ALMOND GWALIOR −188
 口が動かし辛くなったことに気付き、デウデシオンは手の甲で口を拭おうとしたが、手袋が他者の体液で酷い有様になっていることに気付き拭わなかった。
「ん?」
 一箇所気になると、他の箇所も気になる。
 自分の顔を撫でてみるとまだ乾いていない血が手のひらにこびり付いた。顔は見えないが酷い有様だとは解ったので、
―― 近くに噴水があったな
 顔を洗おうかと考え、デウデシオンは噴水の方へと足を向けた。
「……」
 夜の闇に浮かぶ噴水の破損は少しだけだったが、余計な物が浮いていてとても顔を洗えるような状態ではない。水面が見えないほどの皇王族の死体。青ざめて膨らみ始めている物もある。
 ”誰が殺したものか?”とデウデシオンは近付き死体を検分すると、致命傷を与えた傷に見覚えがあった。殺害したのはデウデシオン本人。
 いつ頃殺した死体だったか? と考えるが、想い出せない。

―― 少し腹が減ったな。最後に食事をしたのは何時だったか……今日は何日だ? 襲撃から何日経過した?

 軍用の腕時計を観るが、時が止まっていた。”故障か? いや故障するはずがない。クロノイアルが動いている限り……いやそんなことはどうでもいい”時間が解らなくなっていることに気付いたデウデシオンの隣で、死体が俯せから仰向けに”ぷくん”と体勢をかえた。

「……」

 デウデシオンは剣を握りなおして、殺そうと考えている皇王族が籠城している方へと向かった。

**********


 僭主が帝星を襲撃してから五日目の夜が更けゆく。
 制御を失った衛星は帝星周辺を漂う。回避装置も動かない衛星はぶつかり壊れて地上へと落ちてゆく。

「おお! 流れ星みたいだ!」
「いっぱい降るねえ」

 隕石の落下などを阻止する役割を負っている衛星たちが、流れ星のような軌跡を描き落ちる。その様を人々は楽しんでいた。
 衛星そのものは、大気圏で燃え尽きることが前提条件で作られているので、バイスレムハイブ公爵率いる対空部隊も、警戒しながらその美しい光の尾を観て少しばかり楽しんだ。
「それにしても市街地に明かりが灯り、大宮殿が燃えさかり明るいとは」

 百年を経た白骨に削げた肉が覆い被さった。久しぶりに肉を着て、血を浴びた白骨は、燃えさかる炎を虚ろなまま眺めている。

「どうやらここで、脱落だ」
 大宮殿の中心部近くでバーローズ公爵は膝をつき、銃身の長い銃にもたれかかり、追いかけっこを諦めると告げた。
 《帝王》の兄であったラードルストルバイア。《帝王》に成長促進剤を打ち、無茶な成長をさせたのも彼である。《帝王》とラバティアーニを巡って対立もした。
 ”不和の象徴”と言う二つ名まで持った彼だが、現存する記録は異常なほど少ない。
 その僅かにしか残っていない記述に繰り返し登るのが ―― 強さ ――
「ではな」
 その強さを身を持って知り、殺したいと願えどもバーローズ公爵の体はもう動かない。死にはしないが動かなくなった体をもどかしいと思いながら、
「最後まで楽しんでこい、アシュレート。回収しには行く」
 追いかけてゆくアシュレートの背に、羨ましさを隠さぬ舌打ちをして、回復のために目を閉じた。

 ”貴方の情報は、ほぼ手中にある”
 それは《エーダリロク》が《どこか》から入手した情報。出所は聞くことはできなかったアシュレートだが、眩い輝きを放つ黒髪の下、自分の剣が飛び出した背を見ながら《それはもうどうでもいい》とひたすら追いかけた。
 エーダリロクがもたらした情報が全て正しかったからだ。

―― ラードルストルバイア・ゼークゼイオン・トールドヴァティオ。趣味や生い立ち、経歴なんかはここでは関係ないだろう。《あいつ》は超能力者だ。そうだ《帝王》も超能力者だったことから考えると不思議じゃない。念動だ、触れずに動かせるやつ。ただし、それほど細かい操作はできなかった。「らしい」じゃないのかって? 「らしい」じゃねえよ、言い切るよ。どうして詳しいのか? それは教えられないな。それでだ、陛下の体に入っているから念動タイプの超能力も使える。そしてここが最大のポイントなんだが《あいつ》は能力的には低下してる。「からだ」が違うから思った通りには使えない。陛下の体は陛下という人格があってこそ、内部に眠るラードルストルバイアが自在に操れるんだ。そうだな陛下が普段が動かしている情報を使って動くんだ。だがクローンにはそれがないから、ラードルストルバイアだけの動きだ。それもかなり粗雑な ――

 ラードルストルバイアの情報を聞いたアシュレートは《帝王》が彼を仕留めた方法を再現することにした。弱体化しているという言葉を信じても、生前のはっきりとした強さは不明。
 そこで用意するように命じたのは超能力無効化体質の者たち。

**********


「おそらく、ジュシス公爵が最も欲しているのは血液だろう。だから最重要ポイントに、そいつを配置しようと思ったんだ。”神殿近く”か……もう一つの場所か。どっちだと思う? メーバリベユ侯爵」
「もう一つが何処かは知りませんけども、その”もう一つ”のほうにお願いします」
「解った。しかしジュシス公爵は一体、なにと戦うつもりなのだろう。こんな策を用意するくらいだから、相手が誰か、どんな戦いをするのかを知っているような……深く追求しても無駄だね」
「そうですね。時が満ち運が良ければ知ることができるでしょう」

**********


 これを引き裂き血の幕で念動を防ぐという作戦に出た。無効化体質の者を集めて配置しろと言われたエダ公爵は超能力者と戦うことは解った。
 そして配置上、それが現れるのは《神殿》であることも。
 《神殿》から突如現れない限り、このような配置にはならないこと、そして最後にそれを葬る場所も”そこ”しかあり得なかった。
 大宮殿の中心部近くにある ―― 両性具有処分場 ――  それは神殿に隣接しているとも「言われている」神殿の正式な大きさを知っている者は少ないこと、存在しない存在を処分する場所なので自ずと大きな声で話すことができないために、それは不確かとなる。
 距離を取り銃でそこへと向かうようにアシュレートは誘導する。

―― たぶんラードルストルバイアは知らない。そうだ処分場の正しい位置を知らない。どうしてか? ロヴィニア王族には処分場の位置なんて知らされてないからな。そうそう、知っていればいいのは皇帝だけだ。それに……――

《ザロナティオンは両性具有を処分しなかったから、処分場を探すことも近付くこともしなかった。だから内側から見ていたラードルストルバイアの大宮殿の知識にはない》

 誘導されていることは配置されている《無効者たち》の存在から気付いているラードルストルバイアだが、アシュレートの狙いは解らなかった。
 目的が「殺害」であることだけははっきりとしているので、それに類する罠だろうとは解っていたが、上手く対応できないでいた。
 背に手を回して剣を抜こうとするも、ワイヤーが肺胞と絡まり肺ごと抜けそうなので、それもままならない。
「不均衡の翼、似合っているぞ」
 背後から銃を撃ち追ってくるアシュレートの声に苛立ちを募らせながら、震えている無効者が近くにいる重い扉。
 この扉の先がどうなっているのか解らないラードルストルバイアは、扉を回避しようとしたのだが。追ってきたアシュレートが扉を撃って開かせ、
「さあ、ここが終着地点だ」
 ラードルストルバイアの上半身を蹴って押し込む。
 扉が一度閉じたので、出ようと扉に突進するが、
「……き……ぃ!!」
 扉が開かない。
 処分場の扉は、閉じてしまうと内側からは開けない造りとなっているのだ。
 外側から押し開くことでしか開かず、内側には取っ手がないどころか、凹凸一つない銀色に輝く巨大な板でしかない。
 叩いてもこちら側からは開かない。
 脱出するためには、外側からアシュレートが押し入って来た時に、飛び出すしかなかった。

―― あいつらの性質から、このまま閉じ込めて殺すということはないだろう

 他の一族ならば餓死という手も考えるが、アシュレートの属する一族だけは、そんな事は想いもしない。それだけは確実だった。
 ラードルストルバイアは肺胞に食い込むワイヤーを指で引いてみると、尋常ではない痛みが体を襲った。
 これを抜くよりも刺したままのほうが良いだろうと手を離して、慣れた体勢「四つ足」になる。
「さて……最後だな」
 無効能力者を掴み静脈を切り血を浴びたアシュレートは、
「お前にも付いてきてもらうぞ」
 出血と恐怖で声が出なくなった皇王族の髪を掴み引き摺り、扉を蹴り開く。正面から突っ込んできたラードルストルバイアにエネルギーが拡散する銃を突きつけ、その引き金を引く。もちろん近距離なので命中はしたが《シュスターク》の体は大きなダメージは食らわない。―― 通常の状態であれば。
 ラードルストルバイアの胸にめり込み肺胞に「根」を張ったワイヤー。その根の浸食が丁度良いエネルギーを浴びて、瞬時に爆発的な成長を開始した。
 このワイヤーは生き物ではなく伸縮性のある特殊合金。
「まるで肺胞を浸食するかのような動きをする合金だ」
 重くなった肺に気取られた隙に、アシュレートは扉の中へと身を滑り込ませ、扉は音を立てて閉じられた。
「我に勝てたら出て行けるだろう。もう暫くしたら、バーローズが扉を開くからな」
「……」
「顔色が悪いぞ、不均衡の翼。毒が効き始めたのか?」
「貴様、ワイヤーに……」
「我は正々堂々と戦うことが正しいとは考えぬ。我の正しさは勝つことのみ。貴様との彼我の力量の差を理解している我が、勝つために取れる手段を講じただけのこと」
 かつてハネストがシュスタークの命を奪う為に使った合成毒。それは《命が危険》な状態になりシュスタークの中のラードルストルバイアを呼び覚ました。だから誰もシュスタークに危害を加えない。
 だがアシュレートの目の前にいるクローンはシュスタークは《いない》
 存在しているのは既に起きているラードルストルバイア。ならば毒を使うことに躊躇う必要はない。
「面白みはないだろうが、そろそろ死んでいただこう」
 アシュレートは皇王族の血管を再び切り、血のカーテンの元対僭主用銃を撃ち出す。体が後方にはじき飛ばされ、徐々に目的の場所へとラードルストルバイアは追いやられてゆく。
 大昔の溶鉱炉のような天井の下、溶解液の上に架かっている橋を進む。
 ”音”の途切れにラードルストルバイアは背後を見ると、橋が切れていた。
「そこから捨てるのだ。挽き潰した両性具有の死体を」
「……」

「ラバティアーニの代わりに、

―― ラバティアーニはそこにいる ――

貴様が堕ちよ」

 銃口を顔の目の前に、その銃口を避けようと手を伸ばしたラードルストルバイアは、アシュレートの足が動くのを感じた。
 簡単に足を刈られ背後から落ちてゆく。長い黒髪がラードルストルバイアの視界を遮る。小さくなるアシュレート、そして背中から堕ちて溶けてゆく感触。
 アシュレートにも聞こえる程の大声で怨嗟を叫ぶ。
「これで終わりか?」
 溶けてゆくラードルストルバイアに照準を合わせてアシュレートは最後まで待った。
「うぉあああああ!」
 無効の範囲から外れ、無効の血も溶けて消えたラードルストルバイアは半溶状態で舞い上がる。
「ぉぉぉぉあああああ!」
 表皮は溶けもはや《シュスターク》の面影はどこにもなく、内臓も部分露出しており、背中から剣が飛び出している体で。叫び目にまだ生への執着心を滾らせて。
 アシュレートは皇王族の頸動脈を切り血を降らせて、銃で再度たたき落とす。
 轟音がを響く無機の天井は、砕かれた両性具有の処分の時と同じく、やや虹色に光っているだけ。
 ラードルストルバイアは対僭主用銃を浴び二度目の落下で、溶けて無くなった。アシュレートは背を向けることなく歩き、開かれた扉から外へと戻った。
「殺したか」
「殺した。さすがにこの手で殺しきることはできなかったが、殺すことはできた」
 平素は大人しいアシュレートの表情に、死んだリーデンハーヴの《人を殺している時の》表情が重なり、バーローズ公爵は笑った。
―― 容姿や性格は似ていないように見えたが、はやりアレの息子だ
「今どうなっている? バーローズ」
「おう。ザセリアバが到着した」
 二人は上空が望める場所に移動し、閃光が走った空を凝視する。

「撃て! ザセリアバ!」


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