ALMOND GWALIOR −2
 俺が小さい頃、兄貴は優しかった。

 皇帝の乱交による早産と適当な飼育、そしてこの忌々しい両方の性器を持っている体のせいで本当に病弱だった。
 俺は子供の頃は体調が良いほうが珍しかったくらいだ。何時も熱を出しては、泣いていたとタバイの兄貴やキャッセルの兄貴は言う。
 その二人がどうあやしても、俺は泣きやみはしなかったと。その泣き声も、普通の赤ん坊とは比べ物にならないほど弱いものだったらしい。原因の一つは、生まれてから兄貴に引き取られるまで口から食事をしたことが無かった、それが大きかった。吸啜反射どころか、原始反射がすっかりとなくなってたっていう。
 特に問題だった、吸啜。吸う力を矯正する器具はあるんだが、口に何も含んだ事のなかった俺は、何を口に入れても大泣きしてかえって衰弱する状態。何ならば口に含み、吸う力の回復になるか? を兄貴達は考えて、
「昔は可愛かったんだけどなあ」
「そうそう、おしゃぶり代わりに私達の指を一生懸命に吸って」
 人間の指だけは何とか吸ったらしい。
「兄上のあの顔は、失礼だが “みもの” であったな、キャッセル」
「そうだな、タバイ。何が違うのか、まさかあの人の指を舐めて確かめるわけにもいかぬし。赤子の頃から本当にお前はデウデシオン兄を慕って、慕って」
 一番のお気に入りは兄貴の指だったっていう。
 人に触れられるのが嫌いで、舐められるなんざ考えただけで相手を殺したくなるような兄貴が、赤子だから……赤子だから……と必死の形相で、手袋を外した指を俺の口に含ませてたっていう。
 当然覚えちゃいねえ。俺の記憶にある兄貴の手は、
「熱があるようだな」
 兄貴は俺の額に手を置く時、手袋を外して直に触れてくれた。その手の冷たさが心地よかった。兄貴が他人と接触するのを嫌っている事は、当時の俺には解らなかったが、俺だけが兄貴の手に触れられるその優越感は確かにあった。
 少し知恵が付き始めると、それほど熱がなくても俺は熱が出たと言い、勉強している兄貴の部屋に向かった。『困った奴だ』と言った表情で、手袋を外し俺の額に手を乗せてくれた。それが楽しみだった。
 暇が出来れば俺の相手もしてくれた。
 段々調子に乗って、体調なんて悪くもないのに『熱出た! 熱出た!』と兄貴にくっ付いていた。当時の兄貴はそれでも相手をしてくれていた。そう、あの女が死ぬまでは。
 兄貴の接触嫌悪の元になった、俺達の母親・皇帝が死んだ。俺は悲しくもなければ、私生児だったから葬儀に参列する必要もなかった。俺の世界の中では、ディブレシアが死んだ所で何も変わらない、変わらない筈……だった。
「……う……」
 ディブレシアが死んで何日過ぎたかは解らないが、その日俺は久しぶりに『本当に』体調を崩し、兄貴の部屋へ行った。やっとの思いで行った部屋いた兄貴は、
「戻れ、ザウディンダル」
 俺の顔を見るなり、即座に戻れと言った。
 “言う” じゃなくて “命じる”
「え……」
 兄貴に突き放されたのはその時が初めてだった。
「私は用事がある。自分の部屋に戻れ、ザウディンダル」
 ショックの大きさは並じゃない。
「熱あるの、具合悪いの……」

 言っても兄貴は振り返らずに、部屋を後にした。

 今でもあの瞬間を思い出すと、言い知れない恐怖を感じる程。
 そして考えた、俺が嘘ばかり言っていたから、信じてもらえなかったんだと。謝れば許してもらえると、そう信じて俺は兄貴の部屋で一人待っていた。真っ暗になった部屋の中で、一人小さくなって待ってた。
 椅子の下で膝抱えて、待ち続けて……
「ザウディンダル。居るのかザウディンダル?」
「ち、違う……なんで? なんでデウデシオンじゃないの?」
 俺を探しにきたのは兄のタウトライバ。
「デウデシオン兄からお前の事頼まれた。部屋に戻るぞ」
「いや! だって、謝ってまた一緒に! 一緒に遊ぶの!」
 七歳年上のタウトライバは俺の口に体温計を入れ “困ったな” といった顔をする。
「あーデウデシオン兄が言った通り、熱があるな。医者にみてもらってから休め」
 そして、俺の襟首を掴むと部屋から引き釣り出した。
「やだあ! デウデシオンと一緒に寝るの! 謝ったら許してくれるもん! 下ろしてよ!」
 歩みを止め、俺を自分の目線の高さまで持ち上げてタウトライバは言った。
「もうデウデシオン兄はこの部屋には帰って来ない。別の部屋に行った、暫くはお前に会う時間すらないってさ」
「う、うそ……」
「デウデシオン兄は陛下の摂政になった。陛下のお傍に付くことになったから、お前の面倒みてる暇ない。諦めろ」
「デウデシオン、僕の事嫌いになったの?」
「違うが……そう思った方が、良いのかもな」

 俺はその後、生死の境をさまよう程の高熱を出したが、兄貴は戻ってこなかった。

 熱が下がり体調もある程度回復して、寝ている事に飽きた俺は起き上がって窓から外を見ていた。そこに、兄貴が見えた。
「デウデシオ……」
 兄貴は綺麗な子供に腰をかがめ、笑顔で話しかけていた。その子供は、駆け回っては興味のある物体の前で立ち止まり、兄貴を呼びつけ指をさし尋ねる。兄貴がそれに一つ一つ答える……笑顔で。
「あ、あの子……だれ?」
 俺の周囲には誰も人がなく、その呟きの答えをもらったのはもう少し後の事。
 何時も周囲を父親達に囲まれ、兄貴を独占して笑っている子供。
 俺の後に生まれた、皇帝と正式な配偶者の間に出来た皇太子、そして三歳で皇帝になった男。その存在の “おかげ” で、俺は誰にも顧みられなかった。
 先日まで一緒にいたのは俺。

 ナイトオリバルド・クルティルーデ・ザロナティウス。宇宙を支配する冠を唯一その頭上に載せることの出来る男。
 類い稀な容姿を兼ね備えた皇帝シュスターク。
 
 その男の隣が兄貴の定位置になった。


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