ALMOND GWALIOR −172
 奴隷たちが住んでいる区画を自由に出歩けるのは、ハイネルズ、バルミンセルフィド、エルティルザの三名のみ。部下たちは管理区画から出ることは許されていない。
 その日はハイネルズだけが管理区画に残っていた。
 大小様々な仕事をこなしている、経験の豊富な彼らだが
「着陸許可申請? 誰からですか」
 決定権はあくまでも「皇帝の甥にあたる三名」にある。
 着陸許可を求めている相手の身元から、彼らの判断では”撃ち落とす”だったが、勝手に撃ち落とすわけには行かないので、管理区画に残っていたハイネルズに指示を仰いだ。
 名を聞いたハイネルズは、報告に来た五名を見渡し、
「……以前ここに配置されていた警官で同じ名前の人がいましたね」
 彼らの判断を感じ取ったがあえて別の命令を下す。。
「その男です」
「なるほど……着陸許可を出しなさい」
「はい」

 奴隷相手に傍若無人に振る舞い、誰にも咎められることなく移動となった元警官。良心が麻痺し、誠実さが家出し、倫理観が永の眠りについた元警官は、外界で警官としてはしてならないことをしでかし、結果追われる身となった。
 元警官は自分がどうして追われる身になったかは理解できたが、納得はできなかった。同じようなことを奴隷区画でしていたためだ。
 元警官は自分の原点は奴隷区画だと思い立ち、ここまでやってきたのだ。元警官が去った後に奴隷区画がここまで変容しているなど誰も想像できない。

「処遇については”帝国宰相閣下”から許可をいただいてから二人に説明します。それまで投獄しておきなさい」
 ハイネルズは語りながらデウデシオンに用件を端的に書いた文章と共に通信を入れる。
「畏まりました」
 用件とは「暴行許可」
 ハイネルズは奴隷たちに恨みを買っているこの元警官を引きずり出し、奴隷たちの自由にさせようとしていた。殺さなければどんなことをしても良い前提で。
 ただ二人は拒否することも解っていた。私刑を認める二人ではない。とくにエルティルザは、そういったことが嫌いだ。
 彼ら三人は基本は中立権を持たない数の理論、もしくは話合いで物事を決めるが、こういった場合はエルティルザが強権を発動することは想像に難くない。
 発動されたところでハイネルズは腹立たしいとも思わないが、発動させたエルティルザが処理できない感情を持つことも理解している。
 ならば最初から、エルティルザも無条件で従う相手からの命令にすれば良いと、ハイネルズはさっさと話を進めた。
―― 添付の経歴から、処分しても何ら問題はない。私が命じたことにしておこう
 会議の合間と一目で解る格好をしたデウデシオンが画面に現れ、別にある画面に元警官の戸籍に《逮捕》の文字が付け加えられる。《逮捕》の後にも未来の日時が次々と追加され、一年後の日付で獄死の文字が現れる。元警官の人生は書類上では一年後に終わることが決定した。
「ありがとうざいます。軍事会議でお忙しいところ、このような些末なことでお手を煩わせてしまい……ちょっとだけ、恐縮しております」
 皇帝の代理として会議に出席するときは左肩に白のスカーフを留め、軍事会議の際は同じく右に黒のスカーフを留め、予算会議の時は右肩に空色のスカーフを……と会議に出席する格好というものがある。
―― 会議を中座するちょうどよい理由だ。深刻な内容しか届かぬからな
 悪人ではあるが一人の「人間」の人生を強制的に終えたのだが、デウデシオンにとってそれは作業でしかない。昔処刑命令を出し、泣いた少年の面影はハイネルズも見つけることはできなかった。
「そろそろ帝国軍本隊も、前線到達ですね。あ、そうそう。背後の部下たちにも、このことは口外せぬように命じてください。彼らは元はエルティルザの部下ですから」
 突如話を中に組み込まれた部下たちは、驚きはしたが黙っていた。
―― 私がハイネルズに命じた。お前たちが知るのはそれだけだ
 デウデシオンは喋るなと命じはしなかったが、明かな圧力をかけてくる。
「それではデウデシオン伯父様、お仕事頑張って下さい。私も頑張りますので☆」
―― ハイネルズ
「はい」
―― お前は人を殺すのが好きか?
「はい好きです。デウデシオン伯父様より好きです」
 ”私は貴方を殺すのに躊躇いはありません”と、奴隷たちと食事の席で好きな料理を語る時と変わらない口調でハイネルズは答える。
 聞いている形となった部下たちは、言動に息を飲みデウデシオンの表情を窺うも、
―― 頼もしいことだ
 彼らが表情を読めるような相手でもない。
 そのまま画面は暗くなり、室内には苦いような沈黙が訪れた。その苦みを感じていないのは、この空間を作ったハイネルズだけ。
「命令書……届きましたね。さすがデウデシオン伯父様」

 デウデシオンとハイネルズ。二者の生涯を比較すると、権力を行使し間接的に人を処分した数はもちろんのこと、自らの手で葬った人の数もデウデシオンのほうが圧倒的に多い。それは皮肉でもなんでもなく”よくある出来事”

 デウデシオンの命令で届いた書類に目を通しながら、ハイネルズは命令を求めてその場に残っている部下に半分は向け、もう半分は己の本性向けて語りだした。
「低脳にして無能だ」
 声は変わらないが喋り方が変わるだけで、ハイネルズという存在はまったく違う表情を見せる。
「……」
「経歴に華がないなどではなく、己の現状を把握できず、所構わず罪を犯す低脳め。その上才もないとは。全うに生きる術はあったというのにそれを捨てるとは」
「……」
「私自身無能ですが、この元警官の無能とは違います。私は単純に才能がない。その事を理解して認めています。前向きに認めるか、後ろ向きに認めるかで随分と違いますけれどもね」
「……」
 なにを答えていいのか部下たちは解らないが、答えを間違うことを恐れた。
 彼らに背を向けて座っている、黒髪の少年の後ろ姿から感じる恐ろしさに足がすくみ、喉が縮み、目蓋の端が痙攣する。
「殴られて蹴られて、謝るのでしょうねえ。謝ってどうにもならないことも知っているでしょうに」
 彼らが”そんな状態”になっていることを知りながらハイネルズは話続ける。
 ”そんな状態”とは目蓋の端が痙攣していることでも、足がすくんでいるなどという個別の症状ではなく、死の恐怖に怯えていること。
「ですが人は謝るかと」
 彼らの経験が生命の危機を察知するほどの殺意を、ハイネルズは微笑み書類に目を通しながら発していた。
「元警官は殴られるに値することをした訳ですが、警官の謝罪の元になった奴隷たちは悪いことはしていませんよね」
「はい」
「だから元奴隷たちは謝罪ではなく命乞いをするのですよね」
「はい」
「悪いこともしていない奴隷を殺害した元警官が、奴隷に命乞いをして助けてもらえると本気で思えるのでしょうか?」
「本気で願うでしょう」
「それって無能であり低脳であり、厚顔ですよね」
「理屈としてはそうですが、感情は理屈もねじ伏せます」
「ですが元警官が奴隷を殺害したのは、理屈ではなく感情ですよね。自らは感情で殺害したのに、復讐相手には理性を求めるのですか。どこまで卑劣なのでしょうね」
「……」
「卑劣であろうが、高貴であろうが殺害されるときは殺害されるので、どうにもなりませんけれども」
 ハイネルスが言わんとしていることは、彼らには解らない。ただ会話が早く終わればいいという思いと気力だけでその場に立っている。
「謝罪を引き出すための暴行許可ではないのですか?」
 ハイネルズは奴隷たちに元警官の暴行を許可を与えることにした。皇帝の甥が命じれば、奴隷たちは従うだろうことは彼らにも解る。なによりもこの元警官は、八名ほど奴隷を殺害していた―― 遊び半分で。
「私は暴行によってなにも引き出せないという理念の持ち主です」
「なにも? ですか」
「はい。何一つ引き出せないと。暴行とは暴行であって、それ以外の意味を持たない。違いますか?」
「小官は非人道的ではありますが、暴行により証言を得ることが真っ先に思い浮かびます」
「なるほど。貴方は拷問好きということですね」
「いいえ!」
「大昔ならいざ知らず、現代において暴力で証言を得るのは”それが好き”としか言いようがないと私は考えます。自白を得る薬なんて幾らでもあるでしょう」
「ありますが、薬を信用できない者もおります。なにより薬は証言を得ることはできますが、謝罪をさせる薬はありません」
「たしかに薬で謝罪されても、ちっとも謝罪されたとは思えませんね。そして貴方は薬による自白を信用していないと?」
「はい」
「謝罪はさておき、実は私も薬による自白は信用していません。私が薬を信用しないのは、私自身の無能さにあります」
「……」
「薬の成分と、それが脳内のどこにどのように作用し、それよってどれ程の効果を得られるのか? 実験結果を書面で見せられても分からないので、信用できないのです。今はいい薬がありますよね、投与されても苦痛を与えず理路整然と証言してくれますとも。でも”無能”はあれが信用できないんですよね」
 ―― 脳から直接情報を引き出せる能力を持つ者もあり、視覚で意識を行き来することができる人もいます ――
 ハイネルズは椅子をくるりと回して振り返り、彼らに視線を向けた。
 その視線は死を意識させるのだが、射貫くという鋭いものではなく、拡散する無数の透明に近い糸がやんわりと包み込むと表現したほうが近い。
「……はい。おっしゃる通りです。小官もそれが分からず、信用できません」
「でも薬は効いているんですよね。私たちには分からないだけで。セゼナード公爵殿下のように薬の成分を熟知し、それが作用した結果、古来の拷問と変わらない効果を持つことを完璧に理解している人は効率重視で薬を使用する。セゼナード公爵殿下ならいくらでも拷問できるでしょうに」
「セゼナード公爵殿下は効率重視のお方ですから」
「そうですね、あの方はあの頭脳で自白剤と自白用拷問の効果を天秤にかけて、自白剤を選ばれる。その方が時間的にも料金的にも、情報の精度も”よい”という判断で。これだけでも、拷問の無駄が分かると言うものです」
「……」
「ですが止められないのですよ。精度の高い自白剤というのは情報を与えてくれても、拷問によって得られる、人間の本質は満たしてくれない。皮を焼き、肉を刻み、骨を砕いく快感を与えてはくれない。だから苦痛の合間に漏れるつぶやきこそが正しいと理由をつける。そして拷問を我等は続ける。ちなみに暴行による謝罪も無駄というか、無意味だと”我”は考えますが」
 言語が帝国語からエヴェドリット語に変わったところで、部下の一人が耐えきれずに意識がある状態ながら、身体中の筋肉を弛緩させ崩れ落ちた。
 床に叩き付けられる音と、酷い臭い。
 まだ意識の残っている四人は、ハイネルズに謝罪しなくてはと思えど、体が動かない。目の前にある死は恐怖を呼び、決して諦めさせてはくれない。
 ハイネルズは彼らが感じている恐怖の程度を良く理解していた。絶対に敵わないと思わせる程自分には力がないこと。それが余計に相手に恐怖を与えることも。
「糞尿を漏らしたことくらいで怒ったりはしませんよ。でも気を付けなさい」
 手元にあったキッチンタイマーが「できあがり」をそろそろ告げる。一秒ごとに減ってゆくそのパネルに手を置いて、
「エヴェドリットのカニバリズムは内臓を貪る。その速さ恐怖と驚きに失禁する時間もあたえない。リスカートーフォン、それが味わうものは絶望とは言うが、舌の上に広がるのは血と排泄物の味。カニバリズムの極みとはそういうものだそうです。我等が到達した極みであって、人類の極みではなし」
 立ち上がり排泄物にまみれた一人に近付き、
「恐怖しても”漏らさない”ほうがいいですよ。それはカニバリズムを呼び起こしかねません。普通に殺されるだけだったのに、生きたまま食われることになってしまう可能性が生まれるのです”私”からの忠告ですよ☆」
「……」
 菓子のできあがりを知らせる音が響き渡る。予期せぬ音に堪えていた四人の緊張の糸も切れ、それぞれ膝をつき、手を付き、肩で息をする。

「豆乳プリン出来上がりましたか。では私は出かけますので、後始末とその他をお任せします。帰ってくるまでには全部終わらせておいてくださいね☆」

 ハイネルズは部屋から駆け出してゆく。その後ろ姿に先程までの《殺意》はまったく見当たらなかった。


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