ALMOND GWALIOR −212
 ディストヴィエルドはこれほどまで「ビーレウストの本」と「エーダリロク」に邪魔されるとは考えてもいなかった。
 とくに「エーダリロク」の記憶力。天才と名高く記憶力が抜群とされる「エーダリロク」を名乗っているせいで「記憶にない」や、それに類する答えで誤魔化すことができない。
 すぐに答えないディストヴィエルドを前にし、アロドリアスが攻撃を警戒して構え、それに従い部下たちも攻撃態勢を取る。
 ディストヴィエルドの怒りと殺意、それらが爆発しそうになった時、ミスカネイアは時間稼ぎにと記憶がないことを許容し、ヒントを出した。
「イデスア公爵殿下が書かれた本はたくさんあるので、さすがの殿下でもお悩みのようですね」
「ああ」
 時間を稼いでもミスカネイアには何も出来ないが、側にいるアロドリアスたちは何らかの策を講じることができるだろうと――そう考えて、ミスカネイアは内心で笑った。
 彼らをテルロバールノル勢を信頼している自分がいることに気付いたのだ。理由は解らないのだが、彼らは本物であり皇帝に害を成さないと信じている自分がいることを。それは最早理屈ではなく感情。
「内容は刺繍の歴史ですわ」
 ディストヴィエルドは内容を聞いても見当がつかない。
「刺繍の歴史?」
「はい。イデスア公爵殿下が書かれた本の内容は多岐にわたっていらっしゃいますから」

 答えは見つからない。ならば――

「まどろっこしい事は終わりだ」
 ディストヴィエルドが私室と通路を隔てる壁を破壊しようと腕を振り上げる。ミスカネイアはボーデンを腕に抱き、壁が破壊した場合、破片で傷つかぬように体を盾にする。だが、壁の破壊はなかった。
「うおああああ!」
 走って来たビーレウストが何も確認せずにディストヴィエルドに殴りかかった。拳をまともに食らい、弾き飛ばされたディストヴィエルドに、
「撃て!」
 アロドリアスは一斉射撃を命じる。
 ビーレウストが追加攻撃を行うのには邪魔になるのだが、部下たちの身を守るには射撃を命じるしか道はない。
 アロドリアスの命令に従い撃ち出す部下たちだが、数名は既に負傷し床に転がっている。いつ攻撃されたのか? 転がっている本人たちも気付いてはいないほどの速さで。
「手前、名前なんだ?」
 ビーレウストが腰を落とし、特徴でもある長い手の指先を床に触れたまま尋ねる。
「俺は」
「俺って面じゃねえだろ、手前。僭主が俺って言ってるんじゃねえよ」
 エーダリロクと瓜二つと言われ、混乱を招いていたディストヴィエルドだが、ビーレウストには通用しなかった。
「……名前? 貴様なんぞに教えてやるか」
「そうかよ!」
 ビーレウストは飛び上がり、ディストヴィエルドも飛び上がる。両者頬に拳をめり込ませ、着地し左手を長く、右手で反撃された頬を隠しながら対峙する。
 見る間に治ってゆくディストヴィエルドの怪我。エーダリロクは超回復能力を持っていないことは周知の事実。
「超回復! 貴様、断じてセゼナード公爵ではない!」
 アロドリアスの叫びにディストヴィエルドは舌打ちをして、皇帝の私室前から離れた。
 去るディストヴィエルドをビーレウストは追うことをしなかった。彼には”アレ”がエーダリロクが言っていた「そっくり」だと気付かなかったのだ。
「アロドリアス」
「はい」
「エーダリロクじゃないってどういう事だ?」
「アレ……儂等は便宜上”スペーロ”と呼んでおりますが、あのスペーロ、見た目がセゼナード公爵と瓜二つであることを利用し、セゼナード公爵殿下の名を借りて……」
「ええ! あれがかよ!」
「イデスア公爵殿下?」
「あれが、エーダリロクのそっくりだったのかよ。ちっ、気付かなかった。つか、似てねえだろ、アレ。どうみても、柄の悪いエヴェドリットそのものだろがよ! エーダリロクはあんな殺意だだ漏れしてねえし、殺意ももう少し控え目だろが。なにより面つきが全く違う」
「似ていませんか? 儂等には瓜二つに見えるのですが」
―― 殺意などというものは、見えませんし比べられませんのじゃ
「目と認識能力が悪いんじゃねえのか? アロドリアス。仕方ねえな、俺はアレを殺さなけりゃならないんだが……その前に、ロッティス」
「はい」
「后殿下は室内には居ないが、艦内にはいるんだな?」
「お答えできません」
「答えなくてもお前の腕の中に答えがあるじゃねえか。陛下がボーデン置いて脱出するわけんがねえ。そこにボーデンがいるってことは、后殿下も艦内ってことだ」
 もっとも疑われるべき容姿の男は、いとも簡単に自分の存在を証明した。
「……陛下も后殿下も部屋にはおりません。先程ザウディンダル、レビュラ公爵がやってきて、后殿下を脱出させていないことを知りました」
 ミスカネイアから現状を聞き、
「俺はさっきのヤツを追いかける。あとはお前等に任せた」
 ”どうみてもエヴェドリット”にしか見えない、似ていると言われいるディストヴィエルドを探しに走り出す。

「どこがエーダリロクに似てるんだよ」

 残された者たちは、まずは治療に専念する。
 ビーレウストの話を聞きながら止血は行っていたが、治療はこれから。細胞に作用する薬剤を銃型注射器のシリンダーにセットする。
「お待ちください。薬はまずプロフト液80番から使用してください」
 透過状態の壁越しにミスカネイアが指示を出す。
「51番も80番も同じであ……」
 アロドリアスは然程違いはないと”どちらでも良い”と指示を出そうとしたのだが、それはミスカネイアが許しはしなかった。
「違います。まったく違います! さっさと80番を注入しなさい。リュバイルス閣下、治療に関しては素人である閣下のご意見など拝聴する気はありません」
 80番と51番。傷口の場所や深さ、出血の量によりこれらはどちらを先に投与するかが異なるが、両方を投与することには変わりがないので、緊急事態でなくとも丁寧にそれらを判別し気遣いながら投与するものは少ない。だが、相手が誰であろうとも、ミスカネイアはこのような場面では引かない。
「……」
「……」
「……」
「……治療の専門家であるお前の意見を軽視したのは悪かった」
 しばし視線が交錯し、歯軋りしながらアロドリアスは詫びているとは思えない口調で、それでも彼としては最大限に譲歩した。
「私は専門家の意見を軽視はいたしません。閣下、これからどうなさいますか? 閣下がお決めになった作戦通りに動きます」
「ここに防衛陣を敷く。ここに后はおり、儂等はそれを守っている。対の三分の一を割き、防衛の為の兵士を集めてこい。ここに后がお出でであることも広めてくるのじゃ」
 アロドリアスは”犬”ことボーデンの価値を理解していなかったが、ビーレウストの意見を聞き考えを改めた。
 ボーデンがいるということは、ロガが居る証拠の一つになり得る。ならばそれを最大限に利用して、ここに僭主を集め、どこにいるか分からぬがロガが逃げるなり隠れるなりを手助けをする。
「ロッティスよ。ボーデンなる犬は見える位置に置け」
「畏まりました」
 ミスカネイアはボーデンから離れ、お気に入りのぼろぼろになった布を持って来てクッションにかけて、乗って眠ってくれるよう話かける。
 ボーデンはちらりとミスカネイアの顔を見てから、よろよろと、だが手を借りずにクッションの丁度良いところに、そして通路から顔が見えるようにして体を丸めて目を閉じた。

**********


『ダーク=ダーマに海を作る理由? そりゃあ、通信機や動力に不備が生じた場合の生命線用だ。これだけの海とその周囲に陸地があれば、二十年は軽いな。もちろん、定員は五名までだが』

 ダーク=ダーマは大宮殿と同じであり、他の艦のように食糧生成プラントが備え付けられていない。だがもしもの場合を考慮し、食糧や飲料水を得る手段を設置しておく必要がある。それがこの海と陸地であった。
「お前達を狙っていると?」
「そのようです」
 本来ならば弱く、余程のことがないかぎり人間など相手にしないはずのエヴェドリット系僭主。それが人を狙う理由――ザウディンダルは自分が起こした行動《帝王の咆吼》によるものとは気付かなかったが、背後から迫りくる可能性の高い僭主を引かせる方法を考える。
「津波を起こす動力はあるか?」
 この周囲は堅牢な作りになっているので容易に突破されることはないが、同時にザウディンダル側も簡単に逃げ道を作ることはできない。この空間だけで一つの世界を形成できるようになっているため、外部との繋がりは出入り口ただ一つのみ。
「どの程度の津波ですか?」
「過去に記録された最大規模のもの。下手な大きさじゃあ無意味だ」
「それ程の規模の動力は用意できません」
「そうか……」
 衝撃を与えるなら「その程度は必要だろう」と考えたザウディンダルだが、予想通りと言うべきか動力が不足していた。
「閣下、海を濃硫酸に作り替えるのはどうでしょう? そこに僭主を沈めるとか」
「下手したら、お前たちが死ぬだろ」
 硫酸が僭主の肌を溶かすと断言はできない。むしろ効かない可能性のほうが高く、またばらまかれて兵士たちが負傷する恐れもある。
「ですが……」
「ちょっと待て」

**********


「奇策ってどんなモンなんだ?」
【どうした? ザウディンダル】
「ちょっと興味があったからさ。カルはジュシス公爵とそういう話したりしないのか?」
【儂は奇策はさほど好きじゃねえからなあ】
「カルは正々堂々派だもんな」
【それもあるが、儂はさほど戦争好きではなく、なにより家臣として兄貴から配下を借りている身分じゃから、被害は最小限に食い止める策を講じねばならぬのじゃ】
「奇策って被害が大きいのか?」
【そりゃそうじゃ。奇策というのは奇策であって、別に被害を最小限にするものではない。被害を最小限にする策はいつでも王道じゃよ。アシュレートの策じゃが、あれは奇策を楽しむものであってそれに掛かる費用も被害も通常より多い】
「へえ〜そんなモンか」
【エーダリロクになれば違うかも知れぬがな。興味があるのなら聞いてみたらどうじゃ?】

”奇策? 俺はあんま、奇策とか使わねえなあ”
「金が掛かるから?」
”それもあるけどよ、俺はそんなに作戦を立てる趣味はないからな。アシュレートの奇策は、趣味で芸術の域。あれは戦争そのものを楽しんでるヤツだからこそ立てられる策だ。俺みたいに「まず費用ありき」なヤツは、そりゃまあ、しみったれた策になる”
「そういう物なのかあ」
”興味あるのか?”
「ちょっとな。甥っ子たちの問題集に目を通してたら、ちょっと興味が沸いてきた」
”帝国上級士官学校のか? そうか”
「俺の人生には関係ないんだけどさ」
”ザウ”
「なに?」
”俺の説明が正しいかどうかは別として、俺は奇策ってのは【ふるい】だと思うんだ。小麦粉や土なんかのキメを細かくする時に使うやつ”
「知ってる。アニアス兄が使ってるの見たことある。でもふるい?」
”そう。ふるいの中に敵と自分が入る。そして策という震動で別々になる。そして残されたか、若しくは落とされたかした敵が追加で攻撃を食らう。俺が考える奇策は、敵と味方が混ざってしまったのを上手く分離させてから、少々誤差はあるものの畳み掛けるように攻撃する……ってところだ。この二つの工程の両方を一人でやってのけるのがアシュレート。でもザウは力がないから、分けるまでを上手くやって逃げてその先は誰かに任せるってのがいいんじゃないか”
「ふるいで分ける?」
”そう。たとえば、ザウは体が細めだから自分が落ちる大きさのふるいを作り、相手を上に残して逃げる……あくまでもイメージだけどな。相手と自分の違いを上手く使うんだよ”
「それをどうやって見つけ出すんだ?」
”それは自分のことを良く知っておく必要があるだろうな。自分の特異な部分と、相手の平易な部分を瞬時に分け、そして分離させる物を作る”
「そんなのエーダリロクじゃなけりゃ無理じゃねえ?」
”そうか?”
《なんの話してるの》
”策について”
《えーザウディンダル、作戦遂行するの?》
「別になにもしねえよ、キュラ」
《そーだよね。君そんな権限ないし》
「権限じゃなくて、ちょっと興味があったんだよ」
”奇策についてだってさ”
《ふ〜ん。ジュシス公爵に聞けば?》
「そういう奇策じゃないんだよ」
《どういう奇策?………………なるほど、そういう奇策かあ。僕だったらさしずめ声だね。相手の聴覚に攻撃を加えてその隙に逃げる》
「逃げてるだけじゃねえか」
《でも奇策じゃない。知らない相手と知っていても防げない相手にしか通じないけどね。君だったら……なんだろうね? ザウディンダル》

[奇策とか面倒くせえこと俺しねえからな]
「だよな」
[まあ、逃げてこいよ。なりふり構わないで逃げてこいよ。そしたら俺が殺してやるよ]
「逃げられなかったらどうするんだよ、ビーレウスト」
[人質になれ。ザウディスは人質になれる要素だらけだろ。僭主に対しちゃあ帝国宰相の弟だし、帝国貴族に対しては両性具有だ。その特性や立場を上手く使って人質になって俺のところに来いよ。絶対人質になれるってのは、結構有利だぜ。人質ってのは生きてなけりゃ駄目な存在だし、両性具有は殺しちゃ駄目な存在だからな]
「僭主相手に帝国宰相の弟は弱くないか?」
[そうだな……そうだ、帝国騎士ってのを前面に出したらどうだ? 僭主も帝国騎士は欲しいだろうからな]
「人質になったらよろしくな!」
[生きてたら、任せておけよ。死んでたら別のやつに頼め]

**********


 ザウディンダル自身は最悪、両性具有であることを「ばらし」て人質になることができる。だが兵士たちにはその道はない。
 兵士とザウディンダルと僭主。この三つを上手く分ける方法。
「帝国騎士……そうだ! 俺の指示通りに薬品を作れ」
 ザウディンダルは砂地に大きく化学式を次々と書いてゆく。
「閣下、量は?」
「まずは1リットルでいい。混ぜて調整確認してから最終的な計画を教える。急げ!」
「畏まりました」

―― 俺に適合するバラーザダル液に沈めてやる


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