われかける。大きな口は通常の唾液とは違い、分厚い粘液が見える部分全てを覆っている。
 タバイは危険を察知し舌を引きちぎろうと掴む。

―― 頭蓋骨が削られる音

 頭部を守る角が噛み砕かれた震動と音を聞きながら、タバイは舌を千切ることに成功し身を離す。千切れた舌を捨てて、左側の角があった部分を触る。
 いつもならばすぐに回復する角が、普通の怪我と同じように治らない。
「我の分解酵素粘膜のほうが上のようだな。イグラスト、お前の腹の犬たちには敵わないかも知れんが」
 タバイの角を通常の口と舌の上へ移動させて味を楽しみながら”後はないぞ”とヴィクトレイは誘いかける。

 そのヴィクトレイの黄金の左目の輝きが、タバイが奥底に縛りつけていた欲求を解き放つ。

 ”駄目だ、駄目だ”と思いながらも、このままでは勝ち目がない相手を前に、勝てる武器を使わないでいられるほどタバイは強くはない。
 誰もおらず静かで、気温の調整機能が下がり冷えている、あちらこちらに穴があいたホールに、乱杭歯がぶつかる音と犬の叫びが響く。
 先程まで犬の口から出ていなかった粘着性の強い唾液。タバイが食べることを意識したときにそれは溢れ出す。
「…………」
 その食欲は理性を失わせ、相手を食いつくすことしか考えられなくしてしまう。
 ヴィクトレイの髪を無造作に掴み、力尽くで引き寄せる。
 犬たちは歓喜に歯を鳴らし、タバイの精神を蝕む笑いが体内を蹂躙し脳髄を支配する。あと少しで口がヴィクトレイに届く ――

 食べたらもう戻ってこられないという意識すら消えかけたタバイと、あと数ミリで食べられるヴィクトレイ


 私は冥界である
 この冥き宇宙でお前を生かすことができる存在である
 この身の内は番犬を飼う。番犬をつなぎ止めるのは、いと細き金糸なり
 私はいつかこの冥がりに飲み込まれるであろう
 いと細き金糸は千切れ私は冥き、冥き……


 二人の間を黄金の糸が通り抜け、そのエネルギーの余波で二人の体は弾け飛ぶ。互いに体勢を直し、視界に相手を捉え直した時点で爛れた皮膚や引き剥がされた肉はすぐに回復する。
 簡単に回復できるところから、二人の間を通り抜けた黄金の糸に見えたものが、機械であることを証明しているが、タバイにとってそれは違うものであった。
 何も無い空を数度掴む。

―― 兄さん ――

 それはタバイをつなぎ止める金糸であった。細く美しく僅かだけしか姿をみせず、容赦のない。
「犬の唸り越えが止まった?」
―― ダーク=ダーマに銃口を向け、撃てるのはお前くらいのものだろうキャッセル
 犬の口を封じ、可動域が制限されていない長い腕を折りたたみ、黒い膜のような羽を閉じ、タバイはその使い慣れた腕のみでヴィクトレイに殴りかかる。
 鎖骨を握りどんな攻撃を食らおうとも、ひたすら顔に拳を落とす。口がタバイの腕を食おうと開けば口のない側面から。殴られた衝撃で粘液が飛び出し、タバイの皮膚について爛れ血が出て来るが、おかまいなしに殴り続ける。

『艦外通信回復、艦内空調回復。バールケンサイレ大将、ユキルメル大将からの指示を待て』

 最後の一撃は再びタバイが居る空間を通り抜けた。

『リスカートーフォン勢! 大至急、此処へと来い!』

「イグラスト公爵閣下」
 声をかけられたタバイは振り返る。
「勝ちです。殺すというのならば止めはしませんが」
 タバイはヴィクトレイから手を離して、自分には”ない”口の部分を指さす。
「畏まりました。我が名はハネスト=ハーヴェネス。今はイグラスト公爵閣下の配下だが、昔はあなたの母君の部下でした」
 ヴィクトレイは血を吐き捨て、片方の鼻穴を指で押さえて何度か息を吸う。
「暗殺しに向かった先に強い男がいた。裏切っても仕方のないことだな。いや裏切ってはいないか。それで、我にも投降しろと命じるのか」
「その通り。帝星にはまだ強い相手が多数いる。それと手合わせずに死にますか?」
「乗った。帝星に帰る前にお前と手合わせするのが条件だが。ハネスト=ハーヴェネス」
「予定がつまっておりますので、帝星に到着する前に戦えるかどうか。タテアシスとファーダンクレダに既に予定を押さえられた」
「ならば二人を叩きのめして優先順位を上げるまで」
 すっかりと傷が治った、たおやかなプロレターシャの顔立ちでヴィクトレイは言い放つ。
「どうぞ、ご自由に」
 二人が話をしている間、タバイはキャッセルが撃ったであろう銃の痕跡を眺めていた。
「イグラスト公爵閣下。撃ったのはご想像通り、キャッセル様ですよ」
 ハネストからはっきりと言われて、タバイは肩を落として震わせて疲れたような笑いを見せる。
 ヴィクトレイは剣を引き抜き、
「皇帝に下ったのだ、情報の一つや二つは提供しておこう。皇帝の機動装甲、ブランベルジェンカといったか? あれが格納されている所に向かったヤツは誰だ」
 首を回しながら腹になにもないことを証明する。
「声の主ならレビュラ公爵ですが」
「レビュラ公爵? 強いとはきかなかったが……もしかして、ブランベルジェンカ105に乗れるから派遣されたのか? だとしたら殺されているかも知れないぞ」
「誰に?」
「ディストヴィエルド=ヴィエティルダ。セゼナード公爵エーダリロクにそっくりで、この艦内システムを乗っ取った男がそこを本拠地にしていたはずだ。もう従ったか?」
「いいえ。死んだ可能性は?」
「ハネスト、お前が殺したか?」
「遭遇していない」
「ならば生きているだろう。結構強い男だ、お前やイグラストが遭遇していないのであれば、どうやっても殺し切れないだろう。厄介な上位調律回復だ、それも最高級の」
 タバイはハネストを見て頷き、縮めていた羽を広げながら駆け、勢いをつけて飛び上がり、格納庫を目指す。
「到着しても間に合わんのではないか」
「セゼナード公爵殿下に成り済まし、システムに侵入したのであれば生かしている可能性が高いから助けに向かった」
「どうして?」
「レビュラ公爵は機動装甲に搭乗できる両性具有。セゼナード公爵が巴旦杏の塔の管理者であることは知っているでしょう」
 ヴィクトレイはディストヴィエルドの性格を思い出し同意する。
「ならば生きているだろうな、どのような状況であろうとも……しかし、レビュラは藍色の瞳が特徴的だったと記憶しているが」
 歩き出したハネストと肩を並べてヴィクトレイも歩く。
 ハネストの行き先は、ヤシャルが隠れている倉庫。
「特殊な両性具有らしいとのこと。帝国宰相最愛の弟で、夫も大事にしている弟だ」
 僭主と連れだって歩いていると後で問題になることが考えられるので、僭主たちが潜んでいたロヴィニア倉庫で待機させていた。
「結婚したのか?」
「している。息子が四人ほど」
「強いか?」
「弱い」
「そうか、弱いのか……どうした? ハネスト」
 足を止めて周囲を見回しているハネストに、ヴィクトレイが剣を担ぎ直して声をかける。
「もしかしたら、ディストヴィエルド=ヴィエティルダ。殺されているかも知れんな」
「誰に?」
「成り済ました本人に。行動パターンを研究し、それに沿って動いていたとしたら、殿下と遭遇する確率が高い」
「たしかにその確率は高いだろうが、セゼナード公爵エーダリロクにか? ディストヴィエルドはそれ程弱くはないが」
「殿下は殿下ではない。おそらくザベゲルンも勝てない」
「色々と面白そうなことがあるようだな、ハネスト。ところで、我等を投降させた理由は」
「それは……」


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